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「チャレンジから始まる道」──韓国から日本へ、そして教育者としての歩み

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韓国で育ち、東京都立大学への留学を経て、現在は沼津高専で教鞭をとる鄭 萬溶(ジョン マンヨン)先生。ロボット工学から耐震工学、そしてAIへと研究分野を広げながら、常に「チャレンジ」の意識を持って日本の高専教育の未来に力を注ぐ鄭先生に、お話を伺いました。

日本への留学という挑戦と、「耐震」から「情報」への専門変更

-韓・朝鮮大学校の工学部 機械設計工学科に進学された経緯を教えてください。

私が大学に入った当時の韓国は、大学の数が少なく、受験者約60万人のうち、4年制大学に進学できるのは十数万人程度でした。私も高校時代は特に成績が良かったわけではなかったので……家から近い大学を選んだという感じですね。

本当は航空系の分野に興味があったのですが、専門がソウルにしかなくて。航空に近い分野を探していたところ、担任の先生に「ここの大学なら入れるから」と勧められたんです(笑) 実は、機械設計にはそれほど強い関心はありませんでした。

-修士課程まで朝鮮大学校の大学院で過ごされた後、博士課程で東京都立大学の大学院に留学されていますが、きっかけは何だったのでしょうか。

修士2年のとき、ティーチングアシスタントとして学部生の授業補助をしていた際、都立大出身の先生と出会いました。ロボット制御に興味があると話すと、都立大出身の機械系の先生を紹介してくださることに。その日のうちに先生の研究室を訪ねたら、すぐに日本への紹介状を書いてくださり、留学が決まりました。

ところが入学後、私が入った研究室ではロボット制御の研究はもうやっていないということがわかりまして……(笑) 先生から、「耐震工学も重要だから、やってみたら?」と勧められ、そこから耐震工学に関する研究に取り組むことになったんです。

-日本に留学することに不安はありませんでしたか。

来日直前の鄭先生
▲来日直前の鄭先生

もちろん不安はありました。経済的な面もそうですし、まったく日本語も話せなかったので。でも、「とにかくチャレンジしよう」という気持ちだけはありましたね。

先生からは「このままじゃ研究ができないから、日本語学校に通いなさい」と言われました。ところが、その日本語学校は1か月で辞めてしまいまして…(笑) というのも、日本語学校の授業は「春についてエッセイを書きましょう」といった授業ばかりで、日本語で論文が読めるようになれたら良いと考えていた私にとっては合わなかったんです。

でも、日本語学校の校長先生がとても良い方で、「日本語学科に通う生徒に、数学を教えてもらえないか」と、アルバイトの機会を与えてくださいました。それから2年間ずっと教えていましたが、これも教員を志すきっかけの一つになったかもしれません。

-教員を志したきっかけについて、他にも理由があれば教えてください。

都立大在学中に、障がいのある方にパソコンを教えるアルバイトをした経験が大きかったですね。話すことに不自由がある方が、英語を覚えてアメリカのドラマを観るなど、懸命に学ぶ姿に感銘を受けました。「自分は教えるのに向いてない」と思っていましたが、実際にやってみると大きなやりがいを感じたんです。

-その後、30年ほど沼津高専で働き続けていらっしゃるのですね!

沼津高専の教員になったのは、都立大の先生が紹介してくださったことがきっかけです。最初は見学だけのつもりで沼津高専に来てみたんですが、高専の制度を知り、すごく興味を持ちましたね。そのときに見た、ロボットの設計開発の授業などもすごく面白くて。それが沼津高専との出会いでした。

当初は日本で3年くらい経験を積んで韓国に戻る予定でしたが、3年のつもりが4年になり、5年になり……「まあ、ここでいいか」と(笑) その後、日本で結婚して子どもも生まれ、家も購入しました。特に「永住しよう」と決めていたわけではないんですが、自然な流れで今に至ります。

ご家族でキャンプ
▲ご家族でキャンプ

-先生が東京都立大学在学中から取り組まれていた耐震工学に関する研究とは、どのようなものなのですか。

非線形振動の一種である「ロッキング振動」と呼ばれる現象に注目した研究です。例えば、底部が拘束されていない大型コンピュータや家具などが、地震の発生時に、滑りながら回転運動をして転倒に至りますよね。そういった立方体の転倒に至るまでの挙動を解明することで、構造物の耐震安定基準の策定に貢献することを目的としています。

