インタビュー

舞鶴高専が目指す、地域や海外と連携して取り組む “人材育成や地域振興の形”とは

公開日
取材日
舞鶴高専が目指す、地域や海外と連携して取り組む “人材育成や地域振興の形”とはのサムネイル画像

大学院卒業までは、高専とは接点のない学生時代を過ごされた舞鶴高専の内海康雄(うつみやすお)校長先生。就職の道もあった中、なぜ高専の教授になったのか。また、地域と連携して取り組んでいる人材育成や地域振興への思いを伺いました。

「高専に来れば研究が出来る!」と選んだ高専教員への道

-内海校長先生は、高専OBという訳ではないんですね。

青い空、緑の木々に、4階建ての白い校舎が映える、舞鶴高専校舎
舞鶴高専

そうなんです。大学や大学院で「室内で起こる空気の動きのシミュレーション」を研究していました。今はスーパーコンピューターの「富岳(ふがく)」がコロナウイルスの飛沫シミュレーションをしたりするでしょう。当時はそんなソフトはNASAぐらいしか持っていませんでしたね。

学生時代は、本気で研究に打ち込んでいました。就職する道もありましたが、企業では研究開発部にでも入らないと、なかなか研究が出来ないでしょう。そんなときに高専の先生から「うちに来ないか?」と声をかけていただいて。「高専に行けば研究も教育も出来るかもしれない!」と思い、高専教員の道を選びました。

-高専に赴任されて、戸惑いやギャップはありましたか?

作業着を着て、器具工具をあつかう学生たち
校内風景

「教える」ということに関しては、あまりギャップはなかったですね。部活もバスケットボールをしていたので、そこでマネジメントの経験もしましたし、学士課程の後輩たちのお世話もしないといけなかったから、そこで「人に教える」という予行演習は出来ていました。

高専が大学と違うところは、電気だったら「回路図を書いて、はんだ付けをして」とかなり具体的なところまでやる。でも、大学はそこまでやらないんです。それには理由があって、大学は「得意なところは得意な人に任せて、全体を見る」ということを学ぶんですね。

専門的な部分は得意な人に任せて、品質管理とかスケジュール管理とか、役割分担で進めるんです。でも分業が進んでいくと、新しいものを作るときに作り方が分からず自分たちだけでは対応ができなくなる。

高専は卒業したら身につく能力が多いでしょう。新しいプロジェクトに対応できて、実際にモノを作るにしても、一から作ることができる。何かを解決するために全体を見通す役割とか、チームを組んで問題解決することとか、高専はそのシステムがしっかりと出来上がっていると感じましたね。

25個以上の協働プロジェクトを進める理由とは

-舞鶴高専の特徴について教えて下さい。

校長先生と筑地山公立大学のかたが署名をした協定書をともにもち、記念撮影
福知山公立大学との協定締結

舞鶴高専は地域振興にかなり力を入れています。実際、舞鶴市と25個以上の協働プロジェクトを学生含め行っています。実は、私が校長に着任する前からいくつかのプロジェクトは進んでいたのですが、「やれるのにやれていない」という部分が大半で。そこを少しずつ大きくしていったら今のプロジェクト数になったんですよね。

北近畿は5市2町(舞鶴市、綾部市、京丹後市、宮津市、福知山市、与謝野町、伊根町)が一体となり連携を取っており、そのプロジェクトの中に舞鶴高専も関わっています。地域の「産学民公金報」がひとつになって、地域課題に取り組んでいく。これってすごく大切なことだと思うんですよね。学生にとっては年齢や考え方の違う人達と関わることになる。視野が広がりますし、プロジェクトのマネジメントを行う訓練にもなります。

また舞鶴高専では、世の中の課題を広く解決する「ソーシャルドクター」や、より暮らしを良くするために世の中の動きに参加する「ソーシャルクリエイター」の育成にも力を入れています。河川の水害、IT農業、IT漁業、鳥獣害対策など分野は多岐にわたりますが、ニーズに合わせてシーズをマッチングできるのは高専の強みだと思います。

さらに、新型コロナ感染症で顕在化したITの課題に対応するために、国内で安定供給できるITプラットフォーム「AMATERAS(アマテラス)」の構築も進めています。現在は、「高性能小型汎用PC」の試作機の製作と試用を行っている途中ですが、開発した小型PC が普及すれば、教育や研究、さらには産業における安定的な活動が可能となります。また、次世代を支えるIT 技術者の育成にもつながりますので、NPOと協力しながら推進しているところです。

-校長先生から見て舞鶴高専の学生さんはどのように映っていますか?

