卒業生のキャリア公務員

人とのつながりが道を拓く。高専・技大を経て、地域産業を支え続けるコーディネーター

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長岡高専の工業化学科(現:物質工学科)の卒業生である山田昭博さんは、新潟県工業技術総合研究所の上越技術支援センターでセンター長を務めておられます。研究員、科学技術振興機構(JST)への出向、行政職、人材育成と、多彩なキャリアを歩むなかで一貫して大切にしてきたのは「人とのつながり」でした。高専時代の思い出から現在のお仕事まで、これまでの歩みを伺いました。

有機化学の面白さに出会った高専時代

―長岡高専に進学されたきっかけを教えてください。

もともと理科や算数が好きだったんです。逆に国語などの文系科目はあまり得意ではなかったので、自然と理数系に目が向いていました。

三つ上の兄が高専を受験していたこともあって、高専という学校の存在を知りました。兄は電気が好きで、ラジオやちょっとした電気製品を分解しては楽しんでいたんです。それを見て自分もやってみようと思い、第一志望は電気にしました。ただ結果的には第二志望の工業化学科に合格して、入学することになりました。

―高専時代はどのような学生生活を送っていましたか。

自宅から通学していたので、授業が終わると帰り道にゲームセンターに寄ったり、当時流行っていたビリヤードに行ったりして、仲間と遊んでいました。寮生と自宅生ではちょっとコミュニティが違っていて、自宅生は自宅生同士で集まることが多かったですね。同じクラスの仲間と一緒に帰りながら寄り道するのが日常でした。

―卒業研究では有機合成の研究室を選ばれたそうですが、その決め手は何でしたか。

授業のなかで有機化学が面白そうだなと感じていたんです。それで、粟野一志先生の研究室に入ることに決めました。もともと厳しいという評判はあったのですが、それも他の研究室だと5時くらいにみんな帰るところを、ちょっと遅くまで残って実験するという意味での厳しさだったと思います。実験すること自体は嫌いではなかったので、そこまで気にせず選びました。

有機化学の研究は、一段ずつ反応を進めて不純物を除いて、また次の反応へと進めていくので、どうしても時間がかかるんです。でも、原料を反応させてカラムクロマトグラフィーで分離し、次のステップへ進んでいく過程は楽しかったですね。

▲高専生の頃の山田さん。研究室にて

―卒業研究では最後に失敗してしまったと伺いました。そのときの状況を教えてください。

光学活性かご型化合物の大量合成がテーマだったのですが、目的化合物を得るための最終反応をスケールアップさせる段階で、容器とヒーターが近すぎたことが原因で、目的の反応がさらに進んでしまい、分解してしまったんです。

失敗に気づいたのは後からでした。生成物を調べるテストをしたとき、目的の位置にピークが出るはずが、違うところにピークが出てきて「あれ?」となりました。先生と一緒に原因を考えて、フラスコが熱源の近くにあったことだろうという話になったんです。

一年かけてここまで取り組んできたのに、という落胆はありましたね。また、粟野先生からは「ここでつくってくれたものを、来年また展開していけるんだよね」と聞いていたので、周囲に対する申し訳なさもありました。

それでも粟野先生は、「また来年つくればいいよ」と優しく声をかけてくださったんです。指導には厳しい先生でしたが、同時にとても温かい方でした。

バイオテクノロジーへの挑戦と博士課程での研究

―長岡技術科学大学に進学されたきっかけを教えてください。

実は小学校の頃、母が長岡技術科学大学の食堂で勤め始めたことをきっかけに、学園祭に遊びに行ったことがあったんです。屋台が出ていたり、楽しそうな雰囲気だったりと、そのくらいの記憶しかないのですが、「楽しそうだから長岡技科大に行けたらいいな」という漠然とした思いがありました。当時は、高専卒業生を主に受け入れる大学だとは知りませんでした。それを知ったのは高専進学後のことです。

高専で進学を考えていた頃、ちょうどバイオテクノロジーがブームで、長岡技術科学大学に生物系の学部ができることになりました。高専で有機化学に興味はあったのですが、バイオテクノロジーもやってみたいという気持ちがあって、生物系への進学を選びました。研究室を選ぶときもバイオとの二択で考えていて、バイオの研究室に行けなかったら有機合成に戻ろうかなというくらいの気持ちでした。

