幼い頃から海外を飛び回っていた八戸高専の佐伯彩先生。「研究で病んでしまった」と語る先生を救ったのは、留学先でのある出来事だったのだそう。現在は八戸高専でさまざまな工夫をされている佐伯先生に、学生時代の思い出や、学生への思いを伺いました。
「人々の語り」から紡ぎだされる歴史
―どんな幼少期を過ごされたのですか?
母親が旅行好きで、3歳ぐらいから国内、海外と飛び回っていました(笑) 実地でいろいろと見ているうちに、海外への関心が強くなりましたね。小学生の時は、母親から「とにかく今後は英語を勉強させないといけない」と、イギリスを中心に行っていましたが、母があまりヨーロッパ社会に馴染めず、今度はアジアにシフトチェンジしました(笑)
でも、私はアジアよりもヨーロッパの方が面白いと思っていたんですよね。当時は米ソ冷戦の終結直後で、行けるところが西側諸国しかなかったので、「ヨーロッパの東側ってどんな社会なんだろう」と気になっていました。
年齢が上がるにつれて、いろいろな国を回り、危険地帯にどんどん足を踏み入れていましたね。高校生の頃には、南アメリカ以外は制覇していました。でも、英語は全然上達しなかったです(笑) 日本の授業で習う文法と、現地で聞く英語に隔たりがありすぎて、どんどん英語に対して苦手意識が強くなりました。
ただ、勉強は嫌いじゃなくて。先生と相性が合うかどうかが学問を好きになるかどうかに直結していたので、楽しそうに授業をされていた先生とは、すごく相性が良かったんです。文学の裏側の社会情勢や、民衆の生活を楽しそうに語る国語の先生がいらっしゃって、「学問を通して見えてくる世界」を熱く語る授業は面白かったですね。
―大学でユダヤ人に関してご研究されていたとお伺いしています。
高校時代、「杉原千畝(※)ブーム」があって、そこで「日本にユダヤ人が来たんだ」と知りました。ただ、「日本にユダヤ人難民が来た」という話は、実はあまり知られていないのです。そこで福井県の敦賀に行き、難民関係の研究をされている敦賀市の職員さんに取材をしたのですが、すごく面白かったんです。
※杉原千畝:外交官。第二次世界大戦中、日本領事館の領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスで、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人たちに日本通過ビザを発給し、約6,000人のユダヤ人難民を救った。
今まで歴史は「教科書の中の情報」という認識でしたし、「何かしらの脚色があるのだろう」と少し冷めた目で見ていたんですよね。でも実際に取材をしていく中で、「あの時はすごく寒くて、ヨレヨレの服を着て……」という話を聞いたときに、「この人たちは確かに生きていて、社会の中に溶け込もうとしていたんだ」と思ったんです。それでオーラルヒストリーへの関心が強くなりましたね。
「あなたのことは誰も関心を持っていない」の言葉に救われる
-その後、奈良女子大学大学院で研究を続けられたのですね。
実は「就職する」というイメージが全然持てなかったので、とりあえず大学院に入りました(笑) ユダヤ人の研究も最初はやる気だったんですが、もともと社会問題に関心があったわけではなかったので、やればやるほど「私はユダヤ人の何に興味があるのかな」と分からなくなってしまって。
また、ユダヤ人の研究をされている先生方はみなさん優秀で、非常にアッパーレベルの中に自分が入ったことによって、追いつけない感覚の方が強くなってしまったんです。「もうユダヤ人の研究はできないかもしれない」と完全に病んでいました。
先生方もそれに気付いていらっしゃったようで、助け舟は一切出さず、適度な距離感で見守ってくれていました。病んでいる時はすごくきつかったですが、距離を置いてくれたことによって、自分と向き合う時間がしっかり持てましたね。
-その状況が変わったきっかけは何ですか?
