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高専から東大、そして地球掘削で世界へ。反骨心を武器に、カーボンニュートラルの未来をつくる

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長野高専の出身で、「進路変更が転機だった」と話す大備勝洋さん。高専で電子情報工学を学びながらも数学に興味を持ち、東京大学の地球システム工学科(現:システム創成学科)へ編入学された後、石油ガス開発で世界を飛び回り、今は脱炭素の新規事業開発に挑んでいます。多様な環境での経験からなるキャリア観や歩みについて、お話を伺いました。

高専から東大へ、進路変更がターニングポイントに

―高専へ進学したきっかけを教えてください。

父の言葉が将来を考える大きなきっかけになりました。小学生から中学生にかけて硬式野球に打ち込んでいて、父はコーチを務めていました。練習が厳しく、野球を辞めたいと伝えたところ、父から「じゃあ違う道を極めろ」と言われたんです。

だったら勉強を極めよう、と気持ちが切り替わり、父と長野県内の進学校を目指すことを約束しました。そこからは自然と勉強にのめり込み、「専門性を早く身につけ、社会に貢献できる技術者になりたい」と考えるようになり、県内でもレベルの高かった長野高専への進学を決めました。

電子情報工学科(現:工学科 情報エレクトロニクス系)を選んだのは、特にレベルの高い学科で、将来の社会的ニーズも大きいと感じたからです。ただ、入学してみると、プログラミングや電子工学、半導体といった分野にはどうしても興味が持てず、自分には合わないと感じるようになりました。

▲2023年、信州大学で長野高専の同級生と職業論の講義を実施(1番右:大備さん、中央:信州大学の小林先生、1番左:(株)電算の藤井さん

―それで、卒業研究では数学をテーマに選んだのでしょうか。

はい。中学生の頃から数学が好きで、課題も1日1冊こなすような生徒でした。高専に入ってからは、カオス理論やランチェスター戦略に強く惹かれるようになり、「もっと深く学びたい」と感じるようになりました。そこで卒業研究は、数学の准教授に相談し、カオス理論に関する微分積分をテーマにしています。

指導教員になっていただいた宮﨑誓先生(現:熊本大学大学院 先端科学研究部(総合理学) 教授)は、平均点が20点台になるような試験を出し、数学に本気でのめり込んで研究している、とてもユニークな先生でした。そんな先生から数学の話を聞くうちにどんどん興味が湧き、関連書籍を買って読み漁るようになったのが、テーマ変更のきっかけでしたね。

―高専卒業後は東大に編入しています。経緯を教えてください。

数学が好きで、大学でも数学や物理を学びたいという気持ちが強くなりました。そこで神戸大学と新潟大学の数学科の編入試験を受け、どちらも合格。その時点では「研究者として数学を極めたい」と本気で思っていました。

そんななか、1〜2年時の担当教官だった新保良明先生(現:東京都市大学 名誉教授)から、「成績も良いんだし、記念に東大も受けてみたら?」と冗談のように言われたことが、進路を大きく変えるきっかけになりました。

「いやいや、東大なんて雲の上の存在……」と思っていたのですが、せっかくなら東京への旅行がてら受けてみようと挑戦したところ、まさかの合格。しかし受かったのは第一志望の計数工学科ではなく、第二志望の地球システム工学科(現:システム創成学科)でした。かなり迷いましたが、東大ブランドの魅力と、両親や周囲の勧めもあり、最終的にそちらを選びました。

多様な世界を経験して身につけた、柔軟な思考と価値観

―東大編入後の学生生活はいかがでしたか。

編入生は、1年目に一般教養を履修します。周囲には灘や開成、ラサールといった超進学校出身の学生が多く、授業についていくのも、発言するのも、レポートも大変でした。単位を取るのも一苦労です。

編入してすぐソフトボール部に入りましたが、同期10人のうち半分以上が全国トップレベルの高校出身でした。当時は気づいていませんでしたが、今思えばものすごい環境に身を置いていたのだなと実感します。

