自分の気持ちが惹かれるものを追い求め続け、気づけば研究者となった沼津工業高等専門学校の住吉光介先生。宇宙の中で起きる華々しい巨大なイベントである、超新星爆発の再現を求めて何度も挑戦し続ける研究者としての姿について、インタビューを通して迫ります。
1人の先生との出会いから始まった「物理への道」
―先生のご専門は天文学でしょうか? それとも物理学でしょうか?
私の専門は、物理学と言えるでしょう。その中でも、原子核や星についての研究を行っています。海外では「nuclear astrophysics(宇宙原子核物理学)」という名前が付いており、原子核物理と宇宙物理の両方にまたがった研究をしています。
幼少期に天体観測が好きだったとか、宇宙飛行士に憧れていた訳ではなく、物理学の勉強をしていくうちに現在の分野にたどり着きました。ですので、天文学者になりたかったわけではないですし、今も天文学者という認識はないですね。
―物理学の道に進もうと思ったのはなぜですか?
入口となったのは、高校時代の物理の授業です。当時授業をしてくださっていたのがK先生という非常勤講師の方だったのですが、本当に素晴らしい先生で、授業がとても面白く、K先生のおかげでもっと勉強したいと思うようになりました。
K先生が在籍していたのは1年間のみでしたが、その期間で物理に興味を持った生徒は多かったと思います。実際、K先生の物理の授業を受けたこの学年の生徒たちの物理学科や大学院への進学率は急増しました。K先生の凄さを知った生徒の中には、「神」と呼ぶ人もいたぐらいです(笑)
私が物理にハマった理由は、「学べば学ぶほど整理されていくこと」でした。
ある時、K先生は黒板に1つの式を書いて、大学の物理では全てが唯一の原理に集約される、と説明しました。そのことを知ったとき、なんて面白い分野なんだと思い、もっと知りたい、もっと学びたいと思うようになりました。実際、大学に行ってみたら、物理を学べば学ぶほど法則は集約されていき、やがて1つの原理にたどりついたので、なるほど凄いと思いました。
―ご自身が教壇に立つ立場になり、高校時代の影響を受けていると感じることはありますか?
はい、そう思います。当時、覚えることが少なく、すっきりしていて面白いと感じたことが影響していて、自分がとても面白かったから今教えているんだなと、よく思います。
高専の授業では、高校物理の範囲からそれぞれの専門につながる物理まで幅広く教えるため、学生が理解しやすい分野もあれば、指導が難しい分野もあります。教えた範囲がどのように発展していくかの展望を持たせながら授業をするのは、なかなか難しいと感じていますね。
ただ、私が高校時代の授業を通して物理に興味を持つことができたので、今指導している学生にも、物理を好きになってもらうこと、物理が嫌いにならないような授業をすることは心がけています。K先生のようにはいきませんが、物理が面白い分野であることが学生に伝わればいいなと思っていますね。
また、高専生には授業の内容をそれぞれの専門分野に繋げられる考え方を身につけられるようにもなってほしいです。高専では、物理を用いて技術へ応用して能力を発揮することが大切なので、学んだ内容が日常の現象や専門科目の内容に結びつけられるように意識しながら指導しています。
日本ではニッチな分野「宇宙原子核物理学」とは?
―原子核物理に関心を持つようになったのはいつ頃からですか?
出会いは偶然とも言えます。当時私が大学4年生の卒業研究で所属していた素粒子理論研究室の隣が、原子核物理をテーマとした研究室だったのです。研究室の枠を超えて様々な交流がありました。大学に入ってすぐに私に声をかけてくださった教授の先生の研究室でもあったので、学部生の頃からなぜか頻繁に出入りして、研究室の遠足にも混ぜてもらい、一緒に行ったこともあります(笑)
研究室に出入りして親交が深まるうちに、自然と研究の世界にも関心を持つようになりました。大学院進学を考えていた頃に、「うちの研究室に来ないか?」と助教授の先生が誘ってくださったことがきっかけで、その研究室に入り、原子核分野と関わることになりました。
―宇宙にも関心を持つようになったきっかけは何だったのでしょうか?
