スポーツ少年として育った経験から、現在では指導する立場としてスポーツと関わり続ける宇部工業高等専門学校の小泉卓也先生。従来の体育授業の概念から飛び出し、学生と1からつくり上げる「発案型」授業を行っています。その取り組みについてもお伺いしました。
「輝ける場所」を目指し、挑戦し続けた競技人生
―スポーツとの出会いについて教えてください。
地域にサッカーのクラブチームがあり、興味を持ったのがきっかけです。人数の関係でサッカーチームには入れず、結果的に野球チームに入ったのですが、それから社会人になるまで、バスケ、ラクロス、オーストラリアンフットボールなど様々な競技に挑戦しました。
何度も競技を変えながらもスポーツから離れなかったのは、プレイヤーでいたいという気持ちが強かったからだと思います。2軍や3軍で続けるより、自分が活躍できる競技にフィールドを移して挑戦しなおすことを選択していました。
長くスポーツを続けられたのは、両親のサポートのおかげです。兄姉とは歳が離れており、末っ子だったので、自分の習い事に時間を割いてくれました。遠征などで親が帯同するのは当たり前だと当時は思っていましたが、自分が親の立場になって大変さを知った今、改めて感謝の気持ちが湧きますね。
―その後は日本体育大学に進学し、ラクロス部に入部。大変なイメージですが、実際にどうでしたか?
そうですね、今までの活動が甘かったなと感じました。大学でラクロスを始める選手は多いのですが、日体大はそもそものポテンシャルが高い学生が多いので、その中でレギュラーの座を勝ち取るのは相当の努力が必要になります。
当時のスケジュールは、朝に大学へ行って授業を受け、昼休みにウエイトトレーニングをして、午後の授業を受ける。そして、授業終わりに練習へ行く、といった感じです。また、朝練がある日は6時半ごろから動き始めていました。
昼も夕方も練習があるので大学から離れられませんし、空きコマをつくらず友人たちと授業をたくさん取っていました。実技の授業も多く、オリンピック選手などトップレベルの選手たちと交わって運動ができたのは楽しかったです。
―4年間続けている中で、「辞めたい」と思った瞬間はありましたか?
大学1年の頃は、いつ辞めようかしょっちゅう考えていましたよ(笑) 実は、1年のときに事故に遭い、かなりの大怪我をしてしまいました。そこから思うように活動できない期間があったのも、要因の1つだったんじゃないかと思います。
そんな中、ある日、代表入りもしている先輩に話があると呼び出され、「小泉が怪我をして足が痛いのはわかる。ただ、今この環境でどこも痛くなくて練習しているような人は1人もいない。痛くて練習ができないならそれはそれでいいけど、それだと一生そのままだし、絶対にレギュラーにはなれない」と言われました。
実際にその先輩は骨折しても練習に参加していましたし、大学というシビアな世界でポジションを勝ち取るには、それぐらいのマインドが必要だったんです。当時の自分は高校生から大学生としての気持ちの切り替えができていませんでしたし、その逃げ道として怪我を言い訳にしていた部分がありました。
先輩に喝を入れてもらってからは、怪我との向き合い方も考えるようになり、サポーターをつけて練習したり、ウエイトトレーニングをしたりとできることを見つけて練習するようになりました。次第にマインドにも変化が訪れるようになり、学年が上がるにつれて部活にも熱が入っていきましたね。
海外で気づいた「様々なグッドコーチ」
―大学院に進学することは、学部生の頃からずっと考えていたのですか?
入学当初は、研究や大学院のことは全然頭になかったです。大学院進学を検討するきっかけとなったのは、事故による怪我で通院していた院長先生の言葉でした。長期間にわたって通院していたので様々な話をしていたのですが、院長先生がふと大学院を勧めてくだり、そこから考えるようになりました。
修士1年目はアスリートと共に、様々なスポーツのトレーニングや競技そのものについて研究していました。正直、大学院生活は想像よりずっときつかったです。研究についてよく理解していなかったこともあり、悩むことが多い日々を送っていました。
転機となったのは、他の研究室との共同研究を行ったときです。そこで出会った教授がコーチング学に興味を持っていることを知り、研究室を変え、私もその教授の下でコーチング学について研究することにしました。
―コーチング学の研究は、どのように行うのでしょうか?