カラフルな背景に、みなでおそろいの服を着た女子学生グループとともに真ん中に内海校長先生
女子学生グループ(うろうろ)と校長の記念撮影

素直ですよね。話せば気持ちは分かってくれるし、団体行動もできる。だた、規則が高校のようにあるわけではないので、「自分の好きなことを強く持って出来る人」は寄り道をしないで卒業している印象ですね。自立していないと長続きしないと思うし、学科の中に自分の好きなことがある人にはおすすめですね。

寮の1人部屋を写した写真。奥に腰壁窓があり、デスク、ベッド、逆サイドに棚などがある
寮内風景

舞鶴高専は北近畿地方にありますので、県外からの学生も多い。クラスターが起きないよう、できるだけ一人部屋にしたり、二人部屋のところは医療用のカーテンで仕切ったり、お風呂・食事もグループ制で対応しています。もちろん寮から感染者は一人も出ていませんし、対策を取れば安心して生活が送れると思っています。

震災で変わった価値観と今後の展望

-先生の今後の展望を教えて下さい。

外国の学生、先生と、校長など、交流している様子
ポーツマス大学との交流

実は、東日本大震災で被災してから方向性を変えたんです。それまでは研究がしたくて高専への道を選んだのですが、被災をきっかけに「論文を書くだけではなく、何か役立つことをしなくちゃいけない」と考えが変わって。それが今の「技術者の人材育成」や「地域振興」につながっています。

今後は高専も国際化をしなければいけないと思っています。実際、モンゴルやタイ、ベトナムなどに高専は出来ていますし、マレーシアやエジプトでも話が上がっている。今後世界中で、さらに高専が出来る流れになるでしょう。

人口が少なくなっている以上、海外とは協力していかなければならないと思っています。舞鶴高専としては、イギリスのポーツマス大学と協定を結び、国際化に向けて少しずつ形にしています。今までの高専としての成果や、ポテンシャルを十分に活かして、プロジェクトとしてある程度の経験値に行くまでは続けたいと思っています。

大きなテーブルをはさんで、ポーツマス大学のかたと舞鶴高専のかたとで交流している様子
ポーツマス大学との意見交換

地域との連携もそうですが、これからは「よりネットワークを活用しなければいけない」と思っています。高専の情報もより小中学生に届けなくてはいけないし、中学生にとって「これだけ進路の選択肢が多いんだよ」ということも伝えていきたいですね。県外に出て地元に帰ってきたときに思い出すことは「自分が学生だったときの姿」だと思うので、高専で過ごす時間がより実りのあるものになるように、邁進していきたいと思います。

内海 康雄
Yasuo Utsumi

  • 舞鶴工業高等専門学校 校長

1973年3月 宮城県仙台第一高等学校 卒業
1978年3月 東北大学 工学部 建築学科 卒業 
1980年3月 東北大学大学院 工学研究科 建築学専攻 前期課程 修了
1983年3月 東北大学大学院 工学研究科 建築学専攻 後期課程 修了
1983年4月 宮城工業高等専門学校 建築学科 助手
2009年4月 仙台工業高等専門学校 建築学科 教授
2021年4月より現職

内海 康雄氏の写真

最新の記事

高専採用枠を10倍に拡大!家電開発だけじゃない「アイリスオーヤマ」で生かせる高専卒の力とは
舞鶴高専が目指す、地域や海外と連携して取り組む “人材育成や地域振興の形”とは
文系・理系のハイブリッド学科! 研究もキャンパスライフも謳歌できる神戸大学大学院 人間発達環境学研究科 谷研究室の魅力