学部時代の研究テーマが素粒子理論に関することだったのですが、その当時からクォークに関心を持っていました。クォークとは、中性子や陽子をつくる粒子のことです。物質の成り立ちについて物理学者が1度は気になる分野で、私も勉強していました。
大学院から入った原子核理論の研究室では、当時助手だった先生が宇宙と原子核を組み合わせた研究をしていました。そのときに、クォークと宇宙という規模感が正反対の2つの組み合わせは面白いんじゃないかと思うようになったんです。この小さなものと大きなものを結びつけるというテーマが、今の研究にもつながっています。
この大学院修士課程の研究テーマは、アメリカの研究者との共同研究に発展しまして、カリフォルニア州の研究所に滞在して、最新の計算機を使って研究活動をしたのは貴重な体験になりました。
また、大学院時代、隣に宇宙物理の研究室が新たにできて、その研究室に所属する大学院生と仲良くなり、よく勉強会をしていたのも影響しています。宇宙や星のことに関しても、もっと知りたいという欲が出ましたね。初歩的なことから始めて、いろいろなことを教えてもらいました。
そうした素粒子・原子核・宇宙の研究室の人々との交流のなかから、現在の宇宙原子核物理分野の研究テーマへとたどりつきました。宇宙と原子核にまたがる研究を始めた当初は、手探りで課題だらけでした。日本では、宇宙と原子核それぞれの分野が伝統的な体系に沿って研究されていましたから、両方を組み合わせた研究となると、必要な知識も膨大になります。両方の分野で最先端となると、さらに難しくなります。
しかし、宇宙物理学と原子核物理学の巨塔に挟まれた間で残された重要な難問題はたくさんあります。世界的には割とポピュラーな分野ですが、日本ではちょっと隙間に取り残された感じで、希少というかニッチな研究分野なんでしょうかね。
超新星爆発の謎。再現可能性を求めて
―現在の超新星爆発の研究はどのように進めるのでしょうか?
超新星というのは星の最期に起こる爆発的な天体現象です。超新星として星が急に明るくなり輝きを見せているところや、その残骸がきれいな天体写真となっているのを見たことがあるでしょうか。私が取り組んでいるのは、太陽よりもずっと重い星がつぶれてしまい、それが跳ね返るときに爆発を起こすどうか、という問題で、重力崩壊型超新星爆発と呼ばれているものです。
この現象がどのように起こるのか、爆発の原因を理論的に説明できるか、というのが半世紀以上にわたる課題になっています。数式だけでは到底計算しきれない複雑さなので、スーパーコンピュータによる数値シミュレーションを行って、星がつぶれる段階からスタートして観測で知られているような爆発を再現できるだろうか、をずっと調べています。
そのためには、爆発現場での高温高密度の極限状態で物質の状態を正確に予測してシミュレーションに組み込む形でデータ化することが必要になります。
この点について、大学院博士課程で原子核物理の研究室にいた時から取り組みはじめ、お隣の宇宙物理の研究室の人の助けも受けながら、基本的なデータを算出するための計算に時間を費やし、博士論文としてとりまとめました。高校あるいは高専の物理や化学で習うであろう「状態方程式」という、ガスの圧力を計算する式のようなものですが、ここでは通常の原子核をさらに圧縮するような未知の極限状態での振る舞いが必要なので、実験データはなく、原子核物理の理論を拡張して予測します。