研究の手法には、数値を用いた定量的な方法と、コーチ自身の個性について調査する定性的な方法があります。定量的な方法では、コーチが選手のファーストネームを呼んだ回数、インタラクションの回数、ウォーミングアップの時間や全体の時間配分などといった「集計可能なデータ」を計測します。
もう一方の方法では、インタビューなどを通して、「コーチが持つ哲学」について検討・調査します。データのどの部分がグッドコーチやビギナーコーチに当てはまるのか分析し、良いコーチング法について研究していくわけです。
ただし、何をもってグッドコーチとするのかは考えなければなりません。成績を残すコーチが良いコーチなのか、それ以外の要因から良いコーチとされるのか、定義は存在こそするものの、人や場合によっては様々になりますね。
―大学院修了後は、助教として指導もされていたんですね。
恩師と二人三脚で取り組んでいたコーチング学の学科が大学に新設されることになり、その立ち上げのお手伝いをしていました。
また、海外視察をはじめ、様々な場所へ行かせてもらいましたね。他国のコーチを見たことにより、コーチに対する考え方が変わりました。
日本ではナショナルコーチがトップという考えがありましたが、海外では、教える対象に合わせてエキスパートが存在するんです。ナショナルチーム、子供、30~40代以降の選手など、それぞれでグッドコーチ、ビギナーコーチの分類が体系づけられています。
また、スポーツそのものに対する考え方も異なる印象がありました。日本では競技をする上で「競うこと」を求められますが、海外では柔らかい雰囲気で、地域に見守られながら「楽しんでスポーツをする」といった雰囲気でした。
みんなでつくり上げる、新たな形の授業
―高専教員の道を選んだきっかけは何ですか?
教員として指導者になることを決め、様々な学校に応募していた中で、教授に高専はどうだと勧められました。たまたま同じ研究室の同期が有明高専に就職していたので話を聞いてみると、研究者寄りではない自分にとっては程よいバランスで仕事ができると思い、挑戦してみることにしました。
それまでの人生で高専と関わることなく学生生活を送っていたので、いざ足を踏み入れてみると驚きばかりでしたね。部活、授業、学生の雰囲気、どれをとっても新しい環境で、はじめの1〜2年間は試行錯誤の日々でした。
―体育の授業がずいぶん特徴的だとお伺いしています。
着任から1~2年間は従来の授業を行い、実技テストで評価を行っていました。ですが今では、Microsoft Teamsを用いたアクティブラーニングに切り替え、実技テストによる評価を廃止したんです。具体的には、授業終了後に動画や文章などで振り返りを行ってもらい、そこに対して評価を行っています。
このような評価を行うようになったのは、アクティブラーニングを意識するようになったことがきっかけです。授業を通して学んだことを、社会に出たときに生かせなければ意味がないので、その関連性を意識しながら授業するようになりました。
今年の5年生の授業では、活動を完全に1から考え、実際にやってみるという発案型に挑戦しました。宇部高専は女子学生が多い学校でもあるため、バラエティに富んだ案が生まれ、学生たちも主体的に活動できる形態が取れたと思いますよ。
そして、体育の授業での経験は、研究へと発展しています。Teamsを用いた体育授業や発案型授業が社会人基礎力にもたらす影響について分析し、モデルコアカリキュラムとして認めてもらえたりするよう、これまでのデータを整理し、成果として発表することを目標としています。
―最後に、学生の皆さんにメッセージをお願いします。
教員としてのアドバイスをするのであれば、5年間の高専生活でどんな失敗をしてどんな成功を収めたいかを考えながら学生生活を送ってほしいなと思います。挑戦、失敗、成功のすべてを経験してほしいです。
学生時代を送った先輩としては、最高の友人をつくってほしいです。最高の学校生活になるよう、どんなときも支えてくれるような友人を見つけてください。そんな友人ができるよう、自分から動いてほしいですね。
小泉 卓也氏
Koizumi Takuya
- 宇部工業高等専門学校 一般科 准教授
2005年3月 神奈川県立百合丘高等学校 卒業
2009年3月 日本体育大学 社会体育学科 卒業
2011年3月 日本体育大学大学院 トレーニング科学系 修了
2011年4月 日本体育大学大学院 コーチング学系 助教
2014年4月 明星大学 通信教育部 非常勤講師
2014年4月 湘南工科大学 工学部 非常勤講師
2014年4月 東京理科大学 理学部 非常勤講師
2015年8月 東京医科歯科大学 特定業務支援職員
2017年4月 宇部工業高等専門学校 一般科 講師
2019年4月より現職
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