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異国の地が教えてくれた教育のおもしろさ。母校で探求する数学力とは

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函館高専の本科から舞鶴高専の専攻科へ進学。卒業後は青年海外協力隊に参加し、自ら新たな道を歩んだ、函館高専の准教授である須藤絢先生。アフリカで訪れたターニングポイントとともに、現在の研究や母校での教育についてお話を伺いました。

自分を変えてくれた、タンザニアでの日々

―高専に進学したきっかけは何だったのでしょうか。

祖父が鉄工所を営んでいて、幼い頃から機械が身近にある環境で育ちました。ものづくりに興味を持ったのも、ちょうどその頃。小・中学生時代は理数系が得意で、機械工学科のある函館高専を選びました。

祖父様に抱っこされる須藤先生
▲鉄工所を経営されていた祖父様と

地元の小樽から函館高専は300km以上離れていましたので、進学後に待っていたのは5年間の寮生活です。当時は上下関係が厳しくて、先輩の言うことは絶対でした(笑)

将来の夢はまだ定まっていなかったですね。しかしながら、漠然と学位を取得しておきたい気持ちがあって、進学先として選んだのが舞鶴工業高等専門学校の専攻科です。当時、開設されたばかりの専攻科に進学してからも、周りに比べると真面目な学生ではありませんでした。

―専攻科卒業後、青年海外協力隊に参加したのにはどんな経緯があったのでしょうか。

このまま普通に就職しても、おもしろくない。そう感じたのが一番の理由だと思います。ふと目にした青年海外協力隊の応募チラシが運命を変えました。団体の名前を聞いたことがある程度で、海外に行ったことさえないのに興味が湧いたんですよね。もちろん英語もできませんでしたよ(笑)

それでも試しに理数系の教員募集に応募したら受かってしまって。数カ月の国内研修後、22歳でアフリカのタンザニアへ赴任することになります。

タンザニアの少年を抱える須藤先生
▲タンザニアでの須藤先生

―現地での暮らしをぜひお聞かせください。

タンザニアは東アフリカにある赤道直下の国です。嗅ぎ慣れない独特の匂いや暑すぎる気温・湿度、全てが新鮮で驚きでした。派遣先は首都から300km離れているムトワラ州の学校で、公用語は英語とスワヒリ語。正直、最初の半年間は地獄のような日々でした……。

現地の中高生相手に授業していた数学は、日本の高校1年生レベルの内容なのですが、そもそも教員として授業準備をすることが初めてなわけです。しかもそれを英語に訳して、授業で話す台本をつくらないと次の日の授業が成り立ちません。寝る暇はほとんどなく、電気が通ってない、エアコンもない環境で夜な夜なロウソクを灯しながら、毎日授業の準備をしていました。

タンザニアの学生に教える須藤先生
▲タンザニアでの授業風景

このようにとても忙しかったのですが、楽しくてずっと続けていられたんです。1年が経つ頃には、なんとなくスワヒリ語での授業ができるようになって、とんでもない量のコマ数を任されるようになりました(笑)

今日のチャンスは今日掴む

―帰国後は、企業に就職されたのですね。

ええ。この頃には「教員になりたい」という夢が明確になっていましたが、専攻科から教員への道を歩むには少し遠く感じて、ひとまず海外の仕事に携われる一般企業の営業職に就きました。社会人を経験してみたかったという好奇心が理由でもあります。

ですが、その後、会社員をやめて、協力隊の短期派遣としてザンビアに行きました。英語の勉強をするためという理由もありますが、「アフリカに帰りたい」という気持ちもあったと思います。国際協力か教育のどちらかでやっていこうと決めたところもありましたね。

ザンビアから帰国した後は、広島大学の大学院に入学しました。学部の授業をとって中学・高校の数学と英語の教員免許を取得しようとしたのですが、2年ではとても終わらず、結果3年かかりました。英語の勉強にはとにかく苦戦しましたね。