この状態方程式を数値シミュレーションで用いることができるように整備するのに年月がかかりましたが、国際共同研究を通じて状態方程式データテーブルを完成させて、1998年に世界へ向けて公開しています。沼津高専のホームページにも載っています。この研究成果はのちに世界の研究者に広く使われるようになり、世界標準の1つといってもよいものになりました。
出来上がった状態方程式データテーブルを使って超新星爆発を調べたいと思っていましたが、その数値シミュレーションは非常に複雑なもので、私のような原子核物理分野の新参者がすぐにできるようなものではありません。それでも爆発のシミュレーションをやってみたいと私があちこちで言っていたのを聞いた宇宙物理分野の研究者の方々が声をかけてくれて、天体の数値シミュレーションを手掛けるようになりました。
そして、1996年にドイツのマックスプランク宇宙物理学研究所にフンボルト財団の研究員として1年間滞在して研究する機会があり、これが大きな転機となりました。
超新星爆発の数値シミュレーションを行うための必要なデータ・計算コードが出揃い、2004年に初めて、星がつぶれて跳ね返ったあと発生する衝撃波が伝播して爆発するかどうか調べるためのシミュレーションを行いました。その結果、残念ながら超新星爆発を再現することはできませんでした。
早稲田大学の先生と共同で研究を進め、その当時分かっていた知識と自分達が行った計算の全てをつぎ込んだのですが、失敗に終わり悔しかったです。自分のつくった状態方程式で爆発することが分かれば凄いぞ、などと思っていましたが、爆発しないという結果となり不発だったので、ちょっとがっかりしました。
そこからしばらくは、ブラックホール誕生に関する研究を行うことになりました。ブラックホールは、爆発が起こらないまま物質が降り積もって天体の質量が増え、圧力により支えることができなくなり、最後にはつぶれてしまうことで誕生します。つまり、超新星爆発が起きなかったケースとなります。
爆発しない場合も我慢強く数値シミュレーションを続けていればブラックホールになる、という点を生かして、失敗作だった研究成果が、意外にも面白いものになりました。ブラックホールが誕生する際の観測シグナルの特徴を明らかにしたことは、私の代表的な研究成果の1つになっています。
私がここまで超新星爆発にこだわっている理由として、原子核と星が密接に結びついているので面白いということが主にありますが、その中でも特に興味を持っていることとして、爆発を通して元素がつくられること、中性子星やブラックホールのような極限の天体が生まれる可能性があること、ニュートリノという謎の粒子が関わっていることの3つがあります。
中でもニュートリノは、日常的にはほとんど物質と反応しないけれども、超新星では本質的な役割を果たしている、面白い粒子です。1987年2月に観測された明るい超新星の際には、爆発に伴うニュートリノが地上実験施設のカミオカンデ検出器で観測されて、超新星においてニュートリノが重要であることがわかりました。この発見はのちに小柴昌俊先生のノーベル物理学賞受賞にもつながっています。
ニュートリノに関する研究は、その後も梶田隆章先生がノーベル賞も受賞し、物理学分野において盛り上がりを見せている分野でもあります。そんなニュートリノが超新星爆発に大きく関わっていると明らかになったので、複雑性も面白さも増しましたね。
―1度の失敗を経て、再チャレンジはされましたか?
