30年以上にわたり九州大学の工学部や研究所の研究者として活躍し、さらに工学部長や大学副学長まで務めた後、熊本高専の校長に着任された髙松洋先生。半導体教育の拠点校として選ばれた熊本高専の取り組みや、学生へのメッセージなどを伺いました。
「半導体人材」に求められるものは何か
―九州大学の工学部長や副学長をご経験の後に、熊本高専の校長に着任されています。
1985年に九州大学大学院の博士後期課程を修了してから、長らく九州大学で研究を続けてきました。2015年からは大学院工学研究院長と大学院工学府長、工学部長を兼任し、2018年から2年半副学長を務め、2022年に熊本高専の校長に就任しました。
私が工学部長だった時に手掛けた大きな取り組みとしては、工学部と工学系大学院の改組が挙げられます。当時の6学科をより細かく分けて、12学科に増やしました。しかし、当時これを「時代の流れに逆行する挑戦的な改革」だと言う人もいました。
今の時代は学部や学科をなるべく大きな括りにして、その中にコースを設けて専門を学ぶのが主流です。これは確かに、自由度が増すという意味ではメリットだとは思いますが、学部学科が大きな括りであればあるほど、学ぶ範囲が広く、内容も薄くなってしまいます。工学のエンジニアとして重要なのは、まずは自分の専門の基礎を確立しておくことだと思うんです。
また、日本では学部学科の統廃合や改組により、何を学んでいるのかが不明瞭な学部学科名になってしまっているところが多くあります。そうではなく、出身の学部学科だけで、その人の専門まで分かるようにすべきだと思い、時代の流れに逆らっていると言われながらも、工学部の学科を増やす改組を進めました。ただし、これは決して各学科の狭い専門分野のことだけを学ぶようにするということではありません。
―熊本高専も2026年の改組に向けて動いているそうですね。
今後は国として情報系人材の育成に力を入れていく方針があるため、本校でもそれに応える改組を実施することを決め、国の「大学・高専機能強化支援事業」に採択されました。現在は、文科省による認可に向けて準備を進めています。
熊本キャンパスでは、電気電子情報系の全3学科の定員を増やします。熊本高専は、もともと熊本電波高専と八代工業高専が2009年10月に統合してできたという背景があり、熊本キャンパスの前身である熊本電波高専は電子情報系を専門としていました。現在の熊本キャンパスの全学科名に「情報」という言葉が含まれているのも、その名残です。そこで、今度の改組により各学科の定員を教室の収容人数の範囲で少しずつ増やすことにしました。
一方の八代キャンパスでは、「機械知能システム工学科」「建築社会デザイン工学科」「生物化学システム工学科」の全3学科の中に、専門分野に加えて情報系科目を多く学ぶ「情報コース」を設置する予定です。
「情報系人材」と言うと、一般的にはAIやソフトウェアの開発を行う電気電子情報工学系の人材をイメージすると思います。もちろんそのような専門人材も必要ですが、それ以外の分野でも、今以上に情報やデータを活用できる人材が必要です。そのため、専門的な仕事に活かすことができる情報の基礎知識やスキルを身につけられる「情報コース」を新たに設置することにしたのです。
―熊本高専が拠点校となっている半導体教育についてお聞かせください。
高専機構プロジェクトの1つである「COMPASS5.0(次世代基盤技術教育のカリキュラム化)」にて、熊本高専は佐世保高専とともに半導体分野の拠点校に選ばれました。
熊本高専が選ばれた理由には、熊本県に世界最大手の半導体受託製造企業である台湾のTSMCが進出したことや、熊本キャンパスに半導体分野で活躍している教員が2名在籍していることが挙げられます。もう一つの拠点校である佐世保高専は、2024年3月まで校長を務めておられた中島寛先生が九州大学で半導体の研究をされていた専門家でした。
私たち拠点校の役割としては、半導体教育の中で教えるべき内容を整理し、高専の今のカリキュラムと照らし合わせ、現状とあるべき姿を明確にすること、そして、全国の高専で利用できる半導体の教育コンテンツを準備することです。
まずは2022年に「半導体工学概論」という講義をスタートさせ、その中で半導体関連企業の技術者による授業も多数行っていただいています。それに加えて、工場見学や半導体製造に関する実習なども行っています。
次の段階として、講義の内容をブラッシュアップさせて、他の高専で利用できる形に整備しています。拠点校で作成した教育コンテンツは、実践校として指定されている久留米高専や有明高専、北九州高専などの九州地区の高専で活用し、さらには全国の高専へとその知見やノウハウを展開していくことになっています。
私が2022年4月に熊本高専に着任してすぐに、半導体教育のプログラムがスタートしました。その際、私はまず「半導体人材」とは何かを定義することから始めるように関係者に依頼しました。「半導体人材」という言葉は広く使われていますが、具体的にどのような人材を指すのかが不明瞭なまま使用されていることが多いと感じたからです。
