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苫小牧高専を卒業し、現在はお父さまが経営する建設会社「福津組」の代表取締役専務として働く福津宇基さん。DXなど最新の技術を取り入れながらも、現在最も力を入れているのは若手の人材育成だと言います。これまでのキャリアや仕事内容などを伺いました。
働く父の背中を見て育った幼少期
―現在、代表取締役専務を務めている「福津組」について教えてください。
1910年に北海道・古平(ふるびら)町で創業した建設会社です。神社・仏閣の建築工事に始まり、現在に至るまで土木や建築事業を中心に、地域の人々の暮らしを支えるものづくりに取り組んでいます。近年では、後志(しりべし)自動車道や北海道新幹線の工事、山林の地すべりや斜面の崩壊、河川の氾濫を防止するための工事、漁港の防波堤の改良工事、緊急時の復旧・復興にも力を入れています。
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福津組は創業以来、代々家族が引き継いでいる会社で、私は幼少期から父が働く背中をずっと見てきました。
―ご自身が会社を継ぐことはいつから意識していましたか。
代々続いている会社であったこと、父の姿を見ていたこともあり、物心ついた頃から自然と「自分も、ゆくゆくはここで働くんだ」と思っていました。
明確に「父のようになりたい」と思った出来事は、1996年2月10日に起きた「豊浜トンネル岩盤崩落事故」です。北海道の余市町と古平町を結ぶ豊浜トンネルの、古平町側の入口付近の岩盤が崩れ落ち、トンネル内を走っていた路線バス1台と乗用車1台に直撃するという非常に痛ましい事故でした。あの光景は、今でも忘れられません。
福津組も会社総出で復旧作業に携わり、父が1カ月近く帰ってこない日々が続きました。そのとき、被災者を救助しようとする懸命な姿や、そのご家族の想い、会社としての使命や責任等を背負って働く父の姿を垣間見て、なんて尊いお仕事なんだろうと誇らしく思いました。
―そんな中、苫小牧高専に進学を決めた理由を教えてください。
いずれ会社を継ぐことは決めていたものの、大学は行きたいと思っていたので、当初は地元の進学校を目指して受験勉強に励んでいました。そんなときに、友人が「高専の情報系に進学する」という話を聞いたのです。
それまで高専の存在すら知らなかった私は「なんだその学校は?」と、疑問だらけ。でも、調べていくうちに、苫小牧高専の環境都市工学科(現:創造工学科 都市・環境系)なら中学校を卒業して早々に土木系の高度な勉強ができること、高専から大学に編入できることがわかり「もしかして、自分も高専に行ったほうがいいのでは」と思いました。中3の頃でしたから、結構ギリギリの進路変更でしたね。
研究成果が出ずに苦戦した大学院生時代
―高専に入学してみて、いかがでしたか。
高専時代、一番印象に残っていることといえば寮生活でしょうか。上下関係や言葉遣い、生活態度など、あらゆることを学びました。今振り替えると、社会に出て働くための基盤はここで築いたのではないかと思います。厳しい規律がある中で、いかにして楽しみを探すのかという探求力も鍛えられました。
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高専生活の締めくくりは「他の人よりも成長できる環境で学びたい」と思い、あえて厳しいと有名な研究室の門を叩きました。配属されてみると、評判とは異なり、恩師の先生はいつも我々のことを考えて、温かくご指導・ご助言くださりました。同門の仲間にも恵まれ、非常に充実した研究生活を送ることができ、心から感謝しています。
また、土木学会全国大会において2年連続で発表の機会をいただけたことは大きな自信になっています。今でも研究や専門的な話に抵抗なく興味を持てるのは、ここでの日々があったからではないかと感じています。
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―高専卒業後は専攻科、大学院に進学。この道を選んだのはなぜですか。
ちょうど私が4年生の頃に専攻科が設置され、自分は大学編入よりも当時没頭していた研究に専念したかったため専攻科への進学を決断しました。高専5年生と専攻科時代はとにかく研究に時間を費やし、忙しくも楽しい日々を送りました。
専攻科修了後は神戸大学大学院の工学研究科 市民工学科に進学しています。当初は北海道の大学への進学を考えていたのですが、高専の先生に紹介していただいた神戸大学でも、私が最も力を入れて研究していたアスファルト舗装を専門にされる先生が在籍されていたこともあり、惹かれました。ただ、大学院での研究は実験が思い通りにいかず、試行錯誤の連続でしたね。なかなか良い成果を残すことができなかったことは、今でも苦い思い出です。
一方で、成果が出るまで粘り強く実験に取り組めたことで、諦めない力を育むこともできました。また、研究室内の仲間と色々な地域に足を伸ばすことがあったり、地域の方々にも大変親切にしていていただいたりと、これまで味わったことが無い文化に触れる機会が多かったので、神戸での生活は充実していたと感じています。
―大学院卒業後、「北海道電力」に就職したのはなぜですか。
神戸も楽しかったのですが、やっぱり生まれ育った北海道に帰りたかったからです。会社を継ぐことは将来的なプランとしては考えていたものの、父はまだ現役でしたし、最初は新卒で雇っていただける会社にフルコミットしたいと思いました。
せっかく働くなら、北海道に貢献している民間企業が良い——そんなときに、電気という生活に最も身近なインフラを支えている北海道電力が目に入ったのです。また、当時は水力発電所の建設プロジェクトが全盛期ということも決め手になりました。その水力発電所では、アスファルトで被覆された調整池を建設しており、自分の研究や知識を生かせると思いました。
ところが、実際はそのプロジェクトに関わることはなく……(笑) ただ、土木技術者として水力・火力・原子力発電所など、あらゆる現場で保守管理・建設プロジェクトに携わらせていただきました。グループ会社に在籍している高専の大先輩と共に机を並べて、仕事をしていた際には、公私関係なく非常にお世話になりました。やはり、高専出身同士は不思議な絆があるのだなと思わされます。
当事者として考えられる人と働きたい
―2020年、いよいよ福津組に入社していますが、このタイミングに理由はあったのでしょうか。
福津組に務めている親戚から「そろそろ会社に入ることを考えてみては」と何度も声をかけられたのがきっかけです。もちろん、継ぐことは頭の中にはあったものの、北海道電力での仕事は非常にやりがいがあり、自分ではなかなか区切りをつけられませんでした。その意味では、親戚の言葉がまさにベストタイミングだったのかもしれません。名残惜しい気持ちはありましたが、自分の責任を果たさなければと、約11年勤めた北海道電力を辞め、2020年に福津組に入社しました。
今、最も力を入れているのは若手の育成です。これまで、弊社は新卒採用に前向きではありませんでした。即戦力のある人材を欲すがために、社員の平均年齢がどんどん上がっていたのです。このままでは会社の歴史が途絶えてしまいかねません。
私が会社に加わり、世代交代の時を迎えていることもあり、今の福津組はまさに「第二の創業期」。若手社員の柔軟な発想と対応力が求められると、私は考えています。しかし、人材育成もまだまだ試行錯誤を重ねている段階です。これからも若い人材が活躍できるフィールド造りに注力していきたいです。

