工学分野で多岐にわたる研究実績を残され、豊田工業高等専門学校の第10代校長に就任された田川智彦先生。反応分離やマイクロリアクタ・触媒設計・エネルギー関連反応システムなど多分野の学問を追求してこられた歩みと、現在についてインタビューしました。
海外で活躍する叔父に憧れて
―研究者への道を選んだきっかけは?
きっかけは身近なところで、名古屋大学の工学部の先生をしていた叔父の存在です。単身海外に渡り、活躍していた姿に、幼いながら憧れていました。戦後、日本という国が大きく落ち込み、技術力にも自信を失いかけていた時期。電子工学を専門として、アメリカとドイツに長期滞在してたくましく実績を積み重ねる叔父の姿に、明日の日本を見た気持ちでした。
地元の三重県立伊勢高等学校から、名古屋大学工学部の応用化学科へ進学。4年時に有機化学の研究室で卒業研究を行う選択をしました。当時はバイオ化学研究の黎明期で、こうした分野に興味があったのと、論文執筆、博士号取得、その後の就職等も楽に運べるのではないかとの「安易なヨミ」もありました(苦笑)。
ところがある時、「あなたの指導教授はもうすぐ定年だから、このままドクターへは進めないよ」と言われ、博士課程後期から進路変更することになったんです。
指導教授が変わるということは、それまでの研究がリセットされるということ。私は修士までに10本近くの論文を持っていましたが、新しい先生が専門とする「固体触媒」について、ゼロから勉強することになりました。思ってもみなかった、衝撃の進路変更です(笑)。
そして、ここが偶然と運命の三角波に翻弄される人生の幕開けとなりました(大笑)。
―1982年にはカナダ国立研究所(NRC)研究員として海外へ赴任されていますね。海外での生活はいかがでしたか?
触媒という新しい分野に出会い、腰を落ち着けて勉強しようと取り組んでいた矢先、カナダの先生から日本人の研究員を採用したいと指導教授に申し入れがあり、「すぐ学位をとれ」ということになりました。必死で実験を行い、論文を書き、海外で暮らす準備は何もないまま、-20℃のオタワ空港に降り立ちました。NRCでは反応中の中間体を補足するための分光学の勉強をすることになりました。
日本だと、ほぼ1日中研究に時間を費やす生活でしたが、カナダではプライベートな時間をゆったり確保でき、人間的な生活を送ることができました(笑)。音楽を聴くために国立劇場に通ううちに、縁があってオーケストラに入ることになり、名大オケで経験のあったファゴットを演奏する機会も得ました。
小さい頃のテレビ番組の多くがアメリカのドラマという世代なので、北米の生活様式や考え方には自然となじめたように感じます。研究グループ内には多国籍の若手研究者が集まっており、現地で生活するたくさんの人々と交流できたことは、私にとって大きな財産です。異文化交流や国際研究をバックアップしたいという考えは、この時の経験がベースになっています。
偶然がつながり、切り拓かれた人生
―帰国後はどのような研究を?
1984年からは東京工業大学で研究所助手として“セラミックス”の研究、1988年からは名古屋大学で化学工学科講師として“反応工学”の研究と移動先のミッションに応じて専門分野を次々と変えました。反応を媒介する「触媒化学」から「反応装置」の研究へ乗り換えたのもこの時です。
「反応装置」とは、例えば、油(反応物)と砂粒(触媒)、それらを入れるビーカーがあるとしましょう。それまでは油と砂粒だけの研究でしたが、研究対象を容器であるビーカーも含めたトータルシステムに変えた、ということです。それまで扱っていた二酸化炭素やバイオマスの反応を行う「反応器」についての研究なので、自分のバックグラウンドを生かしながら、新たな研究を進めることができました。
以降、微細な領域で反応を行うマイクロリアクタや反応分離型反応器、反応進行中の状態を分光分析するin situ 反応器などユニークな反応器の開発や解析を行ってきました。
集積回路の微細加工の専門家だった叔父の話を聞きかじっていたので、それに近いマイクロリアクタの研究にも自然と入ることができました。また、先輩の研究室に遊びに行った時も、燃料電池実験装置(反応分離の一種)の隣でお茶をいただいたりしました。
人生の端々で見聞きしたことが、偶然にも新しい研究の入口となっていったわけです。だから私のなかでは、異なる分野の研究でも、すべてひとすじにつながっているんですよ。
狙ってキャリアを描いたわけではなく、時の流れや偶然の連続でした。カナダでオーケストラに入れたのも、劇場で座った席の隣に指揮者がいたから。私自身は人見知りで、それほどアクティブでもありませんが、偶然がつながっていったんです。その産物で、高専にもたどり着けました(笑)。
―高専の校長になろうと決めた時は、どんな心境でしたか?
