高専教員教員

「海と船」のある生活が当たり前——もうすぐ引退する練習船「3代目大島丸」への、複雑な思い

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東京お台場にある船の科学館に勤められた後、母校である大島商船高専で講師としてご活躍されている前畑航平先生。幼少期から海や船に接してきた前畑先生が抱いているそれらへの思いは、想像とは少し異なるものでした。これまでの人生を振り返りながら、その思いについてお伺いします。

海や船に関わるのが普通だった

―幼少期から海や船が身近にあったのでしょうか。

制帽をかぶっておもちゃの車に乗る前畑先生
▲幼少期の前畑先生。海上保安官であるお父様の制帽をかぶっています

父が海上保安官で、灯台や電波施設(ロラン局、オメガ局等)で勤務していて転勤が多かったため、私の出生は鹿児島県枕崎市ですが、その後は沖縄、そして鹿児島に戻り、幼稚園児から小学生1年生までは長崎県の対馬に住んでいました。加えて、父が無類の船好き・海好きでしたので、実家には船舶模型や船関係の雑誌や本が常にありましたね。

客船の前で写真に写る前畑先生とお父様、弟様
▲1982年頃、鹿児島港にて客船「クイーン・エリザベス2」を見物(写真右:前畑先生、後列:お父様、写真左:前畑先生の弟様)

そして、小学校2年生からは大阪市内に転居しましたが、天保山公園で「海洋少年団」の活動を見かけたのをきっかけに、入団することにしました。小学校4年生のときだと思います。

「海洋少年団」は、海に親しみながら、団体行動を通して社会生活に必要な公徳心を養うところでして、具体的には海上では全長6mのカッターボートを漕いだり、陸上で手旗信号やロープワークなどを学んだりします。ときには、各種船舶に乗船する「体験航海」もありますね。

港で敬礼をする、幼い日の前畑先生とご友人
▲大阪府岸和田市のカッターレース会場にて、大阪みなと団(海洋少年団)の友人と

今でも鮮明に覚えているのが、その海洋少年団の合宿として、当時、神戸商船大学に陸揚げされていた、大型練習船「進徳丸」で寝泊まりしたことです。かつて国内外の海を走り回っていたという大きな船を見たときは、かなりのインパクトを受けました。「商船大学」という存在を初めて知ったのも、そのときでしたね。

―その後、大島商船高専に入学されています。何について研究されていましたか。

学生寮でTシャツを着て、窓際で写真に写る前畑先生
▲大島商船高専の学生寮にて

卒業研究は「海難」をテーマにして取り組んでいました。というのも、1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニック号が1985年に発見され、その写真集を父が買ってきたんです。当時小学生だった私も気に入り、数年後には、父に黙って高専の寮に持っていったほどでした。高専では海難事故に関する話も授業で度々あり、青函連絡船(※)に関する本も読んでいたので、海難に自然と興味を持ったのだと思います。

※青函連絡船:1908年から1988年まで、青森駅と函館駅を結んでいた鉄道連絡船。青函トンネルの開業により終航。青函連絡船の洞爺丸が1954年に台風によって沈没しており、日本海難史上最悪の事故とされている。

白くて大きなモニュメントの前で写真に写る前畑先生と三等機関士の方
▲練習船「青雲丸」乗船実習時に発見したモニュメント(ポルトガル・リスボン)にて、「青雲丸」三等機関士と

卒業研究の指導教員は、後に広島商船でも校長を務められた辻啓介先生でした。私が海難をテーマにしたいと伝えたところ、辻先生が幼少期に乗船された「南海丸」も、後の1958年に強風で沈没し、子供心に「大きな船でも沈むのか」と驚いた記憶があるとおっしゃっていましたね。そして、海難事故の原因や傾向を分析してみないか、という話になり着手しました。

―東京商船大学(現・東京海洋大学)に進学後、研究はいかがでしたか。

実は、大学や大学院ではそこまで研究に没頭していたわけではなく……。ですが、決して海や船に対して興味を失っていたわけではありません。大学院生のときは、当時の体育教員に誘われて、B&G財団(公益財団法人ブルーシー・アンド・グリーンランド財団)主催の手作りカヌーの製作イベントに三人一組で参加しました。

このイベントでは、大手ホテルで内装や調度品のメンテナンスをされている方にご指導いただいて、スタイロフォームという発泡スチロールに似た材料でカヌー作りを体験しましたね。週に1回作業して、完成に2~3カ月間かかりました。

ほかにも、海上の交通量調査など、様々なことをしていましたよ。思い出せないのもあるくらいです。このような形で、親元を離れた後も、海や船に自然と関わる生活を送っていたと思います。

