苫小牧高専を卒業後、長岡技科大に進まれ、今は清水建設 北海道支店にいらっしゃる松尾勝司さん。現職では高専での経験を活かし、国内最難易度トンネル工事に12年間も携わりました。現在は同支店の土木部長として邁進されている松尾さんに、高専時代の思い出や、仕事への熱意を伺いました。
学校説明会がきっかけで、苫小牧高専に進学
―松尾さんが苫小牧高専に進学されたきっかけを教えてください。
中学3年のときに学校説明会に参加し、土木工学科(現:創造工学科 都市・環境系)の水の波動実験に惹かれたんです。細長い水槽で小波をつくり出す装置でして、横面がガラスなので、波形を見ることができました。それに魅せられて土木工学科一択で志願しましたね。
私の時代は「高専=就職」という立ち位置でしたので、大学に編入するのは多くて2割でした。あと、留年の危機があることは知っていたので、「高専は入ってからが大変だよ」とよく言われたのを覚えています。
―苫小牧高専に進学されてみて、いかがでしたか。
高専でずっと教員をされている先生が多いので、先生にまつわる都市伝説的な噂話を耳にしていたのですが、実際に先生方の授業を受けて、「なるほど、そういうことか」と思いましたね(笑) 得意な授業は水理学で、「船はなぜ沈まないのか」というような物理的な話が好きでした。
授業では毎週のように測量をしていたので、ゼネコンに入社してから必ず通る道を、高専時代に経験できたのは大きかったです。ただ、業務で使用する機械は高性能だったので、そこはギャップがありました(笑)
-高専時代はどのような部活に所属していたんですか。
バドミントン部に所属し、部長もさせてもらいました。今の仕事もそうですが、先輩とも後輩ともよく話して、常に気にかけることを意識していました。
プレー面は主にダブルスをしていました。全国大会で決勝まで行きましたし、3年からずっと上位をキープしていましたね。旭川高専には実力者が多かったので、「旭川に勝つぞ!」とみんな燃えていました。4年のときに道内大会で旭川に勝利して全国大会に出場し、見事にチーム戦で2位。翌年(5年のとき)はチーム戦で全国大会出場も入賞とはなりませんでしたが、個人戦では2位でした。卒業した翌年にチーム戦で優勝してくれたのは嬉しかったです。
-卒業研究はどのようなことをされたのですか。
吉田隆輝(たかき)先生の道路研究室に所属し、アスファルトの直接引張試験を行いました。コンクリートは圧縮には強いんですが、引張力には弱いんです。アスファルトも同様のことがいえるのを直接的に測定しようとして、ブロック状のアスファルトから5㎝×5㎝×20㎝の棒状にカットして、両端に接着剤で取り付け金具を付けて引張る試験をしましたが、なかなかうまくいかなくて、アスファルトが破断せずに金具の接着面でブチッと切れて失敗続きでした。
吉田先生は厳しい中にも愛情がある方で、よく「あまり手を抜くな」と言ってくださりました。少しでも手を抜いたりするとすぐに見抜かれましたね。卒業研究は実験ベースでしたので、「なんでこんなことやっているんだろう」と思っていましたが、当時は本質に気付いていなかったんです。今、この歳でもう一回高専に入ったら、すごく勉強すると思います(笑)
―進路を決める際に、進学を選ばれた理由を教えてください。
もともと「高専=5年で卒業して即戦力になる」のが一つの形だと思っていたので、当然就職を考えていました。しかし、普通科を卒業して教育大に通っていた2つ上の兄が、「大学は行って損ないぞ」と勧めてくれたのがきっかけで進学を考えるようになりました。高専生が少ない大学にポツンと行くのは嫌だったので、土木系があった長岡技術科学大学へ進学することになります。
長岡技科大では、大学院に進学が決まった学生は、卒論の代わりに5ヶ月の実務訓練をします。それで私は当時の運輸省(現:国土交通省)が管轄の、新潟県にある水理実験棟に行きました。高専で見た水槽の何百倍もの大きな水槽のある実験場でしたね。そこでは運輸省という「発注者側」の仕事を勉強したのですが、私は「自分の手で一品生産する方が性に合っている」と思いました。
未曽有の大変状に見舞われた、国内最難関のトンネル工事
―大学院卒業後に清水建設へ入社されています。
長岡技科大にいたときに出会った清水建設から社会人でドクターを取得しにきていた方の印象が良かったのがきっかけで、ご縁があって入社しました。
入社当初は土木横浜支店でシールド工事の施工管理をしていましたが、4年目で北海道支店に異動となり、そこで21年北海道で山岳トンネルに携わりました。
そのなかで工事期間12年に及ぶ国内最難易度トンネルといっても過言ではない工事の監理技術者、現場代理人を経験しました。起点側である音威子府村と終点側の中川町の両方向から掘削を行う計画で、2010年3月に着工。それぞれの頭文字を取って「音中トンネル」と名付けられた4,686mのトンネルには、幾多の困難がありました。
