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自律心こそが人生を切り開く。4つの教員免許を持つ高校教員の異色のキャリア

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長岡高専を卒業後、公立高校の教員を長年務め、校長職まで歴任された清水源一先生。工業、情報、理科、英語の4つの教員免許に加え、大学院への社会人進学、国家資格キャリアコンサルタントの資格取得など、常に学ぶ歩みを止めずにキャリアを積んできました。現在は通信制高校で生徒に寄り添う清水先生の、その挑戦を続ける情熱的なキャリアに迫ります。

ユニークな先生たちとの出会いが人生を変えた

―高専に進学されたきっかけを教えてください。

中学生までは、新潟県上越市で過ごしました。高専進学の理由と言えば、まず単純に都市部での生活に憧れていたから。長岡高専がある長岡市は県内で2番目に栄えていました。

また、大学受験だけを目標とした高校生活に魅力を感じなかったこともあります。パンフレットを見て高専のことを知り、自由な校風や大人として扱われる環境に身を置くことにも魅力を感じました。学校生活や寮生活を通して人間的に成長して大人になりたい、という思いも強かったです。

▲高専時代の清水先生。修学旅行で訪れた京都万福寺にて

―当時の寮生活について教えてください。

想像した通り、それまでとはまったく違う世界が広がっていました。寮は4人部屋で、そのうち1人は2年生。私たち新入生がうまく生活に馴染めるよう、1学年上の先輩が学校生活や寮生活のイロハを教えてくれるわけです。

寮内の様子は今でもよく覚えています。私は1号館3階の6号室1ブロックに割り当てられ、ベッドルームや洋服棚、廊下を挟んで「スタディルーム」と呼ばれる自習室がありました。当時は夜10時に消灯で、朝7時に当番の合図で一斉に起床します。眠い目をこすりながら廊下に並んで寮歌を歌い、掃除、朝ご飯、その後に授業を受けに学校へ。規則正しい生活でした。

4年間の寮生活を通しては、協調性や忍耐力、学業と遊びの両立、生涯の友人づくりなど青春と呼ぶにふさわしいことが実現できました。春の寮祭で女子高生を集めるために手相占いを決行したことや、冬の寮祭で演劇大会の脚本を書き夜中2時のリハーサルをしたことなど、寮生活の懐かしい思い出は尽きません。仲間や先輩と常に共に歩み、「生徒」ではなく「学生」として過ごす。自律心を育てるには、すごくいい環境でした。

▲高専時代の清水先生。本科5年生のクラスコンパの様子

―授業はいかがでしたか。

特に印象に残っているのは英語の授業ですね。当時、公立高校では読み書きが中心の英語教育で、現代のようにALTがいるのは当たり前ではありませんでしたが、長岡高専にはALTの先生がいらっしゃいました。その先生は音楽を授業に取り入れていて、みんなでビートルズの曲を歌いながら授業が進んでいくユニークなスタイルでした。

その内容が試験に出るので、試験期間になると、学生寮のどこかの部屋から英語の歌が聞こえてきて「あぁ、英語の勉強中だな」なんて思いながら、自分も机に向かっていた記憶があります。

また、2年生の担任だった英語の佐野先生も、演劇の手法を授業に取り入れるなど、おもしろい先生でした。3年生の英語の金井先生は、まさに「Walking Dictionary(歩く辞書)」と呼ぶにふさわしい先生で、教科書で新出単語が出てくると「それは辞書の〇ページの上から〇個目だ」と空で言えるほどの方でした。そうしたユニークな先生方のおかげで、知的好奇心が大いに刺激されたことは言うまでもありません。

高専では、受験のための“攻略法”を覚えるのではなく、学ぶことの意義や本質に触れることができました。さまざまな知的刺激がある環境であることは、高専ならではの良さだと思います。夏休みから半年間をかけて、「新潮文庫の100冊」を読破したこともあります。文学の面白さを知るとともに、「自分の時間は作り出せる」という経験がこの時できたことも、その後の人生に大いに役立っています。

―その後、大学に進学されたきっかけは何だったのでしょうか。

最初は進学しようとは考えていなかったのですが、長岡技術科学大学が新しくできるというニュースが入りました。高専でたくさんの先生方と出会い、学生に勉強を教えるのは楽しそうだと思ったことで、大学に行って学校の先生を目指そうと進学を決めました。

