長岡高専を卒業後、学生たちの学びの場を支える管理職者としてキャリアを重ねている海津守さん。現在は佐世保高専の総務課長を務められています。学生や教職員、高専機構本部など、高専関係者をつなぐ“マネージャー”としての熱い想いに迫ります。
寮生活に憧れた陸上少年
―高専に進学したきっかけについて教えてください。
海の見える新潟の小さな田舎町で生まれ育ちました。幼い頃は、とにかく理科と算数が大好きな少年でした。自然豊かな環境だったので、夏休みの自由研究では、植物の観察や昆虫などの生態に関する研究をしました。その研究内容が評価され、小学校の代表に選ばれて発表をした経験もあります。一つのことが気になると、それに集中し、夢中で取り組む子供でした。
中学3年間は陸上部に入り、部活に明け暮れていました。市の駅伝大会で優勝した経験もあり、陸上の強い地元の高校へ進学するか進路に悩んでいた中学3年生の頃、夏休みの登校日に配られた長岡高専のチラシに目が留まりました。学校の全景が映し出されたチラシの写真には、新しく綺麗で広々としたグラウンドが写っていました。その写真を見て「ここで陸上の練習がしたい!」と思い、高専への進学を考えるようになりました。
そのチラシに書かれていた「バイオテクノロジー」という最先端の研究内容にも新鮮さを感じ、工業化学科の受験を目指すことにしました。高専受験の決め手になったのは、理科と数学が得意だったこと、そして、将来、もし陸上競技を続けた場合、マラソンの国内トップ選手を輩出している食品関係や化学製品の大手企業へ就職できる可能性があると考えられたことです。
また、中学生の頃から、早く親元を離れて自立した生活をしたいと考えていました。長岡高専は制服もなかったので、「高専=大人びた世界」というイメージを膨らませていて、特に寮生活に憧れを抱いていました。
高専への思いが強くなり身近な人に相談をすると、親戚や中学の先輩など、周りの高専のことをよく知る人たちから長岡高専についての具体的な情報を入手することができました。このことも、高専を進路の選択肢に考えることができた大きな要因の一つだと思います。
―どんな高専時代を過ごしましたか。
入学早々、有機化学の授業では化学式を学ぶなど、中学校までとは全く異なる高度な授業内容で勉強が大変な時期もありました。高校生と同じ高専の2~3年生の頃、既に大学の学部2~3年生が持つような専門書を与えられて授業を受けていました。高専では当たり前のことですが、その当時はただただ驚き、ひたすら留年をしないようにクラスメートにしがみついていましたね。高専には、当時も今も充実したカリキュラムがあり、私は、高専で学ぶことができて本当に良かったと思っています。
憧れの寮生活では、仲良くなった仲間たちと毎日楽しく過ごしていました。寮では、上級生に本当に可愛がってもらいましたので、私も、後輩たちのことをよく気に掛けて、面倒を見ていたと思います。
授業や研究以外のことで、今の仕事にも大きく通じる高専時代の経験が2つあります。1つ目は、成績に悩んでいた時期、留年が心配になるあまり「学生便覧」という学校の規則などをまとめた冊子を誰よりも熟読していたことです。学生課の職員の方とも積極的にコミュニケーションを取り、情報収集や人間関係が大切であるということを、身をもって体験しました。
このとき、自ら学校の教務関係の規則に触れる機会を持ち、学校の中の色々な情報収集をしたという経験は、現在の仕事である学生支援や管理運営業務を円滑に行うことに生かされているのではないかと思っています。
2つ目は、高専や短大からの編入学・社会人入学に関して、独自に動いて調査したことです。当時は、工学系以外の編入学試験や社会人入試が、まだ広く知られてはいませんでした。
加えて、現在のようにインターネットやスマホも普及していない時代でしたので、高専からの工学系以外の編入学の可能性や、分野の異なる学歴を取得することなどについて、様々な書籍や通信誌で調べたり、専門誌の著者に会うなど実際に足を使って情報収集したりしていました。
