高専教員校長

「広い世界で勝負したい」と36歳で企業から大学へ。正解のない時代に求められる高専教育

SHARE

この記事のタイトルとURLをコピーしました
公開日
取材日
「広い世界で勝負したい」と36歳で企業から大学へ。正解のない時代に求められる高専教育のサムネイル画像

分野も立場も変えながら挑戦を重ねてきた片山佳樹先生は現在、北九州高専の校長として教育改革に取り組んでいます。社会が大きく変わる時代に、高専は何を目指すべきか。研究と挑戦の歩みを振り返りながら、その思いを語っていただきました。

「好きなものを選ぶ」——化学との出会いと研究への目覚め

―高校進学について教えてください。

大学進学を目指せる環境だったことと、藩校時代から続く伝統、いわゆる“バンカラ気質”に憧れて、熊本市の済々黌高校を選びました。

当時の熊本は、まだ昔ながらの空気が色濃く残っていたように思います。特に済々黌は下駄を履いて歩くような気風があり、それが格好いいなと思っていました。私自身はごく普通の昭和の学生でしたが、あの学校の雰囲気は自分に合っていたと思います。自由さもありつつ、芯のある校風でした。

―大学では化学の道へ進まれました。

当時から化学が好きで、鹿児島大学の応用化学科に入学しました。なぜ好きだったのかと聞かれると、正直うまく説明できません。

ただ、化学式そのものが魅力的に見えたんです。初めて有機化学を学ぶとき、難しく感じて化学を嫌いになる人が多いものの、私は逆に面白いと感じました。化学が何かを深く理解していたわけではありませんが、直感的に「これだ」と思いました。

しかし、当時は公害問題が社会で大きく取り上げられ、「化学に進むと就職がない」と言われていた時代です。高校の担任は物理の先生で、当時盛り上がり始めていた電子工学の道を勧められましたが、やはり好きなことをやりたいと思い、化学の道へ。結果的に、大学4年生になる頃には化学系の就職状況が非常に良くなっていました。

▲学部時代の片山先生。海辺にて

―その後は九州大学大学院へ進学され、博士課程まで進まれています。

大学4年生のとき、指導教授からの助言がきっかけで、九州大学の研究室へ進みました。当時の教授が立ち上げた試薬会社に誘われて就職も決まり、修士を終えたら社会に出るつもりでいました。

ところが、「奨学金を増やすから博士課程に進学してほしい」と言われ、進学することに。博士課程では、クラウンエーテルを用いて金属イオンを選択的に認識する試薬の開発に取り組みました。

▲大学院生時代の片山先生

―博士課程の途中で「目の前が開けた感覚」があったそうですね。

修士の頃は、正直に言えば「学問を究めよう」という強い気持ちはありませんでした。ところが博士課程の途中で、ある日突然、研究がつながって見える瞬間がありました。勉強し、考え続ける中で、急にいろいろなアイデアが浮かぶようになったんです。

それまでは目の前の実験だけを見ていましたが、そのときは研究全体、さらには世界全体が見えるような感覚でした。専攻のカリキュラムは非常に厳しく、無理やり鍛えられる環境だったからこそ、一気に視野が広がったのかもしれません。

企業から大学へ、もう一度挑戦の場へ

―博士号取得後は、企業へ就職されています。

はい。修士課程のときに内定をいただいていた、教授が立ち上げた試薬会社に就職しました。当時は大学に残るよりも、企業でやってみたいという気持ちを強く持っていました。

今振り返れば、大学に残って研究を続けるのも面白かっただろうと思います。実際、また大学に戻りましたので。ただ、当時はまだ自分も若く、研究の世界が少し狭く感じていたんです。もっと広い社会に出てみたいと思いました。

―試薬会社では、新製品開発から営業まで一貫して担当されたそうですね。

120〜130人規模の会社で、研究開発から商品化、さらには顧客対応まで、すべて自分で行うことができました。つくるだけではなく、「誰が使うのか」「何を求めているのか」を直接知ることができるのは、とても面白かったですね。

▲試薬会社に勤められていた頃の片山先生

実は、大変だと感じたことはあまりありません。試薬の開発は、ある意味で“趣味”の延長のようなところもあり、ちょっとした思いつきが新製品になり、どんどん形にできる環境はとても面白いものでした。ちょうど会社が工業分析中心から生命科学分野へと舵を切る時期で、細胞内の物質の動きを可視化する試薬や、一酸化窒素の計測・制御に関わる製品などを開発しました。

