富士通やベンチャー企業、大学研究所で情報系の研究を行い、現在は茨城高専に勤められている蓬莱尚幸先生。研究職を志望したのは、修士課程時代のアルバイトがきっかけだそうです。蓬莱先生の歴史を振り返りながら、高専での取り組みについても伺いました。
アットホームな研究所に憧れ
―情報系の分野に興味を持ったきっかけを教えてください。
私が通っていた桐蔭学園高等学校の理数科にはコンピュータ関連の科目があり、それに関する同好会もあったので、情報科目に興味を持ちました。大学は情報工学科の道に進みたいと思って東京工業大学に進学し、修士課程も東京工業大学の大学院に進んでいます。
そのころ、アルバイトで統計数理研究所に勤めていたのですが、昔ながらのアットホームな国立研究所でしたね。研究者がたくさんいらっしゃって、昼休みにはみんなで集まり、日常的な話から研究の話まで様々な会話をしていました。その雰囲気がすごく良かったんです。研究職に憧れを抱いたのは、そのときからでした。
―大学・大学院では、どのような研究をされていましたか。
学部生のときの卒業研究と修士時代は、ソフトウェア工学、特に形式仕様記述の研究室に所属していました。もともとプログラムをつくるのが大好きだったのですが、ソフトウェア開発の上流課程(形式仕様記述、要求分析)へと興味が移っていった時期です。
形式仕様記述というのは、プログラムの仕様の厳密な定義を目的としたもので、当時の花形的な研究でした。要求分析は、形式仕様記述の研究の後に盛んになった分野ですね。形式仕様記述によって「つくりたいモノ(プログラム)をつくれる」ようになったので、「顧客(ユーザー)は何を使いたいと考えているのか」が重要になってきたのです。
―その後に就職された富士通では、どのような研究に従事されたのでしょうか。
最初のころは国際情報社会科学研究所で要求工学の研究を続けましたね。しかし、組織改編があり、富士通研究所のドキュメント処理研に移りました。そこで行ったのが、検索エンジンやテキストマイニングに関する研究です。
テキストマイニングとは「文書(ドキュメント)集合からの知識発見」のことを指します。ただ単語を検索して調べるだけでは不十分な場合、テキストマイニングで俯瞰して調べるのが有効なのです。富士通研究所では、ドキュメントとして3年分の新聞データを対象に、富士通と競合他社の違いを分析するのに役立てました。
例えば「~戦略」や「~事業」といった単語を全て引っ張り出し、それらと富士通および競合他社にどの程度つながりがあるのかを調べるのです。そして、つながりを細かく絞り込むことで、そのつながりを生む元となった記事も見ることができるという、「俯瞰」と「詳細」を併せ持った機能のサービス化を目指していました。
しかし、サービス化が完成するギリギリ前に富士通を退社しまして……。私って中途半端な人間なんですよね(笑) でも、振り返ってみても、おもしろいことをしていたなと思います。
「タンパク質」は「文書」と同じ!?
―退職された理由は何なのでしょうか。
セレスター・レキシコ・サイエンシズ株式会社に転職したからです。これは、富士通研究所の先輩がバイオベンチャーをスタートアップすることになり、情報系のリーダーとして参加したのがきっかけです。「タンパク質の配列解析」や「生物医学系論文のテキストマイニングの研究・開発」を行いました。
「生物医学系論文のテキストマイニング」はこれまでの仕事とのつながりを感じますが、「タンパク質の配列解析」は「テキストマイニングと関係ないのでは?」と思う方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、実は大いに関係があります! というのも、タンパク質は20種類あるアミノ酸から構成される1列の物質ですので、「文書と同じ」と捉えることができるのです。
また、この「タンパク質の配列解析」の研究成果で博士号を取得することもできましたね。博士課程に進むことは、転職時にセレスター・レキシコ・サイエンシズの社長と約束していたんです(笑) 常任監査役を退任したのち、奈良先端大へ9カ月間通い、修了することができました。
―博士号を取得された後は、どうされたのでしょう。
ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ株式会社へ転職し、そこからの派遣という形で、慶應義塾大学の先端生命科学研究所にポスドクとして勤めました。またしても転職ですね(笑) この研究所は山形県の鶴岡市にありまして、今でこそ多くのベンチャー企業がありますが、私がいた当時はそういったベンチャーが生まれてきた時期でもあります。
ここでは、5年間のプロジェクトとして「質量分析をつかった最適なデータベース」をつくっていました。その後は、ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズに戻り、社内用のLIMS(ラボラトリー情報管理システム)の開発を行いましたね。これも質量分析を行うものです。
質量分析とは、物質(化合物)の分子のつながりを切り、それぞれの破片の質量数と数を測定することで、物質の同定(何の物質なのかを探る)などを行うことです。そのためには、すでに発見されている物質のデータベースと照らし合わせる作業が必要なのですが、未知の物質の場合はそれが通用しません。
そこで行うのが、完全に同じではないが、同じような性質を持つ物質と照らし合わせながら、どういう物質かを探る作業です。私が慶應の研究所でしようとしていたのは、その作業を自動化させることでした。物質を破片の集合だと捉えれば、テキストマイニングが通用すると考えたのです。
―先生はさまざまなところで研究をされてきたのですね。
