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「自分はどうありたいか」で考えれば将来は無限大。高専を卒業し、今はスポーツビジネスの現場へ

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「自分はどうありたいか」で考えれば将来は無限大。高専を卒業し、今はスポーツビジネスの現場へのサムネイル画像

明石高専の都市システム工学科を卒業し、現在はアイリスオーヤマ株式会社の社員として、業務委託によりプロサッカークラブ「ベガルタ仙台」の業務に携わられている武市賢人さん。きっかけは大学院生の頃に出会った「スポーツビジネス」の存在でした。なぜ現在のポジションに至ったのか、その経緯を伺いました。

将来の夢が描けない日々

―明石高専を進学先に決めた理由を教えてください。

小中学生の頃の私はとにかくやりたいことが多すぎて「これだ!」という将来の夢は持っていませんでした。中2の頃はCM制作会社や舞台監督など、エンタメ業界に興味があったと記憶しています。正直に言うと一番得意な教科は英語でしたし、決してものづくりに興味があったわけではありません。

▲中学3年生の頃、体育大会で保健体育委員長として宣誓する武市さん

そんな状況だったので「進学する高校は将来のことを考えて決めなさい」と言われてもピンとこなかったのです。「家から近い」くらいでしか選ぶ基準が見当たらず、どうしたらいいのか考えあぐねていました。ただ、普通の学校に行くのはつまらない。どうせ決めるなら、何か特色のある面白そうなところが良いとは思っていました。そんなときに先生が紹介してくれたのが、明石高専でした。

私服通学? 5年制? 都市システム工学科?……そんな学校があるなんて! と、衝撃を受けたのを覚えています。

―入学してみて、いかがでしたか。

「ちょっと違うかも」というのが、第一印象でした(笑) でも、先生方はとても優しく教えてくださったので、なんとか慣れない実習にも挑戦できました。勉強も難しく、今振り返ると「よく卒業できたな」と冷や汗をかくことばかりですが、テスト前にみんなで集まって勉強する時間があったから、乗り越えられたのではないかと思います。

▲高専生の頃の武市さん。友人のみなさんとフットサル大会に出場

ただ、高専に行ってからも具体的な将来の夢はまったく描けないままでした。工学とは違う分野へ行こうと経済や経営学部も考えたのですが、いざその学部で何が学びたいのかと問われると的確な答えが見つからず、編入試験はなかなかうまくいきませんでした。

そんな中、徳島大学に進んだ先輩から「まちづくりのことが学べる」と聞き、それなら面白そうだと思って、最終的に徳島大学の工学部 建設工学科に編入を決めました。

―徳島大学での学びはいかがでしたか。

5年間を同じメンバーでずっと過ごす高専では、一生涯の友人ができました。そのことに感謝はしていますが、正直に言えばやや閉塞感を抱いていた自分もいます。でも、大学にはさまざまな場所から集まった個性豊かな人がたくさんいて、世界が一気に広がる感じがしました。

大学では「戦前期都市計画における路線的商業地域の起源について」をテーマに研究を進めました。国会図書館や市政図書館に籠ってひたすら都市計画地方委員会の議事録を読み漁るという研究方法で、今ならもっと楽しく研究ができそうな気はしますが、当時は苦行に感じていましたね(笑)

▲大学生の頃、同じゼミに所属する仲間と大学キャンパスのデザインコンペに参加

「この研究をずっとやっていきたい」と思えるほどの興味が湧いてこなかったのも事実です。それでも高専で学んだ知識が線でつながっていく感覚は楽しく、あえて言うならばそれが研究を支えるモチベーションとなっていました。

ようやく見つけたスポーツビジネスの夢

―そんな中、大学院まで進んだのはなぜですか。

端的に言えば、就職活動をしたくなかったからです(笑) こんな状態で社会に出るのはまだ早いと感じ、考える余裕を持つためにも大学院に行こうと思いました。そんなときに出会ったのが、現在の仕事につながる「スポーツビジネス」です。

きっかけは、何気なく読んでいた一冊の雑誌でした。そこに載っていたのは、海外のスポーツチームで働く女性のコラム。彼女はもともとホテルで働いていましたが、あるとき思い立ってスポーツチームに転職し、今はビジネス面でチームを支えていると書かれていました。まったく別の業界でイキイキと働く様子を見て「何をしたっていいんだ」と、目の前が開ける感覚を味わいましたね。

▲外の世界を見てみたいと、大学生の頃にベトナムへ旅行に行った武市さん

実は、私はサッカー観戦が昔から大好きなんです。でも「サッカーを仕事にする」という選択肢は考えたことがありませんでした。何より、学んだことに直結している分野じゃないと仕事ができないと無意識のうちに思い込んでいたのです。

運良く、徳島大学にはスポーツ経営学の研究室があり、先生に相談をしてその道へと舵を切ることにしました。そして、先生の紹介で四国のプロ野球独立リーグ球団で8カ月ほどインターンとして働くことに。先生は「スポーツ業界は君が思っているよりも過酷だ。それでも働きたいと思えるか、見極めておいで」と送り出してくださったのですが、その言葉通り、ビジネス面で多くの課題を抱えた未熟な環境でした。しかし、だからこそ伸びしろがあるとも思えたのです。

▲四国のプロ野球独立リーグ球団「徳島インディゴソックス」で働いていた頃、ラジオ番組に出演された武市さん

―その後はどんな進路を歩まれたのでしょうか。

球団の代表の方から「アメリカはスポーツビジネスが文化として定着しているから、そういう環境を体験してみるのも良いのではないか」とアドバイスされ、紹介を受けて当時「San Diego Zest FC」というサッカークラブの運営を米国で手掛ける留学支援会社「株式会社Y.E.S. ESL International, Inc.」に就職しました。