―高専と東大、両方を経験して感じた違いはありますか。

高専では、密なカリキュラムと多様な先生のもと、課題やレポートに追われながら過ごす毎日でした。学生は真面目で、技術を磨く意識が強かったように思います。

東大は、学生の基礎力がとにかく高く、「考え方そのもの」が鋭く刺激的でした。時に天才かアホかわからないような個性的な人たちがいて(笑)、自分にはない視点や感性に触れられたのは貴重な経験でした。

2年目以降の専門学科では、高専時代に鍛えられていたおかげで、意外にも授業や課題にそこまで苦労しませんでした。結果的に学科で成績トップとなり、特待生として授業料も免除に。5年間の高専での積み重ねが、しっかり成果につながったと実感できました。

―大学での研究について教えてください。

ちょうどその頃、JAMSTEC(海洋研究開発機構)の地球深部探査船「ちきゅう」が完成し、地球のマントルを1万メートル掘削して地震の原因を探るプロジェクトが話題になっていました。私はそのプロジェクトに強く惹かれ、関連する研究室に入りました。

▲2024年、「ちきゅう」のヘリポートにてENEOSの同僚のみなさんと

最初は掘削での「地震の解明」を目指していたのですが、実際の研究室ではメタンハイドレートや資源開発向けの掘削技術を扱っており、いつの間にか研究対象が“地球の資源”に変わっていました。やや誘導されたような感覚もありましたが、気づけばその分野にのめり込んでいましたね。

掘削という行為自体が、グローバルでスケールの大きいものです。英語や旅行にも興味があった自分には、さまざまな国や環境に触れながら研究ができるこの分野が合っていたのだと思います。

―大学卒業後は石油公団(現:独立行政法人エネルギー・金属鉱物資源機構)に入社されています。

大学の研究がそのままキャリアにつながり、石油ガスの開発を行う資源工学の世界に進みました。1年目は国内の掘削現場を回る研修を経て、本社に戻った途端、最初の海外出張を命じられます。行き先は、なんと北極海でした。

北極海に行くには、カナダで2回乗り換えが必要です。しかし、カナダ国内に時差があることを知らず、乗り継ぎに失敗し、大雪の影響もあって2日間フライトが欠航に。会社にメールで連絡したのですが、ネット環境が悪くメールが届いていなかったらしく、現地で2日間スノボをしていたら「行方不明扱い」になっていたという……今だから笑える話です。

―海外の現場での経験を通じて、どのような変化がありましたか。

価値観が大きく変わりました。北極海を皮切りに、アゼルバイジャンやオーストラリア、アラブ首長国連邦、インドネシアなど、さまざまな国で仕事をしました。現地の文化や宗教、働き方はそれぞれ異なり、多様な価値観や考え方があるのだと気づかされ、柔軟な考え方ができるようになったと思います。

―英語はどのように習得されたのでしょうか。

もともと英語力はまったくなく、大学の時に旅行で海外に行くことはありましたが、留学経験もありません。そのため、大学時代からNHKラジオの英語講座を毎日2時間ほど、5〜6年間聴き続け、基礎力をアップさせました。

それでも社会に出てからの英語には苦労しています。特に国によっては訛りがあり、みんな流暢なわけではないので聞き取りが難しいです。専門的な会話であれば良いのですが、特にカジュアルな場面での日常会話が難しく感じました。

―海上リグでの生活はどのようなものでしたか。

※海上での石油や天然ガスの採掘を目的につくられた石油プラットフォーム(設備・機械)のこと。

入社5年目以降、アラブ首長国連邦とインドネシアで合計3年間、そのほかアゼルバイジャンバクー(カスピ海)の探鉱掘削、北極海や国内東海沖~熊野灘メタンハイドレート掘削、国内基礎試錐(稚内、佐渡南西沖等)における掘削リグ経験を含めると計5年以上、海上リグの現場監督(ドリリングスーパーバイザー)を務めました。