東日本大震災によって被害を受けた宮城県七ヶ浜町での復興支援の様子。沼津高専の学生と一緒に参加しました
▲東日本大震災によって被害を受けた宮城県七ヶ浜町での復興支援の様子。沼津高専の学生と一緒に参加しました

主なターゲットは、インフラを制御するコンピュータやシステムです。神戸で震災が起きたときも被害調査に行ったのですが、ハードウェアは無事でも、制御システムが転倒により壊れてしまったとか、そういった被害が多くありました。

沼津高専の教員として、東京都立大学の機械力学研究室で専攻科生と実験する鄭先生
▲沼津高専の教員として、東京都立大学の機械力学研究室で専攻科生と実験をする鄭先生

-その後、情報工学分野に軸足を移されたのですね。

高専に来て10年ほどは非線形振動の研究を続けていたのですが、学会でも同じメンバーと議論することが多く、広がりがほしいなと感じていたんです。それで情報処理学会に参加するようになり、少しずつ勉強しながら、音声認識や交通工学という身近な課題を解決するテーマに取り組むようになりました。学生と一緒に学びながら研究を進めています。

DCONで見えた、技術と社会の接点

-DCON(全国高等専門学校ディープラーニングコンテスト)にも力を入れておられるとか。

指導している学生が2019年4月に開催されたDCONのプレ大会に出場し、3位入賞と、SMBC企業賞を受賞しました。テーマは、私がもともと取り組んでいた「ドライブレコーダーを用いた交通量調査とその活用」を応用した、「ドライバーの運転の安全性をAIで評価し、その結果を保険金の算定や運転サポートに応用するシステムの開発」でした。

DCON2019に出場した際の集合写真
▲DCON2019に出場した際の集合写真

ドライブレコーダーを用いた交通量調査について、詳しく教えてください。

最初は、「Google Mapから道路網を抽出し、交通シミュレーションシステムをつくることで、信号機の効果的な制御ができないか」ということを目指していました。日本の信号機の多くは、一定のサイクルで青黄赤を切り替える時差式信号機ですが、これは交通量の変化にまったく対応していません。そのために起こる渋滞を解決したいという思いがありました。

その際、「実データを活用すれば、研究の実用化がさらに進展する」との助言を受け、翌年からは歩道橋の上に定点カメラをつけて動画を撮影し、画像処理で車の種類を区別して台数をカウントするシステムをつくったんですね。ところが、車両認識の精度が86%までしか上がらないという壁にぶつかりました。

そんなとき、機械学会で「ディープラーニングを用いて、人間の瞬きの数を数えるモデル」に出会ったんです。その担当者の方に「ディープラーニングで車両認識をすることは可能ですか」と尋ねると「できると思いますよ」とおっしゃってくださいました。

そこで、高専に戻ってからすぐ、ディープラーニングの機械学習のツールボックスを購入し、学生と一緒にラベリング作業(AIに何がどういう種類の車なのか教えるためのデータをつくる作業)をして、それをもとにAIに車両認識させると、精度が98.5%まで上がったんです。「これはAIを勉強しないわけにはいかないな!」と思いましたね。

しかし、定点カメラだと、そこに来る車両しか認識できません。より広範囲のデータが取れるよう、ドライブレコーダーで走りながら、AIを用いて「どの場所でどの車両とすれ違ったか」をデータ化するということに取り組みました。

ドライブレコーダーの映像で車両認識
▲ドライブレコーダーの映像で車両認識

-その技術を応用して、学生はDCONのプレ大会に出場されたのですね。

DCONでは「ビジネスにつなげる」という点が重要視されているため、「保険金の算定」や「運転サポート」を出口としたテーマになりました。

実はDCONが誕生した当初、私は純粋に技術開発をさせたいという思いがあったので、ビジネスにつなげることに少し抵抗があったんです。そんな中、アメリカのシリコンバレーの技術集団などでは、「技術を社会にどう還元するか」という視点が必ずあることを知りました。単純なお金儲けではなく、技術を使い、社会に還元するという意識が日本ではかなり弱いのではないかと気づき、考えが変わったのです。