▲高専時代に所属していた流体工学研究室メンバーと

長岡技科大は、教員免許が取得できることはもちろん、教育原理や教育心理、教育実習など、一般的な工学部と比べてかなり充実した学習環境でした。また、教育実習で地元の長岡工業高校に行くと、まじめな生徒ばかりでそのまっすぐな姿にすっかり魅了されたのでした。

当時は学園もののドラマが流行っていて、私の一番の憧れは『3年B組金八先生』でした。その影響で中学校の先生に惹かれつつも、高専出身である自分の特技も生かせる高校の工業教諭の免許を取得しました。結果、当時の指導教官の加藤幸夫先生からのご指導・ご助言により、高専・長岡技科大からの「新潟県公立学校教員採用第1号」となることができました。入学して良かったと心から思います。

▲新潟東工業高校にて、生徒研究のPC制御パイプオルガン発表の様子

校長で退職するまでに、新たに3科目の教員免許を取得

―大学卒業後は、新潟県の県立高校の教員を務められながら、大学院進学も果たしたそうですね。

教員としてのキャリアスタートは、夜間定時制の高校でした。夜間の生徒はどんな雰囲気なのか当時はあまり想像がつきませんでしたが、個性的でいろんな生徒に出会うことができました。学びたい気持ちがあれば年齢も性別もバックボーンも関係ない。自分に合った道を見つけることが大事である。それを肌身で実感できたこの時の経験は、現在の仕事でも生かされています。

勤務は午後からがメインだったので、「昼間ぶらぶらしていても面白くないから、何か別の免許を取ろう」と思い、大学の聴講生に応募して理科の教員免許も取得しました。

また、長岡技科大に在学中、その同級生の大多数が大学院に進学しており、かねてより私自身も機会があれば修士号を取得したいと考えていました。40歳を前にした頃、当時勤務していた県立教育センターと新潟大学が至近距離であったことから社会人入学を決め、2年間で修士号を取得。この挑戦により、その後の人生の飛躍につながったことは間違いありません。実際に、県立教育センター勤務後に新設教科「情報」の教員免許を取得し、母校の長岡技科大で2年間、「情報科教育法」の非常勤講師を担当することができました。

▲新潟工業高校の文化祭にて、担任を務めた機械科1年生の生徒たちと

―その後、英語教員の免許も取得されたとお聞きしています。

その後も長く教員を続け、校長職に就いていた頃、NHKのラジオ英会話にハマった時期がありました。そこで、大学の通信教育を活用して英語教員の免許を取得しました。

それをきっかけに、60歳で退職を迎える際、先輩から声を掛けてもらった神奈川工科大学進学アドバイザーの仕事をしながら、初年度は県立新潟翠江高校で理科、2年目は県立巻総合高等学校で英語の教員として教壇に立つ機会を得ました。巻総合高校は以前校長として勤務していた学校だったので、「元校長が退職後、英語の先生になって戻って来た」という、ちょっと不思議な状況だったかもしれません(笑)。

―定年後も教員を続けられている清水先生。現在お勤めの開志創造高校ではどんなお仕事をされているのでしょうか。

現在勤務している開志創造高校は、新潟県知事認可の広域通信制高等学校として、2025年4月に開校したばかりの高校です。この高校の教頭として、主に以下の業務を担当しています。

①教育課程の管理:カリキュラムの編成と設置科目の配置など
②成績評価の管理:スクーリング、レポート課題、定期テスト、生徒指導要録の管理
③進路支援の管理:国家資格キャリアコンサルタントとしてキャリア教育の推進
④生徒支援の管理:スクールカウンセラーとの連携、要支援生徒のサポート

また、教頭としての業務に加え、英語と理科のスクーリングも受け持っています。

―最近は、さらにキャリアコンサルタントの国家資格も取得されたそうですね。現場ではどのように生かされているのでしょうか。

キャリアコンサルタントは、一般的には転職や就職のカウンセリングを通して、クライアントの進路実現を支援するための知識・技能を備えた専門職です。現在の高校は、開校前は外部のキャリアコンサルタントに依頼する予定だったそうなのですが、「私が試験を受けて資格を取得します」と申し出て、昨年度中に資格を取得し、本校キャリア教育の責任者として、キャリア教育の推進と学級担任の支援も行っています。

