明石高専の機械工学科を卒業し、現在はデザインエンジニアリングを専門として九州大学大学院 芸術工学研究院で准教授を務めている秋田直繁先生。「工学とデザインという相反する事象が生じる可能性がある分野を組み合わせたからこそ、現在がある」と、秋田先生は語ります。
「芸術工学」という言葉との出会い
―どんな幼少時代を過ごしましたか。
ロケットや、ロボットなどのものづくりに興味がありました。小学生の頃、学研の教材を両親が定期購読してくれていて、付録でよくついていた実験キットを試すのが毎回楽しくて。振り返ってみると、このときの体験が発明やものづくりに結びついているように思います。小5の頃には祖母から『道具と機械の本: てこからコンピューターまで』という本を誕生日に買ってもらうほど、のめりこんでいました。
また、建築物を見るのも好きでした。当時住んでいた神戸市には「六甲の集合住宅Ⅰ」をはじめ、安藤忠雄氏の建築物が点在していて、それらを見ながら街中を歩くのが好きだったんです。中学2年生の頃には阪神・淡路大震災を経験し、地震で崩れた街並みが新しく生まれ変わる様子を目の当たりにしたことで、より建築に心が惹かれていきました。
―進学先に明石高専を選んだのはなぜですか。
高専の入試は高校の一般入試よりも前に実施されるので、もし高専に合格できなくても「一般入試で他に行きたい高校を受験できる」というリスクヘッジができる点が決め手でした。
当時は機械工学科と建築学科で悩んだのですが、機械工学科だったらロボットやロケットもつくれるだろうと思い、進学先に決定しました。ただ、入学後に建築学科が模型などをつくっている様子を見るたび、「やっぱり建築の道に進みたい」という思いが強くなっていきまして……。高専2年生の頃には「デザインの勉強がしたい」と明確に思うようになったと記憶しています。
―高専卒業後、九州芸術工科大学(現:九州大学 芸術工学部)に進学したのはなぜですか。
高専3年生の頃に大学編入学で建築分野に移ることを考え出したのですが、当時は前例がなく、他分野への受験は思っていた以上に難しかったので、どうしたらいいのだろうかと考えていたときに手にした本で「芸術工学」という言葉に出会いました。
さらに、福岡にある九州芸術工科大学では、建築の内部空間のデザインである「インテリアデザイン」を学べることを知りました。インテリア空間は多様なインテリアエレメント(※)で構成されていますが、その一つである家具のデザインは、材料力学や材料学、機構学や機械加工学、流体力学など「機械工学」の知識が生かせそうなデザイン対象であると感じたのです。
※インテリアを構成する要素のこと。家具や家電、照明、小物のほか、天井、壁、床なども含まれ、インテリアとして影響を及ぼすものすべてがインテリアエレメントとされる。
泳いだ末にたどり着いた場所
―実際に大学でデザインを学んで、いかがでしたか。
今でもよく覚えているのが、最初に受けた授業での課題「AtoBプロジェクト」です。いくつかのチームをつくると、先生がストロー、アルミホイル、タコ糸などが入った段ボールをそれぞれに配り「これらを全部使って、レースをします。直径10mの噴水の対岸にAとB地点を設けます。AからBまではやいチームが勝ちです。ルールはそれだけ。質問は受け付けません」と言いました。
私は、他高専の卒業生3人とチームを組み「タイムを競うのだから、とにかく物理的に速い乗り物をつくろう」と考えました。ところが、他のチームは段ボールを装飾したり、999㎝の船を水面に浮かべてスタートと同時に指で押して1㎝移動させたり、A地点に設置した鏡にB地点を映すことでゴールしたとするなど、独自性のあるアイデアを出すこと自体を楽しんでいたのです。
私は効率性や便利さを追求してばかりで、楽しむことが頭にありませんでした。「デザインって、こんなに自由に考えていいんだ」と、固定概念が覆された瞬間でした。
―修士課程修了後に入社したコクヨファニチャー株式会社(現:コクヨ株式会社 ファニチャー事業本部)ではどのような仕事に就いたのでしょうか。
当時はカタログに載るような商品開発を行う部署で働きたかったのですが、最初に配属されたのは、商品企画や新規事業を企画する部署でした。上司や同僚に恵まれ、ビジネスの考え方や企画書の作り方、苦手だったエクセルでの分析の仕方など、多くのことを習得しましたね。また、お客様である様々な企業向けにそれぞれの働き方に合わせた家具をカスタマイズ設計し、営業さんや空間デザイナーと共に提案する仕事も担当しました。
企業に就職すると、自分が思い描いていた部署や職種に就けるとは限りません。しかし、与えられた仕事を頑張り、周りから吸収しながらも、目指す場所に向かって「泳ぐ」ことが大切だと私は思っています。「歩く」でもなく「走る」でもなく「泳ぐ」です。手で水をかけば反作用として社会の重さや状況の重さを実感します。そのように身体全体を使い、ゴールに向かって360度あらゆる景色の中を自分の力で泳ぎ続けるのです。
私自身、泳ぎ続けた結果、多くの諸先輩方のおかげで、入社4年目に商品開発部に異動することができました。朝から晩まで働き、部長には土曜日に設計を教えてもらったこともあります。コクヨ時代にお世話になった方々には、今でも心から感謝しています。
―そこから教員になった経緯を教えてください。
商品開発部に来てから3年が経ち、30歳を過ぎた頃に「このまま商品を開発し続けるのか」と、今後の人生について考えました。企業を泳いだことで、ものづくりの上流から下流までを見ることができ、広い視野が養われたからです。
