卒業生のキャリア起業

31歳で眼鏡のセレクトショップ「山陰堂」を開業。技術と美学を追う店主のルーツについて

SHARE

この記事のタイトルとURLをコピーしました
公開日
取材日
31歳で眼鏡のセレクトショップ「山陰堂」を開業。技術と美学を追う店主のルーツについてのサムネイル画像

鳥取県米子市にある眼鏡のセレクトショップ「山陰堂」の店主、大江達也さんは米子高専の物質工学科出身です。香料メーカーでの勤務を経て、31歳で幼少期から過ごした地元に自身のお店を構えました。大江さんが独立されるまでの足跡をたどります。

身近だった米子高専へ迷わず進学

―米子高専に進学されたきっかけを教えてください。

父と兄が米子高専の出身で、自宅から自転車で15分ほどの距離でした。「これをやりたい」という強いこだわりがあったわけではありませんが、身近な環境にあった高専に入るのはごく自然なことで、他の選択肢はあまり考えていませんでした。

兄は電気工学科(現:電気情報工学科)でしたが、私は物質工学科を選びました。これも特別に化学が好きというわけではありませんでしたが、当時は物質工学科から大学へ編入する人が多く、将来の選択肢が広そうだと考えていました。

―高専の雰囲気はいかがでしたか。

一言で言えば「自由」でした。公立高校と異なり、4年生や5年生、専攻科生といった大人びた学生が同じ校内にいて、先生方も個性的な方が多い。非常に多様性のある環境だったことが印象に残っています。

高専時代の思い出と言えば、文化祭(高専祭)で模擬店を出店したことです。タコス屋やカレー屋など、2~3回出店しました。当時から、消費者側よりも、何かを企画する側でいたい気持ちが強かったのだと思います。振り返ってみると、今の仕事に繋がる原体験にも感じます。

▲高専時代の大江さん。高専祭でタコス屋を運営中

―放課後はどのように過ごされていましたか。

5年間ずっと、近所の八百屋でアルバイトをしていました。野菜の搬入や品出し、袋詰めなど、冬は寒く夏は暑いなかで体を動かす、部活動のような仕事でした。それなりの力仕事もありますが、基本は接客業なので、自分より二回りも三回りも年上の方々とラフに、かつ上手に会話する術を鍛えられました。

今の眼鏡屋のお店は、お客様の中心層が50代以上で、自分よりずっと年上の方と接する場面が多いのですが、変にかしこまるより、ラフだけれど失礼にはならないような接客がちょうどいいんです。眼鏡店はただでさえ店に入りにくい雰囲気があると思うので、そこに堅苦しい接客まで加わると、もっと壁ができてしまう。なので、昔の八百屋で身についた「きちっとしすぎず、でもきちんと伝える」という感覚は、今にとても生きています。

―研究内容についても教えてください。

環境系の研究室に所属し、底生生物を用いた環境評価を行っていました。湖の底の泥を採取し、その中にいるゴカイや貝などといった生物の種類や数を調べることで、水の汚染度を測定する研究です。

この研究室を選んだのは、近所の汽水湖へのサンプル採取など、アクティブな研究内容に惹かれたからです。また、結果が目に見えて分かりやすく、取り組みやすそうだと感じました。みんなで協力してワイワイと言いながら研究を進めるのが楽しかったですね。

ドロドロになりながら池の中を歩いて泥をかき混ぜ、酸素を泥に行き渡らせる調査も行いました。調査の後に先生がラーメン店に連れて行ってくれるなど、楽しく充実した時間を過ごしました。

社会人としてのキャリアと転機

―卒業後の進路について教えてください。

進学については初めから考えておらず、就職することを決めていました。最初に就職したのは香料メーカーです。「香料づくり」という仕事は謎に包まれていて、純粋に楽しそうだと思ったのが理由です。もともと良い香りのするものが好きでしたし、「香りは記憶に深く残る」と言われる点にも面白さを感じていました。

―どのような業務を担当されていたのでしょうか。

岡山県津山市にある工場で、合成香料課という部署に配属されました。化学反応や蒸留を用いて主に自社で取り扱う単一香料を製造していました。数トンクラスの大きなスケールから中にはガラス管を組み立てて蒸留を行い、最終的にはキロ単価で数億円もするような極めて高価な液体を扱うこともある少数精鋭の部署でした。誰にでもできる仕事ではないという自負もあり、ここで培った経験は大きな自信になりましたね。

▲香料メーカー勤務時代の大江さん

眼鏡屋になることを決めたのは、待遇や人間関係に不満があったわけではなく、「やりたいこと」が見つかったからです。また、高専時代の恩師が話していた「住む場所で仕事を選んだほうがいい」という言葉の意味を、身をもって理解したことも大きかったです。地元とは縁もゆかりもない土地で過ごすなかで、20代というアクティブな時期をどこで過ごすべきか、地元への愛着も含めて考えるようになりました。

ちょうどコロナ禍が重なり、自分自身と向き合う時間が十分にありました。20代後半をターニングポイントだと感じたことや、地元が恋しくなったことで、「どうせ帰るのなら、好きなことを仕事にしよう」と、独立を前提に眼鏡業界へ飛び込みました。

―なぜ「眼鏡」だったのでしょうか。

もともと眼鏡を日常的に使っていて身近な存在だったことに加え、年を重ねても一人で続けられ、一生かけて究めていける仕事だと感じたからです。

眼鏡は「視力矯正の道具」としての見え方やかけ心地、そして「ファッション」としての美しさの両方のバランスを追求しなければなりません。業界を見ていると、技術力はあってもファッション性の提案力の面で苦戦する店もありますし、おしゃれでも技術が十分に届いていない店もあります。この両立が非常に難しく、それゆえに奥が深い仕事だと感じています。

