進学者のキャリア企業就職者

高専に通ったからこそ、今の自分がいる!住めば住むほど日本が好きになる、その理由とは。

SHARE

この記事のタイトルとURLをコピーしました
公開日
取材日
高専に通ったからこそ、今の自分がいる!住めば住むほど日本が好きになる、その理由とは。のサムネイル画像

マレーシアのご出身で、来日15年目となるLai Chai Ei(ライ チャイイー)さん。なぜ日本を選んだのか、高専の中でも木更津高専を選んだ理由とは。「高専に通って本当に良かった!」と語るライさんに、高専時代のエピソードや、来日して感じた価値観の違いなどを伺いました。

「エンジニアならトップ」の日本に来るのが夢だった

-ライさんはどういった経緯で日本に来られたのですか?

大きなひじ掛け椅子に胡坐をかいてしたり顔の幼少期のライさん
子どもの頃の写真

マレーシアの「政府奨学金プログラム」がきっかけです。奨学金には「大学コース」や「高専コース」などいくつか種類があり、私が取得したものは「エンジニアを育てる高専コース」の奨学金でした。高専の存在はそこで知りました。

もともと理系で、エンジニアや医学系などいくつか将来の選択肢はあったのですが、奨学金が取れたのでエンジニアの道に進もうと思いました。マレーシアでは、「エンジニア=アメリカ・日本・ドイツがトップ」という感覚なんです。幼いころから、日本製の車や電気製品に慣れ親しんできましたし、日本に対する好感度がもともと高く、来日するのが夢でしたね。

-数ある高専の中で木更津高専を選んだきっかけは?

同級生とわいわいと写真に写る高校生時代のライさん
マレーシアでの高校生時代

マレーシアの高校を卒業後、1年半ほど日本語を勉強して、3年次編入で木更津高専に進学しました。父が建築材料の卸売業を営んでいることもあり、「建築工学科がいいな」とは思っていました。学ぶ分野は電気でも機械でもどちらでも良かったんですけどね(笑)。

また、都会に憧れていたこともあり、東京にできるだけ近く、空港が近い高専を選びました。条件で絞り込んだら木更津高専一択でしたね。

「軍隊的だ!」と衝撃を受けた、日本での寮生活

-高専での生活はいかがでしたか?

おそろいの黒のTシャツを着て、笑顔の高専時代のライさん
高専時代(駅伝大会チーム)

高専の勉強は38人の少人数クラスだったので、先生との距離が近く、知識の面でもとても学びになりました。マレーシアで日本語を勉強してはいましたが、日本に来て実際に会話をするのとでは全然違うんです。

マレーシアでは、日本語の先生はゆっくり話してくれていたこともあり、来日して3カ月~半年は全く日本語が聞き取れなくて、理解も出来ませんでした。でも少人数制だったので、クラスメイトや先生がゆっくり話してくれたり、サポートをしてくれて、その環境にはかなり恵まれていましたね。

また、高専は実験実習をたくさんするので、「日本人は手先が器用だ」というのは実感しました。自分は実験がすごく苦手で(笑)。でも暗記科目はもともと得意だったので、試験は苦労しませんでした。マレーシアは試験重視の教育システムだったので、技術者を育てる上で実験の多い高専のシステムは、とても素晴らしいと思いました。

卒業研究では、コンクリートの断熱性について研究しました。材質の違うコンクリートブロックをゼロから作り上げ、半年間かけて論文を書きました。夏に外に出て、重い砂や石を運ぶのは体力的にもすごくきつかったのですが、教授が人間性あふれる方だったので、楽しく研究できました。

またクラスメイトとは「お互いの研究を助け合う」という協力関係が築けていました。もちろん頼んだら手伝ってくれるのですが、大学は基本「自分のことは自分でやる」という風潮なので、当たり前のように支え合える高専はすごく良かったですね。

-高専では寮に入られたんですね。

作業着を着て研究仲間とともに写るライさん
高専卒業研究:同じ研究室の仲間と

寮生活はとても軍隊的で驚きました(笑)。マレーシアもアジア圏内なので、上下関係にはもともと理解はありますが、「そこまでやるのか」と、びっくりしました。私はクラスメイトより2歳年上なのですが、こちらは何もしていないのに、いきなり頭を下げられて対応に困ったり(笑)。それ以外にも寮長や班長、点呼の仕組みなど、最初はギャップがありましたね。

でも寮生活はポジティブに捉えていて、クラスメイトと一緒に生活することで、かなり日本語は上達しました。寮生活を通じて、日本ならではの人間関係や文化の深いところを知れたことは、自分の中でとても大きな経験でしたね。

より自立性が求められ、成長した大学生活

-高専卒業後、千葉大学に進学されたのですね。

マレーシア留学生とともに屋台を出す。色とりどりのアジアらしい屋台。
千葉大学祭(マレーシア留学生屋台)

高専で3年間を過ごし慣れてきたこともあり、「まだ日本にいたい」と思ったことと、マレーシアでは大学進学が当たり前という考えもあり、あまり悩まず大学編入を決めました。高専と同じような学科があること、場所も東京に近かったことから、推薦で千葉大学に進学しました。

大学生活では初めての一人暮らしも経験し、さらに自立性が求められました。家族もいない中、暮らしや授業、研究などすべて自力で解決することは、社会に出る前の踏み台として重要な2年間だったと思います。知識の面でも社会の面でも多様性を感じ、いろいろな人と出会い、さらに自分の視野を広げることができました。

-日本でアルバイトなどは経験されたのですか?