ヘリコプターで海上リグに移動して2週間働き、その次の2週間はお休みという交代制です。正月も夏休みも関係ありません。映画『アルマゲドン』のような世界をイメージしていただくとわかりやすいと思います。

日本人が自分ひとりという現場も多く(他は多国籍のエンジニアや掘削コントラクター、作業員等が70-80名乗船しており、彼らをマネジメントする現場トップの立場)、プライベートはゼロ。24時間対応で眠れない日も多く、本当に苦しい生活でした。しかし、会社の代表として現場を任され、地球を掘るという貴重な経験ができたことは、かけがえのない財産です。

―その後、民間企業へ転職されていますね。

はい。石油公団は政府系なので、安定しているものの成果が給与に反映されにくいという特徴があります。「頑張った分だけ報われたい」「もっと挑戦したい」という気持ちが強くなり、民間への転職を決めました。

最初は豊田通商、続いて東京ガスへ。この2社では10年以上、海外子会社の立ち上げや経営マネジメントにも携わらせていただきました。

▲豊田通商に勤めていた頃の大備さん。カナダ・カルガリー駐在中の旅行で、世界遺産のモレーン湖にて
▲東京ガスに勤めていた頃の大備さん。米・ヒューストン駐在中の夏休みに、世界遺産のグランド・キャニオンにて

脱炭素という新たな挑戦で、“1億分の1”を目指す

―現在のお仕事について教えてください。

ENEOSグループのENEOS Xploraで、サステナブル事業推進部に所属しています。石油ガス事業と並ぶもうひとつの柱「環境対応型事業」を担う部門で、新規事業開発グループのリーダーを務めています。

私が取り組んでいるのは、いわゆる「カーボンネガティブ」領域。つまり、大気中のCO₂を減らしていくことを目的とした事業です。具体的にはBECCUS(Biomass Energy Carbon Capture Utilization/Storage)、DAC(Direct Air Capture)、メタネーションといった、次世代エネルギー技術の実装に向けた開発に日々取り組んでいます。

特に注目しているBECCUSは、バイオマスを原料に水素エネルギーや液体燃料を生み出しつつ、排出されるCO₂を地下に貯留・活用する仕組みです。この技術を確立すれば、エネルギーを生産しながらCO₂を削減する「CO₂ネガティブ」な水素エネルギーが実現します。現在、2050年のカーボンニュートラル達成に向けて、欠かせないピースになるはずです。

今は、協業ステークホルダーや社内外の関係者を巻き込みながら、構想が少しずつ形になっていく過程にやりがいを感じています。ENEOSとしても、日本全体としても、「ネットゼロ」の社会を目指すなかで、こうした未来をつくる一端を担っていることに、強い使命感を抱いています。

※温室効果ガスの排出量と吸収量の差し引きがゼロになる状態。

―新規事業開発の面白さや難しさはどんな点に感じますか。

まさに「ゼロイチ」の世界です。最初は自分ひとりから始まり、何を・誰と・どう進めるのかも白紙。アイデアをどう形にしていくのか、必要なピースをどう揃えるか——その連続です。

どれだけ構想が練られていても、補助金や社内調整、キーパーソンの巻き込みなど、ひとつでも歯車が噛み合わなければ前に進みません。そこが難しさでもありますが、0が0.1に動き出した瞬間は大きな喜びでもあります。

―キャリア選択の軸について教えてください。

石油公団時代は「技術を極めたい」という思いが強かったのですが、海外での出向を経験して、「技術だけを極めても上には行けない」と痛感しました。そこで「技術×経営×海外」の掛け合わせで唯一無二のキャリアをつくりたいと考えるようになったんです。

自分の場合、技術力(1/100人)×経営マネジメント力(1/100人)×海外駐在15年(1/100人)で100万分の1。さらに、現在の脱炭素の新規事業開発力(1/100人)も加わり、「1億分の1の存在」になれたのではないかと思っています。

