高校の家庭科教員時代、生徒の悩みを聞くことが多かったという東晃子先生。教育学から心理学へと専門領域を広げ、現在は大分高専でスクールカウンセラーとして、また心理学の教員として勤務しています。現職に至るまでの東先生の人生について伺いました。
教育学から心理学へ。二度の大学院進学
―学生時代から教員になるまでの歩みを教えてください。
両親とも教員だったので、「教員」は自分にとって一番身近な職業でした。中学生ごろからは何となく「自分も学校の先生になるのかな」とイメージしていたように思います。高校卒業後は、あまり深く悩むこともなく地元の富山大学教育学部に進学しました。周囲からの期待も感じていましたし、父と母へのリスペクトもあり、自身も教員を目指そうと考えたのでした。

大学では教育理論を学び、卒論は食品化学を専門とするゼミに所属して、香りについての実験研究をまとめました。教育実習は、小学校と中学校に行ったのですが、その時にちょっとした違和感があったのを覚えています。クラス全員に対して授業をしなくてはならないのに、集団の中にうまく溶け込めていない子どものことが気になって……。ただ、当時はその「違和感」の正体がわからず、「本当にこのまま教員になっていいのだろうか?」と考えていました。

もう少し専門的に教育について学び、主体的に自分の進路について考えてみたいと思った私は、教育学部では当時まだ少数派だった大学院進学の道を選びます。当時は富山大学の教育学部に大学院がなかったので、新潟県上越市にある上越教育大学大学院へ進学しました。
大学院では家庭科の教員になることを視野に入れ、家庭科教育学を専攻し、渡邊彩子先生の研究室に入りました。特に福祉の領域で出てくる「ノーマライゼーション」という「年齢や障がいの有無に関わらず誰もが平等に暮らせる社会を目指す」という考え方に惹かれました。修士論文では「高齢者福祉をどのように家庭科教育に取り入れていくか」をテーマに研究をまとめていきました。

―大学院修了後は、高校で家庭科教員を務められていたそうですね。どのように心理学の道へとつながっていくのでしょうか。
家庭科教員として最初に勤めたのは新潟県立新潟東工業高等学校でした。今から思うと、偶然にも工業系高校が私の社会人一年目でした。当時は男女共学が始まったばかりで、家庭科棟が新しく増設され、教材をそろえる段階からスタートしました。
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そこがメインの校舎とは別棟だったからでしょうか、いつからか生徒や先生方がふらっと遊びに来るようになり、自然と愚痴や悩みを聞く役目をするようになりました。それほど役に立てた実感はなかったのですが、お礼を言われる機会も増えてくるのです。なんだか不思議な感覚でした。
そして、家庭科教員の仕事は面白かったのですが、やっぱり輪に入れなかったり、遅刻が多かったり、元気がないような生徒に目がいくんです。全体よりも個々に目がいく自分を自覚するにつれて、「自分は教員に向いていないかもしれない」と悩むこともありました。
そんなとき、心理学研究の第一人者である河合隼雄先生の本を読んで、初めて心理学に興味を持ちました。すごく面白くて、「カウンセラー」という仕事のことを意識しはじめました。
―その後、心理学を学ぶため、2度目の大学院進学をされています。どのような経緯があったのでしょうか。

上越教育大学大学院の修士課程を修了後、大分出身のパートナーと結婚しました。主人の仕事で大分に移り住むことになり、その後どうするか悩んだのですが、1年間は勉強期間に充てることにしました。その頃ちょうど大分大学に大学院ができ、臨床心理学の先生もいらっしゃることが分かったので、心理学の勉強を始めることに決めたのです。
心理学の勉強をするようになってから、自分が感じていた違和感や心のモヤモヤについて振り返り、その正体に近付けた気がしました。教育学につながる点も多く、まさしく「自分が探求したい“生きた勉強”とはこれだ」と実感できたのを覚えています。教員とは違うかたちで先生方や生徒たちをサポートしたい、と考えるようになりました。
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大分大学大学院修了後は、相談員やスクールカウンセラーとして小中学校などで児童や生徒、保護者の方々の悩みを聞いてきました。対話が難しい時はチェックシートや描画、遊びを通したプレイセラピーなどの非言語的なコミュニケーションを取るなど、自分なりに工夫して相手に向き合っていました。
その後、子育てに専念するためにしばらく休職しましたが、そろそろ働きたいという気持ちになっていた時に、大分大学大学院時代の恩師である武内珠美先生にご縁をいただいてスクールカウンセラーとして復職することになりました。
大分高専生を支える「学生支援センター」
―高専の教員になられたきっかけを教えてください。
「公認心理師」という資格が2015年に国家資格になり、私も資格を取得できたので、「これまでやってきていない領域の現場も経験してみたい」と思い、カウンセラーの募集枠を探してみたのです。1カ所が病院、もう1カ所が大分高専の非常勤のスクールカウンセラーでした。
それまで高専とは縁がなかったのですが、大学の学生相談員や高校のカウンセラーを経験していたので、高専の学生像も彼らに近いのではと想定していました。実際に学生たちと話してみると、言語化のうまい学生が多く、対話は進めやすい印象を持ちました。
一方で、周囲に優秀な学生が多いからか、自己肯定感が高くない学生が多い印象も受けました。「やりたいことが見つからない」と悩む学生もいるのですが、思うにそもそも学生自身が持っている「基準」がすごく高いんです。話を聞きながら一緒に悩みを整理して、既にできることや自分の長所、得意なことに目を向けられるように寄り添っています。
また、高専の先生方の業務が、想像以上に大変であることを知りました。先生方だけでは対処が難しいケースや学生に関わる相談が多様化・増大化する中で、2023年度新たに「学生支援センター」が設置され、2024年度は窓口業務を担うスタッフ(インテーカー)が加わりました。
さらに2025年度に向けて、学生支援センター・学生相談室の運営業務に携わることができる「心理学」の教員の公募があったため、改めて応募し公認心理師の資格をもった教員として採用されました。またカウンセラーとしても常駐することになりました。非常勤から常勤へと役割や立場が変わることで先生方との接点が増え、高専の見え方も変化しました。特に、学生に対して熱心に向き合う先生方が多いことには改めて驚きました。

