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徳山高専を卒業され、現在母校で教壇に立つ海田辰将(かいたたつまさ)先生。意外にも高専時代は、目標が見つけられず苦痛の毎日だったとのこと。そこからなぜ教員の道を選ばれたのか、また後輩に対する思いとは。現在の取り組みも含め、お話を伺いました。
担任の一言で、苦痛だった高専時代が変わった
-先生はどんなお子さんだったんですか?
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子どもの頃から喋ること、人を笑わせること、あとは虫が大好きで、夢はアナウンサーや昆虫博士でしたね。土木も建築も全然興味がなくて(笑)、受験慣れのつもりで徳山高専を受けたんです。当時の担任に失笑されるくらい、受かるとは夢にも思ってなかったんですが、まさかの合格で。親の猛プッシュを受けて高専に進学しました。
-そうなんですね!徳山高専での生活はいかがでしたか?
親が土木公務員だったこともあり土木建築工学科に進んだのですが、何の目標もなかったのでとにかく「苦痛」の毎日でしたね。ただ、喋ることは元々好きでしたし、勉強を教えることで誰かが喜んでくれることに嬉しさを感じていたので、「人に教えるために自分が勉強する」ことが原動力でした。

とにかく部活三昧で、アーチェリー部に入りキャプテンも経験しました。腹筋をバキバキに割り、アニメやゲームなどのオタ活にも励んでいました(笑)。格闘ゲームで山口県代表にもなったんです。そんな状態で4年の終わりを迎えたので、さすがに担任の橋本先生が心配して声を掛けてくださって。話しているうちに「海田、お前先生になれーや」と言ってくれたんです。
それまで「先生」というものを職業として見たことがなかったんですが、当時の担任が「学生と話すことは俺も楽しいし、でもこれが俺の仕事じゃけーの!」と仰っていて(笑)。確かに全力で自分たちに関わってくれる担任がすごく楽しそうだったのもあり、そこにその言葉が刺さりました。それで「先生になるために土木とか建築の知識を使おう!」と教員を目指すことに。そこから勉強や研究も一気に楽しくなりましたね。
地域の方が頭を下げて手を合わせる姿を見て、橋の研究を決意した
-先生はそこから広島大学に編入されたんですね!
広大はもともと旧師範学校なので、教育熱心な先生が多いイメージがあったことと、徳山高専から広大への編入生がまだ一人もいなかったことから「第一号になっちゃる!」と編入を決めました(笑)。

大学では今の専門につながる「構造工学」の研究室を選びました。実は高専時代からずっと赤点は取ったことがなかったんですが、「構造解析学」のテストで、のちに恩師となる藤井堅(ふじいかたし)先生にひねくれた問題を出され(笑)、人生初の赤点を取ったんです。そして再試で100点を取った時に、藤井先生にゼミの勧誘をされました。
藤井先生は魚釣りが大好きだったので、研究室で「フィッシングクラブ」を立ち上げて、ゼミのみんなとよく魚釣りに行きました。夜中の2時とか3時に集合して、港から船で磯に上がり、チヌやグレを釣って帰る。釣りの時間が忙しい藤井先生との貴重なゼミの時間でもありましたね。
-そのまま藤井研で大学院でも研究を続けられたんですね。
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修士まで「トラスドームの振動解析」についての研究と鋼材の耐荷力に関する研究を行っており、博士課程から「腐食した鋼部材の耐荷力と維持管理の研究」を本格的に始めました。
そんなある時、研究で使う橋げたをクレーンで撤去する際に、多くの地域の方々がそれを見に来たんです。「生まれた時からこの橋にお世話になっている」と思い出話をたくさん伺い、おばあちゃんが頭を下げて手を合わせて撤去を見守る姿を見て、「当たり前だった風景の一部がなくなることは、すごく大きなことなんだ」と実感しました。
鋼は材料が均一なので、本来とても素直なんです。きちんと計算をすれば、計算通りの強度が出る。ただ、長い年月をかけて錆びてボロボロになると、とたんにわがままになる。計算が合わなくなり、正確に板厚を測ることすら難しくなるんです。
決して華やかな世界ではなく、サビまみれになりながら汗水たらして研究をするのは大変でしたが、修士時代に異なる2つの研究が同時にできたことで、実験にも解析にもバリアを感じることなく、かなり視野が広がりましたね。
学生と同じ目線まで下がって共感するのが自分のスタイル
-先生はそこから高知高専に赴任されているんですね。
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広大の時に高知高専の先生と共同研究していたご縁もあり、運よく高知高専で教員人生をスタートできました。そこで初めて、高専は1つ1つ全く性格が違う(地域性が色濃い)ということを実感しましたね。高専で教えることはすごく楽しかったんですが、一方で「大学で勝負をしてみたい!」という思いも強くなり、数年経って愛媛大学に転任しました。
愛媛大学で2年たった頃、徳山高専で担任だった橋本先生から「徳山高専に帰ってこんか」とお声がけいただいたんです。
「いつか母校に貢献できたら」という思いはずっとありましたが、大学での教育・研究が面白くなってきた頃でしたし、母校で直接後輩たちに研究や課外活動を教えられることも大きなメリットだったので、すごく悩みました。そのようなタイミングでちょうど娘を授かったことから、地元で子育てしたい気持ちが後押しし、予定よりも早く徳山高専に戻ることを決めました。
-母校で教えることは、いかがですか。

