文部省(現・文部科学省)に入省後、現在、東京高専の校長として学校の教育、魅力を伝えるべくPR活動に奔走されている谷合俊一校長。社会実装教育に力を入れ、知識だけでなく創造力や応用力が求められる時代に、高専での学びを生かすことの重要性についてお話を伺いました。
法曹志望から文部科学省へ——社会貢献への思い
―大学時代は弁護士を目指されていたとお伺いしました。
故郷は東京・あきる野市で、大学を卒業するまで秋川渓谷沿いの自然豊かな環境で育ちました。東京高専に赴任したことは実家の近くということもあり、とてもありがたいことだと思っています。
小学1年生の時には父の勧めで囲碁を始めまして、プロ棋士を夢見たこともありましたが、さすがにそこまでの才能はなかったようです。それでも中学から大学までずっと囲碁部で活動し、現在に至るまで私の最大の趣味になっています。
中学生の時、社会科見学で東京地裁に行きました。裁判を見学した際、ああいう厳粛な雰囲気で仕事をしたいなと感じ、特に弁護士さんはかっこいいなと思いましたね。その経験から弁護士に憧れを抱くようになり、大学でも法律を勉強しました。
当時、司法試験の合格率は約2%だったと思います。大学3年生と4年生のときに受験しましたが、最初の択一試験で2度とも不合格となり、論述試験に進むことはできませんでした。
もちろん在学中に合格するのは難しいと分かっていたものの、自分は法律に向いていないなと早めに見切りをつけたんです。もう2、3年頑張れば受かるかもしれないとか、そういう気持ちは全くありませんでした。たぶん10年かかるなと思ったので、きっぱり諦めることにしました。囲碁のプロ棋士に続いて、2度目の挫折ですね(笑)
―卒業後、文部省(現・文部科学省)の道に進まれたのはなぜですか?
司法試験がうまくいかず、どうしようかと思った当時は、まだバブルの最中で、企業の就職も非常に好調だった時代です。ただ、何となく企業で働くよりも、もう少し公共的でみんなのために働ける仕事をしたいと思ったこと、また、せっかく勉強した法律の知識も役立てたいと思いましたので、公務員に興味を持ちました。
そのなかでも文部省を選択したのは、人を育てるということはなかなか難しいけれど、1番自分に合っているような気がしたからです。長期的な視点で日本の将来を担う人材を育てるような仕事がしたいという思いがありました。
1年目に配属された特別支援教育の部署は、目が回るほど忙しかったです。「通級」の制度化が最初の仕事でしたが、仕事の量に対して人手が少なく、新人なのに1人でさまざまな仕事を抱える状況になりました。机の上に書類が山積みになり、椅子の上にも書類を積んでしまって、立って仕事をすることもありました(笑)
しかし、特別支援教育に「教育の原点」を見た思いがしています。これまで集団教育しか受けてこなかった自分にとって、教員が一人ひとりの子供たちに向き合い、子供の障害の状態に応じたきめ細かな教育を行っている姿は、とても新鮮でした。これが最近の「個別最適な教育」につながるものなんですね。駆け出しの役人にとって、良い学びの機会になったと思います。
また、文部科学省は平均して2年ごとに人事異動がありますので、多くの部署を経験することができました。海外勤務もありますね。
私は、カリフォルニア大学総長事務室に客員研究員として1年間派遣されました。大学の理事会に出席したり、キャンパスを訪問して教員にインタビューしたり、とても有意義でした。英語は未熟でしたが、身振り手振りを添えて何とか乗り切り、滞在中に10回ぐらいは旅行にも行ったんです。モニュメントバレーの日の出は最高でした。
思いがけない高専校長——学校現場に行ける楽しみ
―多くの教育行政に携わった中で、1番印象に残った仕事についてお聞かせください。
生涯学習政策局(現・総合教育政策局)での社会教育の仕事は、役人人生で1番楽しかったです。社会教育とは、学校や家庭以外で行われる教育のことで、人間が生涯にわたって学び続けるものです。対象は赤ちゃんからお年寄りまで、つまりすべての人ということです。
よく生涯学習と混同されますが、社会教育はあくまで「教育」です。つまり、何らかの目的があって、組織的に行われる教育となります。生涯学習は自分自身の教養を高めたり余暇を充実させたりというところにとどまってしまう場合もありますが、社会教育は「学んだことを社会のために活用する、実践する」ところまでを含む活動です。
例えば、地域の環境や防災、観光振興、B級グルメの開発など、テーマは何でも構いません。学びと実践がセットになっているのが社会教育です。ちょっと高専的でもありますね。
特に高齢化が進む日本が「成熟した社会」として未来に向け発展していくためには、社会教育こそ重要になってくると思っています。高齢化は決して悪いことではない。高齢者が生き生きと学んで社会に貢献する、そういう社会なら高齢化は大歓迎だと思っています。
―東京高専の校長の辞令をもらった際の心境はいかかでしたか?