音中トンネルには460mの「蛇紋岩」の区域があり、非常に脆い岩で、土木工事では要注意な地質です。一般的なトンネル掘削は、発破などで地山を堀り、支保工(鉄骨)を一重で配置してトンネルが崩れないようにし、コンクリートを吹き付け、ロックボルトをいう鉄の棒を壁面に打込む作業を繰返します。しかし、音中トンネルは蛇紋岩が想像以上に脆かったので支保工(鉄骨)を2重にして掘削を行っていました。
さらにトンネルのインバート(下部分)にも支保工(鉄骨)とコンクリートを組み合わせて、通常よりも遥かに強い構造で掘削を進めたのですが、あと少しで蛇紋岩区域を抜けられるという掘削開始457m地点で切羽(トンネル先端)から坑口(トンネル入口)に向かって僅か数日で崩壊したんです。ドミノ倒しのような感じです。
そこからトンネルの再構築が始まるのですが、457mの復旧作業に要した期間は約6年かかりました。具体的には支保工(鉄骨)は掘削1mの区間に3本ずつ入れる3重支保工にし、山岳トンネルではあまり例のない円形で掘ることにしました(真円三重支保構造)。
道路トンネルは下側を掘りすぎると無駄な空間を生み出すことになってしまうので、普通は最低限の深さで掘れる楕円形です。でも、世の中で一番強い形は「円」なんです。ですので、掘る量も多いし、鉄骨を上にも下にも三重で入れているし、1ヶ月で掘れる量はたったの10mでした。……という意味で、国内最難関の工事でしたね。
大切にしている社員間のコミュニケーション
―現在はどのような業務をされているのですか。
今は土木部の部長として、トンネルに限らず風力発電や北海道新幹線に関わる工事、ロケットの発射場をつくる工事など、北海道の土木部全体のマネジメントに関わっています。
もちろん安全は最優先ですし、品質も確保し、利益も出していかなければいけないのですが、各所長によってやり方が違うので、勉強になります。会社全体の方針は合わせつつ、でもそれぞれの所長は自由に動けるように調整し、必要に応じて頼ってもらえればという考えで動いています。
トンネル工事に関わっている時は担当している現場がメインで、他の現場の人とは間接的なコミュニケーションでしたが、今は全体をみているので、直接社員と関わることができ、それがやりがいにつながっています。私がたくさん話すよりは相手に話させることを意識していますね。
あとは「悪い情報ほど早く上げよう」と言っています。隠しているわけではないと思うのですが、「現場で何とかしちゃおう」ということが回り回って後から聞かされるほど大ごとになってしますのです。言いづらい雰囲気をつくらないように心がけ、現場に行ったときは誰に対しても積極的に声かけて、「気にかけているよ」と伝わるコミュニケーションを実践しています。
個人的にはミステリアスな雰囲気も出していきたいですね。上司がミステリアスだと楽しいかなと思って実践してみてはいるのですが、難しいです(笑)
―現役の高専生にメッセージをお願いします。
昔は高専というと「真面目」とか「暗い」とか、ちょっとネガティブ的な雰囲気がある学校というイメージだったんです。実際入ってみたらそんなことはないんですけど、みんなが知らない学校ということで、「高専」と発言することがちょっと恥ずかしいみたいな時代もあったんですよ。
でも入学したらすごく充実していて、その姿を見て、いとこ(千葉工業大学 小田僚子先生)も高専を選んでくれたそうです。最近知った話なので、本人からは何も言われていないのですが(笑)、やっぱり嬉しいですよね。
不思議なもので「高専」というだけで、出身の学校が違っていても親近感が生まれます。仕事でもお互いが高専出身だと知ると、会話がすごく盛り上がります。また、学校生活で付き合いが長かった分だけ結束力が高いです。卒業して30年経ち、社会人となった今でも気軽に相談できる仲間に巡り合えたことは宝です。
高専生は進学するにせよ、就職するにせよ適応力が高いと思います。自信をもって、普段の生活で自分を高めていってください。また、比較的な自由が多いので、学生生活の楽しみ方は十人十色です。自分色を出して学業、部活、バイトなど、自分なりにエンジョイしてください!
松尾 勝司氏
Katsushi Matsuo
- 清水建設株式会社 北海道支店 土木部 部長
1994年3月 苫小牧工業高等専門学校 土木工学科(現:創造工学科 都市・環境系) 卒業
1996年3月 長岡技術科学大学 工学部 建設工学課程(現:環境社会基盤工学課程) 卒業
1998年3月 長岡技術科学大学大学院 工学研究科 建設工学専攻(現:環境社会基盤工学専攻) 修士課程 修了
1998年4月 清水建設株式会社 入社
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