開業前は眼鏡専門店で修業させてもらいながら、2年間通信制の眼鏡技術者学校にも通いました。国家資格がなければ働けないような業界ではありませんが、実務に加えて理論もきちんと学んでおくことで、提案の説得力も変わってきます。両方を体験したことで、自分の中に一本筋の通った感覚ができたと思います。

地元、米子高専のそばで「山陰堂」を開業

―現在は米子市で眼鏡店「山陰堂」を開業されています。どんな店づくりを目指していますか。

一口に眼鏡店といっても、実はかなりタイプが分かれます。メジャーなところでは手ごろな価格で気軽に買える大手量販店、少しグレードの高い専門店型、そして「山陰堂」のようなセレクト型・コンセプト型の店です。鳥取には、ファッション性の高いブランドや、いわゆる“眼鏡好き”が知っているような専業ブランドを見られる場所がとても少ない。だから「地方でも、ここに来れば素敵な眼鏡に出会える」という店にしたいと思いました。

▲「山陰堂」の店構え。デザイン性のある店舗です

―取り扱っている製品について教えてください。

現在は6ブランドを取り扱っています。その全てが鳥取県内では唯一の取り扱いで、中には半径200キロ圏内で当店にしかないニッチな専業ブランドもあります。100年の歴史を持つイギリスのブランドや、日本最古と言われるブランドなど、こだわりの強いラインナップです。

▲「山陰堂」にて取り扱っている眼鏡たち

取り扱っている眼鏡は、価格も決して安くはありません。ですが、ありがたいことに、鳥取の方はもちろん、以前働いていた島根のお客さまや、隠岐の島から足を運んでくださる方もおられます。事業を営まれている方など、個性的な眼鏡を求める「濃い」お客さまが多く、非常にうれしく感じています。

―店舗は予約制を導入されているんですね。

視力検査からフレーム、レンズ選びまでおひとり当たり約3時間かかります。予約制は入店のハードルが上がり集客する上ではとてもリスキーなシステムですが、お客様にとってのプライベートな落ち着く空間をつくるためであり、また眼鏡屋としてきちんとその場に集中して向き合い、全力を尽くすためのものです。双方にメリットがあると考え導入しました。

また、眼鏡屋は「入ったら買わなければいけない」というプレッシャーを感じやすく、入りにくい場所だと思われがちです。その対策として、予約の心理的ハードルを下げるために「下見」という専用の予約枠を設けています。「1時間見たら帰る」という選択肢を明示することで、気軽にご来店いただける工夫をしています。

▲お客様がリラックスして眼鏡を選べる環境を整えているそうです

―今後の目標についてお聞かせください。

今、私がいるのは私が通った幼稚園も高専もすぐそばにある、ずっと生きてきた場所です。高専の先生方もいつかお客さまとして来てくださるかもしれません。身近な環境でこうして夢を形にできたのは、本当に運が良かったと感じています。

開店してまだ間もないこともあり、現時点ですぐに規模拡大や多店舗展開をしたいとは考えていません。まずはこの場所で、一人ひとりのお客さまにしっかり向き合いながら、着実に店を続けていくことが目標です。

▲仕事中の大江さん

一方で、私自身、前職の眼鏡店で多くの時間とお金をかけて育ててもらったからこそ独立できました。だからこそ、20年後くらいには、自分も誰かを育て、独立を支援できるような存在になれたら格好いいなと思っています。

―現役の高専生や、高専を目指す方々へメッセージをお願いします。

「事実は一つ、解釈は無限大」という言葉があります。起きた出来事を「失敗」と捉えるか、貴重な「経験」と捉えるかは自分次第です。私は常に「どうせ最後はうまくいく」と考えるようにしています。最初からこんなことを言うべきではないですが、たとえ倒産したとしても、その経験は普通の人では得られない大きな財産となり必ず自分を成長させ、次に繋がるからです。

特に若いうちは、チャレンジしないリスクをもっと重く見てもいいと思っています。失敗したらどうしよう、と考える人は多いですが、挑戦しなかったことで失うものも、実はかなり大きい。言うまでもなく時間は有限で減る一方です、若いうちなら何度でもやり直せますから、準備が完璧に整うのを待たず、まずは踏み出してみてほしいですね。「どうせうまくいく」という気持ちで進んでいくほうが、人生はたぶん面白いと思います。

大江 達也
Tatsuya Oe

  • 山陰堂 店主

大江 達也氏の写真

2015年3月 米子工業高等専門学校 物質工学科 卒業
2015年4月 大手香料メーカー 入社
2021年9月 島根県の眼鏡専門店 入社
2026年2月 山陰堂 開業

SHARE

この記事のタイトルとURLをコピーしました

米子工業高等専門学校の記事

自由に挑戦できる高専が自分を育ててくれた。ロボット研究を糧に小型ドローン製造に携わる
川中先生
活動の源は世界平和! 環境にやさしい持続可能な木造建築を追求し、40代で研究者の道へ飛び込む
高専生が「ちくわ」でギネス記録を樹立! 工学的なものづくりで地域を活性化

アクセス数ランキング

最新の記事

吉田 和也さん
新人でも任される環境で、気づけば仕事にのめり込んでいた。高専からゼネコン現場の最前線へ
「学ぶって、本当は楽しい」──AI研究と教材開発で描く“気づきの種”のつくり方
工学で地域課題に挑む。沖縄高専の実践教育が生み出す「地域創生」のかたち