当時、私は実務で培ったデザインの「暗黙知」という、経験で得られるような「言葉で表現しにくいノウハウやコツ」などを理論化したいと考えるようになっていました。デザインのノウハウは言語化が難しく、企業でも「俺の背中を見て学べ」というような“職人的な知識伝達”が多いと感じていましたので、そのような暗黙知を理論化し、私なりのデザイン学の体系化を実現したかったのです。
そんなときに友人のSNSで九州大学の教員の採用情報を見つけました。大学に着任した後は論文博士を取得。研究者として育てていただいた椎塚久雄先生や清須美匡洋先生をはじめとする先生方、前職の皆さんのおかげだと感謝する日々を送っています。その恩を感じながら、今後も誰かのために精一杯頑張りたいです。
離れた領域を越境できる人材を育てる
―現在の研究について教えてください。
複数のメーカーと新規事業企画や新商品開発を行う共同研究がメインです。科研費の研究では「予防歯科の動機付けのための口腔セルフケア支援ツールのデザインと評価」を実施しており、歯垢や歯石に照射すると赤色に発光する波長の照明を内蔵した歯ブラシを共同研究者と試作し、それを用いて口腔ケアに関する行動変容や意識の変化に関する実験を継続しています。
また「九州大学病院×デザイン教育プロジェクト」を複数の先生方と実施し、健康・医療の分野とデザイン分野を融合した授業を修士学生に向けて教えています。病院の患者や医師が抱える課題を発見し、それを解決するためのプロダクトやゲーム、アプリや仕組みをデザイン提案し、実装に向けて学生たちと共に活動する日々です。
このほか、2020年には福岡県にある大川桐英中学校の収納庫を中心とする家具シリーズをデザインしたり、2022年には九州大学 大橋キャンパスの芸術工学図書館の受付カウンターのデザインをしたりと、多様なデザイン実務をこなしながらデザインの理論化を進めているところです。
―今後の目標を教えてください。
企業との共同研究の中で新商品開発に携わりながら、自分のデザイン能力を高め続け、そのノウハウを学生だけでなく企業の方への教育にも注力していきたいと考えています。
また、私の主の研究領域であるアメリカの哲学者 チャールズ・サンダース・パースの記号論や、演繹と帰納とアブダクションを用いたデザインにおける推論方法の研究、ジェームズ・ギブソンの生態心理学やアフォーダンスに関する研究を進め、学生さんや企業のみなさまに語れるような、独自のデザイン学の体系を築きたいと思っています。
私の専門性「デザインエンジニアリング」の能力は、明石高専と九州芸術工科大学の両者で学んだことで育まれました。
デザインエンジニアリングとは、安全性や強度、効率などを検討し、最適解を求める「エンジニアの視点」と、社会や生活者のことを考え、それをカタチにする「デザイナーとしての視点」を行き来しながらものづくりを行う態度、またはその思考やアウトプットの技術を言います。
私の中には、「エンジニアとしての秋田」と「デザイナーとしての秋田」の人格が同居しており、2人が会話を重ねながら、様々な課題に対して解を見つけ出しています。両者の間に相反する意見が生じた場合には、一方の主張を諦めるのではなく、対立を乗り越えるアイデアを出そうと試みます。あたかも、そこには対立がないことを知らしめるアイデアを出そうというマインドセットこそが「デザインエンジニアリング」には大切だと思うからです。
このように、離れた分野を越境し、つなぎ合わせることができる人材をこれから育てていきたい——そのためにも私自身が実践的に学びながら「デザイン学」を追求し続けたいですね。
―高専を目指す小中学生にメッセージをお願いします。
高専は、専門分野の知識を高等教育の早い段階から身につけることができる貴重な教育の場です。高い専門性を持ちながら幅広い視野を持つことができれば「T型人材(※)」と呼ばれる、社会で活躍できる人材になることができるでしょう。
※何か1つの分野について高度な専門性を持ち、それを軸として他の幅広い分野の知見も持っている人材のこと。
ただ、これからの時代は複数の高い専門性を持ちながら、幅広い視野を持てる「π型人材(※)」と呼ばれる人が求められます。1人の中で複数の視点から物事を考え、相反する問題が生じた時にそれを乗り越えるアイデアを創出できる力こそが必要となる時代なのです。
※異なる分野2つ以上について高度な専門性を持ち、それらを軸として他の幅広い分野の知見も持っている人材のこと。
まずは、高専で1つの専門を極め、社会に出た後でも大学編入した後でもいいので、もう一つの専門の軸を見つけるために、ぜひ知の海を泳いでください。
秋田 直繁氏
Naoshige Akita
- 九州大学大学院 芸術工学研究院 人間生活デザイン部門 准教授
2001年3月 明石工業高等専門学校 機械工学科 卒業
2003年3月 九州芸術工科大学 工業設計学科(現:九州大学 芸術工学部) 卒業
2006年3月 九州大学大学院 芸術工学府 芸術工学専攻 修士課程 修了
2006年4月 コクヨファニチャー株式会社(現:コクヨ株式会社 ファニチャー事業本部)
2013年4月 九州大学大学院 芸術工学研究院 デザインストラテジー部門 助教
2018年 九州大学 博士(芸術工学)、論文により学位取得
2021年6月より現職
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