研究者兼SF作家であった石原藤夫先生への憧れから工学の道へ進み、その後、教員として都立産技高専の前身校時代から高専に携わってきた柴﨑年彦校長。研究者、教員、そして校長として歩んできた道のりや、高専教育に込める思いについて伺いました。
石原藤夫氏との出会いから、研究者としての道へ
―高校時代から、電子工学や通信分野に関心を持たれていたのでしょうか。
高校時代から電子工学を専門的に学びたいと考えていたわけではありません。当時は半導体が注目を集めていた時代でしたが、私自身は電子工学そのものよりも、ある人物との出会いが進路を決める大きなきっかけになりました。それが、玉川大学工学部で教鞭を執られていた石原藤夫先生です。
石原先生は、日本電信電話公社(現・NTT)で研究に携わった研究者である一方、ハードSF作家としても活動されていました。当時はSFが盛んで、私も作品を読んでいましたが、「研究者でありながら作家でもある」という生き方に憧れ、この先生のもとで学びたいと思うようになりました。その思いから、石原先生がいらっしゃる玉川大学へ進学し、先生の研究室で学ぶことになりました。
―実際に石原先生の研究室に入られて、印象に残っていることはありますか。
研究室では導波管を用いたフィルタ回路の研究に取り組みました。当時は現在ほど研究成果を積極的に学会で発表する時代ではありませんでしたが、卒業研究ではその成果を電子情報通信学会で当時3月に開催されていた全国大会にて初めて学会発表を経験しました。その際、石原先生から「大学院に残って研究を手伝わないか」と声をかけていただいたことが、その後の研究を続けるきっかけになっています。
大学院では、導波管の不連続問題をテーマに研究を進めました。その後、東京工芸大学の押本愛之助先生の研究室で助手を務めながら研究を継続し、研究者としての道を歩みました。
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―その後、高専へ移られることになります。転身のきっかけは何だったのでしょうか。
東京工芸大学で助手を務めていた頃、東京都立工業高等専門学校(現・東京都立産業技術高等専門学校)で電子情報工学科の立ち上げスタッフを募集しているという話をいただきました。
当時は高専について詳しく知っていたわけでもなく、最初は「どのような学校だろう」という印象でした。高専に移った後も研究は続け、東京工芸大学の木下照弘先生と共同研究を行いながら、博士号を取得しました。
学科の立ち上げから、新たな教育づくりへの挑戦
―電子情報工学科の立ち上げスタッフとして都立工業高専へ着任されましたが、当時はどのような役割を担われたのでしょうか。
着任して半年も経たない頃、校舎改築に関する仕事を担当することになりました。各コースや学科から先生方が集まる会議に参加し、実験室の配置や必要な面積など、学科の基盤づくりに関わるさまざまな調整を行いました。
教育や研究だけではなく、学びの環境そのものをつくっていく仕事で、大変な時期でした。そうした準備を経て電子情報工学科がスタートし、初めての担任も新学科で務めることになりました。

―高専で学生を指導するうえで、教員になった頃から変わらず大切にしてきたことはありますか。
学生とは、できるだけ対等な立場で接することを意識しています。教員だから上、学生だから下という関係ではなく、一人の人間として向き合うことを大切にしています。学生と対等に議論をしますし、質問されたことに対しては、同じ目線に立って答えるように心がけてきました。
―専攻科では、学生が研究成果を学会で発表する機会を設けていたそうですが、どのような目的で取り組まれていたのでしょうか。
専攻科ができた当時は、現在とは異なり、学士の学位を取得するためには学修成果をまとめたレポートの提出や審査が必要でした。そのため、研究内容をレポートとしてまとめ、それを学会発表にもつなげようということで、学会への参加を一つの目標にして学生と取り組んでいました。
また、学会は学生との思い出づくりの場でもありました。全国各地で開催される学会に参加し、発表後には温泉宿で打ち上げをすることも。研究だけでなく、学生と一緒に時間を過ごす貴重な機会になっていました。

―教務を担当されるなかで、国際化事業の立ち上げにも携わってこられました。どのような取り組みだったのでしょうか。
高専の統合・再編を経て東京都立産業技術高等専門学校(以降、都立高専)になった後、「国際化を進めていこう」という方針が打ち出されたことがきっかけでした。東南アジアでのグループワークや、アメリカへの語学研修、海外インターンシップなど、さまざまな国際交流の機会を設けていきました。
特に海外インターンシップは、学生を海外企業へ送り出すための準備や引率など、苦労も多い取り組みでした。シンガポールへ10名の学生を派遣し、現地の語学スクールでの1週間の研修の後、日系企業で2週間のインターンシップを行うプログラムを実施しました。
大変なこともありましたが、学生と同じ時間を過ごすなかで距離が縮まり、印象に残る経験になりました。学生たちも本当によく頑張ってくれたと思います。

―都立高専では、そのほかにも特色ある教育プログラムを展開されています。
荒川キャンパスでは、航空分野の教育に力を入れています。航空機整備を学ぶには、実際に整備する対象が必要です。そのため、実習環境として小型飛行機のセスナを2機導入しました。単に技能を身につけるだけではなく、実際の環境で学ぶことで、より広い視野を持った人材を育てたいという考えがあります。


