大分高専をご卒業後、豊橋技科大に進学された小野文慈(おのぶんじ)先生。現在は佐賀大学にいらっしゃいますが、佐世保高専ではロボコンの指導や硬式野球部顧問もされていました。そんな小野先生に学生時代の思い出や、教育の思いを伺いました。
山岳部とバレーボール部に励んだ高専時代
-大分高専に進学を決めたきっかけを、教えてください。
中学3年生の時、同級生のお兄さんから大分高専の存在を教えてもらったんです。「国立で授業料も安いよ」ということを聞いて(笑)、それで両親に資料を見せた記憶があります。
中学2年の時に「オームの法則」を習うじゃないですか。同級生が「分からない」と言っている中、僕は完璧に理解したんです。それで電気分野に興味が出てきて、大分高専の電気工学科を受けたんですが、落ちてしまって(笑)。第二志望だった機械工学科に進学しました。
-大分高専での生活はいかがでしたか?
とにかく楽しかったですね。1年生~3年生の時は山岳部に所属しました。山岳部では「縦走」といって、一週間ほど山に登りっきりになるのですが、お風呂に入れないんですよ(笑)。タオルを水に濡らして体を拭くことはできますが、水は低いところにしかないから、貴重なんですよ。風呂なんて入れないから当然汗をかいたまま寝ないといけなくて、それがきつかったですね。
一週間も山にいたら「文明に会ってない」と感じるんですよ(笑)。下山したときは車の音が懐かしく思いましたね。鼻も敏感になっているので、バスに乗った時に女性の香水が強く香ってきて。それは今でも強く覚えていますね。
中学校がバレーボールの強豪校だったこともあり、4年生からはバレーボール部に所属しました。5年生の時に、全国大会まで行ったんですが、僕は「大学編入試験がある」と参加を断ってしまって。それは申し訳なかったなと、今でも後悔していますね。
-授業での思い出はありますか。
卒研では「ベーンポンプ」の研究をしました。密閉ケースの中に扇風機の羽根みたいなものが入っているのですが、羽根が回ることで、水が上に持ち上がるんですよ。羽根の枚数や形状によって、水をどれぐらいの高さまで持ち上げられるかを研究していました。
研究室に泊まり込みになるのですが、夜中にお腹空くじゃないですか。たまたま研究室にあったコンロとガス栓をつないでめざしを焼いて、友達と食べたことを覚えていますね(笑)。
バイト先で指導教員にスカウトされる
-豊橋技科大に進学したきっかけを教えてください。
僕は上級生になってから成績が良くなったんです。入学したときはクラスの真ん中だったんですが、5年生の時には成績上位になりました。それで先生方から大学進学のお話をいただいたんです。長岡と豊橋で迷いましたが、山岳部の先輩もいましたので、機械科が有名だった豊橋技科大に進学を決めました。
実は僕、遊んでばっかりいたので大学で1年留年しているんですよ(笑)。留年して野村(野村信福先生)と同じクラスになり、夏はサーフィン、冬はスキーをしたり、「プロレス同好会」で一緒にレスラーもしました。だから元のクラスより、野村たちのクラスの方が今でもつながりがある人が多いんですよ。同じクラスになってからは「ぶんちゃん」と呼ばれていましたね(笑)。
バイトも色々と経験して、バーテンダーは4年やりました。そこでそのバイト先でのちに指導教員となる岡崎先生と出会いました。まだ配属前だったのですが「俺の研究室に来い!」と声を掛けられてスカウトされたんです(笑)。
-大学ではどのような研究をされたのですか。
大学では「微粉炭燃焼」の研究をしました。石炭を細かく砕くと「微粉」になるのですが、それを燃やしてプラズマ化させるんです。そこから電気が抽出できるんですが、微粉を燃やすときに、「スラグ」というガラス成分が出てくるんですよ。スラグが電極にくっついてしまうと電気を通さなくなるので、スラグについての研究をしていました。
実は留年もしていたし、大学院に進むつもりはなかったのですが、「推薦で合格ラインにギリギリ入るぞ」と岡崎先生に言われて。「ラッキー!」と思って進学しました(笑)。
大学院では岡崎先生の研究室は人気があり定員がいっぱいで私は成績が下位だったので、上村先生の研究室に配属されました。そこで「個体摩擦」の研究をしました。宇宙では液体潤滑油は使えませんよね。そこで、柔らかい鉛のようなやわらかい金属を「個体潤滑」として使うんです。
その個体潤滑の摩擦機構を解明する研究をしたのですが、金属平面に薄い鉛をコーティングしてその上を往復運動して、分析器で鉛の元素があるかを調べました。実験装置を動かすために「H8マイコンにアセンブラ言語を解読して実験条件をプログラミングする」というやり方だったのですが、楽しかったですね。
