独自の研究室体制をとっていらっしゃるサレジオ高専の米盛弘信先生。本科の学生、専攻科生、OB・OG、教員の全員にメリットが生まれているそうです。その体制をとった経緯について、研究内容含め、ご自身が高専生のときから振り返っていただくことで、明らかにしていきました。
高専を卒業した1年後、母校の教壇に立つ
―高専生のときは、どのような研究をされていたのでしょうか。
私が通っていた育英高専(現・サレジオ高専)では、実験授業の一環で自主研究があったので、校内で使用できる電話交換機(5台接続が可能なクロスバ交換機)をゼロの状態から設計・製作していました。また、卒業研究では、音声機器のハウリングを防ぐ「ハウリングサプレッサ」をつくっていましたね。
というのも、中学で放送部に入ったことをきっかけに、オーディオ機器の設計をしたいと思っていたんです。高専卒業後も、音響機器メーカで設計をしたいと考えていました。
ですが、高専4年生のときにアメリカで同時多発テロ(9.11)が発生したことで、景気が悪化してしまいまして。そこで、進学して実力をつけないと設計者になれないと感じ、大学編入を考えたのです。
音響関係の研究室がある大学を探したところ、電気通信大学にパラメトリックスピーカの権威だった鎌倉友男先生がいらっしゃることを知りました。もともと面白そうな分野だなと思っていたので、電気通信大学に進学し、希望通り鎌倉研究室に入りましたね。
鎌倉研究室では、パラメトリックスピーカ用の変調器を製作していました。しかし、そうした研究の中で、しだいに「回路系」への興味が増していったんです。
―研究以外ですと、大学ではどのような生活をされていましたか。
世田谷区立等々力児童館でバイトを始めました。もともと、幼少期からお世話になっていて、工作などをして遊んでいたんですよ。モノづくりに興味をもったのも、児童館における工作がきっかけでした。
また、等々力児童館ではキャンプもするのですが、中学生や高校生になると、リーダとして小学生を教えるようになります。私もその過程を踏んでいく中で、モノを教えることを生活の一部だと感じるようになりましたね。
加えて、母校の先生から非常勤講師として来てくれないかと言われ、高専を卒業した1年後に「電子回路演習」と「工学実験」の授業を担当することになりました。今では考えられないですよね(笑) しかも、「ロボコン」や「ワールド・エコノ・ムーブ」なども担当することになり、「非常勤講師なのに、こんなに頼まれるの!?」と思いました(笑)
バイトもしながら非常勤講師もしていた大学生ということで、いろいろ活動していましたが、それは当時も今も変わらないです。学生から「先生はカツオみたいですね」と言われることもありますね。つまり、「動かないと死ぬ」ということです(笑)
このように大学生をしながら高専の非常勤講師をしていくうちに、「このまま高専教員になろう」と思いました。そのためには博士号を取らないといけなかったので、高専の恩師である依田先生の勧めもあり、工学院大学大学院へ進学したんです。
予言された通り、「ノイズ」に向き合うことに
―大学院では、どのような研究をされていましたか。
IH調理器の研究を小林幹先生の研究室でしていました。「電磁誘導技術」に関する研究で、回路系でもありましたね。ちなみに小林先生は、先ほどお話しした依田先生の恩師でして、依田先生が工学院大学大学院を勧めてくださった理由でもあります。
IH調理器の研究は、当時トレンドだった「オールメタル加熱(アルミニウム鍋や銅鍋の加熱)」にフォーカスしたものでした。現在でも、IH調理器の研究は進めています。
―現在は、その他にどのような研究をされているのでしょうか。
1つには太陽光発電の研究があります。2010年頃から始めました。先ほど、小林先生と依田先生の関係についてお話ししましたが、実は小林先生の最初の教え子が依田先生で、最後の教え子が私だったんです。そして、小林先生の退職に伴っていただいた研究機材が、太陽光発電関係のものでした。人と人とのつながりは、おもしろいですよね。
