富山商船高専の国際流通学科(現:富山高専 国際ビジネス学科)を卒業後、高崎経済大学に進学し、現在は北陸朝日放送株式会社にて営業部長を務めている津田興利(おきとし)さん。高専時代の思い出や、仕事における人間関係の秘訣を伺いました。
商船サッカー部で人間関係の難しさを学んだ
―津田さんが富山高専に進学されたきっかけを教えてください。
私が中学生だった当時は、国際化時代や情報化社会が到来し、語学や情報技術の習得が強く求められていました。私も仕事や働くことに強い興味と関心があり、社会科学系を実践的に学べる環境を模索していたんです。
そんな中、中学3年生のときに担任の先生から「富山商船に新しくできる国際流通学科がぴったりなんじゃないか」と教えていただきました。当時は高専のことはよく知りませんでしたが、その言葉をきっかけに調べて、授業内容に将来性を感じて受験し、国際流通学科の1期生になりました。
合格した時、高専のことをよく知らなかった両親には反対されたのですが、伝統ある商船学校だと知っていた祖父母はとても喜んでくれましたね。
―開設されたばかりの国際流通学科に進学されてみて、いかがでしたか。
貿易や営業、通訳や通関業務など、流通関係に関わる専門知識を幅広く学ぶことができました。入学当初は、商船学科出身の先生が多く、第二商船学科のような体制でしたが、外部講師や民間企業出身の先生も徐々に増え、学科の成功に向けて、学校・先生・学生が一体となって、情熱を持って自分たちの道を切り拓いていった印象が強いです。
私も勉強自体はあまり好きではなかったのですが、実習やフィールドワークがすごく刺激的で楽しかったです。また、富山商船には「若潮丸」という練習船があり、実際の船を使った構造の調査や操縦の実習ができたので、それが印象に残っています。船舶はすごくダイナミックな世界で、船のことがどんどん好きになりました。
次第に、「船と関わる仕事をすれば世界と繋がれる、世界に羽ばたける」と思うようになり、将来は海運業界に勤めてみたいとまで考えていましたね。
―高専時代はサッカー部に所属されていたんですね。
小学校からサッカーを続けていて、もともとポジションはサイドハーフだったんですが、徐々に体力がなくなってしまい、高専ではボランチになりました(笑) サッカー部はもともとメンバーが少なくて、ラグビー部から応援に来てもらっていたんです。そんな状況なので、最初は全然勝てなかったんですよ。
「せっかく毎日練習しているのに」と思っていたのですが、徐々に実力のある選手も集まって、少しずつ上達していきました。そして、4年生の時には全国高専サッカー大会に出場できたんです。1回戦で都立航空高専(現:都立産技高専)に完敗しましたが、それでも全国大会に行けたことは誇りで、忘れられない記憶です。当時の富山商船としては14年ぶりの快挙でした。
5年生の時にはキャプテンを任されて、「2年連続で全国大会に行きたい」という思いが強くなりました。でも、そこで苦い経験をするんですよね。キャプテンとして練習メニューも厳しくしましたし、部員が増えたことでレギュラーに入れず公式戦に出られない部員も出てきました。その結果、辞める部員も何人か出たのですが、私は「次も全国に行く」という目標に目が行くばかりで、そのフォローをしなかったんです。
今、振り返ると、すごく冷たいキャプテンだったととても反省しています。とはいえ、結果的には今でも交流が続いているぐらいに仲が良く、本当に良い経験をさせてもらいました。
この反省を生かし、今は北陸朝日放送の営業部長として、お互いに信頼関係を築くことに重きを置いています。自己主張をすることはもちろん必要ですが、「自己主張」と「自己中」は紙一重だと思うんです。どんな時も、相手をリスペクトして話を聞くことを大切にしています。
-卒業研究はどのようなことをされたのですか。
当時、北陸新幹線の建設が話題になっていたという背景や、物流・交通論に興味があったことから、輸送関係が学べる松尾先生・宮重先生の合同ゼミに入り、北陸新幹線と並行在来線問題をテーマに卒業論文を書きました。新幹線建設の費用対効果や人流の変化、経済的・生活的影響を分析・予測することが楽しく、専門書に夢中になっていたことを覚えています。
当時は地元への経済効果よりも都市圏への人口流出や在来線の廃止などを危惧する面もあり、個人的には新幹線に否定的な論調でしたが、その後、北陸新幹線が開業されてからは、むしろ地元において観光客の増加や街の雰囲気が劇的に変化するなど、街の活性化を強く実感しましたね。
また、ゼミも松尾先生と宮重先生という2名体制でしたので、学ぶことが多かったです。松尾先生からは論文の書き方や研究の楽しさを教えていただきました。勉強嫌いの私が、自ら進んで図書館に行って小難しい専門書を読むようになったんです。研究の世界はいろんな現象や結果があるという奥深さにハマりましたね。
また、宮重先生はもともと民間企業にお勤めでしたので、締め切りや社会人のマナーなど、実際の社会の現場について教えていただきました。広告のキャッチコピーひとつとっても奥にはさまざまな企業倫理が隠されていることや、企業における営業活動の重要性を学びました。
市長を迎え、地元活性化に向けたパネルディスカッションを開催
―高専を卒業されたあと、高崎経済大学に進学されたきっかけを教えてください。