生命科学は、当時の私にとってまったく別の学問領域です。化学の視点で生命科学に切り込むと、新しいものが生まれるのではないかという面白さを感じていました。

―その後、36歳で九州大学へ戻られます。

ありがたいことに、九州大学から助教授として戻ってきてほしいというお話をいただきました。実は当時、企業では研究部門のリーダーを任され、かなり自由にやらせていただいていました。誰からも批判されない環境は楽でしたが、「このままで本当に成長できるのか」と感じることもあったんです。まだ自分は若造だと思っていましたし、もっと厳しい場所でゼロから挑戦したいという気持ちが芽生えました。

―環境を変える決断に迷いはありませんでしたか。

根本にあるのは研究です。企業でも大学でも、やっていることの本質は同じですから、大きな違和感はありませんでした。

また、私は長く悩まず、すぐに決断を下してしまうタイプです。こういうものは、実験と違って比較ができないものなので、先に決めてしまって、その後の時間を長く使える方が良いだろうという考えです。大学に戻らないかと言われたときも、ほぼ即決でしたが、会社に申し訳ないので少し迷っているふりはしました(笑)

▲九州大学に戻られて以降の国際会議にて

―大学では生体医化学の分野を開拓されました。

企業で生命科学の市場開拓を経験したことから、化学を医学的に応用する分野を本格的に進めたいと考えました。

基礎研究から実用化まで、化学合成から動物実験まで一貫して行える研究室を整え、研究体制を少しずつ広げていきました。バイオテクノロジーは将来性のある分野でもあり、自然と学生が集まり、最終的には45名規模、うち3分の1が留学生という体制にまで成長しました。

▲九州大学での研究室メンバーと記念撮影

取り組んだテーマは疾患細胞に特異的な遺伝子導入剤の開発、血管炎症を可視化するMRI造影剤、免疫を制御する分子システムなど多岐にわたります。CREST(戦略的創造研究推進事業)をはじめとする大型プロジェクトにも携わり、さまざまな経験をさせていただきました。

―印象に残っているプロジェクトはありますか。

産学連携で、年間1億円規模のプロジェクトを進めたことです。製薬や電機など、異なる文化を持つ企業と協働し、診断用バイオチップの開発を目指しました。企業ごとに価値観や進め方が違うため、満足してもらいながら一つの目標に向かうには、研究とは別の方法論が必要だと痛感した出来事でもあります。

その経験から、日本はもっとオープンに協業できる仕組みが必要だと考えるようになりました。自社だけで完結する時代は終わります。だからこそ、企業同士が情報を共有できる場づくりに、今、取り組んでいる最中です。

▲研究室での交流の一コマ

正解を教える教育ではなく、挑戦できる学校へ

―北九州高専の校長の話をもらったときの、率直なお気持ちを教えてください。

2024年の夏頃、九州大学の総長から「こんな話がきている」と教えていただきました。詳しく伺ってみると、最初に打診いただいたのが私だったようです。最初に自分を求めてくれた話は基本的に受ける、というのをモットーにしており、お引き受けすることにしました。

ちょうどその頃、これから劇的に変わる社会において、高等教育も根本から変わらなければ、世の中に本当に役立つ人材は育てられなくなると考えていました。ただ、大学は規模が大きく、急激な変化は難しい。一方、高専は教員が約100人、学生が約1100人という規模で、ひとつの学校単位で方向性を変えられるスケールです。そこに大きなポテンシャルを感じました。

―実際に高専に来て、ギャップはありましたか。

一番感じたのは、「先生方は本当に大変だ」ということです。大学は学生も大人で、ある程度は個人に任せられます。しかし高専は15歳から20歳前後までの成長を支えなければなりません。教育と研究を両立する負担は想像以上でした。

だからこそ、教員が余裕を持てる仕組みを整えたいと考えています。余裕がなければ、新しい挑戦も研究も生まれません。短期的な成果を追いかけるのではなく、長期的に力を発揮できる体制をつくるためにも、業務改革で先生たちの余裕を生み出したいと思っています。

▲北九州高専の先生方と

―北九州高専の教育方針について教えてください。

本校は「明るい未来を創造する開拓型エンジニアの育成」を掲げています。AIの進化や人口減少など、これからの社会は質的に大きく変わります。AIが多くの仕事を担う時代に、人間にしかできないことは何かを考え、AIを使いこなしながら価値を生み出せる人材を育てることが重要です。

正解のある時代は終わりつつあります。だからこそ、正解を教える教育ではなく、挑戦を続けられる場をつくりたい。失敗を許容し、それを活かせる人になってほしいと考えています。

私自身、企業時代には何度も失敗して始末書を書きました(笑) でも新しいことに挑戦すれば、失敗は必ず起きます。大切なのは共有することです。これから正解がない時代になっていくからこそ、失敗は「気づき」であり、次に進むための材料だという視点が必要です。

―そのために取り組んでいることについて教えてください。

この教育のためにはまず、教員が挑戦を続ける姿勢を見せることが重要だと考えました。そのため本校では、教員が自ら考え挑戦し、失敗を共有できる組織へと変えていくため、現在、業務改善やブランディング改革を進めています。