太陽光発電の研究には、回路に関するものもありますが、雨や風による表面汚染を防ぐ研究もありました。汚染を防ぐには光触媒がいいだろうということで研究を進めていると、光触媒の溶剤をつくっている「株式会社アサカ理研」からアプローチがあり、共同研究をするまでに至りましたね。
あと、IH調理器や太陽光発電の研究ときくと、全然違う研究をしていると思われるかもしれませんが、どちらも必ず「ノイズ」がテーマになってきます。というのも、電力変換と制御に関する技術をパワーエレクトロニクス(以下、パワエレ)というのですが、パワエレによって効率よく電力変換しようとすると、必ずノイズの問題が浮上するのです。コインの裏表の関係ですね。
私が高専で助手を務めていたときは、ノイズ研究の権威だった仁田周一先生にご指導いただいたのですが、「パワエレに関わっていたら、必ずノイズを研究することになるよ」とおっしゃっていました。まさに、予言ですね(笑)
他の研究ですと、独立型交流電池の研究もしています。これは、コッククロフト-ウォルトン回路を卒研生が取り組んで外部発表していたところ、回路系で連携できる学校を探していた企業「AC Biode株式会社」の目に止まり、お声掛けいただいたことがきっかけです。
この研究では、「直流」が一般的な電池を「交流」にすることで、通常より長持ちする電池を目指しています。将来的には、掃除ロボットや宅配ロボット、ドローン、小型モビリティである電動バイクなどに導入していきたいですね。ただ、交流電池の構造上、直流電池を並列接続することと等価になり出力電圧が下がるので、そこをどう上げていくかが課題です。
ペアリングによって、学生同士の成長を促す
―米盛先生の研究室は、独自の運営をされているそうですね。
ペアリングによる教育・研究の体制をつくっています。これは、研究室に在籍している本科5年生と専攻科1~2年生をペアリングさせ、専攻科生が本科5年生の研究アドバイスをすることで、実験能力や、論文執筆能力、コミュニケーション能力の向上など、本科5年生にとって多くのメリットを生み出すものです。
そして、本科5年生に教えることで、専攻科生に再学習を促すことにもなります。人に教えるときって、「あれ? そういやこれって何だったっけ?」と思うことがありますよね。だから、「もう1度学習しよう」と思うのです。また、責任感の育成にもつながると考えています。
加えて、専攻科生が本科5年生を教えているので、業務の多い高専教員の負担を軽減させることもできますね。もちろん、卒業研究や論文などの最終チェックは行っていますよ。
その他、地域連携活動などで下級生と研究室が、フィリピンにある姉妹校と研究室が、夏合宿などでOB・OGと研究室が関わることで、早い段階で下級生の意識付けを促し、同窓生としてのつながりを生まれやすくしています。
この体制は、2007年に常勤になり、次第に受け持つ卒研生が多くなったときに始めました。当時は卒研生と専攻科生合わせて一桁台の学生数でしたので、「まだ自分1人でしっかり見ることはできる」と思っていたのですが、そのときに、大学院時代の小林先生の研究室を思い出したんです。
小林研究室には、大学院生が学部生の研究をアドバイスする文化がありました。しかし、高専は5年生が単年度で研究活動を行うため、私の観測範囲だと、高専の研究室には、学年の違う学生同士でコミュニケーションをとっている雰囲気があまり感じられなかったのです。
そこで、同じ高等教育機関として、その文化を体制として高専に取り入れてみようと思いました。結果、今の私の研究室(2022年度)には卒研生と専攻科生が合わせて14人在籍しています。これはかなり多いと思いますよ。
あと、サレジオ高専は学生の部屋と教員の部屋が同じなのが特徴です。学生の入退出も激しいので、同じ空間で活発なコミュニケーションが行われていますね。みんなの協力もあり、おかげさまで本研究室の学生は、国内外を含めて学会等で年間3回以上発表し、多くの賞を受賞しています。
―研究室を運営するにあたって、難しかったことはありましたか。