―大学院ではPCB分解微生物の遺伝子構造解析に取り組まれたそうですが、研究環境はどのようなものでしたか。

当時の研究室では新技術事業団の助成を受けて、アメリカのミシガン州立大学との共同研究プロジェクトを進めていました。ただ、事情があって大学から車で5分ほどの信濃川テクノポリス開発機構の敷地内にプレハブの実験室を設置して研究していたんです。

研究設備自体は整っていたのですが、他の研究室のメンバーと会う機会が少なくなったり、授業があるときに大学まで車で移動したりと、そういう苦労はありましたね。

―博士課程ではどのような研究に取り組まれましたか。

蛍の光のもとになるルシフェラーゼという酵素の遺伝子を使って、PCBを分解する酵素遺伝子の発現を制御する仕組みを調べる研究に取り組みました。修士課程まではPCBの分解に関与する遺伝子の配列を調べる研究をしていたのですが、その活性を追うのが難しかったこともあり、発現制御の方に興味を持ったんです。関連する論文も出版されていたので、福田雅夫先生に「ルシフェラーゼ遺伝子を使った実験に取り組みたい」と相談しました。

結果的に、PCBを分解する酵素遺伝子の発現には二成分制御系の遺伝子が関与していることを明らかにすることができました。たまたまやってみてうまくいったというのが正直なところですが、機能的なデータはしっかり押さえられたと自分では感じています。

大学時代は朝起きるのがとても苦手で、夕方頃に研究室に行って後輩と入れ違いになるようなこともありました。周囲に迷惑をかけてばかりだったのですが、そんな自分にもさまざまな研究に取り組ませていただいた先生方には本当に感謝しています。

▲大学院生の頃の山田さん(2列目中央)。学会での懇親会にて、福田先生(前列左)や皆さんと一緒に

多彩なキャリアで培った「つなぐ力」

―博士課程修了後、新潟県の公設試験研究機関に就職された経緯を教えてください。

博士課程まで進んでいたので、ポスドクの口もありました。高専教員の話をいただいたこともあります。ただ、自分が学生を率いて研究テーマを組んでやっていけるかという点で、正直難しいかなと感じたんです。

それに加えて、父からの勧めもあり、県の職員試験を受けてみました。公設試に直接入ったわけではなく、県職員として入ったら、たまたま配属先が公設試だったという形ですね。

―キャリアの中で特に大きな転機となった経験について教えてください。

科学技術振興機構のJSTイノベーションサテライト新潟に出向したことが、一つの大きな転機でした。全国16カ所に設置された地域拠点の一つで、新潟と群馬の両県を担当していました。

主な仕事は、大学の先生方に研究支援制度を紹介して活用してもらうことです。各地の大学や高専、研究機関を訪問して公募の説明会や個別相談を行っていました。

その中で、先生方の申請書を拝見する機会もあったのですが、しっかり書かれている先生もいれば、伝えたいことが整理しきれていない先生もいらっしゃいました。そういった先生方に個別相談で、伝わりやすい書き方にしていただくようアドバイスするといった取り組みもしていました。研究の中身そのものを支援するだけでなく、コーディネーター的な業務ができるようになったのは、この経験があったからだと思います。

―その後に出向した、にいがた産業創造機構でのお仕事についても教えてください。

NICOテクノプラザという施設で、機械設計者を育てるための人材育成講座の運営を担当していました。カリキュラムの調整や講師の先生との連絡、新しい先生の確保などが主な仕事でしたね。

受講生とその上司の方にセットで事前ヒアリングをするんです。機械設計の講座なので、どこまで知識があるかを講師の先生に伝える必要があって。その際に出身校を聞くと、高専出身の受講生がいることもあって、そこから「どこの高専ですか?」と話が盛り上がることもありました。

―現在の新潟県工業技術総合研究所 上越技術支援センターのセンター長としてのお仕事について教えてください。

新潟県の工業系公設試験研究機関として、企業からの技術相談や依頼試験、保有機器の貸し出し、研究開発などに対応しています。入所して10年ほどは依頼試験や機器の貸し出し、共同研究などに取り組んできましたが、今の立場では自分で手を動かして試験に対応することは少なく、相談を受けて担当職員に依頼する形です。そこは少し寂しさもありますね。上越地域への赴任は初めてなので、これから少しずつでも地域の企業を訪問して、力になれればと思っています。