フェリーの前で、Tシャツ姿で写真に写る前畑先生
▲大島商船高専の学生時代、アルバイトで1カ月間乗船したフェリー「ニューあかしあ」(新日本海フェリー)

「海事思想」の普及啓発活動に携わる

―就職活動に関しては、いかがでしたか。

大学院に進学する前にも、就職については考えていました。しかし、自分の興味のあることや趣味と、就職が結びつかなかったのです。海や船に興味を持って大島商船高専や東京商船大学に進学したのだから、それに関連する仕事に就けばいいのではと思うかもしれませんが、私はそうではありませんでした。

海や船というのは、私にとって「あまりにも身近な存在」でした。そして、今後もそうだと思っていましたね。普通に生活していれば、普通に関わることになる。だからこそ、「船乗りになろう!」とか「海に関する仕事に就こう!」といった使命感はそれほどなかったです。

学生のころはイラストを描いたり、電子楽器で曲を作ったりするのが好きでした。今でも、例えば「海や船」「乗物」「電子楽器」を描いたりしていますね。海や船が当たり前にある生活の中で、自分の趣味を楽しみたいという考えがあったのだと思います。もちろん現在でも、海や船のことは好きですよ。

ご友人とともに、黒い電子楽器の前でパフォーマンスする前畑先生
▲電子楽器によるパフォーマンス(練習船「青雲丸」乗船実習時、鳥羽商船高専の友人と)

―そのような考えがありつつも、大学院卒業後は船の科学館に勤めていらっしゃいます。

大学院生のときに船の科学館で行われた、木造カヌーの製作教室に参加したのがきっかけです。そのときの講師が、木造艇建造を業とするSANOMAGICの佐野末四郎さんでした。佐野さんは江戸時代から八代続く佐野造船所の生まれで、マホガニー(※)を船材とした木造艇や木造自転車等の製作で、世界的にも高い評価を受けている方です。

※マホガニー:中米~南米北部に分布するセンダン科マホガニー属という常緑樹の一種。乾燥後は狂いがきわめて少なく、耐久性に優れている。また、木目の美しさから、高級家具や高級楽器にも使用されており、世界的に最も高く評価されている銘木の1つとされている。

製作の休憩時間に、佐野さんから「日本の和船大工の職人技術」の話などをたくさん聞かせていただきました。私が今までしてきた勉強や研究とは異なった角度での海や船に関するお話だったので、大変興味深かったです。

木でできたカヌーの骨組みの後ろで写真に写る佐野さんと前畑先生
▲船の科学館「手作りカヌー教室」にて、佐野末四郎さん(写真中央)と前畑先生(写真右)

船の科学館の本館1階展示室は「造船博物館」と言っていいもので、こちらもまた、私が今まで商船高専などで教わってきた船舶運航の分野とは異なる視点を与えてくれるものでしたね。船の科学館での体験が、後の就職に繋がったのだと思います。

船の科学館では「海事思想」の普及啓発活動として、プールでのカヌー体験だったり、「シップ・ウォッチング」といって、借り上げた水上バスで港内を遊覧しながら港湾施設や船を解説したりするといった企画に携わっていました。

船の形をした科学館
▲船の科学館 本館

―「海事思想」とは、どういったものなのでしょうか。

海に関する知識全般を指します。業界では普通に使われている方もいらっしゃる言葉ですが、「海事思想」という言葉がいつ頃から使われているのかは、私も明確にはわからないです。ただ、ある時代を境に「海をもっと知ってほしい」という気持ちが込められて使われ始めたのは確かだと思います。

「日本は四方を海に囲まれた島国である」とよく言われますよね。日本の物流においても、遊び場としても、災害面においても、海は重要なものであり、そこに疑いを持つ人はいないでしょう。しかし、だからといって、海に対して普段から特に何かをしたり、何かを考えたりはしていませんよね。

飾りつけをされた船の前に集まる人々
▲船の科学館でのイベント開催時の様子(手前から、元青函連絡船「羊蹄丸」、元南極観測船「宗谷」、船の科学館 本館)

私としては、海や船と自然体で接するうちに、各々が自分なりに理解していけば理想的だと考えています。ただ、どこまで理解すれば理想的なのかといった基準を想定するのは難しいです。「海事思想」という言葉が、みなさんが海に対して興味を持つきっかけになればと思います。

高専入学1年目に来た、練習船「3代目大島丸」

―現在は大島商船高専で教員として、ご活躍されています。

船の科学館がいったん本館展示を休止するタイミングで転職し、船に関することを引き続き人に伝えたい、教えたいという気持ちから、高専教員になりました。

海のそばの大島商船高専を上から見たイラスト
▲大島商船高専の全景イラスト(イラスト作成・前畑航平)