2020年の春、新型コロナウイルスの感染拡大によって登校が中止になったのは非常に困りました。メールやZoomで連絡を取り合うのですが、各自が契約している通信容量の上限等によって、Zoomを使った複数人で長時間のミーティングやディスカッションができなかったのです。よって、学生と教員による1対1のコミュニケーションをとらざるを得なくなりました。
2020年7月から分散登校が始まりましたので、体制を少しずつ戻していき、同年10月にはほとんど戻ったと思います。しかし、夏合宿は2022年の今でも、まだ再開できていません。
あと、現在の専攻科2年生が対面での発表に慣れていないことも課題として挙げられます。なぜなら、誌上発表やオンライン発表ばかりで本科5年生のときから対面での発表をほとんど経験していないのです。学会などで対面発表の機会は元に戻りつつあるので、しっかり対応したいですね。
―高専教員として、大事にしていることを教えてください。
「融合・複合」は重要なテーマだと思っています。研究や授業、教育、学生募集など、やるべきことは多々ありますが、それらを別々の活動で解決しようとは思っていません。
例えば、課外活動でコミュニケーションの機会をつくって学生の社会人基礎力を向上させ、それを見た地域の中学生が入学を希望するといったように、同じ活動で複数のことが達成できるのです。人と人との伝承をどんどんつなげてループさせていくのが、私の神髄ですね。
また、理解しにくいことを難しいまま教えることは簡単ですが、どうやれば学生が理解しやすくなるか、板書や実験等で手を動かすだけではなく、あの手この手で考えています。学生が「おっ、動いた! すげぇ!」「あっ、わかった!」とインパクトをうけたときや感動したときは顔つきが変わるので、その変化を見逃さないように気をつけています。
それが見つかった学生は、殻を破ってグングン成長しますので、小さな成功体験を積み重ねて自信をつけさせ、難しいことでも簡単に思えるような環境の構築を大切にしています。そうすれば、気づいたときには大学院生並のことをやっていたりするんですよね。卒業して会社や大学、大学院へ入って周囲を知ったとき、自身の成長に気づくようです。そういった話をきくと、私も嬉しくなりますね(笑)
今後は、学生も多様化してきていますので、学生各々と向き合って、それぞれに引き出しを用意できるよう努めていきたいと思っています。私立高専ならではのフットワークを生かして、いろいろな活動をどんどんしていきたいです。
―最後に、未来の高専生に向けてメッセージをお願いします。
何よりも「モノをつくりたい」という気持ちが強い方に来てほしいなと思います。高専ではモノをつくってレポートを書くことが多々あるので、それをがんばれるだけの気持ちの強さが必要です。モノづくりに没頭しすぎて時間を忘れてしまうような方に来てほしいですね!
米盛 弘信氏
Hironobu Yonemori
- サレジオ工業高等専門学校 機械電子工学科 准教授
2003年3月 育英工業高等専門学校 電子工学科 卒業
2004年4月 育英工業高等専門学校 電子工学科 非常勤講師
2005年3月 国立電気通信大学 電気通信学部 電子工学科 卒業 学士(工学)
2005年4月 サレジオ工業高等専門学校 電子工学科 非常勤講師(校名変更)
2007年3月 工学院大学大学院 工学研究科 電気・電子工学専攻 修士課程 修了 修士(工学)
2007年4月 サレジオ工業高等専門学校 電子工学科 助手
2008年4月 同 機械電子工学科 助手(学科名変更)
2010年3月 工学院大学大学院 工学研究科 電気・電子工学専攻 博士後期課程 修了 博士(工学)
2010年4月 サレジオ工業高等専門学校 機械電子工学科 助教
2011年4月 工学院大学 電気システム工学科 非常勤講師
2013年4月 サレジオ工業高等専門学校 機械電子工学科 専任講師
2014年4月より現職
2019年2月 日本工学教育協会 シニア教育士(工学・技術)
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