2011年~2013年のポーランド留学がきっかけです。留学中も「このままユダヤ人の研究を続けるべきか」と悩んでいました。それをピアニストの女性の方に相談したときに、「あなたが思っている以上に、あなたのことは誰も関心を持っていないから大丈夫よ(笑)」とアドバイスされて。この言葉ですごく楽になったんですよね。
それで「研究を変えよう」と文書館に行った時に、「ポーランド人の祝祭」に関する資料を見つけ、「これがやりたい!」と帰国の意欲が湧いてきました。そして、帰国して3か月ほどで内容を固め、論文を書いたんです。
論文執筆の時は一気に集中しましたし、そこからなんでも前向きになりましたね。今までの研究を「切り捨てた」というよりは、「しゃーないやん、次行こう」とパッと切り替えることができたと思います。
アクティブラーニングがきっかけで、高専へ
-その後、高校の非常勤講師をされているのですね。
5年間で3校経験したのですが、最後に赴任した高校の教育方針が、すごくインパクトの強いものだったんです。「授業でアクティブラーニングをやってほしい」と言われて、そこで初めてアクティブラーニングの教材をつくりました。
それでアクティブラーニングの面白さに気付きましたね。実際にやってみたら、学生たちも面白がってくれました。それが今の八戸高専の着任にもつながっています。高校は授業が50分間しかないので、アクティブラーニングの授業を満足できる内容にするのは時間的に厳しいのですが、高専なら90分間あるので、「ここだ!」と思いましたね。
―現在はどのようなご研究をされているのですか。
祝祭の研究から少しだけ離れて、現在のポーランド南東部からウクライナ北西部にかけて存在したオーストリア=ハプスブルク帝国領の「ガリツィア」で政治活動をしていたポーランド人議員について研究しています。今ですと、ガリツィアの総督だったアゲノル=ゴウホフスキについてがテーマですね。
ゴウホフスキはポーランド人なんですけど、ポーランド人からすごく嫌われているんですよね(笑) でも、ゴウホフスキが総督になってから、オーストリアにおけるガリツィアの政治的な発言権がどんどん強まっているんです。
ゴウホフスキは「オーストリアの官僚でありながら、ポーランド人としてのアイデンティティを持つ」という二重の価値観の中で動いていたので、彼に焦点を当てて、オーストリアとポーランド人議員との関係についての研究を続けています。
面白さの追求が、学生の未来をつくる
―授業中は、どのような工夫をされているのですか。
アクティブラーニングを取り入れているので、学習アプリを使って、学生にゲーム感覚で問題を解いてもらっています。集中力も上がるみたいで、「10問を10秒以内に答えられましたよ!」とよく言いに来てくれますね。ただ、紙でやりたい学生もいるので、紙とアプリを両方渡して、自分に合う方でトライしてもらっています。
また、昨年まで自主探究カリキュラムの担当だったので、引き続き自主探究のサポートを続けています。自主探究には基礎となる知識が必要です。学生とゆるっと雑談しながら、「とにかく面白いことをやりなさい。面白いことをやるためには、きちんと調べなあかんで」と伝えていますね。
自主探究中に渋い顔している学生は、やりたくないけどやらざるを得ないからやっているんですよ(笑) だから、できるだけ学生が「これ面白くない」とならないように工夫はしています。わりと雑談中に面白いネタがいっぱい出てくるので、「これは絶対面白い!」と伝えて、「思いつきは面白いんだから、とことん追求しなさい」と背中を押していますね。
―最後に、現役の高専生にメッセージをお願いします。
高専生には、人生をかけて面白いことやってほしいですね。面白いことをやっているときは、集中するじゃないですか。試行錯誤もするし、楽しいと思うんです。一方で、「面白さ」をきちんと相手に伝えるのは、すごく難しかったり、やりにくかったりするんですよ。テンションが上がっているので、冷静なようで冷静じゃないですからね(笑)
面白さを伝えることは難しいので、苦手なことにも向き合わなければいけません。でも、面白いことだから、やり通せると思うんですよね。私は、「面白さの追求が、その子の未来をつくる」と思っていますよ!
佐伯 彩氏
Aya Saeki
- 八戸工業高等専門学校 総合科学教育科 助教
2003年 大阪府立河南高等学校 卒業
2007年 天理大学 文学部 歴史文化学科 卒業
2009年 奈良女子大学大学院 人間文化研究科 国際社会文化学専攻 博士前期課程 修了
2016年 奈良女子大学大学院 人間文化研究科 比較文化学専攻 博士後期課程 修了
2014年~2019年 高等学校 非常勤講師
2020年より現職
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