高専卒業後は国立大学の法学部への編入学を目指して上京しましたが、結果が出せず、地元に戻って公務員試験の受験に切り替えて就職活動をしました。そして1995年度、もともと公安関係の仕事を志望していたこともあり、新潟県警察、東京消防庁、海上保安庁、国家公務員行政職(Ⅲ種)などに合格し、結果、両親の薦めもあって新潟大学に就職しました。
教育現場におけるマネジメント職の重要性
―その後のご経歴についてお聞かせください。
新潟大学医療技術短大から社会人としてのキャリアをスタートさせ、その後、当時の文部省や九州の大学での勤務を経験しました。そして、2018年4月からは、事務系の管理職者として、全国の高専を中心に異動しています。
20代半ばの頃、1997年からは文部省で働いていました。日本の大学が21世紀に向かってどう変革していくべきかなど、大学改革の先端の議論を行っていた「大学審議会」の事務局を担当する部署に所属していました。審議会に参加されていた、日本を代表する研究者や経済界のトップの皆様などのご発言を生で聞かせていただくことができたのは、長い人生の中でも大変貴重な経験だったと思います。
文部省では、同じ局で働いていた先輩方と省内のレクレーションに参加したことがあります。文部省内の行事である皇居一周駅伝です。振り返りますと、仕事は深夜にまで及んで大変な毎日だったように思いますが、職場の先輩方とリフレッシュできる行事があり、親睦を深めることができたのは楽しかった思い出の一つです。
2000年に九州での生活をスタートさせました。九州芸術工科大学で勤務をしていた頃、放送大学が全国展開したタイミングで、放送大学での科目等履修生が、大学職員向けの研修教材として活用されていました。放送大学には、心理学系の科目が豊富に開設されていて、その当時、私は、学生窓口で仕事をしていましたので、「学生支援をするためには、カウンセリングの手法などを体系的に学んでみたい」と思い、大学職員として勤務を続けながら学士号を取得しました。
文部省での仕事から再び大学での仕事に移った時に、私は大学職員の役割について真剣に考えるようになりました。大学の教員や職員と一緒に仕事をするうちに、これまでとは違った教員や学生への支援の在り方について考えるようになったのです。ちょうどその頃、日本の大学職員の専門職能化を提唱していた、諸星裕先生(現:桜美林大学 名誉教授)が日本経済新聞に寄稿された記事を目にします。
『大学の存続には、役職員が経営や管理運営に深く関わる必要がある。大学のマネジメントには専門職が必要だ』——この言葉に感銘を受け、教育現場のマネジメント役として学生や教職員への支援に全力で取り組むことを強く決意しました。
これからの大学職員の役割や、大学職員の専門職化について探求することを目指し、桜美林大学大学院へ進学することを決めました。「大学院での学びを体験することは、教員へのより良い支援にも繫がるのではないか」という狙いもありました。大学院での学びをとおして、同じような志を持った全国の国公私立大学の職員と意見を交わし、多くのネットワークを築くことができたのは、非常に有意義な時間でありかけがえのない経験でした。
大学での勤務後、2018年からは、全国の高専を管轄する独立行政法人国立高等専門学校機構の中で、管理職として働いています。最初の赴任地は、東京・八王子市の東京高専で、総務課長として着任しました。ここで久しぶりに高専の現場に戻って来たわけです。私の高専生時代から、時代が変化したこともあって、随分、高専の中の様子も変化が見受けられました。私自身が高専出身だからこそ、学生や教員の考えを理解し、取り組めることがあると思います。学生時代を思い出しながら、学生や教員の支援にチャレンジした3年間でした。
高専時代の悩みが仕事の原点
―現在の仕事内容について教えてください。
