高専教員教員

ロボティクスの研究は、「創発」の連続。憧れをきっかけに、夢の道を突き進む。

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幼い頃から教員を目指し、夢をかなえるために真っ直ぐに突き進んでこられた沼津工業高等専門学校 電子制御工学科の青木 悠祐先生。高専教員として教壇に立つ今の心境や、教育へかける思いについて伺いました。

6歳の頃から憧れた「先生」の存在

―幼い頃はどんな子どもでしたか。

青空を背景に、体操着に帽子をかぶった小学生の青木先生
小学校1年。ゲームが大好きな少年でした

物心がついた頃から、「これお願いできる?」「みんなをまとめてくれない?」と先生に頼りにされることが多くて、小学生時代はずっと学級委員でした。友だちと遊ぶときにもリーダー的な役回りを任されやすくて、気づけばみんなの中心にいることが好きになっていました。今でもこのキャラクターは変わらず、同窓会や飲み会の幹事は決まって私です(笑)。

単純に「お前が必要だ」と頼られるのが、嬉しかったんですよね。身近にいた担任の先生の姿を見て、小学生の頃は小学校の先生に、中学生の頃は中学校の先生に憧れていました。

―高専へ進学した経緯を教えてください。

高専教員を中心に、左右に2名ずつの学生。石段に腰かけ、写真におさまる
高専時代。見学旅行にて。中央に映るのは高専教員を目指すきっかけとなった恩師

姉が通っていたので、高専のことはよく知っていました。最初は普通高校に通って大学の教育学部への進学を考えていたのですが、推薦がもらえるとわかり高専へ進学。正直、入学するまで自分が工学に向いているかどうかは、よくわかっていませんでした。

1年生の時に工学実験でライントレースロボット(黒い線の上を走るロボット)をゼロからつくる授業があり、ここで初めてロボットに出会いました。自分の手でつくったものが目の前で動く「ロボティクス」に感動し、興味を持ったのです。

「ロボットを教える先生になれないかな」なんて漠然と考えながらも、高専時代はアルバイトに明け暮れていた毎日でした。

「共に育つ」教育で、自分も成長する

―大学へ進学されてからの活動について、お聞かせください。

救急車のハッチを開けて、白衣姿の青木先生がピースサイン
遠隔超音波診断ロボットの研究をしていた大学時代

高専にいた頃から、ロボティクスと生体医工学を探求する「医用ロボティクス」に興味を持っていました。大学は、これらを専門的に学べる東京農工大学へ編入学。卒業研究では、遠隔での超音波診断に用いるロボットを開発しました。

具体的には、救急車の中に設置されたロボットに取り付けられた超音波プローブを患者さんの患部に押し当てると、病院にいる医師に体内の画像が転送され、救急車が病院に到着次第、すぐに治療に入れるというものでした。

学外では、週5日で塾講師のアルバイトをしながら、認定NPO法人カタリバに所属。高校生が大学生・社会人と対話をしながら自分のキャリアを考える「キャリア教育の場」の運営や、大学・専門学校を対象とする初年次教育プログラムの開発に関わっていました。

少しでも教育に関わっていたいという気持ちから参加し、学生時代を終えるまで続けたこの活動ですが、教員になり学生からの相談に乗る際に、とても活かされています。

黒板に、「青木組参上!!」という言葉、10名以上の若者たちがおそろいのポーズで記念撮影
認定NPO法人カタリバでの活動で、いろいろな学校に行きました。この頃に出会った人とは今でも交流が続いています。本当に濃密な日々でした。

―念願の高専教員になられた、当時のお気持ちをお聞かせください。

6歳の時に「先生になろう」と決めて、16歳、高専1年生の時に高専の先生に憧れ、26歳で沼津高専へ赴任しました。就職活動も高専の教員に絞って進めていたので、内定が決まったときには「夢をかなえたぞ!」という気持ちが大きかったですね。

学生との年齢が近いからこそ、若いからこそできる教育があると思っていたので、最初から教員生活が楽しみでした。今も大切にしている考え方の一つに「共に育つ」というものがあります。学生に教えるだけではなく、自分も一緒に成長していく気持ちで、がむしゃらな毎日でした。