実は、両親と約束した富山商船に入学する条件が、大学に進学することだったんです(笑) 県外に出て一人暮らしをしてみたいという思いや、富山商船でグローバルな分野を学んだ分、これからは地域の在り方や地方分権を学びたいという思いから、当時では珍しい地域政策に特化した学部のある高崎経済大学に決めました。
大学では、都市経営が学べる横島庄治先生のゼミに入りました。横島ゼミは、高崎市内の空き店舗に事務所を構えて、そこを学生のまちづくり団体「たかさき活性剤本舗」の拠点とし、高崎市の中心市街地の活性化を図る活動をしていました。
私が大学3年生の時に、市民参加型イベント「活性化大作戦 ㏌ 高崎」と題して、タウンウォッチングとパネルディスカッションを開催しました。横島ゼミの先輩2人がコーディネーター役を担当し、パネリストには当時の高崎市長や巣鴨地蔵通り商店街の理事長などを迎え、高崎市の活性化策を議論しました。
このイベントを通して、開催に向けて地元住民の皆さんにご協力をお願いしたり、地元行政の高崎市と連携したりする経験ができました。なかなか交渉もうまくいかない中、どうすれば実現できるかを市役所の職員の方と一緒に悩みながら進めたことが印象に残っています。
正直に、素直に、誠実に、コミュニケーションを重ねること
―今の就職先を選ばれた理由を教えてください。
最初は海運業界や貿易関係を目指していましたが、地域社会と密接に関わっているローカル局にも興味が湧き、自分が今まで学んできたことが生かせるのではないかと北陸朝日放送に入社しました。
入社当時は報道制作部に配属となり、警察・司法担当記者として、事件・事故などの取材や地域に関わる特集制作に携わりました。事件や事故が起きれば昼夜問わず現場に急行し、大変な瞬間は多々ありましたが、高専や大学時代の学びを活かしながら社会貢献できる醍醐味を強く感じましたね。
ある時、テレビ朝日系列のドキュメンタリー番組を制作する機会があり、そこで輪島市の限界集落について取り上げました。当時の集落には8人しか住んでおらず、集団移転を考え、その資金を集めるために、自分たちのふるさとを産業廃棄物の最終処分場にする計画を立てたんです。
一方で、輪島市は観光地でもあるので、観光に悪影響を及ぼすような施設は周辺地域の住民からも行政からも反対されていました。それで限界集落の方の計画だけが宙に浮いてしまう形になったんです。こうした当時の顛末について、取材・番組制作をしたところ、優秀賞をいただきました。このことは仕事の自信につながった一方、生活者の痛みや悲しみに寄り添う大切さを学びました。
―現在のお仕事について教えてください。
今はスポンサーのテレビCMを獲得することがメインの仕事です。どんな番組でCMを効果的に放送すればいいかを提案したり、商品を売るためのイベントを考えたり、全体をプロデュースする仕事をしています。最近では、様々な業種ともタイアップしながら複合的にプロモーションを提案しています。
この仕事の魅力は「みんなでつくり上げる」ことですね。もちろん失敗や予想に反する結果もありますが、目標が達成できたときのやりがいはとても大きく、結果が良くても悪くても、相手との信頼関係によって仕事が続くのだと感じます。
私が入社したとき、先輩の番組のサポートで、一緒にドキュメンタリーの番組制作をしたことがあったんです。その先輩はドキュメンタリーのスペシャリストで、番組をつくれば必ず受賞するほどの方だったのですが、にもかかわらず、そのときは賞が取れませんでした。私はすごく責任を感じて、飲み会の席で先輩に謝罪したところ、「全然気にもしてないし、また一緒に番組をつくろう」と言ってくれたのがすごくうれしかったんです。
私は今、上司という立場になりましたが、あまり結果にはこだわらず、「どうすれば継続的に営業ができるか」「どうすれば信頼関係を構築できるか」を常に考えています。まずは、正直に、素直に、誠実に、何度もコミュニケーションを重ねること。特にお詫びをするときはスピード感を持って真摯に向き合っています。
マスコミの仕事は、報じた内容をうれしく思う人もいれば、そうではない人もいるところが怖いところですが、今後も何かしら市民の方々の生活に貢献していきたいと考えています。
―現役の高専生にメッセージをお願いします。
高専時代に先生に言われた「海に出てからでは遅すぎる」「社会に出てからでは遅すぎる」という言葉や「商船魂」の精神は、「厳しい環境でも、それを乗り越えて成長していく」という、私の人生の原点になっています。
私自身、商船時代は毎日がむしゃらに生きていました。自分の考えは間違っていることも多かったと思いますが、その経験は今に生きています。まさに青春時代でしたね。
高専での5年という期間は、長いようで短い、自分次第でどうにでもなる貴重な時間です。高専生の皆さんには、自分の興味のあることに関して積極的に行動してほしいです。
今しかない青春時代。コミュニケーションを大切にして、かけがえのない思い出をつくり、明るい未来につながると信じて、勉強、部活動、寮生活、アルバイト、そして恋に……全力で向き合ってくださいね!
津田 興利氏
Okitoshi Tsuda
- 北陸朝日放送株式会社 営業局 営業部長
2001年3月 富山商船高等専門学校 国際流通学科(現:富山高等専門学校 国際ビジネス学科) 卒業
2003年3月 高崎経済大学 地域政策学部 地域政策学科 卒業
2003年4月 北陸朝日放送株式会社 入社
報道制作部、本社営業部、東京支社営業部を経て、
2023年7月より現職
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