そうですね。ただ、大学院生のころは「研究所で働くこと」に憧れていましたが、実際に企業の研究所で働いてみると、印象は違いました。憧れと1番近かったのは慶應の研究所だったと思います。ポスドクでしたので、40歳を過ぎても研究だけに没頭でき、すごく幸せでした。
その都度その都度おもしろいものを探し、研究の意義を見つけ、熱意をもって研究に取り組む。それが研究者のあるべき姿だと私は思っていますし、そのように生きてきたつもりです。学生時代に描いていた絵とは全然違うものになりましたけどね(笑)
留学生は「3年生」ではなく「1年生」から受け入れる
―そこから高専教員になられたのは、なぜでしょうか。
50歳になったのを機に、定年まで続けられる職を産業界と高等教育機関で探したのがきっかけです。実は高専には少し縁がありまして、高校時代に通学していた桐蔭学園の隣には「桐蔭学園工業高等専門学校(※1991年廃校)」がありました。ですので、高専が何をしているところなのかは、ある程度知っていたんです。
そして実際に茨城高専で働き始めて1番思ったのは、「学生がすごくまじめ」ということです。あと、「技術」に対して思い入れの強い学生が多いですね。私も学生時代はプログラムが好きで書いていましたが、茨城高専の学生も同じように見えました。
学生には、卒業研究や特別研究でやりたい課題を「研究=誰もやってないこと」と言えるレベルまで自分自身で行うよう指導しています。「その課題について研究するからには、私以上にその分野の専門家になりなさい」と、学生には最初に言っていますね。
学生が選ぶ課題は、以前の私の研究分野、AIなどといった現時点でホットな話題、身の回りの問題を解決したい、など様々です。最近ですと「ゲームAI」に興味を持つ学生もいますね。ゲームは簡単すぎても難しすぎてもダメなので、人間がギリギリ勝つことのできる楽しいレベルにするために使われる技術です。
私自身の研究としては、これまでの研究を継続して行っていたり、国語教員の方と共同で今昔物語集を分析したりしています。今昔物語集は説話集でして、大きく分けると「民間の話」と「お坊さんの説教」の2つになるのですが、「テキストマイニングを使えば、より詳細な分類ができるのでは?」と思い、研究しています。
―教育面については、いかがでしょうか。
茨城高専ではほぼ毎年「国際センター」の業務に従事していましたので、寮の改修、ISTS(学生交流ベースの国際会議)、1年生留学生の受入れ、タイ高専支援などに力を入れてきました。
「1年生留学生の受入れ」に関しては、「高専の国際化」を目的として、通常3年生として留学生を受け入れているところを、1年生から受け入れようというものです。3年生からの編入だと、留学生は高校卒業後に編入されるため、1年以上ダブってしまい、同じ年齢の学生クラスに入れないのが課題でした。
そこで、中学を卒業したタイミングで高専1年生として迎え入れることができれば、その課題は解決します。しかし、中学を卒業していきなり日本に来て、日本語で勉強するのはやはり難しいことです。そこで茨城高専では、1年生のころの数学や物理の授業では、留学生1人ひとりに教員をつけてサポートしています。おもしろいもので、留学生のいるクラスは、他のクラスより成績が良くなる傾向がありますね。明確な理由はわかりません(笑)
―今後の目標について教えてください。
私は2022年4月に61歳になりました。今年度を含めると定年まであと3年間です。卒研生は最終年度まで受け入れることができますが、専攻科生は来年度が最後の年になります。限られた範囲ですが、学生と一緒に楽しく研究したいです。
私自身の今後についても考えています。定年後も高専に残る方はいらっしゃいますが、その場合だと私は木更津高専に行きたいですね(笑) 周りの方にもそう言っているので、書いても大丈夫ですよ(笑) 企業に行くことも含め、検討中です。
―未来の高専生にメッセージをお願いします。
科学技術に興味をもって、それを一生やっていきたいと思ったら、大学に進学する前に、まず高専に来た方がいいかもしれませんね。大学よりも先生との距離が近いですし、モノをつくりながら先生の指導を受けることができるのは高専の大きな特徴です。卒業したら、普通の人よりも芯を持った、強い人間になっていると思いますよ。
蓬莱 尚幸氏
Hisayuki Horai
- 茨城工業高等専門学校 国際創造工学科 情報系 教授
1980年3月 私立桐蔭学園高等学校 理数科 卒業
1984年3月 東京工業大学 工学部 情報工学科 卒業
1986年3月 東京工業大学 理工学研究科 情報工学専攻 修士課程 修了
1986年4月 富士通株式会社 国際情報社会科学研究所 研究員
1990年9月~1991年8月 オックスフォード大学 Computing Laboratory 客員研究員
1993年4月 株式会社富士通研究所 研究員
1993年4月~1996年3月 情報処理振興事業協会 新ソフトウェア構造化モデル本部 研究員
2000年9月 セレスター・レキシコ・サイエンシズ株式会社
2004年10月~2006年3月 奈良先端科学技術大学院大学 情報科学研究科 情報生命科学専攻 博士後期課程
2006年4月 ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ株式会社
2006年4月~2011年3月 慶應義塾大学 先端生命科学研究所 所員(研究員)
2012年4月 茨城工業高等専門学校 電子情報工学科 教授
2020年4月 独立行政法人国立高等専門学校機構 本部事務局 教授(併)国際参事
2020年4月~2021年3月 タイ・キングモンクット工科大学トンブリー校高等専門学校 教授
2021年4月より現職
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