―現在力を入れている取り組みについて教えてください。
スクールカウンセラーとしては、学生支援センターや学生相談室の運営、相談体制の充実に力を入れています。常勤のスクールカウンセラーとして、学内の先生方との連携、学生相談室内のスタッフ(相談員の先生方・インテーカー・スクールカウンセラー・スクールソーシャルワーカー・事務の方々など)との連携、学生や保護者との面談、先生方への助言や研修、合理的配慮など、適切な支援のための活動に尽力しています。

また、今はまだ一部の学生を中心に支援をしていますが、将来的には悩みを持つ学生の周辺やその予備軍、健康な学生を含めたすべての学生がより健康に過ごせるようサポート体制を築きたいと考えています。休憩でも雑談でも、もっと気軽に利用できる居場所、例えば「ピア・サポートルーム」のようなところもつくりたいと思っています。
教員としては、5年生の選択科目で「心理学」の授業を担当しています。高専生に興味をもってもらえる授業・教材づくり、講習会・研修の講師、研究の構想、調査など、学生の反応を見ながら準備を続けています。授業後のアンケートで「こんなことを知れて新鮮だった」「自分の専門科目との結び付きが見えて面白かった」といった学生のコメントを見ると、授業を関心をもって楽しんでくれたことがわかり、うれしくなりますね。
失敗しても大丈夫。安心できる学びの環境を
―やりがいを感じるのはどんな時ですか?
昨年までは非常勤のスクールカウンセラーだったので、学生や問題の解決のためにできることが限られていました。学内の一員となることで、よりスムーズに連携できる機会が増え、支援をより迅速に適切なタイミングで提供できるようになってきたことにやりがいを感じています。学生の普段の様子をより詳しく知ることができ、学生の立場や置かれている状況がわかるようにもなりました。
また、学内の先生方の動きや立場、組織の規則や体制も見えるようになり、支援の範囲や外部との連携の重要性もより明確に認識するようになりました。日々、新しい学びや発見が多く、やりがいと面白さを感じています。
高専の先生方が実直に任務を果たそうと努力されている姿を目の当たりにする日々。正直、高専の先生方がこれほど尽力されていることが世間で知られる機会が少なく、もったいないと感じています。高専の学生はとても恵まれた環境の中で学習・成長できていることをもっと周知すべきですし、たくさんの方に知ってほしいと思っています。

―現役高専生や、これから高専を目指す中学生へのメッセージをお願いします。
最近はSNSの流行もあるのか、以前と比べて「心理的安全性」が低い環境が多く、緊張や不安から慎重になっている学生が多いと感じています。「失敗しても大丈夫」と安心してチャレンジしたり、一歩踏み出したりできるよう、私たちがいることで、社会や人に対しての安心感を持ってもらえるようお役に立てたらと考えています。

企業に即戦力として求められることの多い高専生は、卒業後、コミュニケーション力や柔軟性を求められることがきっと多いはずです。生きていく上で、働く上で、人との関わりは欠かせません。だからこそ、「失敗しても大丈夫。また頑張ればいい」と思ってほしいですし、将来は部下にも「失敗しても、またチャレンジすればいい」という励ましができる人になっていてほしいですね。
現役高専生は、欲を言えば、もっと自分に自信を持ち、自分を信じていいと思います。失敗を恐れずチャレンジできる柔軟さと、くじけても立ち直る力(レジリエンス)が身につくと、さらに素敵な大人に成長できると思います。
また、中学生に伝えたいのは、高専には他の高等学校にはない魅力がたくさん詰まっているということです。ぜひ扉をノックして、ちょっと不思議で、とても魅力的な高専の世界に飛び込んで欲しいです。きっと自分のやりたいことが見つけられると思います。
東 晃子氏
Akiko Higashi
- 大分工業高等専門学校
一般科・心理学 准教授/学生支援センター・学生相談室 学生支援センター長・学生相談室長

1992年3月 富山大学 教育学部 小学校教員養成課程 卒業
1994年3月 上越教育大学大学院 学校教育研究科 教科・領域教育専攻 修了(教育学修士)
1994年4月~1995年3月 新潟県立新潟東工業高等学校 家庭科 教諭
1999年3月 大分大学大学院 教育学研究科 臨床心理学専攻 修了(教育学修士)
2001年4月~2002年3月 学校法人後藤学園智泉福祉製菓専門学校 心理学 講師
2001年4月~2002年3月 大分県教育委員会 スクールカウンセラー
2014年4月~2024年3月 大分県教育庁 学校安全・安心支援課 スクールカウンセラー
2017年4月~2019年3月 大分県教育委員会 臼杵市スーパーバイザー
2021年4月~2025年2月 学校法人文理学園 日本文理大学 学生相談室 相談員(非常勤)
2021年12月~2025年2月 大分工業高等専門学校 学生相談室 スクールカウンセラー(非常勤)
2022年1月~2025年2月 関愛会坂ノ市病院 小児科 心理士(非常勤)
2023年7月~2023年9月 社会福祉法人別府発達医療センター 大分療育センター 児童精神科 心理士
2025年3月 学生支援副センター長・副学生相談室長
2026年4月より現職
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