もちろん、50、60代の先輩方が磨きあげてきた知識や技術は唯一無二のもの。これからは、それらを若手に継承していくことに力を入れ、福津組、ひいては建設業界の未来を明るくしていけたらというのが願いです。長い歴史をもつ企業だからこそ、時代に合わせた変化を続けながら、進化の足を止めない体制を築いていきます。

―どんな人に福津組で働いてもらいたいですか。
「地域を背負っていく」という想いを持つ人です。そのため、私たちのインターンシップでは、地元地域の古平町がどんな課題を抱えているのか、どうすれば古平町が盛り上がるのか……など、自分ごととして古平町のことを考えてもらうワークショップを盛り込んでいます。
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私たちが創業期から大事にしているのは「地域を大事にして、地域とともに」という考え。古平町は小さな田舎町ではありますが、老舗の福津組だからこそできる仕事がたくさんあります。胸を張って誇れるものづくりをしたい方と、ぜひ一緒に働きたいですね。もちろん、高専生の活躍も期待しています!

―最後に、高専生にメッセージをお願いします。
身体的にも精神的にも、成長が著しい年齢が高専の在学年齢です。この多感な時期に幾多の喜び、苦労、感動を多くの仲間と共に経験できることは、高専だからこそだと、身に沁みて感じています。
せっかくの恵まれた環境が備わっているステージにいるからには、漫然と過ごすのはあまりにももったいない。どうせなら、勉強も、遊びも、部活も、とにかく目の前のことに精一杯取り組むことによって高専在学期間の価値は高まります。ぜひとも、人生で一度だけの青春を全力で謳歌していただきたいです。
福津 宇基氏
Takaki Fukutsu
- 株式会社福津組 代表取締役専務
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2005年3月 苫小牧工業高等専門学校 環境都市工学科(現:創造工学科 都市・環境系) 卒業
2007年3月 苫小牧工業高等専門学校 専攻科 環境システム工学専攻 修了
2009年3月 神戸大学大学院 工学研究科 市民工学科専攻 博士課程前期 修了
2009年4月 北海道電力株式会社
2020年10月 株式会社福津組
2024年5月より現職
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