舞鶴高専の建設システム工学科を卒業し、現在は株式会社インテコで地質調査のプロとして働く青木一樹さん。進路に不安を抱えながらも高専に入学し、5年間で多くの出会いや挑戦を重ねたことが、今の仕事や趣味に向き合う力につながっているといいます。地質調査の現場で社会を支えながら、クラブ軟式野球の日本代表チーム「SWBC JAPAN」に所属する青木さんに、その原動力を伺いました。
文系志向から出発し、苦難を乗り越えた高専生活
―高専に進学したきっかけを教えてください。
大工をしていた父の勧めでオープンキャンパスに行ったのがきっかけです。それまで私自身は高専のことは知らなかったのですが、水理実験装置など、普通の高校では見ないような大型機械がたくさんあって、それを自分より年上の先輩たちが動かす姿がすごくかっこよく見えました。そんな光景に強く心を動かされ、父の思惑どおり高専進学を決めることになりました。
ちなみに、中学生時代は英語と国語が得意な文系志向の学生でした。「英語の先生になる!」と宣言していたほどです。もちろん、高専では理数系の勉強が大変なことは知っていたので、進学先は最後まで悩んでいましたし、不安を抱えながら入学したのを覚えています。
―入学後、すぐに高専に馴染めましたか。
ネックはやはり数学でした。文系が得意だった自分にとって、高専で習う数学はかなりの難易度です。1年生の夏休み、地元に帰って普通高校に進学した友人と話すと、高専の数学は1.5倍か2倍のスピードで進んでいることが分かり、「これが5年間続くのか」と不安になりました。
流れが変わったのは1年生の秋ごろからです。各地からやってきた同級生たちと打ち解け、夏休み以降はみんなで勉強するようになっていました。数学が得意な友人に恵まれたので、数学を習う代わりに、私が得意な英語を教えていました。そうした協力のおかげで、少しずつテストへの向き合い方も分かるようになり、ようやく光が見えてきました。
―高専時代の思い出を教えてください。
一番楽しかったのは3年生の1年間です。当時所属していた硬式野球部を3年の夏で引退したこともあり、授業後に洗濯や掃除を終えても、まだ自分の時間があるという感覚がとても新鮮でした。寮にテレビを持ち込めるようになり、中型免許を取得してバイクにも乗り始めました。

私自身は「優等生タイプ」ではなく、どちらかというと、運動部らしい勢いと愛嬌で乗り切っていくタイプです(笑)。友だちはかなり多かったので、誘いには必ず乗るスタイルでいろんなことをしていました。機械科の友人にバイクの免許を取る人が多かったので、みんなで走りに行って、バイクが壊れたら修理してもらって。行動範囲が広がって、ちょっと大人になった気がして楽しかったですね。
学生生活では、寮で下級生の生活管理をする指導寮生、学生会での役職、留学生の学校生活や日常生活をサポートするチューター、部活動での副主将など、多くの肩書きと裁量を預かり、周囲に支えてもらいながら、若いうちにたくさんの失敗を経験できました。社会に出る前に「挑戦して、失敗して、次に生かす」経験を重ねられたことは大きかったです。

当時の経験は、大人になった今でも大いに役立っています。自分の発言で何十人もの人が動くことが多かったので、話す前に簡単な原稿をつくって整理するように習慣づいたのも高専時代です。たくさんの方々と連携しながら進める現在の仕事にも生かされています。
―当時はどんなご研究をされていたのでしょうか。
卒業研究は、厳しい指導で有名だった玉田先生の研究室を選びました。社会に出る前に激しい波に揉まれる経験をしたいと思い、あえて飛び込んだんです。偶然、親しくさせていただいている先輩もその研究室に所属していたので、「何か困ったことがあれば先輩にすがりつこう」と考えていました。今思うと、なかなか無謀だったと思います(笑)。
それまで部活動中心の生活だったため、勉学面で何か爪痕を残したい気持ちもあり、「誰もしたことのない研究がしたい」と先生にお伝えして、構造力学に関する研究と動画の教材開発に挑戦しました。
特に教材開発では、人工音声ファイルとの戦いに大苦戦しました。前例も費用もなく、もちろん私も初めての経験です。当時は生成AIなどの技術も一般的ではなかったので、MacBookの自動読み上げ機能に正しく漢字を読ませるために多くの時間を費やしたのは今でも忘れられません。

4分の動画を3本作るのに1年を費やしました。動画視聴時の人の集中力に関するデータや、動画作成のノウハウを流行前に蓄積できたことは自分にとって大きな収穫でした。また、知らないことに対しても真摯に向き合い、自分で考えながらいろんな角度でアプローチできるようになったのは、この経験のおかげだと思います。
現場でものづくりの視点を学び、地質調査のプロへ
―進路はどのように選択されましたか。
大工で自営業だった父の影響もあり、入学当時は建築を専門に進学することも考えていましたが、せっかく高専に進んだのであれば、本科卒で就職することも大きな強みになると考え、進学ではなく就職を選びました。
就職先を考えるうえで大切にしていたのは、ものづくりの基本を現場で学べることです。「手を動かしてものづくりをする人はかっこいい」という思いがありましたし、そこには父の影響も少なからずあったと思います。
最終的には、地盤の改良をはじめ、インフラの新設や維持・補修を専門的に行う大阪防水建設社に就職しました。東京支店の地盤工事部に配属され、関東を中心に全国の地盤改良に携わりました。東北の震災復興工事にも従事し、現場で多くの経験を積むことができました。