例えば、教員に対し業務にも教育にもAIを積極的に使い、その情報を共有し合うことを進めています。私が高専に来たとき、AIを積極的に使っている教員はまだ多くありませんでした。しかし5年後には、スマートフォンと同じように、AIを使っていない人はいなくなるでしょう。

学生よりも教える側がAIを理解していなければならないので、まずは「とにかく使ってみる」ことから始めました。使い方や失敗事例を共有する仕組みも整えていっています。勉強してから使うのではなく、使いながら学ぶ。どんなことにおいてもその姿勢が大事です。実際、AIの活用によって会議の時間も減り、業務改革にもつながっています。

―ブランディングではどのような取り組みをされているのでしょうか。

これからは「高専とは何か」を自ら打ち出せなければ生き残れません。それがブランディングです。そして、それを外に伝えるのが広報です。現在は、外部アドバイザーにも入っていただき、新しい形を模索している最中です。従来のやり方に縛られず、時代に合った発信をしていく必要があります。学生にも広報に関わってもらえたら嬉しいです。

▲北九州高専のサイエンスフェスタの様子

―産学連携の新しい仕組みに取り組んでいらっしゃると先ほどお話しいただきました。どのようなものなのでしょうか。

企業同士が安心して協業できる仕組みをつくろうとしています。九州大学時代、行政も巻き込みながら未来型の社会システムづくりに関わる中で、「異なる立場が出会う場」の重要性を強く感じました。高専ではその発想を発展させ、企業協業の場をバーチャルで整えたいと考えています。

北九州高専には約130社が参加する技術コンソーシアムがあります。その企業がクローズドな環境の中で課題を共有し、「それならうちの技術で解決できるかもしれない」と応え合える、中立的な場をつくろうとしています。

市場が少し変わるだけで、技術が役に立たなくなってしまうのはよくあるケースです。しかし、見方を変えれば、新しい出口が見つかります。自社の中だけだとその出口が見えないからこそ、アカデミアが中立な立場で橋渡しをする意味があると思っています。

▲北九州高専校長就任後に参加した国際会議にて

将来的には、高専や大学のシーズをAIで検索できる仕組みを整えていきます。分厚い本のようなシーズ集ではなく、チャットボットのように課題を入力すれば技術を提案してくれる形です。他の高専のシーズも載せられれば、より広い連携が可能になるでしょう。

―学生との関わりで大事にしていることはありますか。

本当は、もっと学生と関わりたいと思っています。先生と学生という上下関係ではなく、一緒に学ぶ関係でありたいですね。実は高専祭で頼まれてステージに上がり、歌ったこともありました。学生と同じ空間で時間を共有することが、何より大切なことだと思います。

―最後に、高専生へのメッセージをお願いします。

高専は出口を意識した学校です。ただ、その出口もこれから大きく変わっていきます。だからこそ、自分は何を持っているのか、何ができるのかを言葉にできるようになってほしいと思います。

これまでの技術は、筋力や記憶力といった人間の能力を外に置き換えてきました。その分、人は「考え、発想すること」に力を注いできました。しかしAIは、その“人間にしかできない”と思われていた領域にも入りつつあります。では、人間に何が残るのか。

その問いを自分なりに考え続けてほしい。人間として社会で価値を生み出すには何が必要なのかを探る5年間にしてほしいと思います。

片山 佳樹
Yoshiki Katayama

  • 北九州工業高等専門学校 校長

片山 佳樹氏の写真

1978年3月 熊本県立済々黌高等学校 卒業
1982年3月 鹿児島大学 工学部 応用化学科 卒業
1984年3月 九州大学大学院 工学研究科 合成化学専攻 修士課程 修了
1987年3月 九州大学大学院 工学研究科 合成化学専攻 博士課程 修了
1987年4月 株式会社同仁化学研究所 入社
1996年4月 九州大学大学院 工学研究院 応用化学部門 助教授
2002年4月 同 教授
2025年4月より現職

SHARE

この記事のタイトルとURLをコピーしました

北九州工業高等専門学校の記事

【現地レポート】タイの高校生と北九州高専生がワークショップを実施! 「だるまメーカーを創業」することで育成される能力
英語の先生は、トルクメン語研究の第一人者! 世界の多様な言語を通して、学びの本質に触れてほしい
半年ごとの学会発表が育てる力。研究と学会運営の両輪で学生の挑戦を支える

アクセス数ランキング

最新の記事

「広い世界で勝負したい」と36歳で企業から大学へ。正解のない時代に求められる高専教育
森先生
竹から始まる資源循環。離島の高専で挑む弓削島の課題解決と、「離島工学」の拡張性
エンジニアから人事の道へ。選択と挑戦を続けたからこそ得られたもの