あらゆる物理現象をコンピュータで解析する研究に携わっている、大阪工業大学 ロボティクス&デザイン工学部の倉前宏行先生。学生時代から好きなことを追求し続けたからこそ見ることができた未来や、これからの挑戦について伺いました。
旭川高専 吹奏学部 クラリネット科を卒業?
―学生時代はどんなふうに過ごされましたか?
北海道・富良野にある実家は鉄工所を営んでおり、物心ついた時からものづくりが身近にありました。自ずと機械や工学に興味を持つようになり、中学1年生の時に電気機器を制御するための電子部品・マイコン(マイクロコントローラ)に出会うことになります。
当時はマイコンの最盛期。特集が組まれていた雑誌を1冊買い、隅から隅まで読み込みました。当然、実物が欲しくなって親にねだり、買ってもらったのが中学2年生の頃。雑誌を見ながら簡単なゲームをつくってみたり、掲載されているソースを打ち込んでみたりして遊んでいましたね。
―どのような経緯で高専へ進学されたのでしょう?
最初は旭川の進学校を志望していました。しかし、下宿や進学にかかる経済的負担が大きいことを理由に、親から猛反対されまして……。諦めかけた時、相談した担任から紹介されたのが高専でした。
担任は、「5年間で大学の勉強までできて、3食付きの寮もある。技術者になるための素養を磨けるので、卒業後は鉄工所の手伝いも可能だ」と、親に直接掛け合ってくれたんです。鉄工所を継ぐ気はさらさらなかったのですが……(笑) 無事に承諾を得られた私は、コンピュータや機械を学ぶため、旭川高専の機械工学科へ進学します。
―旭川高専での学生生活はいかがでしたか?
部活で吹奏楽に明け暮れる毎日でした。入学式で目にしたブラスバンドの演奏に魅了されたんです。担当はクラリネットで、部活にとどまらず、市民団体を複数掛け持ちしていました。周囲からは「旭川高専吹奏学部クラリネット科の卒業だ!」と笑われたほどです。
そんな調子だったので、勉強には苦戦しました。歴代の先輩から引き継がれているノートを借り、テスト前だけ集中対策していた程度で、進級は常にギリギリの状態。それでも地元に帰った時には、親に「溶接の勉強をしたよ」などと話し、騙し騙しの日々を送っていたんです。
あっという間に4年が経ち、私はソフトウェアの研究を熱心にされている先生の研究室に所属することになりました。そして、ゼミで開催される毎月恒例の集まりがある日、先生から「倉前は大学に行く気はないのか」と聞かれます。「自分は大学に入れる学力ではない」——そう答えると、九州工業大学の情報工学部 機械システム工学科への編入の話があると仰るのです。
聞くと先生は、機械システム工学科の教官をされている後輩から、第1期生が留年・退学で定員割れをしており、編入生を募集しているという話でした。せっかくいただいた話だったので、再び猛反対する親を「記念受験だ」と説得し、面接受験へ。手応えがなく、落ちたとばかり思っていたら、合格の連絡が届きました。
大学で気づかされた、研究者としての喜び
―大学時代についてお聞かせください。
15名の編入生とともに楽しい学生生活を送りました。北海道内陸部には梅雨がなかったので、福岡に来て初めての梅雨は湿気の多さと蒸し暑さが気持ち悪く、エアコンの効いている大学が楽園でしたね。冬は、下宿先に暖房器具が整っておらず、北海道よりも寒かったです……。
導かれるように年中大学に入り浸り、ようやく研究に打ち込む日々がスタートします。高専でプログラミングやワークステーションを利用していた経験から、大学ではコンピュータを使った大規模な有限要素解析の研究をテーマにしました。
そして、修士2年の時、「このまま研究を続けたい」とぼんやり考えていたところ、教官から博士課程への進学を勧められ、そのまま同じ研究室で進学。この頃になると、親も私の歩む道を応援してくれていました。
―高専から大学に進学して良かったことは何ですか?