学生に教える際に注意していることは、一般の方に対しても同様ですが、専門用語の正式名称をしっかり教えることです。船での生活という性格上、仲間内で過ごす期間も長いので、略語や通称が多く生まれます。そういうのって、一般の方でも自分で使いたくなるものですよね。

しかし、略称などを使いすぎると、いざ船について深く知りたいとなったとき、そこにたどり着けなくなるんです。例えば、「マイル」を陸上の「マイル」と区別するために、海里を「シー・マイル(sea mile)」などと呼ぶ方もいますが、現状の専門用語では正式には「ノーティカル・マイル(nautical mile)」といい、船舶用のレーダー画面上では単位の頭文字をとって「~NM」と表示されたりします。つまり、「~SM」とは表示されないのです。

机の上で海図を広げる前畑先生
▲授業や学校PR(オープンキャンパス)で使用する海図を準備されている前畑先生。ちなみに、船乗りはこれを単に「チャート」と言いますが、「航海用海図」の英語の正式名称だと「ノーティカル・チャート(nautical chart)」と言います。電子海図との混同を避けるため、「ナビゲーション・チャート(navigation chart)」とはあまり言いません

このように、正式名称を知らないと、後々混乱してしまいます。そのため、最初の段階で、くどいくらい言葉の重要性について説明しているのです。

―今年の10月には、貴校の練習船「新大島丸」が進水式を行うそうですね。

実物はまだ見れていませんが、進捗具合は聞いています。今現役で使用している3代目よりも大型化されますし、船内の環境も改善されるそうです。

青い帽子をかぶり、船の前で敬礼をする人々
▲3代目大島丸での実習(2022年)

3代目は特別思い出深いわけではないのですが、なんと言えばよろしいでしょうか……。私が大島商船高専に入学した1年目の12月にやって来たんです。通常の実習以外にも、クラブ活動の「全国商船高等専門学校漕艇大会」等に行くために、1年生のときには先代の2代目大島丸を、以降は今の3代目大島丸を利用していたのを覚えています。

5年生の時には大島丸での研究航海で関門海峡に行き、24時間錨泊して行った海上交通量調査にも参加しました。「大島丸」にはいろいろな方がいろいろなタイミングで関わってきましたが、ある方は「自分にとってのマザーシップが引退するのは、寂しくなるよ」とおっしゃっていましたね。

白い船体の大島丸の写真
▲学生寮から見た練習船「3代目大島丸」(1995年頃)

今回お話させていただいたことからお察しかも知れませんが、私は船を神格化しておらず、当たり前にいる存在として関わってきました。ですが、来年の今ごろには、自分が15歳や16歳のころから見てきた船がなくなっていると思うと、「ある日突然、寂しい気持ちになったりするのかな……」と考えてしまいます。

3代目大島丸と、新しい大島丸、男性2人と女性2人のイラスト
▲「大島丸」イラスト(上段が3代目、下段が新)(イラスト作成・前畑航平)

―最後に、高専を目指す方たちへのメッセージをお願いします。

高専では15歳から、特に工作機械や舶用関連機器といった、使用法によっては常に大怪我と隣り合わせで危険なため、その年齢では本来扱うことのできない機械などを使用しながら勉強や研究ができます。大学生よりもひと足早く、より感性が豊かな年齢から、専用の機器にじっくり触れることができるのは、高専ならではですよね。

大島丸を運転する学生
▲大島丸での実習風景

ちなみに、商船学科と聞くと「船に特化して学ぶところ」だと思うかもしれません。それは間違いないのですが、例えば商船学科の機関コースだと、発電機や空調設備などといった船以外にも通用する分野も学びます。陸上と海上のどちらにも精通したいという理由で入学してくる学生もいますね。高専を目指す方は、ぜひ頑張ってください。

前畑 航平
Kohei Maehata

  • 大島商船高等専門学校 商船学科 講師

前畑 航平氏の写真

1993年 大島商船高等専門学校 商船学科 航海コース 入学
1998年 大島商船高等専門学校 商船学科 航海コース 卒業
1999年 東京商船大学 商船システム工学課程 航海学コース 3年次 編入学
2001年 東京商船大学 商船システム工学課程 航海学コース 卒業
2001年 東京商船大学大学院 商船学研究科 博士前期課程 入学
2004年 東京商船大学大学院 商船学研究科 博士前期課程 修了
2004年~2011年 公益財団法人 日本海事科学振興財団(船の科学館)
2012年 大島商船高等専門学校 非常勤講師
2013年 大島商船高等専門学校 商船学科 助教
2021年より現職

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