―その後、現在の株式会社インテコに転職されたきっかけを教えてください。
前職で経験を重ねるうちに、工事そのものだけでなく、その工事がどのような計画のもとで進められているのか、もっと大きな視点で知りたいと考えるようになりました。専門工事業者として現場に携わるうちに、担当する工事の背景や全体像に関心が向くようになったことが、転職を考えるきっかけの一つでした。
その時期に思い出したのが、高専時代にお世話になった玉田先生の言葉です。「ドアを無理やり開けるより、開いているドアを探すほうがいい」。現場での仕事を続けることだけが、自分の経験を生かす道ではないのかもしれない。そう視点を変えられたことで、新しい環境に目を向ける後押しになりました。
ちょうどその頃、転職サイトを通じてインテコからオファーをいただきました。当時は名前も知らなかった会社でしたが、地盤改良の現場で培った経験と、地質調査結果の取りまとめや解析という仕事にはつながりがあり、経験を生かして新しい知見を広げられるのではないかと感じたことが決め手となりました。
―現在の業務内容について教えてください。
私が所属する調査部では、地質調査結果の取りまとめや解析が主な業務です。ただ試験結果をならべるだけでは不十分で、プロとしての考察が求められます。なぜこの結果になり、どう対処すべきかまで導く報告書づくりを心掛けています。
調査の対象となる土地は一つとして同じものがなく、机上のデータだけで業務は完了しません。現場の観察や過去の地形の変遷を踏まえて総合的に判断します。時には古い地図を持って現場へ地形の観察に行くこともあり、理科の実験と歴史の調べ学習が合わさったような面白さがあります。
通常、広い土地に何本も穴を掘る際は、既存の資料を基に地盤を想定します。その予測がぴったり合った時は、うれしさや達成感を感じます。自然が相手なので、もちろん想定通りにいかないこともあります。そこが難しさでもありますが、やりがいにもつながりますね。

この仕事に従事して考えるのは、「土を通してさまざまな物事が始まる」ということです。私の調査レポートがきっかけでたくさんの方が動き、大規模なインフラが完成する。その工程に携われることに誇りを感じています。チームで一つの成果物をつくり上げるため、コミュニケーションや役割分担、責任感を持つことも重要です。仲間との協働もやりがいのひとつですね。
仕事でもプライベートでも挑戦を続ける姿勢
―今後の目標をお聞かせください。
地元に貢献できる仕事をするのが長年の夢です。出身地である大阪市港区は海抜が低く、将来発生すると言われている南海トラフ地震で大きな被害が想定されているエリアです。今後チャンスがあれば、地質調査のプロとして直接防災の仕事に携わり、地元を守るために貢献できたらと考えています。
また、プライベートではトライアウト(入団テスト)を受け、2025年3月からクラブ軟式野球の日本代表チームである「SWBC JAPAN」関西Bチームに入団して野球を再開しました。全国の地域ごとにチームがあり、それぞれ月に1回集まって練習と試合を行っています。
チームメイトは名門校出身者やプロ経験者など、国内トップレベルの選手ばかりです。全国どのチームにも高専出身者はいないと聞いていますので、もしそうなら私が初の高専出身者です。そう思うといっそう気合いが入ります。

―最後に、高専生へのメッセージをお願いします。
高専生というと、物理や数学に強い理系の学生を思い浮かべる方も多いかもしれません。しかし、私のように最初から強い意思を持って進学したわけではない人や、何らかの事情で高専を選んだ人も少なくないと思います。たとえ望んでいた通りの進路でなかったとしても、まずは「とりあえず行ってみよう」と思ってほしいです。私自身も、進学してから高専での楽しさや良さをたくさん見つけることができました。
高専では、自由に使える時間も多くあります。だからこそ、思いついたことには何でも挑戦してみてください。成功や失敗という結果だけでなく、社会に出てからも役立つ「時間の使い方」や、自分で考えて動く力を学べるはずです。
また、高専の教育では「実験から理論へ」と進んでいく場面が多かったように感じます。日常の「なぜ?」「どうして?」に対して、さまざまな角度から向き合う力が自然と身に付きます。卒業する頃には、「無理です」や「わかりません」と簡単には言わない(言いたくない)自分になっているのではないでしょうか。少々の壁ではひるまない心を持てたことは、高専出身でよかったと思える大きな理由のひとつです。
生きていく中では、逆境に直面することもあると思います。しかし、意外と状況はひっくり返せるものです。失敗や挫折、結果が出ないことを恐れて、「自分にはできない」と決めつけないでください。逆風は、前を向く人にしか吹きません。初めに感じたドキドキや感動を大切に、ぜひアクティブに挑戦し続けてください。応援しています。
青木 一樹氏
Kazuki Aoki
- 株式会社インテコ 調査部

2020年3月 舞鶴工業高等専門学校 建設システム工学科 都市環境コース 卒業
2020年4月 株式会社大阪防水建設社 東京支店 地盤工事部
2024年4月より現職
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