自分が「高専校長」になるなど、想定すらしていませんでした。前任の校長先生の定年と、私の名大工学研究科執行部の任期終了が重なるという大偶然の結果だったので、「お役に立てるなら最後にもう一度動いてみよう」と思ったんです。
大学でもJABEE創設期や日工協の委員など教育分野の仕事に数多く携わっていたので、「技術者教育の大切さ」には日頃から直面していました。「私の知識やノウハウが、少しでも社会の役に立つのならば」と思い、豊田高専にやって来ました。
自分にしかないバックボーンを生かす
―豊田高専での取り組みについて教えてください。
本校では以前から「多読」を通じた英語教育に力を入れてきました。また、異文化を知るため毎年40人から50人の学生が海外へ留学しています。学生は全校で1,000人強なので、けっこうな割合です。
異文化の中をサバイブした学生たちは大きく成長を遂げ、自ずとリーダーシップ取れるようになって帰ってきます。そんな頼もしい先輩たちの背中を見て、後輩たちも続いていく。彼らのバイタリティには驚かされますね。
こうした経験をひとりでも多くの学生が共有できるように、着任以来本校全体のグローバル化に取り組んできました。
他にも、豊田市、商工会議所との連携でつくられた「とよたイノベーションセンター」で、センター長としてリカレント(学び直し)教育を含む地域貢献を進めています。また、本校の専攻科では必須講義として、地元の中小企業と協働でものづくりを俯瞰するプロジェクトを10年間続けてきました。
―具体的にはどんなことをするのでしょうか。
企業から週に1回、約1年間にわたって人材を派遣してもらい、学生と一緒にチームを組んでプロジェクトを進めます。例えば、産業用ロボットでパーツを組み立てるプロセスをゼロから設計したり、ミスが少なくなる組み立て工程を考えたりします。学生にとっては「納期」を意識する初めての仕事。業務プロセス全体を見据えることのできる、大変貴重な経験です。昨年からはDXを視野に入れた内容に一新しています。
家づくりのプロジェクトでは、住宅メーカーに学生を派遣し、家を1軒建てるまでの過程を経験します。そこでは「ジャングルジムのある家」や「縁側でお茶を出して、ご近所と仲良くできる家」など、高専生のおもしろいアイデアがたくさん出ました。
プレゼンや企画、会議、図面の作成、現場立ち合い、オーナーさんとの面談などを通して、学生は「顧客視点」を学び、ひとまわり大きくなります。
―未来の高専生へメッセージをお願いします。
高専は10代で学問体系を全体的に見渡せる数少ない高等教育機関。それぞれの学校はあまり大きくなく家族的な雰囲気ですが、全国的に見れば数多くの仲間がいてコンテストや体育大会でつながることができます。
専門的な勉強をする場所ですが、ある分野の勉強をしたからと言って、一生それだけにこだわる必要はありません。どんどんと先に広がっていけるのが早期教育のメリットのひとつです。
高専卒業は、たくさんのことにチャレンジできる「免許皆伝」みたいなもの。自分の道を切り拓く選択肢が増えるので、高専で学んだことをベースに、さまざまな挑戦をしてもらえたらいいなと思っています。
田川 智彦氏
Tomohiko Tagawa
- 豊田工業高等専門学校 校長/工学博士
(経歴)
1976年 名古屋大学 工学部 応用化学科 卒業、同大学院 博士課程 入学
1982年 名古屋大学 工学博士
1982年 カナダ国立研究所 研究員
1984年 東京工業大学 工業材料研究所 助手
1988年 名古屋大学 工学部 化学工学科 講師、助教授、教授
2013年:名古屋大学 工学研究科 教務委員長
2015年:名古屋大学 工学研究科 副研究科長
2016年:名古屋大学 評議員
2017年 同 退職(名古屋大学名誉教授)
豊田工業高等専門学校 校長
(学会等 主なもの)
化学工学会、石油学会(東海支部長、庶務理事、副会長等)
反応工学国際会議(日本代表委員)
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