1980年代、女性が社会に進出して働くということは今ほど当たり前ではありませんでした。そんな中でも自分の道を切り拓き、歩みを止めなかったのが、釧路高専の創造工学科建築デザインコースで講師を務める大槻香子先生です。相談室や寮務主事補など学生のリアルな声を耳にする機会が多い先生に、研究内容や昨今の学生事情についてインタビューしました。
まさかのヘッドハンティングで母校へ
―先生は釧路高専の学生だったと伺いました。
もともとは地元の普通高校に進学する予定で、高専は「力試し」のつもりで受験したんです。理系は得意ではなかったので、建築学科(現在の創造工学科建築デザインコース)ならいいかな、絶対に落ちるだろうな、という心構えでいたら、まさかの合格で……。合格したら辞退してはいけないという暗黙のルールみたいなものが中学校にはあったので、後には引けず「入学するしかない」と覚悟を決めました(笑)。
特に勉強熱心なタイプではなかったので、私よりも両親のほうが「周りについていけるのだろうか」と心配していました。いざ授業が始まると最初のうちは正直に言って疲れましたが、もともと絵を描くことが好きだったので、建築の製図の時間はすごく楽しかったのを覚えています。
―卒業後は建築とは関係のないIT企業に就職されたんですね。
今でこそ随分時代が変わりましたが、私が就職した1980年代後半は、バブル景気の直前でそもそも求人が少なかった上に建設業界の女性求人がとても少なかったんです。建設業界に限らず、高専から就職する技術系の職種も男性のほうが優位でした。「女性じゃなかったら違う人生が歩めたのかな」と思ったことは、一度や二度ではありません。
ただ、当時はIT立ち上がりの頃でもあったので、IT企業からの求人は性別や学科に関係なく多かったんですよ。入社後に育てるから、とにかく人材が欲しいという状態だったので、知識がなくてもシステムエンジニアとして採用してもらえました。
私は仕事内容云々よりも「働いてお金を稼ぐこと」そのものに喜びを感じるタイプなので、未経験のエンジニアの仕事でもそれなりに楽しめていたと思います。
―釧路高専の先生になった経緯を教えてください。
入社して5年目の頃でした。情報技術者を増やそうという国の取り組みもあり、釧路高専が情報工学科を新設したんです。すると女子学生の入学者が一気に増えて、男性の先生たちが対応に困ってしまったようで。そこで、学生時代にお世話になった先生から「こっちに戻ってきて先生をやらないか?」と声をかけられたのが始まりです。
特にシステムエンジニアの仕事に執着していたわけではなかったですし、「5年ごとに仕事を変えていくのもいいかも」とか、「勉強をして違う知識を身につけるのも楽しいかも」と考えていた頃でもあったので、高専で先生として働くことに迷いはありませんでしたね。
学生の声に焦点をあてて研究を続ける日々
―現在はどんな研究をされているんでしょうか。
大きな研究テーマは「建築環境工学」です。いくつかの研究を並行して取り組んでいますが、その一つに、2016年から学生寮の寮務主事補に就いたことをきっかけに始めた「学生寮の居室環境改善」があります。
開校間もない頃に建てられた学生寮は老朽化が激しく、寮の定員数に対して居室が狭いなど、問題点がたくさんあります。実際に、寮生と話していると不満が次々に出てくる。こうした意見をしっかりと数値化して建物の問題点を指摘することで、改修工事に役立てようと思ったのが始まりでした。
例えば、釧路高専の寮は増改築を繰り返しているため、建物の場所によって温熱環境が違います。そこで、寮の居室・補食室・渡り廊下など様々な場所の温湿度を測定し、特に冬場の寒さの問題点に焦点を当てました。
最終的に大きすぎる開口部(窓)からの放熱と、温度差による結露が学生の一番の不満ということがわかり、希望者を集めてプチDIYをして窓の放射温度の違いなどを比較しました。
現在も、多人数部屋と1人部屋の温熱環境の違いや、洗濯物の室内干しによる居室の多湿問題、寮居室のインテリアレイアウトと色彩の関係、寮における防災意識調査など、毎年、寮内の環境改善に繋がるようなテーマで研究を続けています。
―研究には学生も参加しているんでしょうか。
もちろん、これらの研究は寮生が主体です。自分が住んでいる場所に直結するテーマでわかりやすいし興味も持ちやすいようで、前向きに取り組んでいます。実際、これまでの研究をもとに、改修案計画の際には色彩計画を提案できましたし、インテリア配置の助言や寮生活のルールの改善にも役立ちました。
現在は、寮居室の暖房機器や換気設備が二酸化炭素濃度に与える影響の調査をはじめ、情報工学分野や北海道大学・室蘭工業大学の先生と共同開発した、二酸化炭素濃度計を使った学校教室の換気改善にも力を入れています。現在も猛威を振るうコロナウイルス対策と、今後の感染症対策のための環境データの一つとして、役立てたいと考えています。
それぞれの才能を、人のために使える大人になってほしい
―大槻先生は「学生相談室」の室員も務めていますよね。
初めて室員になったのは着任してすぐの頃でした。当時は相談室そのものが非常にマイナーな存在で、足を踏み入れる学生は少なかったように思いますね。私自身が学生だった頃も「先生に個人的な相談するなんて考えられない」「悩みがあるなら自分で解決するのが当たり前」という考え方が主流でしたから。
しばらく相談室からは離れていたのですが、現在10年ぶりに戻ってきて感じる大きな変化は、「相談にくる学生が非常に多い」ということ。昔と比べると先生が学生の様子を注意深く見ていますし、学生自身も助けてもらう場所として相談室を頼りにしていると実感します。
友人関係、家族関係、勉強など悩みは千差万別ですが、相談室は学生指導支援の要のひとつだとも思うので、毎日学生が元気に登校できるよう、引き続き学生の声に耳を傾けていきたいと思っています。
―学生たちに期待していることは?
高専に入学する学生は、才能や環境に恵まれた人がほとんどです。そうした持って生まれた能力がある人は、自らの力でどんどん前に進んで道を切り拓いていく。しかしその一方で、環境や能力の違いで同じ時間の努力をしてもなかなか結果につながらない対極の人もいると思うんです。
だから学生たちにはぜひ、5年間で身につけた技術の経験や知識をもって、社会をより幸せにする解決策を見いだしてほしいですね。さまざまな人にその才能と技術がシェアされるような世界を、学生たちなら築き上げてくれると信じています。
大槻 香子氏
Yoshiko Otsuki
- 釧路工業高等専門学校 創造工学科 建築デザインコース 建築学分野 講師
1986年 釧路工業高等専門学校 建築学科 卒業
1986年 NECソフトウェア株式会社(現・NECソリューションイノベーター) 入社
1991年 釧路工業高等専門学校 建築学科に助手として着任
2012年 釧路工業高等専門学校 建築学科 助教
2012年 放送大学 教養学部 卒業
2018年 釧路工業高等専門学校 創造工学科 建築デザインコース 建築学分野 講師 現職
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