海岸清掃なかまとともにワイワイするライさん
マレーシア留学生会(岩手県の津浪被災地でボランティア活動。海岸掃除)

「在日マレーシア学生団体」に所属し、ボランティア活動をしました。この団体は、マレーシア留学生のみで構成されていて、全日本で2,000人ほどいます。各地に出向き、マレーシアについて発信をしていくのですが、活動資金のためには「お金を稼ぐイベント」も必要でした。

そこでマレーシアに工場を持つ日系企業に声をかけ、大学卒業後にマレーシアに戻る学生に向けて、毎年就職セミナーを開催しました。営業活動や、広報活動・会場準備など大変でしたが、内定が決まった学生の嬉しそうな顔を見た時は、達成感がありましたね。

そのイベントで企業様からいただいたお金を資金に、別のイベントを開催したり、東日本大震災のときは東北に出向きボランティア活動も行いました。

高専だったからこそ、日本に馴染むことができた

-大学卒業後、日本での就職の道を選ばれたんですね。

5年間日本にいて、マレーシアのことより、日本のことのほうが詳しい気がしてきて、自国に帰るのがもったいないなと思っちゃったんですよね(笑)。学んできた知識と言語を使って仕事をしたいと思い、日本での就職を選びました。高専での理系的な考え方や数学の基礎の経験が土台にあり、大学の2年間で「好きなこと・出来ること・必要とされること」がより明確になり、今のデジタルマーケティングの仕事につながりました。

華僑であればマレーシア語・英語・中国語の3カ国語が話せるのが一般的です。そこに日本語が加わると、言語の上では「無敵!」って感じがしますね(笑)。実際日本で仕事をして、多言語を話せることが大切にされた場面がたくさんありました。「多言語が話せることに価値がある」と分かったのも、日本に来てからですね。

-ライさんの今後の展望と、高専生にメッセージをお願いします。

奥さんとお子さんと。とても幸せそうな家族写真
2020年、家族とキャンプ

日本に来て15年目ですが、マレーシア人の妻と結婚して、4歳の子供もいます。日本が好きすぎて、妻も日本に呼びました。今は子供の教育のことや、次の自分のキャリアについて考えていますが、それがすべて安定期に入ったら、日本とマレーシアをつなげる活動ができたらと思っています。自国に貢献できる活動を広げていきたいですね。

自分の今の生活を可能にしてくれたのは高専だと思っています。もし来日してすぐ大学に通っていたら、今とは全然違っていたと思います。大学だと、どうしても留学生同士で固まってしまうんですよね。最初が高専だったからこそ、寮生活などを通して、本当の意味で日本に馴染むことができました。

高専は工学系に興味のある学生にはすごくいいと思います。海外は高校卒業後、大学か専門学校に行かなければ専門知識は学べません。高校生から専門的な工学の勉強ができる高専の環境はとても良いので、自分のキャリアプランを明確にして頑張って欲しいですね!

ライ チャイイー
Lai Chai Ei

  • Criteo株式会社 データ分析チームマネージャー

ライ チャイイー氏の写真

2011年 木更津工業高等専門学校 環境都市工学科 卒業
2013年 千葉大学 都市環境システム工学科 卒業
2013年~2015年 楽天株式会社
2015年~2019年 AdRoll株式会社
2019年より現職

SHARE

この記事のタイトルとURLをコピーしました

木更津工業高等専門学校の記事

泉先生
50歳を超えて「知らない分野」を学ぶ充実感! キャリア支援室長として多種多様な仕事を伝えたい
水越先生
物理と数学がつながった瞬間、勉強が楽しくなった! 水越先生が感じた「高専の本気」
小出先生
好きな音楽を通して、「電子楽器」の研究の道へ。幅広くさまざまな人が「演奏を楽しめる」ようにしたい!

アクセス数ランキング

最新の記事

柏渕様
ライフステージに合わせてキャリアチェンジ。高専で磨かれた“根性”は専門外でも生きている
サッカー大会
サッカーを頑張る高専生に、もっと活躍の場を! 初開催となった全国高専サッカー地域選抜大会をレポート
小林先生
“なんとなく”の先にあった光。何事にも柔軟に挑戦する姿勢が、道を切り開いていく