本校は通信制の学校ですが、進路相談はいつでもウェルカムです。一人ひとり個性があり、異なる特性やバックボーンがある。だからこそ、キャリア支援は、洋服で言えば「オーダーメイド」であるべきなんです。でも、自分で考えて注文しなければ、自分の思った通りのモノはできません。その自律性を育むには、本校通信制の教育環境はすごく適していると思います。

これまでの高校勤務経験やキャリアコンサルタントとしての知識・技能を生徒に還元できることが、私の何よりの働きがいです。

楽しさを求めて、挑戦はまだまだ続く

―今後の目標について教えてください。

キャリアコンサルタントの国家資格を生かしたキャリア教育カリキュラムを編成・運用すること。それから、校務分掌組織と新任教員等の育成指導の充実を図ることが目標です。個人的には、70歳までに英検1級合格を目標に、英語運用能力と指導力向上に向けて努力したいと考えています。

また、かねてより感じていることですが、高校の先生と高専の先生は同じ年齢の生徒・学生を相手にしているにもかかわらず、お互いにほとんど交流がありません。以前、私自身も母校の長岡高専に呼ばれて進路選択に関するお話をしたことがありますが、特に、多感な10代として高専生もきっと同じ課題や悩みを抱えていると思うので、そのつなぎ役として今後も私たちのような高校教員が役立てる機会があればと考えております。

▲校長を務めた相川高校にて、閉校卒業式の様子

―数々の挑戦を続けてこられた清水先生。そのモチベーションや行動力は、どこからくるのでしょうか。

「独創性を持ち、人と違ったおもしろいことをしたい」。いつもそう思いながら、常に興味のあることに挑戦しています。そうした思考を持っていれば、物事を見る視点も変わります。授業も進路相談も、もっと自由におもしろく。ウクレレ片手に英語のスクーリングをすることもあります。

▲開志創造高校にて、「ウクレレ英語スクーリング」の様子

その根本にあるのは、やはり高専時代の経験や先生方との出会いです。せっかくなら、楽しく、おもしろく勉強していくほうがいい。そんな気持ちがあるから、高専時代から今でもずっと続いているんでしょうね。

―最後に、高専生へのメッセージをお願いします。

高専という進路を選択した時点で、それぞれの人生が始まっていることを自覚し、自信をもって前進してください。私自身は、①生徒ではなく学生として扱われること、②自律的な生活が求められること、③研究的な態度が求められること、以上3点により成長できたと思います。

実社会においては、高専の卒業生は少数派ですが、オリジナリティとアイデアを武器として活躍している人がたくさんいます。現在は科学技術分野だけではなく、教育やマスコミ、芸術、スポーツなど、高専卒業生が活躍できるフィールドは急速に拡大しています。高専生の皆さんには、現在の専攻分野にとらわれず幅広い視点をもって将来のキャリアプランを考えながら、充実した高専生活を楽しんでほしいと願っています。

清水 源一
Genichi Shimizu

  • 学校法人新潟総合学院 開志創造高等学校 教頭

清水 源一氏の写真

1981年3月 長岡工業高等専門学校 機械工学科 卒業
1983年3月 長岡技術科学大学 工学部 創造設計工学課程 卒業
1983年4月 新潟県公立高等学校 教員(工業・機械)
1998年4月 新潟県立教育センター 情報・職業教育課 指導主事
2001年3月 新潟大学 法学研究科 法政コミュニケーション専攻 修了
2002年4月 長岡技術科学大学 非常勤講師(情報科教育法)
2004年4月 新潟県立小出高等学校 定時制 教頭
2007年4月 新潟県教育委員会高等学校 教育課 副参事指導主事
2009年4月 新潟県立新潟工業高等学校 副校長
2013年4月 新潟県立相川高等学校 校長
2016年4月 新潟県立巻総合高等学校 校長
2019年4月~2021年3月 新潟県立上越総合技術高等学校 校長(定年退職)
2021年4月~2025年3月 神奈川工科大学 入試広報課 進学アドバイザー(新潟県)
2021年4月~2022年3月 新潟県立新潟翠江高等学校 非常勤講師(理科)
2022年4月~2024年3月 新潟県立巻総合高等学校 非常勤講師(英語)
2023年4月~2025年3月 学校法人大彦学園 開志学園高等学校 非常勤講師(英語)
2025年4月より現職

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