現在は、高専二つ目の勤務地である佐世保高専で、総務課長として働いています。総務課長は、校長や副校長、事務部長らの学校幹部と相談をしながら、学校運営に必要な管理業務に従事しています。具体的には、学校の管理職者の一人として、教職員人事をはじめ、予算・決算などの財務業務、広報戦略や各種イベント等の企画業務、研究支援業務、建物の修繕・改修などの施設整備業務など、学校運営の幅広い分野を担う部署のマネージャーとして動いています。
日々の決裁業務に加え、イレギュラーな事案やリスク管理事案などへの対応、高専機構本部への相談や他機関等との連絡調整など、現場の担当者と協力しながら、これらの業務を進めるのが私の仕事です。
佐世保高専では、東京高専での経験を生かして、校長、事務部長とともに教職員の業務の改善や改革に取り組んでいます。組織改革や働く環境の整備、業務の最適化を推し進めながら、教員や職員にとって、そして何より高専生にとって、より良い学びの場がつくれたらと考えています。
―教職員や学生のサポートをする上で、心がけていることはありますか。
佐世保高専では、「学生の近くに、教員がいてあげること」を大切に考えています。学生と教員とのコミュニケーションを増やし、学生が卒研や就活などで悩んだときや困ったとき、すぐに教員が学生に寄り添える環境づくりが重要です。そのためにも、教員の業務の在り方を見直して、教育者であり、研究者である教員しかできないことに力を注いでもらえるように、日々心がけています。
例えば、現在、全国的に学校の先生の業務負担の軽減を図っていくことが、大きな課題となっています。その解決策の一つとして、部活動を地域社会に移行する流れが出てきていますが、高専の先生方は、常に数多くの業務に追われている状況です。そもそも高等教育機関の研究者として、大学教員のような役割もあります。また、クラス担任や部活動の顧問、さらには学生寮の宿直など、中学・高校の教諭のような役割も果たしています。
このような高専の先生方の働き方や業務内容については、それぞれの学校が大事にしていることも踏まえながら、仕組みの改善が必要だと感じています。この課題が解決できれば、今よりも教員と学生との時間が生み出せますし、研究にも集中していただけるのではないかと思います。
高専生の多くは15歳で自分の将来について決意や覚悟をもって高専に入学し、20歳にもならないうちに進路を選ぶタイミングがやってきます。若い彼らが悩むのは当然で、そんなときに、すぐそばで寄り添ってあげる教員の存在は、絶対に必要不可欠です。
原点にあるのは私が高専生の時に悩んだ経験であり、だからこそ、マネジメントをする立場から、より一層の改善が必要だと使命感を感じています。「組織は人なり」「人こそ宝」。このことを大切にしています。
―最後に、高専生や未来の高専生にメッセージをお願いします。
やはり在学中は勉強したほうがいいですね(笑) 勉強と言っても、専門分野に特化するだけでなく、“遊びのある勉強”も大切だと思います。専門の分野に限らずその周辺の分野や、ただただ自分が興味のある分野、進学や就職に関係なさそうなことでも、「学生時代に知っておいて良かった」と、社会に出て役立つことはたくさんあると思います。5年間で、そういう情報に触れたり、体験したりできると良いと思います。
最後に、進路やキャリアで悩んだ際には、学校の機能をフルに活用していただきたいと思います。近年、学生課職員やキャリアカウンセラーが、学生の進路相談を聞いてくれる環境が整ってきています。まだまだ知られておらず、活用していない学生も多い印象です。私自身は、今後も学生のキャリア支援に積極的に関わりながら、高専生の魅力を社会に発信し、高専へ恩返しができるよう、日々職務に邁進したいと思っています。
海津 守氏
Mamoru Kaizu
- 佐世保工業高等専門学校 総務課長
長岡高専卒業。新潟県出身。
修士(大学アドミニストレーション)、GCDF-Japan キャリアカウンセラー。
趣味は、合気道、博多人形制作。
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