進学者のキャリア起業

高専を辞めたかった学生が、登山に出会って全て変わった。絞らず柔軟に引き受けることで生まれた「山屋」の起業について

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高専を辞めたかった学生が、登山に出会って全て変わった。絞らず柔軟に引き受けることで生まれた「山屋」の起業についてのサムネイル画像

沼津高専を卒業後、信州大学に進まれ、2021年に株式会社山屋を起業された秋本真宏さん。高専時代に出会った登山がきっかけで、現在のライフワークを選んだとのことです。高専時代は苦悩が多かったという秋本さんに、高専時代の思い出や現在のお仕事、山の魅力について伺いました。

初めて登った山が2,956mの中央アルプス⁉

―秋本さんが沼津高専に進学されたきっかけを教えてください。

私の父が高知高専の卒業生で、技術者として働いていましたので、高専自体は身近な存在でした。得意な分野を勉強して、技術を生かして仕事をする生き方に憧れていましたね。夢は化学者だったので、早い段階から高専に決めていました。

でも、高専入学後、2年生ぐらいで心が折れちゃったんですよ(笑) 中学生の時に真剣に考えて選んだ進路でしたが、私は化学ではなく「科学」が好きだと気付いたんです。化学の道を本気で志している同級生を見て、「自分はそっちじゃない」と気付いてしまって……。

そこから進路変更を考え始め、大学や専門学校のオープンキャンパスに行ったり、先生に相談したり、図書館にこもって本を読んだりしていました。その時にたまたま友人のお父さんから登山に誘われ、そこから人生が変わりましたね。

-その登山の思い出を教えてください。

長野県・中央アルプスの木曽駒ケ岳に登ったんです。友人のお父さんがかなりの登山経験者ということもあり、誘ってくれたルートは激シブで(笑) 登山道が無くなりかけているような人気のない道を黙々と歩いて、断崖のような場所を登ってくと、標高2,800mの開けた場所に出たんです。

そのとき、なんでこんなに気持ちいいのか、面白いのか、全然分からなかったです。でも惹かれたので、「この方向性で自分は何か頑張れるかもしれない」と思いました。

友人のお父さんが、「自然の中は、自分の楽しみたいように楽しむもんだよ」と教えてくれました。友達同士で喋ってもいいし、静かに自然を堪能してもいい。それがすごく心地よくて、自分の登山の原点になりましたね。

その後は登山に誘う側になって、長野県に何度も行きました。偏見で長野ばかりに山があると思ってしまって、頑張ってバイトして、長野で登山をしていましたね(笑)

山の眺望をバックに、登山仲間とベンチに腰掛けている秋本さん
▲高専生の頃の秋本さん(1番右)

-高専時代の寮生活や部活動はいかがでしたか。

寮では、3年生で棟長を経験し、宮田くん(セブンセンスマーケティング株式会社 代表取締役)とも友達になりました。

役員をやっていると意見を交わすのですが、宮田くんはすごく頭が良くて、独特なアイデアや考えをもって発言していたので、たくさんの発見をもらった友人の1人ですね。私はどちらかというと直感で突っ走るので、自分でも分かっていない自分の考えについて言及してくれる友達とたくさん出会えたことは本当に大きいです。

また、部活は卓球部でして、高専大会が印象に残っています。高専生はスポーツのレベルが異常に高い学生でも、高専に入りたくて高専を選ぶんです。実際、私がダブルスを組んでいた先輩は静岡県で2番の実力者で、自分とレベルが違う人と戦うことができることはメリットだと思いました。

また、全国大会で他の高専に行くと、高専生独特のこだわりやマニアックな雰囲気があって、親近感がありましたね(笑)

-卒業研究はどのようなことをされたのですか。

最初はお茶の品種改良や植物の細胞研究をしている先生のもとで研究していたんですよ。ただ、私がこだわりを出しちゃって研究室を変えたんです。12月に無機化学系の研究室に転がり込み、二つの研究室にすごくご迷惑をかけたまま卒業させていただきました。

それは失敗でもあると同時に、すごく学びにもなりました。当時は自分の考えを分かってもらおうと本気で話していたつもりだったのですが、今振り返ると言いたいことを言っているだけだったんですよね。仕事を始めてから全部間違っていたと気付きました。責任を考えた上で、発言や行動すべきだったのです。

