高専教員教員

夢は持たなくてもいい! 基礎能力があればどこにでも行ける。だからこそ、日々の学びを大切に

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母校・富山高専の商船学科で教鞭をとる村田光明先生。気象予報士や唎酒師(ききさけし)の資格を持ち、商船学科を卒業した後は農学、工学の分野へ進むなど、興味のあることにはとにかく挑戦する姿が印象的です。そんな村田先生が、学生に伝えたいこととは。

世界一周できるかも? 商船学科に惹かれた理由

―高専の存在を知ったのは、何がきっかけでしたか。

中学校の進路説明会に高専の先生が訪問され、話をしてくださったことです。高専そのものは知っていましたが、商船というジャンルがあることを知ったのはこれが初めてでした。船乗りという仕事に大きな夢を抱いていたわけでも、海の上で仕事がしたいという目標があったわけでもありません。

ただ、「世界一周ができる」「卒業後は大学進学も就職も自分次第」「国家資格が取得できる」「船に乗った場合は給料が高い」といったポイントなどに惹かれただけです。もともと王道を行くのはあまり好きではなく、どちらかと言えばマイノリティを選ぶ子どもだったので、「一般的な高校とは違う」といった点にも魅力を感じたのかもしれません。将来のことはあとから考えれば良いから、とにかく面白そうな、一般的に体験できないことをやってみたいと思い、進学を決めました。

―実際に世界一周はできたのでしょうか。

はい! 実質上の6年次に大型練習船実習として「青雲丸」に乗って世界一周できました。現在の状況では海外には行けるものの世界一周はないと聞いているため、もしかしたら私たちが世界を周ることができた最後の世代かもしれません。降り立った先では、現地のスーパーマーケットや教会を見てまわるなど、その国の生活文化を肌で感じることが何よりの楽しみでした。

―卒業後の進路はどのように考えましたか。

高専ではたくさんの経験ができ、非常に濃い学生生活を送れたものの、私は「絶対に船乗りになりたい」というわけではありませんでした。何か一つを集中して極めるのではなく、さまざまなものに興味が移るタイプです。事実、高専時代には気象予報士やサッカーの3級審判員、卒業後に唎酒師の資格を取るなど、本当に好奇心が働くまま行動していました。

▲高専生の頃の村田先生

こんな感じでしたから「卒業後は船以外の分野も学んでみたい」と、いつしか思うようになっていたのです。ただ、ここで立ちはだかる壁が、商船学科は海技免許取得カリキュラムの関係で、他学科より半年ほど長く学校に所属するという点。さらに当時は、一般的な編入学のための受験・入学時期には船に乗っているため陸どころか国内にすらいないのです(笑)

商船系の大学であればこうした状況でも対応いただけたのですが、私が目指したのは、海や船と関係が無い大学だったため、こんなイレギュラーな学生を受け入れてくれる大学が少なく……その中で条件に合ったのが豊橋技科大だったわけです。もうひとつ言えば、雪が降らない土地で生活してみたいという思いもありましたね。

こうして、高専卒業後は5年半学んだ分野とはまったく違うエコロジー工学科へと進んだのでした。

自分がいる場所で全力を尽くす

―分野も環境も何もかも違う大学に行ってみて、いかがでしたか。

高専の最終学年ではほぼ船の上にいたこともあり、英語と数学の知識がほぼ消えかけていることに我ながら衝撃を受けました。「これはまずい」と、できる限り時間割を詰め込み、がむしゃらに勉強しました。必死すぎてよく覚えていないくらいですが、このときに努力した経験があったおかげで「どの分野に行っても何とかなるだろう」という自信が芽生えたような気もします。

大学では気象予報士の資格を生かして、気象シミュレーションに関する研究をやってみたのですが、あまり向いていませんでしたね(笑) そんなときに、たまたま出席した講演会で聞いた話が面白く「この先生の研究室に入りたい」と思い、修士課程に進むことに。ここでは、植物や土壌,肥料に関することに始まり、最終的には土壌用センサーの研究に没頭しました。これまで農学の道に行きたいなんて思ったことは一度もありません。でも、どんな分野でも、知らないことを学べるのは楽しい。何より、先生の人柄に惹かれていたので、研究中の雑談こそが一番の楽しみでした。

▲水田土壌用のセンサー

その後は先生からの薦めもあり、博士課程へ。実は、酒造メーカーへの長期インターンシップへ自らお願いして参加するなど、就職を頭の片隅に据えて就活も行ったのですが、やっぱり自分は知識を増やすことのほうが好きなんだと気付いたのです。ただ途中で、知識を増やすこととつくることの違いから、やる気がなくなり、博士課程を修了するまでには時間がかかってしまったわけですが……。

▲酒造メーカーで長期インターンシップ中の村田先生

―高専の教員になった経緯を教えてください。

博士3年の頃だったでしょうか。夜の21時頃に高専時代の指導教員から電話がかかってきて「大島商船高専の教員を受けてみないか」と言われたのです。正直、教員に大きな憧れがあったわけではなかったのですが、二つ返事で「はい!」と答えました。

商船学科は船舶職員を養成する施設でもあるので、指導する側にも海技士免許が必要なことが多くあります。ただ、この資格を所持しながら海運業界に就職した人が、教員の道を志すことはあまりない。なぜなら、様々な分野を体験した感想として、楽ではなく大変な部分もありますが、イメージ以上に海運業界は待遇面が良く、選択肢も広いからです。