今まで見たことのない世界があり、多くの人に出会いました。「親を騙してでも行く価値がある」と、私はそう思います。研究は「10あれば、9.9が失敗」の日々です。でも、一途にやり抜くと、「0.1の世界」が一気に広がります。
その場に立ち会えるのは、研究者としてとても幸せなことです。高専時代の恩師はその喜びを「麻薬的だ」と言っていました(笑) 私自身もその小さな喜びの積み重ねがあったから、大学卒業後は大学院へ進学し、研究テーマが深化していくにしたがって、研究が続けられる大学教員を志したのです。
マルチスケールとマルチフィジックス
―現在の研究についてお聞かせください。
機械構造物や機械材料の数値シミュレーション、特に有限要素法に基づく寸法スケールの異なるマクロ・ミクロを同時に考えるシミュレーション(マルチスケール)や、複数の物理現象が相互作用するシミュレーション(マルチフィジックス)開発に取り組んでいます。
簡単に言うと、世の中の物理現象そのものを全てコンピュータで解析する研究です。例えば、金属を2枚重ねて抵抗スポット溶接をするとき、金属面には肉眼では見えない凹凸があり、溶接箇所に隙間ができます。隙間があると電気が流れにくくなってしまう。この現象を1,000倍程度にスケールダウンして解析するのが、「マルチスケール」と呼ばれる手法です。
また、溶接をするときには、力学や電気、熱など複数の物理現象が同時に起きて、お互いに影響を及ぼします。これを解析するのが「マルチフィジックス」です。コンピュータで解析することで、「溶接品質を向上するためには、どんな設定条件にすればいいか」などを数値的にシミュレーションします。
マルチスケールに関する研究は、大阪工業大学の先生とのご縁でスタートしました。高専では機械工学科でしたが、コンピュータが好きで、特に「世の中の役に立つ『意味のある計算』をしてみたい」と考えていたので、とてもうまくマッチしたと思います。
―研究について、今後の展望をお聞かせください。
2017年からロボティクス&デザイン工学部に移籍となり、ロボットに関するシミュレーションに従事しています。ロボットはさまざまな制約条件のもとで巧みな動作が求められ、設計にはシミュレーションが不可欠です。
しかし、現在、ロボット技術者とシミュレーション技術者との間には「目に見えない壁」があるようにも思います。その壁を打ち壊し、シミュレーションに基づく高性能ロボットの設計を実現するのが、現在の私の夢であり希望です。
―最後に、学生へメッセージをお願いします。
夢中になって取り組めるものを、何でもいいので見つけてほしい。私の場合、10代で熱中したのは吹奏楽でした。何か1つのことを続ける「根気」や「集中力」は今、研究を続けていく上で大きな力となっています。
また、早い段階から「嫌い」「できない」と自分を閉ざすと、知れた世界を知らずに終わってしまいます。最初から「好き」と思えなくても、やっているうちに好きになることが往々にしてある。「好き」と思えないことでも、好きなところからちょっとずつ広げてみてください。あなたが取り組む姿を見ている人は必ずいて、きっと手を差し伸べてくれます。
倉前 宏行氏
Hiroyuki Kuramae
- 大阪工業大学 ロボティクス&デザイン工学部 ロボット工学科 学科長・教授
1990年3月 旭川工業高等専門学校 機械工学科 卒業
1992年3月 九州工業大学 情報工学部 機械システム工学科 卒業
1994年3月 九州工業大学大学院 情報工学研究科 情報システム専攻 修士課程 修了
1997年3月 九州工業大学大学院 情報工学研究科 情報システム専攻 博士後期課程 修了
1997年4月 大阪工業大学 工学部 助手
1999年4月 同 講師
2004年4月 同 助教授
2006年4月 同 准教授
2016年4月 大阪工業大学 工学部 ロボット工学科 准教授
2017年4月 大阪工業大学 ロボティクス&デザイン工学部 ロボット工学科 准教授
2020年4月 同 教授
2023年4月より現職
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