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成績不振だった学生が、時を経て母校の副校長に就任! 確かな「自信」が自分を強くする

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2021年、長野高専の副校長に就任した渡辺誠一先生は、1993年に長野高専を卒業した学生の一人。現在は自身の研究を続けながらも、学生たちに自信を持ってもらう取り組みに力を入れています。渡辺先生の高専時代のエピソードや教員になったきっかけを伺いました。

先生の不安をよそに、高専合格を勝ち取る

―長野高専に進学した経緯を教えてください。

幼少期の渡辺先生
▲幼少期の渡辺先生

中学3年の頃に所属していた写真クラブの顧問が進路担当の先生で、「技術を専門的に学んでみるのもいいのでは」と、高専をすすめられました。クラブでは撮った写真のフィルムを現像したり引き伸ばしたりする作業もやっていて、機械を使って楽しそうに作業をしている私を見て声をかけてくださったのかもしれません。

私自身、技術科の授業が好きでしたし、祖父に連れられてホームセンターに行っては農業機械を見たり触ったりしていたので、高専での学びは面白そうだと思いました。

担任からは「高専は受験倍率が高いし、成績的に無理がある」と釘を刺されましたが……。その言葉が追い風になり、書店で過去問集を購入し、本格的に受験勉強に取り組みました。そんな生徒だったので、合格したときには心底驚かれましたね。

―実際に入学してどうでしたか。

学業成績はずっと低空飛行でした。所属する陸上競技部での活動が何より楽しく、部活最優先の生活だったので、順位は下から数えたほうが早いくらいでしたね。1年次の頃、冬の定期試験の平均点が50点を切ってしまったときには、当時の担任から「どうするんだ!」と叱られたのをよく覚えています。

校内のロードレース大会でクラスメイトのみなさんと
▲校内のロードレース大会でクラスメイトのみなさんと。最終学年では惜しくも区間賞が取れませんでした

2年次になっても低空飛行が続き、化学の前期のテストが28点だったときには「こんな状態でなんとかなった学生は見たことがない」と、化学の先生から大目玉を食らいました。続けて「後期は実験のレポートが中心だから、進級したかったらレポートを頑張れ」と言われたので、「レポートだけは誰にも負けないぞ」という意気込みで取り組むことに。

すると、後期のレポートの成績はほぼ満点をもらえたのです。これがきっかけで、レポートを書くのが好きになりました。工学実験のレポートの成績だけは常にトップで、そのあたりから順位があがるようになりました。3年次は19位、4年次は8位、5年次は5位だったと記憶しています。

―大学進学を目指したのはなぜですか。

1、2年次の担任が、ことあるごとに「進学はしたほうがいい」と、口にしていたからです。「成績が悪くてもあきらめずに頑張ればなんとかなる」と言われ続けていたので、わりと早い段階から進学は視野に入れていました。今振り返ると「あきらめるな」というメッセージがあったから、成績が悪くても何とか食らいついていけたのかもしれません(笑)

また、大学に進みたいと思ったもう一つの理由として「医用工学の研究がしたい」というのもあります。高専では電子回路や論理回路の授業が好きで、3年次に超音波診断装置を製造する会社に見学に行った際に心臓の動きを見せてもらい、「医療機器はこんなことができるのか」と感動しました。そこから、回路の技術を生かして医療機器を開発したいと思うようになったんです。

「人の役に立ちたい」が研究のモチベーション

―大学ではどんな研究をしたのですか。

工学部に進んだので、当然のことながら直接医療機器につながる研究室はありませんでした。ただ、興味深い研究をしている先生がいたので、そこの研究室に所属したところ「電子回路が得意なら」と言われ、抵抗式湿度センサを用いた湿度計測システムの開発をすることに。センサの駆動回路やパソコンで周波数を測定するインターフェース回路、測定結果を表示するソフトウェアを構築しました。

大学院博士後期課程での研究室会議の様子
▲大学院博士後期課程での研究室会議の様子。院生が多く、刺激になったそうです

低湿度まで精度良く湿度を測定するための研究で、当時は医療とつながっていなかったのですが、後に湿度センサは皮膚の発汗量を測定するセンサとして活躍していることを知りました。私は関わっていないのですが、結果としては間接的に「医用工学につながる研究ができた」と考えていいのかもしれません。