人に迷惑をかけた上に、自分で始めたことが形にならず、情けない思いで卒業になったのは最悪です(笑) 自分に対して、「言ったことは全部自分に返ってくるから覚悟しとけよ!」と言い聞かせていますね。

趣味と仕事、両方のバランスが良いことが理想的

-高専卒業後、秋本さんは大学編入を選んだのですね。

高専の時に初めて登った木曽駒ヶ岳の近くの大学をGoogleで探して、編入生を募集してないかを調べました。すると、木曽駒ヶ岳の麓に信州大学があり、森林の研究のために山の斜面を大学で管理して、研究センターにしていることを知ったんです。

受験のときには「小林元先生のもとで学ぶつもりで受験しました」と伝えていたので、入学直後から小林先生の研究活動に参加させていただきました。具体的には、山に登って先生たちの調査や研究の手伝いをしていました。

アルバイトでは大学に登録してある仕事を選び、山で植物を調査したり、山に荷物を運んだりしていましたね。「山の仕事は全部やるので、機会があったら自分にチャンスをください!」と宣伝しまくりました。

―大学での研究内容について、詳しく教えてください。

アルプスに登って、標高別に森林の植生を調査する研究をしました。温暖化や標高によって起こる環境の変化で植物の生態がどう変わっているのか、モニタリング調査をしましたね。

番号を記したテープを巻き付けたピンが植物にさされている
▲大学生の頃の研究で、植生を調査

小林先生はクライマーでもあるのですが、「責任をしっかり果たしているからこそ自由が得られるんだよ」と教わりました。研究のスケジュールは自分たちで管理していたので、自由ですがその分責任を持たなければいけない。その姿勢は今の働き方にもすごく影響しています。

―趣味での登山と、研究での登山に違いはありますか。

趣味で山に登るときは、感じるために登っているので、割とぼーっとしているんですよ。心地良さや体力的なキツさなどを感じる時間として登っています。逆に大学の仕事として登る時は、すごく山について考えるんです。調べるべき対象がはっきりしていて、調査手法や定義を吸収しながら登るので、「山に登る」という行為は同じなのですが、全く違った面白みがありました。

ただ、「どちらのほうが自分に合っている」と決めつけることは良くないし、高専の時は絞ることで苦い経験をしたので、両方をバランスよくやっていくことが、山との関わり方として一番理想的だと感じていたんです。

―その後、企業に就職されています。

就職先を考えた際、「山での頼み事を柔軟性と努力で引き受ける」ことが目指す働き方だと思っていました。

私は「山が大好きで、大学生だから体力がある」ということで、とても重宝いただいていたんです。専門家の体力的に山での調査が厳しいことや、人手不足で出来ることが限られている現状があり、荷物を運ぶ、土を掘る、サンプルを取って土を埋めるなど、それだけでもすごく喜ばれました。

一面に生い茂った藪の中を、かき分けながら進んでいる人物の後ろ姿
▲森林調査での藪こぎ(藪の中をかき分けて進むこと)

また、山での調査は先生に合わせて動くので、その度に自分の知らなかった山の一面を知れますし、新しい専門分野について知ることができます。勉強にもなって、収入も得られる。「山での頼み事を柔軟性と努力で引き受ける」ことを目指したのは、このような理由からです。

そこで就職先や進路を調べたのですが、世の中に確立されている形でしか選択肢がないことを痛感し、理想的な形の労働は一度諦めて、卒業してすぐ、山とは別業種の一般企業に就職しました。

大好きな山の魅力を感じながら、“山業”を再生

-「株式会社山屋」の、起業までの経緯を教えてください。

やはり山に登る仕事がしたかったので、結局会社を退職しました。でも、自分のやりたいようにやるには経験も方法もなかったので、「できる形が見つかるまでは働いちゃダメ」というルールにして、山を歩きまくることにしたんです(笑) そこで出会った方に「どんなお仕事で、どういう働き方をしているのですか」と質問していました。