「英語ができない」と言われている高専生に英語を教えたいと思い始めたのもこの頃でした。その後、ご縁あって母校で教壇に立ち、現在は、数学の教員として勤務しています。

―さまざまなことに挑戦される先生の原動力とは。

教室の黒板の前で写真をとる、須藤先生と、クラスのみなさま
▲須藤先生の担任クラスで集合写真

とりあえず、いろんなことをやってみたい性分なのだと思います。今日より明日の方が、確実にチャンスは無くなっていくし、頭で考えてみても、やってみなきゃわからないことって結構多いと思うんです。失敗したら、失敗したでしょうがないですし、やらないよりはいいかなと。

そのひとつで、機会があれば海外にはぜひ行ってほしいですね。海外にいると将来の選択肢が増えます。今は特に学ぶ場所も働く場所も日本にこだわる必要がない時代です。私も若い頃に一度行ったから、今、ひとりで海外へ渡航することに抵抗がありません。一度行ってみれば、世界が広がりますよ。

学生たちの数学力をアップさせる

―現在はどのような研究をされているのでしょう。

アフリカ諸国の低い数学学力の原因は何なのか、何とかして解消できないかといった研究をしています。これは、私が青年海外協力隊で現地の学生を教えていた時の経験なのですが、負の数の計算が妙にできなかったんです。多くの日本人は、「-5+2」といった単純な計算をすっと理解すると思うのですが、これさえもつまずいていました。

この原因を探り、何を改善すればできるようになるかという研究が私のテーマです。数年、研究を続ける中で見えてきたことは、数の捉え方がそもそも違うということ。例えば、アフリカには「マイナス」という気温がないので、マイナスの想像が付かないといった話です。

座って紙をペンで指し示す須藤先生
▲研究として、インタビュー調査をされている須藤先生

これは発達心理学にも関係することで、現在も調査を続けています。また、「数の見える化」をするために、アフリカ諸国の数学教育に対してICTを活用した方法を模索しているところです。

アフリカはシビアな学歴社会です。国家試験に合格しないと卒業できなかったり、その結果が職業にも影響したりします。日本にいながら少しでも彼らの一助になるような研究成果を上げることが今の目標です。

「忠犬ハチ公」の像がある、研究室の入口
▲須藤先生の研究室

―高専の教育で力を入れていることを教えてください。

高専において数学力は、全学科の基盤となる科目です。しかしながら、入学生の数学学力の幅は年々広くなっています。そこで、習熟度別授業や補講など、全学生が専門科目を学ぶための基礎的学力を身に付けられるような方法を模索しているところです。

今後はICTを活用した個々にあった授業方法など、学生のモチベーションを上げることができる授業形態を実践していきます。

―最後に、未来の高専生へメッセージをお願いします。

「高専に行くと、そこで将来が決まってしまうのでは」と考える人もいるかもしれませんが、そんなことはまったくありません。その後の進学先や就職先もそうです。今やりたいことが大人になるまで直結しているかどうかは人それぞれなので、今やりたいことに突き進んでください。

須藤 絢
Shun Sudo

  • 函館工業高等専門学校 一般系 准教授

須藤 絢氏の写真

2002年3月 函館工業高等専門学校 機械工学科 卒業
2004年3月 舞鶴工業高等専門学校 専攻科 修了
2004年4月~2006年12月 青年海外協力隊 理数科教師 タンザニア派遣
2007年4月~2008年1月 水産系専門商社 勤務
2008年2月~2008年12月 青年海外協力隊 理数科教師 ザンビア短期派遣
2010年4月 広島大学大学院 国際協力研究科 教育・文化専攻 入学
2013年3月 広島大学大学院 国際協力研究科 教育・文化専攻 修了
2013年4月~2016年3月 広島県私立高校 勤務
2016年4月~2017年9月 函館工業高等専門学校 一般人文系 特命助教
2017年10月~2018年3月 函館工業高等専門学校 一般理数系 准教授
2019年4月 函館工業高等専門学校 一般系 准教授 現職
2018年9月 はこだて未来大学 入学(在学中)

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