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「突き詰めたい」という気持ちが原動力。地域の人たちと地理、観光開発の関係性を解き明かす観光地理学

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幼少期から好きだった地理を突き詰めるために研究を続けてきた東京都立産業技術高等専門学校の朝倉槙人先生。地理の楽しさを伝えるために、学生と共に街歩きを行っているという朝倉先生に、研究や教育への思いを伺いました。

「正しい出口」から出たいという欲望

—幼少期は、どのような子どもでしたか。

これは親から聞いた話なのですが、私が保育園児だった頃は、横須賀を走る京浜急行の赤い電車に強い関心を示して見ていたそうです。

小学生の頃には、高速道路のサービスエリアによく置いてある地図を取ってきて、毛細血管のように広がる河川を、水系に分けて色を塗って遊んでいました。水の流れは繋がっているのに、山を隔てるだけで違う川になることがあり、それを別の色で塗り分けるとなんとなく川の領域がわかってきて、楽しかったんです。

あとは、路線図を見て、鉄道がどこを通っているのかを調べるのも好きでした。

小学生のころの朝倉先生
▲小学生のころの朝倉先生(左)。北アルプス蝶ヶ岳山頂にて弟さまと

—では、大学で地理学を専攻したのも、幼少期の「好き」がきっかけですか。

そうですね。高校生の頃には「突き詰めて知りたい」という気持ちが出てきていました。というのも、テストでは良い点数が取れていたとしても、本当に理解しているのかはよくわからない、ということが多かったんです。それから何かを専門的に極めたいと思うようになり、対象として選んだのが地理でした。

その後、京都大学に進学したのは、高校の地理の先生に進路を相談したとき、人文地理学で有名だと教えていただいたからです。私はもともと、先生方に対して人懐っこく話しかけて親しくなるようなタイプではなかったのですが、地理の先生は授業が面白かったので好きでした。

先生の授業は、教科書から飛び出して、範囲外も深く広く教えてくれるようなスタイルでしたね。先生が実際に訪れた国の特色を実体験として教えてくれていたので、とても関心を持って授業を聞いていました。実際、地理の授業は好きでしたし、得意教科でもありました。

—大学を卒業した後も、研究を続ける道を選んだきっかけは何だったのでしょう。

大学時代には地理学関連の講義を多く選択しました。でも、どれだけ書籍や論文を読んでも、例えば自治体のホームページやガイドブックに書かれている内容と何が違うのかがわからなかったんです。もちろん詳しさは全然違うと思うのですが、根本的な違いがいまいちわかりませんでした。大学の講義も、内容は面白くても「だから何なのだろう」と思ってしまうことがあり、学んではいるのにいまいち掴めていないような感覚が常にありました。

そう感じてしまう理由には、学問的な特色もあると思います。ただ当時は、理解した気になれないからこそ、先人たちが積み上げきた「知」を根本から理解したい、研究したい、と思うようになったんです。それから、大学を卒業し、修士、博士課程まで進むことになります。

—「知りたい」という強い気持ちがあったのですね。

そうなのですが、前向きな気持ちというよりも、自分の中では「呪い」みたいなものです(笑) 好奇心の赴くままに進めてきたとは思っていなくて、常にトンネルの中にいるような感覚です。トンネルだったら出口があるはずなので外に出たいのですが、でも「正しい出口から出たい」という欲求があって……。

大学院生の頃の朝倉先生
▲大学院生の頃の朝倉先生。国内のすべての観光地が潜在的な調査候補地だったため、どこに行っても研究のことが頭から離れず、気が晴れなかったそうです

出口の光を見つけては、「これは本当の出口ではないだろう」と思い、また別の光を探しに行く。学生時代はそのような感覚でずっと研究を続けていたので、苦しかったですね。でも、続けなければ、もっと苦しい。そのような中でも、「正しい出口」に少し近づけたかもしれないと思う瞬間があり、そのときはすごく幸せな気持ちになっていました。

「興味関心を持たない人たち」の存在に、引っかかりがあった

—現在の研究内容をお聞かせください。

分野的には観光地理学で、研究対象のほとんどは農村です。ただ、そう言うと「村おこし」や「地域活性化」といったワードを想像される方が多いのですが、私の研究はそういった類のものではありません。