その時に、プロの山岳パトロール隊に出会ったんです。そこのお兄さんが声を掛けてくれて、「山岳パトロール隊が世代交代するから、長野県警でパトロール隊の面接を受けたらどうだ」と言ってくれました。

視界が悪い山岳をパトロールしている人物と山容の様子
▲山岳パトロールの様子

その言葉を鵜呑みにして、下山して警察署にそのまま行ったら、パトロール隊がひと夏だけのお仕事だと知りまして(笑) でも、次の年の夏からパトロール隊としてプロになる道が開けたんです。そして、パトロール隊の方々は秋~春の期間は違う仕事をしていることを知り、私も夏以外の期間で「山の頼みごとをすべて引き受けます」と、ホームページを自分でつくり、フリーランスで仕事をするようになりました。

パトロール隊のパーカーを着用し、笑顔でポーズをとる秋本さん
▲山岳パトロール隊に在籍していたときの秋本さん

そのまま活動を続けていると、徐々に山の頼みごとをいただくようになってきました。山は人手不足なので、だんだんスケジュールがパンパンになり、数年後には年間300日ぐらい山に入る生活になりましたね。

最終的には一年中「山岳フリーランス」として山の仕事をするようになり、1人ではできない仕事を依頼される機会がでてきまして、仲間に仕事を振るようにもなりました。すると、宮田くんや起業している同級生から「それなら、会社にした方がいい」とアドバイスされて、「株式会社山屋」を起業したのです。

大きな荷物を背負い、
雪山の中で登山仲間と並んでいる笑顔の秋本さん
▲起業した当初の秋本さん(中央)

―現在はどのようなお仕事をされているのですか。

歩荷(ぼっか)という荷物運びを起点に、専門的な調査や整備、映画の監修やCM撮影といった創造的事業のサポートなどをしています。自分ができることと、世の中に必要とされていることの接点で活動していくことは、会社を運営していく上でも大切にしていることです。

大きな資材を背負って、舗装されていない道を一列になって歩いている3名の人物
▲災害復旧の資材運搬の様子

どんな需要があるかは自分の想像力では及ばない部分があるので、比較的柔軟でいることと、自分の能力を磨いていくことを忘れずに、世の中の課題に対して解決していく努力をしています。

現状は人手不足で、いろんな分野の専門家が山に対して解決策を講じる流れが生まれにくくなっています。新参者ですが、林業みたいに「山業」を再生するような志を持って、いろんな人を巻き込んで山を再生していきたいです。

放射状に広がった逆光でオレンジがかっている美しい山景
▲仕事中に見えた絶景

同じ山に登っても、昨日と今日では感じる山の魅力が違います。その魅力の深さが、最大の好きなところです。いつまで登り続けていても、飽きることがない。興味が移ろいやすかった高専時代を過ごした自分だからこそ、それは強く思います。

雪山を背景に写っているライチョウ
▲山でライチョウの調査。ライチョウは国の特別天然記念物であり、絶滅危惧種

―現役の高専生にメッセージをお願いします。

好きなことって人それぞれなので、やっていることが大好きな人はそのまま熱中してほしいですし、悩んでいる方も将来必ず今やっていることがやりたいことに生きる部分があると思います。全く違う分野に進んでも、高専で学んでいることが絶対に生きるので、「もしかしたらやりたいことに繋がるかも」という気持ちで興味の門を開いてもらうと、気楽に過ごせると思いますよ。

私は3年生のときに高専を辞めようと思いましたが、そのまま通い続けて良かったと思います。でも高専を辞めても辞めなくても、高専で学んだことはその先で選んだ進路や仕事に生きるので、それを強く伝えたいですね。

今の学科で学べることを起点に現在の興味につなげる方法もありますし、転科や編入で進路を大きく変えることもできます。高専が本当に合わなければ、別の道に進むこともできるでしょう。様々な進路を辿っている先輩がいるので、前向きに情報収集をして、自分の意欲を発揮できる道を探してください!

秋本 真宏
Masahiro Akimoto

  • 株式会社山屋 代表取締役

秋本 真宏氏の写真

2010年3月 沼津工業高等専門学校 物質工学科 卒業
2014年3月 信州大学 農学部 森林科学科(現:農学生命科学科) 卒業
材木会社、フリーランスを経て、2021年より現職

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