▲Y.E.S. ESL Internationalに勤めていらっしゃった頃の武市さん。写真は土日に開催していた、子どもたちのためのサッカースクールの様子

ここで3年働いたのち、新型コロナウイルスをきっかけに2020年3月に帰国。知人からアイリスオーヤマのスポーツ施設事業部を紹介され、7月に中途入社としてありがたく採用していただきました。新設されたばかりの事業部で、課題は山積みでしたが、人工芝やLED照明、観客席など、スポーツをする場を整える仕事に関われることは、大きなやりがいでした。

それから半年後、アイリスオーヤマがスポンサーを務めるプロサッカークラブ「ベガルタ仙台」に出向を命じられ、現在に至ります。

―現在の仕事内容を教えてください。

スタジアムの所有者である自治体との協議・検討のための事例やスキーム調査、資料作成、会議運営などが主な業務です。そのほか、サッカークラブの社員として試合運営などの業務もあります。また、施設整備事業は地域連携・社会連携や事業強化など、さまざまな領域に関わりがあるため、一時期は地域連携部や事業・運営部なども兼務しました。現在は自治体やクラブ経営陣と密にコミュニケーションを取りながらスタジアムのバリューアップの検討を進めています。

▲Y.E.S. ESL Internationalに勤めていた頃に訪れた、MLBの球団であるサンディエゴ・パドレスの本拠地「ペトコパーク」。「まちなかスタジアム」として、今でも参考にされているそうです

スタジアムづくりは会社だけではなく、たくさんの地域の人と関わります。「今後、このスタジアムは地域の中でどのような役割を担っていくべきでしょうか」と、様々な人の意見を取り入れながら、よりクラブや地域の価値を高めるための施策を練るのです。働くうちに、ああ、自分はサッカーやスポーツだけではなく、人と関わって何かを一緒につくり上げる仕事が好きなんだと気付きました。

▲ベガルタ仙台のホームスタジアム「ユアテックスタジアム仙台」。全周が屋根に覆われているため、声が反響する「劇場型スタジアム」です。(左) ユアテックスタジアム仙台は都市公園内に位置しており、公園や周辺エリアとの連携が期待されています(右)

たまたまその手段がスポーツだっただけで「こんなふうに働く自分でありたい」と思える仕事に出会えた自分は、本当に恵まれているのだと感じます。

「枠組み」は外して考えるべし

―高専での経験が生きていると感じることはありますか。

高専で学んだ知識が直結しているかと問われると少し微妙なところではありますが、価値観を覆されたのは大きな出来事だったように思います。私の中では「理系人間」「文系人間」と、人のタイプを大きな枠組みでとらえていて、高専に入ってからしばらくは「自分は文系なのにな……」と思うことの連続でした。

しかし、私がいた都市システム工学科は、理系の知識だけが必要なわけではありません。都市計画を考えるうえでは人との関わりが重要ですし、ものづくりをする上で英語のスキルはあったほうが有利です。また、高専にはガチガチの“理系脳”の人ばかりいると思いきや、同級生の中には舞台俳優をしていたり脱サラして起業をしていたりと、実にユニークな人生を歩んでいる人がたくさんいます。

高専=理系というイメージで見がちですが、そこに囚われなくなってからのほうが自分の夢を描きやすくなった気がします。「枠組みを外していい」という価値観に気付けたのは、高専で5年間を経験したおかげです。

―最後に、高専生にメッセージをお願いします。

高専進学後、やりたいことが定まっていないのにどんどん授業や実習が進んでいき、当時は少し焦りを感じていました。「実技が多い環境で、自分の将来の選択肢が狭まってしまうのではないか」と思うこともありました。特に、4〜5年生の2年間は、普通高校に進んだ友人たちが大学生になって生活が大きく変わるタイミング。周りを見ては勝手に不安になり、自分って本当は何がしたいのだろうと悩んだことも、一度や二度ではありません。

もし、同じような悩みを抱えている方がいれば、とことん向き合ってほしいと思います。悩んで自分と向き合っているうちに、周りと比べるのではなく、自分はどうしたいのかが見えてくるはずです。自分の中では100点満点じゃなかったとしても、あとで振り返った時に「あの時意外と頑張っていたな」と、自信に感じることが、きっとあります。

高専で学んだことは、どこに行っても、何の仕事をしていても通用します。当時は関わりのない分野だと思っていたことが、意外と仕事に生きることもあります。私の場合は高専を卒業してから気付いたことの方が多いですが、結果的に「やりたいことを見つける」よりも、「自分がどうありたいか」をイメージしていれば、選択肢は無限に広がるのだと実感しています。

まずは目の前のことに全力で取り組み、人との縁を大切にしてください。そして、固定概念にとらわれずいろいろなことにチャレンジする気持ちを、どうか忘れずに。

▲試合前の選手入場の様子。ユアテックスタジアム仙台には、毎試合たくさんの熱いサポーターが集まります

©︎VEGALTA SENDAI

武市 賢人
Kento Takeichi

  • アイリスオーヤマ株式会社 会長室
    株式会社ベガルタ仙台 ファシリティマネジメント部(業務委託)

武市 賢人氏の写真

2013年3月 明石工業高等専門学校 都市システム工学科 卒業
2015年3月 徳島大学 工学部 建設工学科 卒業
2017年3月 徳島大学大学院 先端技術科学教育部 博士前期課程 修了
2017年4月 株式会社Y.E.S. ESL International, Inc.
2020年7月 アイリスオーヤマ株式会社 スポーツ施設事業部
2021年1月より現職

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