デザコン活動を通じた人づくりの始まりです。
やっぱり自分も同じ道を通ってきているので、学生たちの気持ちがすごく分かりますね。日々、いろいろな相談を受ける中で「共感すること」を大切にしています。学生がぐちを言っている時って大抵、具体的なアドバイスは求めていないじゃないですか(笑)。本人はもちろん真剣だから、まずは学生と同じ目線まで下がって共感し、そこから一緒に登っていくイメージで指導するのが自分のスタイルです。
学生たちは「いま話を聞いてほしい」から目の前にいるわけで、後回しにされたり話を否定してしまったら二度と相談には来ません。だから出来るだけ目の前の学生を優先するようにしていますね。それが18歳未満の学生を扱う高専教員の責任だと思っています。
学生たちの心に火をつける「チャッカマン」でありたい
-先生は様々な取り組みをされているんですね!

2015年より周南地域の「産官学民」の連携の一環として、地域の道路インフラを長持ちさせるため、身近な橋の清掃や簡易点検などに親子で参加できる体験イベントを加えた「橋守活動」を「しゅうニャン橋守隊」として不定期に行っています。
「橋は大切なものだから休日を削って一緒に掃除をしよう!」では人は集まらないので、工作教室などと合体させることにより、参加者がメリットを感じて楽しめる仕掛けを考えました。アンケートも取り、「橋を見る目が変わった」という意見をたくさんいただいており、リピーターもたくさんいる活動です。
また、課外活動ではデザコン(全国高等専門学校デザインコンペティション)に最も力を入れています。構造デザイン部門では「ブリッジコンテスト」が開催され、1mほどの橋の模型を作り、「強さ・軽さ・美しさ」を競い合います。
徳山高専の強さは「人と同じものを作らない」ということ。橋は荷重条件と支持条件が決まれば大抵似たような形にいきつくのですが、さらに工夫を凝らしています。過去10年間で10回の受賞(最優秀賞1回、優秀賞4回、審査員特別賞4回、特別賞1回)をいただいており、ほぼ毎年成果を残しています。
さらに「それいけ!現場100回プロジェクト」として、2014年から毎年数回~十数回ほど現場見学を企画・実施しています。コロナでペースダウンはしているものの、今年でもう67回目を迎えています(2021年10月現在)。
10人未満で現場見学に行き、普段は入れないようなところも見学させていただく。興味のある学生ばかりが集まっているので、質問もたくさん飛び交います。そして参加した子がインフルエンサーとなり、活動が広まっていく。6年間で延べ451人が参加し、男女比は半々です。学生にも受け入れ先の企業様にもメリットのある活動で、就職にもつながっています。
-最後に今後の先生の夢と、学生へのメッセージをお願いします。

「学生たちの心に火をつける『チャッカマン』でありたい」と思っています。ずっと勉強に身が入らなかった学生が、デザコンに誘ったことがきっかけで勉強にハマり、現在は東大に行き、博士課程で研究に励んでいる教え子もいます。くすぶっている学生の心に火をつけることは面白いですね。
学生には毎年「今年はこれを頑張った!」と自信をもって言える過ごし方をしてほしいですね。後ろを振り返った時に、知識だけではなく経験も友達もついていることに気付くと思います。我々の時代と違って、今の高専には面白いことがたくさん転がっていますので、自分で面白そうなものを見つけて首を突っ込んでいくと、「5年間あっという間だった」となります。それがベストな高専の過ごし方だと思います!
海田 辰将氏
Tatsumasa Kaita
- 徳山工業高等専門学校 土木建築工学科 教授 校長補佐(寮務主事)
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1997年3月 徳山工業高等専門学校 土木建築工学科 卒業
1999年3月 広島大学 工学部 第4類(建設系) 卒業
2001年3月 広島大学大学院 工学研究科 構造工学専攻 博士前期課程 修了
2004年3月 広島大学大学院 工学研究科 社会環境システム専攻 博士後期課程 修了
2004年4月 高知工業高等専門学校 建設システム工学科 助手
2007年4月 同 助教
2007年10月 愛媛大学大学院 理工学研究科 助教
2009年8月 徳山工業高等専門学校 土木建築工学科 助教
2013年4月 同 准教授
2020年1月より現職
2021年4月 国立高専機構 研究推進・産学連携本部(併任)
徳山工業高等専門学校の記事



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