まず、観光開発の歴史的な背景から説明すると、1980年代後半にバブル経済の影響もあり、各地でリゾート開発が進んでいました。しかし、バブル崩壊とともに開発も途絶え、地域が負債を負ってしまうことが多く、問題になった時期がありました。その後、地域が主体的に観光に取り組むようになり、「地域づくり」や「まちづくり」という言葉が一般化してきたのが1990年代以降のことです。

そのため、以前は観光への取り組みは、基本的に観光業者であるプロが行うものでしたが、リゾート開発ブームが終わってからは、地域に住む人々、いわゆるアマチュアの人も重要な役割を果たすようになりました。

ただそうすると、疑問が出てくるわけです。本当に、地域やその周辺部が一丸となって観光開発に取り組めるのかな、と。

地域の中には観光開発に意欲的ではなかったり、関心を示さなかったりする人ももちろん存在します。今までの研究では、そのような人たちの存在は十分に検討されていなかったのですが、1990年代以降の時代の流れを考えても、関心を示さない人たちの存在感はより強まってくるはずです。そのような中で、観光開発に対して必ずしも協力的ではない人たちが含まれる地域が、どのようにしてまちづくりを行なっていくのか。これを、地域の特性と絡めて分析しています。

例えば、観光開発を行う際には、外部の人たちが地域に対して持っているイメージを参考にする場合があります。私が最初に調査した徳島県の山奥にある東祖谷(ひがしいや)という地域では、あまり外部からのイメージを意識せずに観光開発に取り組んでいて、結果、うまくいっていると評価してよいものかよくわからない状況でした。

徳島県三好市東祖谷地域にある、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている落合集落。博士後期課程在籍時には、この集落に滞在して悉皆(読み:しっかい)的な聞き取り調査(全数調査)を実施
▲徳島県三好市東祖谷地域にある、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている落合集落。博士後期課程在籍時には、この集落に滞在して悉皆(読み:しっかい)的な聞き取り調査(全数調査)を実施

地域の人たちが外部の持つイメージを必ずしも正面から受け止めて理解しているとはどうも思えない部分があり、ただ、観光客からすると魅力的な取り組みも行っている。この事象をどのように解釈できるのか、というのが最初に行った研究です。また、地域住民が実践した観光開発への取り組みは、その地域社会の構成員であるからこそ選択されたものではないのか、と地理的な文脈に絡めて分析しています。

—研究に興味を持ったきっかけは何だったのでしょう。

特に観光関係の研究では、人の営みが見えるようで見えないものが多いような気がしています。もちろんそのような研究を否定したいわけではないのですが、地域の中心ではない周辺的な人たちにどこまで焦点を当てるべきなのか、いつも気になっていました。

博士後期課程在籍時に調査でお世話になった、群馬県利根郡みなかみ町にある「たくみの里」の様子。現地では観光業従事者に対する悉皆的な聞き取り調査を実施したそうです。
▲博士後期課程在籍時に調査でお世話になった、群馬県利根郡みなかみ町にある「たくみの里」の様子。現地では観光業従事者に対する悉皆的な聞き取り調査を実施したそうです。

例えば40人の集団があったときに、40人全員のことを考えて物事を進めるのは難しいので、中心だけを押さえて、無関心な人や意欲のない人たちのことは、基本的に見なくなってしまいます。でも、実際には無関心な人たちが集団には含まれているんです。

これと同様に、地域社会にも観光開発に興味関心のない人たちが存在します。私はその存在にずっと引っかかりがありました。ですので、そのような人たちがいるという事実を含めて、観光現象の地域的展開を明らかにする必要があると思ったのです。

—研究を進める中で楽しいと思う瞬間や、やりがいを感じる瞬間はありますか。

研究では、対象の地域に2〜3週間ほど滞在し、住民の方一人ひとりに対して綿密に聞き取り調査を行います。最初は、門前払いされることもあるんですよ。ですが、聞き取りが始まると、だんだん地域の方たちと仲良くなってきて、調査の最後の方には楽しくなっています。