「半導体人材」というと、やはり回路設計などを担う電気電子情報系の人材がイメージされると思います。ですが、実際には半導体の製造にはさまざまなプロセスがあり、半導体業界のすそ野も広いので、半導体や半導体製造装置をつくる機械系の人材、半導体の材料や製造プロセスを理解している材料系・化学系の人材など、さまざまな分野の人材が必要です。
つまり、結局はそれぞれの分野の専門家が必要で、「半導体人材」という人材は実際にはいないんです。まずはこの辺りをしっかりと言葉で定義しておく必要があると思いました。
さらに、半導体分野に関わる人材をトップ人材とボリューム人材に分けると、我々高専にはどちらかというとボリューム人材を多く輩出する役割があります。しかし同時に、大学院に進学し、博士号を取得するようなトップ人材の卵も育てていかなければなりません。
そのため、高専ではまず半導体のつくり方や役割などの基本的な部分を学び、学生がそれぞれの専門分野の基礎を固めた段階で、深い専門知識を学んでもらうのが理想的な進め方だと思っています。そこで、本校ではすべての学科の学生が半導体の基礎について学べる体制を整えています。
専門性だけでなく「教養」を高めてほしい
―熊本高専ではリベラルアーツ教育やアントレプレナーシップ教育など、専門以外の教育にも力を入れています。
高専はエンジニアを育成する場所なので、どうしても専門教育に重点が置かれがちです。そのため、高校から大学に進む人と比べると、教養教育が少ないのが課題だと思っています。
教養教育では、物事を俯瞰して見る力、広い視野の獲得、自分自身の見直し、基本的なプレゼン能力、課題発見能力など、さまざまな力を養えます。このような人としての基礎となる力を身につけるために、本校では約5年前から独自のリベラルアーツ教育を取り入れました。
また、国が推進している「高等専門学校スタートアップ教育環境整備事業」をきっかけに、本校でもアントレプレナーシップ教育をスタートさせました。国の事業としては、起業家工房(試作スペース)の整備をはじめ、スタートアップ人材育成に向けた取り組みを進めることが目的です。しかし、その前にチャレンジ精神を育むようなマインドセットが最も重要だと思いました。
そのため、学生のマインドセットを目標に、本校でのアントレプレナーシップ教育を「熊本高専ファーストペンギンズプロジェクト」と名付けています。プロジェクトの推進力を高めるため、マスコットキャラクターも学生から募集しました。
さらに、熊本キャンパスと八代キャンパスの両方にコワーキングルームを設置しました。コワーキングルームは、学生が集まってアイデアを出し合ったり、さまざまな人と交流したりする場所として重要だと思っています。学生たちがワクワクするような部屋を目指して設計し、部屋には3Dプリンターでつくったマスコットキャラクター「吟一朗(ぎんいちろう)」も置いていますので、ご来校の際はぜひご覧ください。
この部屋は、いずれは卒業生やそれ以外の社会人にもリモートワークで活用してもらえたらと思っています。外部の方に利用してもらうことで、本校の学生が普段は出会えないような人々と交流できる場になることを期待しています。
―他に注力している高専での取り組みはありますか?
海外研修は以前から重要視しています。今年度は、熊本キャンパスの全学科と八代キャンパスの機械知能システム工学科の4年生は全員、それに加えて八代キャンパスの残り2学科の希望者を対象として、シンガポールやベトナムに海外研修旅行を実施することにしています。ほかにもさまざまな海外渡航プログラムを設けており、シンガポールや香港、台湾、タイなどを訪れる機会があります。
若いうちから外国を見ておくのは重要だと思います。もちろん英語でコミュニケーションをとることは重要ですし、流ちょうに話せるに越したことはありません。ですが、今の「グローバルエンジニアになるために英語が必要だ」という風潮には、私は疑問を感じています。グローバルに活躍できるかどうかは、エンジニアとしての能力があるかどうかで決まるものです。
重要なのは英語ではなく、まずは自分のアイデンティティを確立すること。自分が何者で、どのような文化で育ったのか、日本と外国を比べた時の良い点と悪い点の両方が分かり、それを自分の言葉で説明できることだと思います。「グローバル=英語」という風潮があるものの、そこが本質ではないことを、海外研修を通じて学生にも伝えられたら嬉しいです。
高専からファーストペンギンが現れることを願う
―幼い頃や学生時代の経験で、印象に残っていることを教えてください。
小学5年生の時に、当時、九大の助教授だった父がミシシッピ州立大学に訪問研究員として行くことになり、私達家族も1年4ヶ月、アメリカに滞在しました。私は現地の小学校に通い、英語が喋れずに苦労しましたが、今となっては貴重な経験だったと思います。