それでも私が教員になろうと決めたのは……やはり「恩師に誘われたから」が一番の理由でしょうか。基本的に仕事は生活の糧に過ぎないので、やりがいや好き嫌いで選ぶべきではないと思っています。もちろんやりがいがあるに越したことはありませんが、自分がいる場所で全力を尽くせば、次第にその場にフィットすることも多いとも思っています。

―教員になってみていかがですか。

▲高専教員になられた初年度の村田先生(左)。研究室の学生と

良くも悪くも、学生の人生に多大な影響を与える存在だなと実感する日々です。また、現在は大島商船高専から母校の富山高専に移りましたが、明らかに変化を感じるのは女子学生が増えた点ですね。私がいた頃から学校全体では女子が多い高専であったものの、7,8割ほどが男子学生でした。しかし、現在は5:5くらいではないかと思うほどです。

当然、商船学科も女子学生が増えており、それは、私より上の世代の女性の方々が頑張ってキャリアを積み、結果を残して船長や機関長になってくださったからこそでしょう。「こんな風に働きたい」と思える姿を背中で示してくださる方がいるからこそ、業界を目指す女性が増加したのだと思います。

▲現在の研究室の学生と

いまだに男性有利である部分は力仕事などがあると思っていますが、こと海運業界においては、世界的な潮流を受けやすいこともあり、性差がほとんどない会社も多く存在しているのではないでしょうか。事故を防ぐために100%実力で判断せざるを得ない面がある業界ですので、頑張って結果を出せば男性であろうが女性であろうが正当に評価してもらえることが増えています。だからこそ、志望する学生が多くなったのかもしれません。これは、非常に喜ばしいことです。

沈黙していても何も進まない

―現在はどんな研究をされているのでしょうか。

最も力を入れているのは、船舶の塗料をいかに人手をかけずに綺麗に剥がすかというものです。厳しい航海にも持ちこたえられるよう、船に使う塗料は非常に剥がしにくくつくられているのですが、メンテナンスなど、状況に応じて塗装を剥がさなければならないことがあります。

できるだけ負担を減らせたら人的な労力の削減につながるのではないかと思い、塗装方法や剥離方法を研究しているところです。今後、人手不足になるのは目に見えていますから、できるだけ整備作業を効率化できればと考えています。

▲塗料に関する実験の様子

「剥がれやすい塗装を使わず、剥がしやすい塗装を考える」のは、非常に矛盾しているようにも感じますよね。どうも私は、このように人とは違うものに取り組むことが好きなようです。誰も見たことがない知見が得られるかもしれないと思うと、ワクワクします。道なき道を進むことは間違うことも多いですが、少しでも今後につながる道筋をつくる種蒔きができたらと思い、日々取り組んでいます。

▲社船研修にて。濃霧で100m先が見えなくなっています

―学生に指導する上で心がけていることはありますか。

高専を卒業して船員になった場合、卒業直後の20歳でも自分より有能な50代のベテラン部下をもつことが普通にあります。さらに、船長や機関長などを含めた大勢が参加する会議の場で質問をする必要もあります。あるいは船乗り以外の社会人自体もそうかもしれません。このときに、どうか発言を恐れないでほしいのです。

私は会話が得意なほうではありませんが、学生の頃からとにかくたくさん質問をするようにしていました。自分が質問することで知識がつくのはもちろん、クラス全体の能力も上がっていきます。ですから、不利益が多かろうとも沈黙より雄弁を尊べる人になってほしいのです。「沈黙は金」なんて慣用句もありますが、私は沈黙していても何も前に進まないと思っています。自分を守るためだけに沈黙を貫く大人には、できるだけなってほしくありません。

―高専生にメッセージをお願いします。

「高専に入学する人間は○○の傾向がある」なんて、あまり関係ないというのが、私の持論です。だからこそ、自身が思い込んでいる長所・短所に囚われすぎてはいけないと思っています。例えば、少し寂しいですが、商船学科だから海運業界へ絶対に進まなければいけないわけではありません。事実、私は商船学科に身を置きながら、高専の教員になるまでまったく別の分野を歩んできました。しかし、失敗も含めて何ひとつ無駄だったことはないと自信を持って言えます。これまで身に着けてきた知識は今でもかなり利用できており、全て自分の行動次第です。

そもそも、人生は自分の思い通りになるなんてことは、ほぼありません。どこに行っても何をしても課題はついてまわります。「こんなはずじゃなかった……」と悩むよりも、今いる場所、たどりついた場所で全力を尽くすことが大切なのだと、私は思っています。

もちろん、自分の夢を一心に貫き、しっかりと叶えている学生たちは非常に素晴らしい。尊敬しています。でも、誰しもが必ず夢を持たなければいけないわけではないでしょう。基礎的な教養や能力さえ持っていたら、社会という未来の読めない霧や嵐の中でも針路を定め、進路をつくることができるはずです。そのためにも、ぜひ日々の勉強や取り組みをおろそかにしないでください。

村田 光明
Hiroaki Murata

  • 富山高等専門学校 商船学科 航海コース 講師

村田 光明氏の写真

2005年9月 富山商船高等専門学校(現:富山高等専門学校) 商船学科 航海コース 卒業
2008年3月 豊橋技術科学大学 工学部 エコロジー工学科 卒業
2010年3月 豊橋技術科学大学大学院 エコロジー工学専攻 修士課程 修了
2014年3月 豊橋技術科学大学大学院 電気・電子情報工学専攻 博士課程 単位取得満期退学
2014年4月 大島商船高等専門学校 商船学科 助教
2021年3月 豊橋技術科学大学大学院 電気・電子情報工学専攻 博士課程 修了
2021年4月 大島商船高等専門学校 商船学科 講師
2024年4月より現職

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