―勤続から12年目。心境に変化はありますか。

真ん中に座る青木先生と、左右それぞれに座る研究室1期生の学生2名
2010年沼津高専着任。記念すべき研究室1期生との写真

教員の仕事は私にとって改めて天職だなと思いますね。「学生と関わりたい」「ロボットの研究をしたい」「地域の子どもたちにロボットのおもしろさを伝えたい」「社会に役立つロボットを作りたい」など、全て実現したいと思っていた願いがかなえられているんです。

こんなに恵まれた環境はなかなかありません。10年間以上、沼津高専で教員を続けてきたからこそ広がってきているご縁なんだろうなと日々実感しています。

ロボティクスの研究が創発するもの

―現在の研究内容について、詳しくお聞かせください。

モニターにエコーを映し出し、それをみながら白衣姿の学生が器具の動かし方をトレーニングしている様子
超音波プローブの動かし方をトレーニングする超音波検査教育システム

大学の卒業研究から派生して、現在は超音波診断における医師や検査技師の診断手技を支援するロボットを開発しています。超音波診断は、CTやMRIといった画像診断とは異なり、「プローブ」と呼ばれる器具を検査者が持って、患者の体表面に押し当てることで断層像を撮像する診断です。

どの位置にプローブを当てたら、どんな臓器のどんな断面を見ることができるのか。見えている断層像から目的とする臓器を見つけるためには、プローブをどの方向にどれだけ動かし、どれくらい押し込めばいいのかは、医師や検査技師の操作能力に託されています。

私の研究ではこの熟練手技を解析し、人とロボットが一緒に診断をする支援ロボットを開発・研究しています。これが実現すれば、医師や検査技師の能力に関係なく的確な診断が可能となることはもちろん、検査者が診断中に同じ姿勢を取り続けることによる慢性的な肩こりや、疲労の軽減が期待できます。

―具体的には、どのような場面での活躍を期待されていますか。

教室で、12期生9名とともに集合写真に写る青木先生
2021年度。青木研究室12期生と

今、最もターゲットにしているのが「総合診療科」です。総合診療科の先生は、あらゆる診療科に通じて見識を広く持つことが必要になりますが、専門的な技術が必要になる超音波検査は初学者に取ってハードルが高くなっています。

ここにロボットでアプローチできれば、より効率を上げて医療現場を支えられる。臨床手技のRX(Robotics Transformation:ロボット変革)を実現したいと思っています。社会実装に向けて、医科大と共同研究を進めています。

―今後の目標についてお聞かせください。

ベッドの上に横たわった人の胸元にロボットを当てて、モニターのエコーを確認する様子
超音波診断支援ロボティクスの構築。医師や検査技師の超音波診断を支援します

「超音波診断支援ロボティクス」という領域を、今以上に盛り上げていきたいですね。この分野はロボットそのものの開発、医用画像処理、生体信号計測と、多くの要素が絡み合っている点が特徴です。

だからこそ、医学と工学の架け橋になりたい学生やロボットを開発したい学生、ソフトウェア開発をしたい学生、計測回路を構築したい学生など、さまざまな角度から参加できます。一人で没頭するのもいいけれど、みんなの研究が合わさることで創発する化学反応の楽しさを、これからも伝えていきたいですね。

卒業生が青木先生を囲む、30名程の集合写真
卒業生がそれぞれの場所でそれぞれの思いを持って活躍していることを本当に嬉しく思います

青木 悠祐
Yusuke Aoki

  • 沼津工業高等専門学校 電子制御工学科 准教授

青木 悠祐氏の写真

2004年 木更津工業高等専門学校 電子制御工学科 卒業
2006年 東京農工大学 工学部 電気電子工学科 卒業
2007年 東京農工大学大学院 生物システム応用科学府 博士前期課程 修了
2010年 東京農工大学大学院 生物システム応用科学府 博士後期課程 単位取得満期退学
2010年 沼津工業高等専門学校 助教
2015年 沼津工業高等専門学校 講師
2018年 沼津工業高等専門学校 准教授

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