―高専の教員になった経緯を教えてください。

院生の頃はインターネットが普及し始めた時期で、「通信に関わる企業で働きたい」と思って就職活動をしていましたが、ほとんど対策をせず受験した結果、不採用になりまして。その後、高専の先生から教員募集を聞きつけ応募してみましたが、書類選考の段階で落ちてしまいました。

ところが、就職をあきらめて博士後期課程に合格し、修士論文をまとめているタイミングで、長野高専から別の募集があることを教えていただき、応募した結果、採用通知をもらったのです。本来、進学先の大学院は公務員(教員)と学生の二足の草鞋は履けないことになっていましたが、運が良いことにその年に制度が変わり(大学院設置基準第14条に定める教育方法の特例)、同時に在籍しても良いと認められました。3年間、教員をする傍らで研究にも時間を費やすことができて、本当にありがたかったです。

レール遊間センサの評価実験の様子
▲レール遊間センサの評価実験の様子。時速180km/hの場合でも遊間を測定できることを実験的に明らかにされました(2002年1月)

それにしても、成績が振るわなかった私の高専時代を知る先生方は、母校で教師をする私の姿を見て大層驚いていました。

学生の卒業論文をチェックされている渡辺先生
▲学生の卒業論文をチェックされている渡辺先生。ちなみに、高専生時代の渡辺先生は、国語がいつも赤点だったそうです

―現在はどんな研究をしているのでしょうか。

博士後期課程時代は人工心臓用モータに用いる制御回路の研究や、鉄道用レールの点検に用いる磁気センサの研究をするなどさまざまな分野を渡り歩きましたが、学生時代から現在にいたるまで、主に計測に関する研究を行っています。学生たちの卒業研究では、「計測」をキーワードにして、それぞれが取り組みたい研究をしてもらっています。

睡眠時の嚥下筋活動の測定実験の様子
▲睡眠時の嚥下筋活動の測定実験の様子。自宅で実験しても緊張して2時間程度しか睡眠できなかったそうです

ほかには、農地で発生する砂塵や温湿度、用水の水位を測定する「遠隔測定」や、近赤外線を用い、プラスチックの分別を可能にする「非接触測定」などの研究を続けているところです。私自身が農家の息子なので、これらの研究が農業やSDGsの貢献につながったらうれしいですね。やはり、研究のモチベーションは「人の役に立ちたい」という想いですから。

高専は「やりたいこと」を見つける場所

―研究以外にはどんな取り組みをされていますか。

部活動では陸上競技部とソーラーカー研究部の顧問を務めています。陸上競技部では高校駅伝の監督もしました。長野県大会では2回4位に入賞し、2012年4月には「長野陸上競技協会指導者功績章」もいただいています。ソーラーカー研究部では、大潟村ソーラースポーツラインや鈴鹿サーキットで行われた大会に出場しました。

また、学生自身がブレインストーミングによってマイコンを用いた創造作品の発案を行った後に、チーム単位で詳細設計、製作および評価を行う「創造工学実験」を2006年度から実施しました。この取り組みは現在も実施していて、2009年3月には「独立行政法人国立高等専門学校機構理事長賞」を受賞しました。また、電気工事士資格取得講座の実績が認められ、2023年11月には日本電気協会から「澁澤賞」をいただきました。

創造工学実験の様子。長野高専にとって目玉の実験となっています
▲創造工学実験の様子。長野高専にとって目玉の実験となっています(2020年)
人材育成を通じて電気保安に貢献したことが評価され、2023年11月に第68回澁澤賞を受賞されたときの写真
▲人材育成を通じて電気保安に貢献したことが評価され、2023年11月に第68回澁澤賞を受賞(中央:渡辺先生)

加えて、小中学校や公民館への出前授業(サイエンスツアー)にも力を入れていています。電子工作を中心に、現在までに118回の授業を行っています。受講した方の中で何名か入学しているので、うれしい限りです。

大町エネルギー博物館での出前授業の様子
▲大町エネルギー博物館での出前授業の様子。2002年12月に初めて出前授業を行って以来、現在まで118回実施されました

―学生を指導する上で心がけていることを教えてください。

自分の経験を生かし「学生に自信をもってもらう」ことに力を入れています。私自身、高専の卒業研究では指導教員の先生に参考図書を紹介してもらい、自分なりに考え、試行錯誤しながらも計測システムが構築できたことに自信を持ちました。そこから現在に至るまでずっと計測システムに関連する課題に取り組んでいます。やはり、こうした成功体験から自信をつけることは大切だと思っています。