▲これまでの業務について講演されている山田さん

―これまでのキャリアを通じて、ご自身の強みはどこにあると感じていますか。

強みと言えるかどうかわかりませんが、JSTでの経験なども含めて、大学の先生方や研究者とのつながりはわりと持てているかなと思います。新潟大学や長岡技術科学大学、新潟工科大学などで「この先生に話を通してみようかな」というネットワークがあるのは一つの武器かもしれません。

他の機関や人をつなげるコーディネート的なことや、企業が補助金の申請書を書くときの支援など、そうした部分はできるかなと感じています。直接技術的にお役に立てる場面は少ないかもしれませんが、企業の方から「ありがとう」と言っていただける事例を少しでも増やしていきたいですね。

―高専出身であることが仕事に生きた経験はありますか。

10年ほど前に企業を訪問した際、長岡高専の工業化学科出身の先輩から「話し方で高専出身とわかる」と言われたことがあります。何がどう違うのかは自分ではまだわからないのですが、不思議な共通点があるようです。

仕事で長岡高専や長岡技科大を訪問した際に「私も高専・技大出身です」と伝えると、そこから話がしやすくなることはよくあります。群馬高専に行ったときなども、「高専出身で」と言うと「あの先生にお世話になっているよ」といった会話になることがありました。つい一昨日も、職場の近くに勤めている高専の同級生のところに行って、高専や大学時代の話で盛り上がったばかりです。なんだかんだで人とのつながりを実感する日々ですね。

▲大学同級会での1枚。修士課程修了後30年を機に、長岡花火で集まりました

―高専生や、これから高専を目指す方へメッセージをお願いします。

専門的なことを早くから学べるというのは、高専の大きな魅力だと思います。私の職場でも、高専を卒業した方のお子さんが、また高専に進学するというケースが結構あるんです。それだけ、卒業してから振り返っても「高専で学んで良かった」と感じる人が多いのではないでしょうか。

そして卒業後も、ぜひ高専に顔を出してほしいですね。在学中は厳しいと感じていた先生でも、卒業してから訪ねると、とても喜んでくださります。私も仕事で高専を訪れる機会があると、お世話になった先生を見つけては話をしていました。年数が経ち、教えていただいた先生方もだいぶ少なくなりましたが、それでも高専でできたつながりは、今でも大切にしています。

高専に限らず、学生時代や仕事を通して出会った人とのご縁が、何年も経ってから思わぬ形でつながることがあります。私自身も、そうした経験を何度もしてきました。だからこそ、今そばにいる先生や仲間とのつながりを大事にしてほしいですね。それはきっと、この先の人生を豊かにしてくれる財産になると思います。

▲趣味のテニススクールで一緒になった諸橋文弘さんと一緒に。高専 機械系の先輩であり、諸橋さんの小中学校の同級生が山田さんの職場で一緒に働いていたこともあり、懇意にしていただいているそうです

山田 昭博氏
Akihiro Yamada

  • 新潟県工業技術総合研究所 上越技術支援センター センター長

山田 昭博氏の写真

1991年3月 長岡工業高等専門学校 工業化学科(現:物質工学科) 卒業
1993年3月 長岡技術科学大学 生物機能工学課程 卒業
1995年3月 長岡技術科学大学大学院 生物機能工学専攻 博士課程前期 修了(修士)
1998年3月 長岡技術科学大学大学院 情報・制御工学専攻 博士課程後期 修了(博士)
1998年4月 新潟県工業技術総合研究所 中越技術支援センター 研究員
2008年4月 国立研究開発法人科学技術振興機構 JSTイノベーションサテライト新潟 技術参事(出向)
2012年4月 公益財団法人にいがた産業創造機構 NICOテクノプラザ エキスパート(出向)
2013年4月 新潟県産業労働観光部 産業振興課 主査
2017年4月 新潟県工業技術総合研究所 企画管理室 専門研究員
2019年4月 公益財団法人にいがた産業創造機構 NICOテクノプラザ シニアエキスパート(出向)
2022年4月 新潟県工業技術総合研究所 研究開発センター レーザー・ナノテク研究室 専門研究員
2026年4月より現職

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