福井工業高等専門学校 機械工学科で、水田用小型ロボットの開発や人材育成を進められている亀山建太郎先生。企業に勤めて得た経験や学びを生かし、学生と一緒に研究を行われている先生が、これまで歩まれてきた道、現在の研究についてなどをインタビューしました。
身近にあった“ものづくり”への入口
―昔から理工学系に興味があったのですか?
小さい頃は木工に興味があり、船をつくって友達と遊んでいたのを覚えています。小学校にあがると、近所のスーパーの電気機器売り場にある展示品のパソコンを触って遊ぶようになりました。当時販売されていた『こんにちはマイコン』という入門書を片手に、スーパー通いをしていましたね(笑)。
小学5年生の時にファミコンが発売され、それからはゲーム好きに。パズルなど何かを組み立てるゲームが特に好きで、プログラムを組んで遊ぶ「ファミリーベーシック」というソフトに夢中でした。中学では無線工作部に所属していましたが、活動にそれほど熱心だったわけではなく、友達と集まってゲームをしていた記憶のほうが強く残っていますね。
数学は得意だったこともあり理系志望で、地元の奈良から通える大阪の私立高校に進学しました。後から考えれば地元のすぐ近くに奈良高専があったのですが、高専のことをあまり知らず、進学の候補にはあがらなかったような気がします。
―高校・大学時代、それ以降はどのように過ごされたのですか?
理系志望で、昔から釣りも好きだったのでバイオ系に進もうかと思っていましたが、バイオ系の教職に就いている親戚の話を聞いて、より将来の選択肢が広がりそうな機械工学系の道に進むことにしました。
友人に誘われて所属した漫画研究部の隣にコンピュータクラブがあり、両部を掛け持ちする人が多かったことから私も2つの部活を行き来していました。コンピュータを使って何かを動かすことに興味があったので、研究室は制御工学研究室へ。学部と修士で「システム同定」という観測データに基づくシステムモデルの構築や、理論構築と数値シミュレーションを用いる研究に従事していました。
社会人として働いて得た学び
―企業では、どんな仕事に就かれていたのでしょうか?
機械の制御について、研究だけでなく実践にも関心があったので、建設機械メーカーに就職し、小型油圧ショベルのキャビンや運転席回りの設計に従事しました。そのまま社会人として働く道もあったのですが、研究職に未練があり、退職して博士後期課程(出身研究室)に進学して学位を取得し、福井工業高等専門学校に職を得ました。
―なぜ再び研究職に戻る決意をされたのですか。
今思うと、顧客やユーザーに接する機会がほとんどなかったからかな、と。当時は私が「かっこいい」と思うものが、世の中ではそう評価されないことに気がついて……。例えば、クルマなら私はボルトがむき出しで無骨なほうがかっこいいと思うのですが、世の中で評価されたり売れたりするのは、もっと別の方向性だったんです。それで、一度現場から身を引いてみることにしようと思いました。
研究は個人ですが、企業ではつねに実践的かつチームで動きます。企業に勤めて初めて、ものづくりとは何かがわかった気がしました。学校にいると、使う部品の大きさやコストはピンときませんが、企業ではそれが命取り。時間管理やコスト意識、目標設定、周囲との相談など仕事の進め方も学びました。
さまざまなプロジェクトに関われたことが、今の飯の種になっている気がします。もし就職せずそのまま博士課程に進んでいたら、きっとろくでもない人間になっていたかと(笑)。企業に勤めて本当に良かったと思っています。
高専に応募したのは、知り合いの教員に紹介していただいたご縁からでした。高専についてはテレビでロボコンを観たことがある程度の知識しかなく、なんとなく極端な学生ばかりだというイメージでしたが、赴任して接してみるとそれほど違和感はなく……。もしかして自分のほうが極端な人間だったからかもしれません(笑)。
リアルなものづくりを伝えるために
―現在の研究について教えてください。
現在は水田用小型ロボットの開発と、ロボット利活用人材育成の取り組みをメインに進めています。高専に赴任して間もない頃に、近隣の有機農家様や農機具ディーラーの寄り合いで、「水田で除草するロボットをつくれないか?」とご相談をいただいたのが開発の発端です。
私の専門は制御理論の研究でしたが、機械工学科の学生と研究を行うに当たり、理論だけの研究は興味を持ってもらいにくいと感じていました。その点、小型ロボットは扱いやすく、水田というフィールドもチャレンジしがいがあると感じ、挑戦することにしました。学生と一緒にゼロからのスタート。機体製作から取り組みました。
研究を進めるなかで、ロボットの得手不得手を理解し、工夫して活用できる人材が不可欠だと考えるようになりました。また、現場とロボットの両方に通じた人材の必要性も痛感し、人材育成に取り組むようになったんです。
ロボットの開発は大きく機体開発・制御システム開発・制御ソフトウェア開発の3つに分けることができます。機体開発に取り組み、無線操縦で水田を走行する試験機を学生と製作しました。船のように浮いており2つの車輪で走行する試作機です。
水田は問題なく走行できたのですが、自律化するためにマイコンやセンサなどの計測制御系、十分な大きさのバッテリーを追加していくとロボットが大きく重くなり、水深が浅い場所では走行が難しくなりました。また、試験の課程で、水田には水深が深い場所(足跡などによる)があり、車輪が地面に届かないために走行できなくなる問題があることもわかりました。現在はこの問題を解決するために、機体と制御システムの両方を開発する段階です。
ロボットが小さいと作業効率の問題が出てきますが、通常は大型の機械で考えるところを、あえて小型ロボットだとどのように応用できるかに興味があります。もし実現すれば、私たちが考えてもみない活用法やアイデアや新しい農法が出てくるかもしれません。アイデアをもって、おもしろがって使ってくれる人に届けたいと考えています。
―ロボット部の活動について教えてください。
当初はロボット部がなく、毎年希望者を募ってロボコンに出場するチームをつくっていました。ある年、1年生から「ロボット部があったら入りたい」と相談され、それを機会に学生と一緒にロボコン部を立ち上げました。図書館の下にある、誰も使っていない空きホールでゼロから活動スタートです。最初は部員がたった3人でしたが、現在は40人。ずいぶん大きくなりました。
活動は基本的にすべて学生主導。人から押しつけられたのでは学びが少ないので、自分たちの考えたものをつくる過程で、問題や気づきを得てくれたらと考えています。ものをつくるということ、予算の管理、チーム運用。チームで考えないと成り立たないことばかりです。学生自身が管理して考えて動き、それが部活動として脈々と伝わっていけば理想的ですね。
部活で学生との関わりが増えたことで、私自身も高専の仕事をより楽しめるようになりました。こうした研究ができるのも、高専だからこそ。先生も学生も腰を据えて好きなことができる場所だと思っています。水田用の小型ロボットづくりなどさまざまな活動を通して、学生たちが制御について興味を持ってくれたり、みんながもっと自由にロボットをつくったりできる世の中になればいいなと思っています。
亀山 建太郎氏
Kentaro Kameyama
- 福井工業高等専門学校 機械工学科 准教授
1992年 私立大阪明星学園明星高等学校 卒業
1996年 京都工芸繊維大学 機械システム工学科 卒業
1998年 京都工芸繊維大学大学院 工芸科学研究科 機械システム工学専攻 修了
2006年 京都工芸繊維大学大学院 工芸科学研究科 情報・生産科学専攻 修了
1998年~2002年 日立建機株式会社
2006年9月 福井工業高等専門学校 機械工学科 講師
2009年 同 准教授
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