根底にあるのは「反骨心」です。自分の力で道を切り拓き、しっかりと成果を出して、その分報われるべきだと思っています。だからこそ、まずは専門性を突き詰め、その結果として自然と報酬や評価がついてくるような、そんなキャリアを目指してきました。

―今後の目標について教えてください。

短期的には40代で経営マネジメント職に就くことが目標です。カナダやアメリカの子会社で取締役や経営マネジメントを経験したことはありますが、いずれも出向という立場です。そのため形式的な部分も多く、「本当に経営マネジメントを経験した」とは言い切れない部分があります。だからこそ、今いる組織で実質的な経営経験を積むことを目指しています。

▲東京ガスに勤めていた頃、買収したTG Natural Resources社の経営マネジメントを経験した大備さん。写真はメンバー同僚(CEO/COO/CFO他)との送別会にて

中長期的には、数十億円規模の事業会社を自ら立ち上げ、トップとして運営していくことです。サラリーマンなので、面白いことを本気でやるには自分がトップに立つしかないと感じています。高い目標を掲げることで、自分自身を奮い立たせている部分もあります。

―プライベートでの夢もあるそうですね。

60代には海辺のまちに移住して、自宅かその近くでワインバーを開くのが夢です。もしくは、海外でワイナリー経営もいいですね。15年以上海外で暮らしてきて、自分らしく生きるシニアをたくさん見てきました。現役のうちにしっかり働き、60歳前後で引退した後は自由な時間を楽しむ。そんな生き方にずっと憧れています。

私自身ワインは好きですし、実は妻もワインのソムリエ資格を持っているんです。ただ、残念ながら妻はワインバー開業には反対でして(笑) その辺りは要相談ですね。

―最近取り入れている習慣や新しい挑戦についても教えてください。

今は週3回のジムやサウナ、オーディオブックでの読書、月1回の国内一人旅などを楽しんでいます。毎日「何かひとつでも新しい知見を得ること」を目標にしています。

特に一人旅では、行ったことのない土地を散策しながら、思考を整理したり、新しいインスピレーションを得たりしています。変化を楽しむ姿勢は、海外生活のなかで多種多様な人々と出会い、自然と身についた気がします。「生きるってこういうことだよな」と思うようになりました。

▲一人旅で熊本県の天草へ

―最後に、高専生へのメッセージをお願いします。

高専の5年間は、本当に濃厚でユニークな時間です。早期に専門性を身につけて就職するもよし、大学に進んで視野を広げるのもよし。選択肢はたくさんあります。

私は、高専と大学の両方を経験することで、多様な価値観や仲間に出会えました。そのおかげで、自分を客観的に見つめ直し、適材適所をじっくりと見極めることができたと思います。そのため、個人的には高専から大学へ進む道をおすすめしたいです。

しかし、いずれにせよ大切なのは「自分で選ぶ」こと。15歳で高専を選んだ時点で、すでに多角的な視点を持っている証なので、自信を持って選択してみてください。迷ったときは“辛い方”を選ぶべし。私自身、そうしてきたからこそ、今があると思っています。

高専は、もっと社会に評価されていい場所です。プロを育てるカリキュラム、設備、先生方が揃い、貴重な経験を得られる場です。だからこそ、高専で得た土台を生かして、次のステージへ挑戦してほしいと思います。

大備 勝洋
Katsuhiro Ohbi

  • ENEOS Xplora株式会社 サステナブル事業推進部 新規事業開発グループ

大備 勝洋氏の写真

1998年3月 長野工業高等専門学校 電子情報工学科(現:工学科 情報エレクトロニクス系) 卒業
2001年3月 東京大学 工学部 地球システム工学科(現:システム創成学科) 卒業
2001年4月 石油公団(現:独立行政法人エネルギー・金属鉱物資源機構)
2010年7月 豊田通商株式会社
2017年5月 東京ガス株式会社
2022年4月 JX石油開発株式会社(現:ENEOS Xplora株式会社)
2023年4月より現職(プロジェクトリーダー/上席マネジャー)

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