徳島県三好市東祖谷地域での現地調査にて、体験型観光プログラムのガイドに同行し、実践の様子を観察。博士後期課程への進学に足る論文が書けるかとても不安だったそうです。
▲徳島県三好市東祖谷地域での現地調査にて、体験型観光プログラムのガイドに同行し、実践の様子を観察。博士後期課程への進学に足る論文が書けるかとても不安だったそうです。

あとは、自分の中で「知」が繋がった瞬間に、幸せややりがいを感じます。例えば、聞き取りをしたさまざまな情報や、地域で実際に起こっている事象がスッとつながり、論理展開を構築できたときです。「突き詰めたい」と思っていたことに対して、近づいていると実感できたときに楽しさを感じています。

落合集落にある、空き家を改修した一棟貸しの宿泊施設。落合集落には同様の施設が複数あり、この事業と集落の関係が主たる関心事だったそうです。
▲落合集落にある、空き家を改修した一棟貸しの宿泊施設。落合集落には同様の施設が複数あり、この事業と集落の関係が主たる関心事だったそうです。

地理の興味深さを、実地で知ってもらうために

—現在、高専で行っている「地理×街歩き」の取り組みについて教えてください。

街を歩くときに地理の知識があると、見える世界が変わります。そういった理由から、もともと、私自身街歩きが好きなんです。学生たちにも地理の楽しさを知ってほしいので、赴任して最初の自己紹介のときに「歩くと楽しいので、興味のある人は一緒に歩きましょう」と言いました。すると、ぜひ歩きたいと言ってくれた学生が数人いて、同好会を立ち上げてくれたんです。

同好会のみなさんと
▲同好会のみなさんと(中央:朝倉先生)

今年の6月には、最初の街歩きとして、渋谷川の暗渠(地下に埋設された水路のこと。読み:あんきょ)を4〜5人で見に行きました。朝10時にハチ公前に集合して、暗渠の上を辿って新宿まで歩き、折り返して渋谷まで歩いて戻ってきました。次の街歩きは、水害リスクの高い地域として知られている、江東区の海抜ゼロメートル地帯と言われるエリアに行き、運河跡をたどる計画を学生が率先して立てています。

地理的な見方や捉え方の興味深さを座学だけで教えるには限界があり、現場に出てみて初めて意味がわかることが多くあります。ですので、本当は授業でやりたいのですが、授業の時間や人数などの問題で、まだ現実的ではないですね。今は、私の趣味に学生を巻き込んでいる感覚です。

同好会の第2回巡検での一コマ
▲同好会の第2回巡検での一コマ。運河跡や鉄道跡をたどりながら、東京都江東区を南北に縦断したそうです(左から3番目:朝倉先生)

—高専生の印象と、これから高専を目指す方に向けてのメッセージをお願いします。

さまざまな学生がいるので全員がそうだとは言いませんが、個性的な人が多い気がします。私のように高校を出て、大学に進んで、とやってきた人間からすると、幅のある環境だなと思います。

あと、自分で考えて、何かをつくる作業をしてもらったときに、こちらの期待を上回るようなパフォーマンスをしてくれることが多い印象です。例えば、観光プランを提案する授業をしたとき、あるグループが発表用に複数の分岐を仕込んだスライド(計100枚ほど)をつくってきてくれたことがあります。その熱量に「すごいな」と純粋に感心してしまいました。

高専で学ぶ中で、自分のやりたいことを早々に見つけた学生たちは、自分の道に向かって本当にのびのびと進んでいっています。工学系の分野に進みたいと思っているのであれば、早い段階から専門的なことを学べますし、大学への編入という道も一般的になっているので、ぜひ積極的に選択肢の中に加えてほしいと思います。

朝倉 槙人
Makito Asakura

  • 東京都立産業技術高等専門学校 品川キャンパス ものづくり工学科 一般科 助教

朝倉 槙人氏の写真

2005年 神奈川県立横須賀高等学校 卒業
2010年 京都大学 文学部 人文学科 卒業
2012年 京都大学大学院 文学研究科 行動文化学専攻 地理学専修 修士課程 修了
2020年 京都大学大学院 文学研究科 行動文化学専攻 地理学専修 博士後期課程 研究指導認定退学
2023年 同 修了
2020年4月~2023年3月 京都大学ほか 非常勤講師
2023年4月より現職

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