学生には「会社に入れば、誰かの仕事を手伝うだけで世の中に貢献できる」と考えるのではなく、「自分の力で世の中に貢献する」という意識をもってほしいと思っています。低学年のうちから、先に自分で課題を見つけ、「その課題を解決するために必要な技術は何か?」という逆算ができるようになってほしいですね。

沼津高専の卒業式にて、学生と一緒に
▲沼津高専の卒業式にて、学生と一緒に

-DCONに出場された学生のうち、起業した方もいらっしゃるそうですね。

2社起業しています。1社目は2023年に出場した、保育士の業務負担を減らすシステムを開発したチームの学生です。

静岡の保育園で園児の虐待などの事件が発生した際、学生となぜこういうことが起きるのかを調査したところ、保育士1人あたりの業務量が非常に多いことがわかりました。そこで、子どもの世話をしながら保育士が音声で状況を伝えることで、それを文字起こしして、それをもとに書類を自動作成するシステムをつくったんです。それをもとに起業しました。

もう1社は、2024年のDCONに出場した、木型金型の所在管理システムを開発したチームの学生です。倉庫にある木型金型の数が多すぎて、目的のものが見つからない課題があったのですが、デジタルツインでこれを検索し、立体的にどこに入っているのか、すぐにわかるシステムを考えたんです。その技術をもとに起業しています。

※インターネットに接続した機器などを活用して現実空間の情報を取得し、サイバー空間内に現実空間の環境を再現すること。

木型倉庫をレーザースキャナーでスキャン中の様子
▲木型倉庫をレーザースキャナーでスキャン中の様子

-鄭先生は静岡県内の企業の方に向けたAI技術支援などもされているとのことですが、具体的な取り組みについて教えてください。

月1回の技術セミナーを開催し、AIの最新技術や使い方についてお話しするとともに、具体的な他社の活用事例についても紹介しています。最初は20社ほどでしたが、最近は40社ほど参加いただいていますね。AI技術の社会実装に直接貢献できることは大きなやりがいがあり、技術が現実の課題解決に生かされていく過程を見ることができる点に面白さを感じています。

自分から動き、恐れずチャレンジを

-学生を指導する上で、大切にされていることはありますか。

変化のきっかけを与えることです。私には「平凡なことはやりたくない」という思いがあるので、学生が自分の潜在能力を発見するきっかけを、私と一緒に見つけてほしいなと思っています。

「自分はできないと思っていたけど、意外とやれるんじゃないか」という発見をしてほしいし、それを自分の発展や自信につなげてほしいですね。そういう機会をなるべくもってほしいので、外部の方が研究室に来られたときに横で聞いてもらうなど、外との接点も増やすようにしています。

研究室のみなさんでバーベキューを実施したときの1枚
▲研究室のみなさんでバーベキューを実施したときの1枚

-最後に高専生へのメッセージをお願いします。

「チャレンジしてほしい」、ですね。「指示待ち」ではなく、やれることは何でも経験していってほしいです。近年、「やりたいことが見つからない」と悩む学生が増えてきたように思いますが、私には「見つからない」のではなく、「探していない」に近いように感じます。自分の興味関心を探す努力を、まずは始めてほしいのです。

皆さんに、Apple創業者スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で語った言葉を贈ります。

“Keep looking. Don’t settle.”
“Stay hungry, Stay foolish.”

情熱をもって探し続け、失敗を恐れず挑戦することで、きっと自分の道が見えてきます。高専という環境は、その第一歩を踏み出すには最適な場所です。どうかその環境を生かし、未来に向かって一歩ずつ進んでいってください!

鄭 萬溶
ManYong Jeong

  • 沼津工業高等専門学校 電子制御工学科 教授

鄭 萬溶氏の写真

1989年2月 韓・朝鮮大学校 工学部 機械設計工学科 卒業
1991年2月 韓・朝鮮大学校大学院 機械設計工学科 修士課程 修了
1996年3月 東京都立大学大学院 工学研究科 機械工学専攻 博士課程 修了
1996年4月 沼津工業高等専門学校 電子制御工学科 助手
2004年4月 同 助教授
2012年4月より現職

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