はい、再チャレンジしました。何度も挑み、今もチャレンジ中です。はじめは爆発が起きる中で物質がどうなっているのかに注目して研究をしましたが、次はニュートリノが他の物質とどう作用しているのか突き詰めて調べてみることにしました。
2004年のシミュレーションで爆発しなかったのは、星の物質がまん丸(球対称)であると仮定していたことが原因の1つと考え、星の内部が複雑な形状の場合の計算も行うことにしました。ニュートリノ粒子の分布と流体の変動を扱うため、計算量も格段に増え大変な計算なのですが、どうしても必要だと考えたのです。コード開発には何年もかかりますし、最先端のコンピュータの技術を用いても、シミュレーションを終えるまでに半年から1年の時間を要します。
このように、以前より複雑性も増し、ある程度期待値も上がった状態でシミュレーションに臨んだのですが、現段階でも華々しく完ぺきに爆発する結果には至っておらず、今も解明のためのチャレンジを続けています。
―宇宙の研究と、コンピュータ等の技術の発展は繋がりがあるようですね。
その通りです。扱う内容が緻密になればなるほど計算量が増えるので、より速く大規模な計算ができるスーパーコンピュータが必要なんです。スーパーコンピュータの性能が上がるたびに、超新星爆発の様子について新たな現象が見つかる、と言われているほどです。
「富岳コンピュータ」をご存じでしょうか。世界で1番速いスーパーコンピュータのリストに載っており、日本において現在最高性能を誇ります。前身となる京コンピュータ、現在は富岳コンピュータなどを用いて、複雑な形状で広がる衝撃波伝播による超新星爆発の流体ダイナミクスとニュートリノ粒子の反応の精密かつ巨大な計算を試みています。そして内部の物質がどうなっているか、最初の疑問への答えを見つけようと努力しています。
この巨大計算をやろうと思ったのは2007年ごろなんですが、そんな計算をするのは途方もないことで、計算実行は難しいのではないかと言われていました。しかし、計算コードの開発を地道に進めていき、スーパーコンピュータの性能が向上したことにより、巨大計算が可能となり、2017年ごろからシミュレーションによる研究成果が次々と得られるようになりました。
今はシミュレーション計算による研究の最終段階にあり、もうすぐ究極の計算による最終的な結論を導くことができそうです。この結果が出ることによって、過去の研究で失敗に終わった原因や、他の研究者による研究結果で不十分だった点の原因が明らかになるのではないかと期待しています。
―最後に学生の皆さんにメッセージをお願いします。
私は昔から何者かになりたいという欲は、特にありませんでした。ただ、何か興味を持ったものに惹かれて調べたりして、そのとき面白そうなことへ取り組んでいく、というのを続けてきた気がします。
そうした取り組みが、あちこちでなぜか繋がって今に至っています。学生の皆さんには、自分が面白いと思うことをどんどん突き詰めていくこと、というのを私からのメッセージとします。
小学生の頃、ときどき蟻の観察をしていたのですが、ある日、蟻の好物が気になり、いろいろな物を並べてみることにしました。このとき母は面白がって家の冷蔵庫にある食べ物を惜しげなく出してくれ、あれやこれや片っ端から並べてみたんです。当然、砂糖が1番になくなるだろうと思っていました。しかし、1番人気は焼き豚だったんです。これにはずいぶん驚きました。このときの意外な発見の驚きは、今も記憶に残っています。
そんな小さな感動や大発見が楽しくて、気づけば研究者になっていました。ちょっとした好奇心や探究心を持ち続けること。そして、知りたいと思う心を周りに伝えることが大事だと思います。発信し続ければ、誰かは必ず聞いています。そうすることで、挑戦する機会を得ることができるんじゃないでしょうか。
また、研究人生を通してできた繋がりにも喜びを感じています。同じテーマで研究している以上は競争相手になりますが、それ以上に仲間という意識が湧くようになりました。国内外を問わず多くの人に出会えたことはかけがえのないものです。未来の研究者の皆さんには、その喜びも味わってほしいなと思います。
住吉 光介氏
Kohsuke Sumiyoshi
- 沼津工業高等専門学校 教養科 教授
1984年3月 東京都立狛江高等学校 卒業
1988年3月 東京都立大学 理学部 物理学科 卒業
1990年3月 東京都立大学大学院 理学研究科 物理学専攻 修士課程 修了
1993年3月 東京都立大学大学院 理学研究科 物理学専攻 博士課程 修了(博士号取得)
1993年4月 高エネルギー物理学研究所 理論部 日本学術振興会 特別研究員
1994年4月 理化学研究所 基礎科学特別研究員
1995年4月 同 研究員
1996年4月〜1997年3月 MPI Astrophysics 招聘研究員
2000年4月 沼津工業高等専門学校 教養科 講師
2001年4月 同 助教授
2007年4月 同 准教授
2012年4月より現職
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