27歳で将来について真剣に考え、教員の道へ
-小野先生は新日鐵で働かれたあと、九州大学に行かれているんですね。
好きな女の子がいて、北九州にある新日鐵に就職したんですよ。でも振られてしまって(笑)。そこから、「俺は何をやりたかったんだろう」と真剣に考えたんです。そこで「数学の先生になりたい」と思ったものの、当時は27歳までに教員免許を持っていないとなれなくて。僕はその時点で27歳だったので、ダメだったんです。
それで梅津先生(高専時代の担任)に相談にいったら、「九大の潤滑摩擦の研究室で助手を募集している」と聞いて。それがきっかけで、九大に行くことになりました。働きながら九大でドクターを取ったあと、佐世保高専の公募にチャレンジして、ご縁をいただいたんです。
「信頼度を上げなさい」の言葉で、ロボコン全国3位に
-先生の教育理念を教えてください。
今でも佐世保高専の非常勤で物理を教えていますが,「僕の授業は頭のいい学生には物足りないよ」ということを最初に話すんです。成績が真ん中から下の学生に対して「僕がその教科の面白さが分かるように教えるからね」と伝えています。
できる学生は自分でやるんですよ。「そうでない学生の成績をどう上げていくか」が教育者としての使命だと思っています。
できない学生は授業を聞いていないから、期末試験では自力で考えてテストを解きますよね。そして間違える。追試でも、できる学生から解説を聞かないから、また同じ問題を間違えるんです。「友達のノートを写してもいいから、分からない問題は聞きなさい」と伝えていますね。
-佐世保高専ではロボコン指導もされたんですね。
佐世保高専で5年間教員をやっていてよかったのは、ロボコンで全国3位になったことです。その時のテーマは「旗取りロボット」でした。
僕がいつも言っていたことは「信頼度を上げなさい」という言葉です。全国大会に行くと、よく動かないロボットも出てきます。ぎりぎりで調整するのではなく、スケジュールにも余裕をもって制作して、いつも動くように信頼度を上げなさいということを指導しました。
「ギリギリまでつくっていて、本番で動かなくなったら水の泡だろ!」と伝えていたことが、全国3位になったひとつの要因だと思っています。もちろん全ては学生のアイデアや頑張りの成果なんですけどね。
高専生は、やりたいことにいろいろと首を突っ込むべし
-現在は佐賀大学で研究を続けられているんですね。
実は隣の理科の先生がコオロギを飼っているんですよ。それが1,000匹ぐらいいるんですが、画像認識でコオロギの数の計算や年齢を識別するということをやっています。潤滑油の研究の時に画像処理ができるようになったので、その技術の応用ですね。
僕はいろんな人と知り合って、人とのつながりで最終的に今のポジションまで来たので、これが自分の生き方だと思いますね。
-最後に、高専生にメッセージをお願いします。
「大学に行きたい!」と思っていなくても、好きなことをやっていったらいい。高専は進学のチャンスもあるし、就職率もとてもいいですからね。普通高校だと共通テストを受けないと大学には入れませんが、高専だと編入学で行きたい大学にいけることはメリットだと思います。
僕は好きなことをやってここまで来ました。部活に入ってなければ、高専生活も多分つまらなかっただろうし、いろんなところに首を突っ込んだ結果、いい高専生活が送れました。皆さんもやりたいことは何か?を突き詰めたあと、将来を決めてください!私は27才の時に初めて将来を考えました。
小野 文慈氏
Bunji Ono
- 佐賀大学 教育学部 教授
昭和58年 大分高等専門学校 機械工学科 卒業
昭和62年 豊橋技術科学大学 工学部 エネルギー工学課程 修了
平成元年 豊橋技術科学大学大学院 工学研究科 エネルギー工学専攻 修士課程 修了
平成元年 新日本製鐵(同年退職)
平成14年 九州大学大学院 論文博士
1989年~1998年 九州大学 工学部 機械工学科 助手
1999年~2004年 九州大学大学院 工学研究科 助手
2004年 佐世保工業高等専門学校 機械工学科 助教授
2006年~2009年 佐世保工業高等専門学校 機械工学科 准教授
2009年~2012年 佐賀大学 文化教育学部 准教授
2012年~2016年 佐賀大学 文化教育学部 教授
2016年~現在に至る 佐賀大学 教育学部 教授
2018年~2019年 佐賀大学 学長補佐,教育学部 副学部長
2022年~ 佐賀大学 教育学部 学部長
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