また、品川キャンパスでは、情報セキュリティ分野の技術者育成プログラムにも早くから取り組んできました。企業と連携し、授業外でも専門分野を深く学ぶ機会を設けたことが、2021年に新設した情報システム工学コースにもつながっています。
高専の未来を次世代へつなぐ、校長としての使命
―近年、高専という存在が社会から注目される機会も増えています。柴﨑先生は、こうした変化をどのように感じていますか。
長年高専に携わってきましたが、これほど注目される日が来るとは思ってもみませんでした。活躍する学生や卒業生、教育に尽力してきた教職員の皆様が積み重ねてきた成果でもあるでしょう。
このほど、テレビ番組『円卓コンフィデンシャル』※の収録にも参加しました。こうした機会をいただくことからも、高専への関心の高まりを実感しています。番組では高専の魅力や可能性についてお話ししましたが、高専についてお伝えしたいことは、まだまだたくさんあります。
※テレビ東京系列で2026年9月12日放送・配信予定
例えば都立高専では、専攻科生も対象となる授業料減免制度が整備されるなど、高専で学び続ける選択肢を支える動きも進んでいます。こうした制度や教育の特色について、さまざまな機会を通じて、より多くの方に知っていただければと思っています。
―2026年4月に校長へ就任されました。これまで高専で経験してきたことを踏まえて、どのような使命を感じていますか。
私たちの世代は、古い校舎の時代も知っていますし、学生がどのように変化してきたかも見てきました。そうした経験を持つ世代として、これまで培ってきたものを次の世代へどうつないでいくかが、自分の役割だと感じています。
私が採用された頃は、ちょうど教員の世代交代が進む時期でした。これから先、さらに大きな世代交代を迎えるなかで、経験や知識を次の世代へ引き継いでいくことが重要だと考えています。
―学生を直接指導する教員の立場と、学校全体を見る校長の立場では、どのような違いを感じていますか。
学生に対する思いは、教員の頃から変わっていません。学生が本校を卒業した後、社会に出て自分の力で歩んでいけるようになってほしい。自信を持って卒業してほしいという思いがあります。
一方で、校長になると学生一人ひとりと直接関わる機会が少なくなり、その点では寂しさがありますね。ただ、校長という立場だからこそ、細かな部分から学校全体まで広く見ることができます。今の立場だからこそできる役割を果たしていきたいと考えています。

―高専での学びを通じて、学生にはどのような力を身につけてほしいと考えていますか。
高専では、まず実際に手を動かし、何度も自分で試してみること、つまり「習うより慣れろ」という姿勢が大切だと考えています。知識を覚えるだけではなく、経験を通じて技術や技能を身につけ、その上で自分の考えやアイデアを具体的な形にしていく力を育ててほしいです。
大学では理論から実践へと学びを進めるケースも多い一方、高専では、まずやってみることで理解につながることがあります。実験や実習を通じて経験を積むことで、後から理論と結びつき、「そういうことだったのか」と理解が深まることもあります。
また、社会に出た後に必要なのは、専門知識だけではありません。何か問題に直面したときに、「どこを調べればよいのか」「どのように取り組めばよいのか」を自分で考え、行動できる力が重要です。そうした力は、教科書からではなく、実際に経験して試行錯誤するなかで身につくものだと思います。
さらに、困ったときに相談できる人がいることや、同期と支え合える関係をつくることも大切です。高専が、卒業後も学生同士がつながれる場所であり続けてほしいと思っています。
―お忙しい日々のなかで、仕事以外に大切にしている時間や、気分転換の方法はありますか。
大学時代の同級生とは、今でも時々集まってお酒を飲む機会があります。長く続いている大切な時間ですね。また、猫を2匹飼っており、家では掃除が私の担当です。毎日掃除をしているのですが、無心になれる時間なので、気分転換にもなっています。
―最後に、これから高専を目指す中学生や、現役の高専生へメッセージをお願いします。
高専は、専門分野を早くから学べる一方で、自分の興味や適性に合っているかを見極めることも大切です。一般的な高校へ進学してから進路を考える人も多いですが、高専には、その人に合った分野で大きく成長できる環境があります。
入学当初は思うような成績が取れなくても、高専という環境が合い、努力を続けることで大きく成長する学生もいます。まずは高専がどのような場所なのかを知り、自分が興味を持てる分野があるかを見てほしいです。
また、入学後に「本当にこれでいいのかな」と悩む時期もあると思います。ただ、続けるなかで見えてくるものもあります。悩みながらでも学び続けることで、自分の進む方向ややりたいことを見つけてほしいです。
柴﨑 年彦氏
Toshihiko Shibazaki
- 東京都立産業技術高等専門学校 校長

1987年3月 玉川大学 工学部 電子工学科 卒業
1989年3月 玉川大学大学院 工学研究科 修士課程修了
1993年4月 東京都立工業高等専門学校 助手
1998年4月 東京都立工業高等専門学校 助教授
2005年3月 東京工芸大学 博士(工学)
2007年4月 東京都立産業技術高等専門学校 准教授
2009年4月 東京都立産業技術高等専門学校 教授
2022年4月 東京都立産業技術高等専門学校 副校長
2026年4月より現職
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