最初は日本の小学校とは違うルールや意思疎通ができないことに戸惑い、かなりのストレスを感じていました。ただ、運動は得意な方だったので、夏休みには野球のチームに入り、そこで友達をつくることができました。
そんな環境の中、当時、父もそれほど英語ができたわけではなかったと思いますが、アメリカで研究をしながら家族を支える姿を見て、幼いながらに「自分もこういうふうにならなければ」と強く思ったのを覚えています。そのため、私がカリフォルニア大学バークレー校の訪問研究員としてアメリカに渡航した時には、父と同じように家族を連れて行きました。
ほかには、博士課程の時、論文を短期間で書き上げたことも良い思い出です。ある日突然、先生から「論文を書け」と指示されましたが、なんと原稿の締め切りは2週間後。しかし、先生のチェック期間を考慮すると、実際には1週間で書き上げる必要がありました。その日すぐ図書館に行き、それ以降は毎日深夜4時に家に帰り、翌朝早くから再び論文を書くという生活を続けました。
ちょうどその時期には学内の研究室対抗駅伝大会への出場も決まっており、当日は前の走者が戻ってくるまで着替えた状態で論文を書き続け、タイミングが来るとコースに出て走るという過酷な一日でしたね。駅伝のタイムは恐らく全出場者の中で最も悪かったと思います(笑)
それでも、なんとか論文を完成させることができ、自信につながりました。こうした無茶な経験は、しないに越したことはありませんが、自信にはなります。
―ご自身の経験を踏まえて、高専生に伝えたいことはありますか?
私は高校3年生の時に工学部の機械系に進路を決めていますが、これといった理由はなく、当時は将来のこともまったく考えていませんでした。若いうちから既に将来の夢がある人は良いのですが、実際には私のように定まっていない人も多いと思うんです。
何の職業になりたいかなんて、多くの場合、所詮思い込みや憧れでしかありません。経験してないことは分からないのが当然です。私の経歴は、他の人から見たら道を踏み外すことなく順調に進んできたと思われるかもしれません。ですが、それは以前から計画的に考えていたからではなく、それぞれのステップで一所懸命努力し、大学に勤めてからは自分がプロとして何をすべきかを考えながらやってきただけなんです。
キャリア教育と称して、早くに進路を意識させられて不安になる学生もいると思いますが、今すぐに将来を決める必要はないと伝えたいですね。それよりも、何かを始めたら、しばらくは嫌でも我慢して一所懸命続けること——これが重要だと思います。
―高専生にどのようなことを期待していますか?
日本は資源が少なく、一次産業も苦しい状況にあるため、ものづくりの技術や新しいアイデアで国を支えることが必要です。その中心にいるのが技術者であり、その技術者を育成するのが高専の役割です。
高専卒業後のキャリアパスには就職や進学などがありますが、学生たちには新しいことに挑戦し、未知の分野に踏み出してほしいですね。まさに、本校でのアントレプレナーシップ教育のプロジェクト名のように「ファーストペンギン」になってくれる人が大勢現れてくれたらと思います。
私の経験から一つお話しすると、実は私は40歳で研究分野を変えました。私の専門は熱工学で、当初は特に沸騰に関する研究を行っていました。しかし、全国にも九州大学にも同じ分野の研究者が多くいましたし、将来のことを考えて新しい分野にシフトすることを決断しました。そこで文部省の在外研究員としてバークレーに滞在し、熱工学の分野では研究者があまりいなかったバイオ系の研究を始めたわけです。
やや楽観的だったかなとは思うものの、新しいことに挑戦し、研究分野を変えたからこそ、現在の私があると思っています。学生の皆さんにも、小さなことからでも構いませんので、勇気を持ってチャレンジし、「ファーストペンギン」として新たな道を切り開いてほしいです。
髙松 洋氏
Hiroshi Takamatsu
- 熊本高等専門学校 校長
1976年3月 福岡県立修猷館高等学校 卒業
1980年3月 九州大学 工学部 動力機械工学科(現:機械工学科) 卒業
1982年3月 九州大学大学院 工学研究科 動力機械工学専攻(現:機械工学専攻) 修士課程 修了
1985年3月 九州大学大学院 工学研究科 動力機械工学専攻 博士後期課程 修了
1985年4月 九州大学 生産科学研究所(現:先導物質化学研究所) 助手
1987年5月 九州大学 機能物質科学研究所(現:先導物質化学研究所) 助手
1990年2月 同 助教授
1997年9月 カリフォルニア大学 バークレー校 訪問研究員(文部省在外研究・10ヶ月)
2004年6月 九州大学大学院 工学研究院 機械科学部門(現:機械工学部門) 教授
2015年4月~2018年3月 九州大学 大学院工学研究院長・大学院工学府長・工学部長
2018年4月~2020年9月 九州大学 副学長
2022年4月より現職
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