また、学生たちには力をつけて卒業してもらいたいので、2002年度からは国家資格である電気工事士の資格取得講座を主宰しています。私の専門は計測工学ですが、電力関係の授業を担当することに伴い、自分も学生の見本にならなければと、私自身も電気主任技術者の資格を取りました。自分が学んだことでなければ学生には教えられないと思っているからです。

先輩技術職員から引き継いだ、電気工事士セミナーの様子(2002年度より行っている)
▲2002年度より、先輩技術職員から電気工事士セミナーを引き継いで実施。現在まで400名以上の合格者を輩出しています

私の所属する学科から電気工事業を目指す人は少数ですが、電力会社や製造業への就職や、資格取得をきっかけにやる気を出してくれる学生もいて、それなりに貢献できているのではないでしょうか。

私の活動は研究中心というよりは教育に軸を置いていて、高専教員の中では、ちょっと異質な存在かもしれません。そのため、多くの教職員や学生の皆さんにご迷惑をおかけしましたが、ご理解ご協力のもと活動を続けることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。これからも学生に自信を持ってもらう活動に注力したいと思っています。

渡辺先生の研究室。学生と先生がにこやかに笑っている
▲渡辺先生の研究室(2024年1月)。渡辺先生「高専はアットホームな感じです」

―高専を目指す学生にメッセージをお願いします。

普通高校と違い、高専は「やりたいこと」を持っていなければ勉強がしんどくなるかもしれません。ただ、言い換えれば、それさえあればやりがいに溢れている場所です。もちろん、入学前に明確な「やりたいこと」がなくても、さまざまな経験をする中で形づくられることもあります。高専には情報や機材がたくさんあるので、それらをうまく使いこなし、自分がやりたいことをちゃんと見つけて卒業してほしいと願っています。

また、長野高専は2023年度から既存の5学科を「工学科」に再編し、情報エレクトロニクス系、機械ロボティクス系、都市デザイン系の3つを設置しました。1年次にはものづくりにおける基礎工学を多面的に学び、2年次から自分が深堀りしたい専攻を選択するスタイルです。その背景には、視野を広くもってほしいという想いがあります。

長野高専の校舎5階からの風景。志賀高原や菅平などが一望できます
▲長野高専の校舎5階からの風景。志賀高原や菅平などが一望できます(2024年1月)

これまでの話を聞くとわかる通り、私は電子回路を学んだり医用工学を志したり通信事業に興味がわいたりと、さまざまなことに手を出してきました。まっすぐな柱は立っていませんが、今まで挑戦してきたことは何ひとつ無駄なことはなかったと思っています。みなさんも、ひとつの分野に絞らず、たくさんの経験を通して人生の選択肢を増やしてください。

渡辺 誠一
Seiichi Watanabe

  • 長野工業高等専門学校 副校長
    同 工学科 情報エレクトロニクス系 教授

渡辺 誠一氏の写真

1993年3月 長野工業高等専門学校 電気工学科 卒業
1995年3月 信州大学 工学部 電気電子工学科 卒業
1997年3月 信州大学大学院 工学系研究科 電気電子工学専攻 博士前期課程 修了
1997年4月 長野工業高等専門学校 電気工学科 助手
2000年3月 信州大学大学院 工学系研究科 システム開発工学専攻 博士後期課程 修了
2005年4月 長野工業高等専門学校 電気電子工学科 助教授
2018年4月 同 教授
2021年4月~現在 長野工業高等専門学校 副校長(専攻科長、学生主事)
2022年4月~現在 長野工業高等専門学校 工学科 情報エレクトロニクス系 教授

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「自然現象を捉えたい」という思いから。研究者になる夢を叶え、大気を計測する装置開発に従事
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未知の領域に挑戦する楽しさ——長野の星空をきっかけに研究したプラズマで、さらなるプロジェクトに挑む
役に立てるなら、なんでも受け入れたい。「来るもの拒まず」精神で社会のニーズに向き合い続ける

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