学校現場で働けることがとても楽しみでした。霞が関にいると学校がとても遠く感じられます。自分が行政担当者として携わってきた法律や制度、予算事業が、学校での教育活動や学生たちの姿にどう反映されているか、実感するチャンスだと思いました。
東京高専の学生たちの第一印象は「とても優秀」。授業を見学したり、学生と話をしたりする中で、学生たちの専門性の高さに驚きましたね。学生たちが一生懸命説明してくれる研究内容は非常に内容が高度で、大学の4年生や大学院生のレベルのものだと感じました。
ちなみに、東京高専は校則が非常に緩やかだと言われています。服装や髪型などは学生に任されています。校長としては、さすがに自由すぎると感じることもありますが、真面目に勉強し、しっかりと課題やレポートを提出していれば問題ないと割り切っているんです。自由な環境の中で、学生たちは自分自身のやりたいことに取り組んでいますよ。
「社会実装教育」と「自由な学習環境」が東京高専の特徴
―東京高専の特徴や教育方針についてお聞かせください。
東京高専の最も特徴的な教育は「社会実装教育」です。どこの高校や大学でも、知識や技術を教えるところまではやってくれます。しかし、せっかく身に付けた知識技術を自分の中にしまっておくだけではもったいない。「社会」に「実装」するところまでやるのが東京高専の「社会実装教育」なのです。
東京高専では「社会実装プロジェクト」として、4年生及び5年生の必修科目にしています。扱うのは架空のテーマではなく、企業や地域社会が直面するリアルな課題です。学生が数人のチームを組んで、課題発見から試作品の製作・改良、最終的な課題解決まで1年半かけて取り組みます。こうして即戦力人材を目指すのが東京高専の1つの特徴です。
もう1つ、教育方針としては、学生の自由な発想を伸ばす環境づくりを心掛けています。たとえば、「はざまる工房」では、学生たちが空き時間や放課後を使って、思い思いにものづくりに取り組むことができるよう、3Dプリンターや実験資材などが自由に使える環境を用意しています。今年はさらに「起業家工房」を整備中で、スタートアップを考えている学生たちも積極的に応援していきます。
―東京高専の就職や進学の状況についてはいかがですか?
卒業後の進路としては、就職と進学が半々です。学校としてどちらが良いと指示することはありません。学生たちの意思を尊重します。他の高専と比べると、東京高専では進学がやや多いですね。進学者の多くは国公立大学の3年生に編入しています。
また、おかげさまで高専出身者の待遇を改善してくれる企業が増えてきており、今年は就職希望者が多くなりそうです。業種は多彩で、メーカー・電力・鉄道・化粧品・IT系など様々ですが、特にデジタル人材は引っ張りだこですね。長い人生、就職するにしても進学するにしても、自分の力を発揮する時間は十分にありますから、学生にはあまり焦らないように言っています。
専攻科に進む学生も非常に優秀です。高専教育が自分に合っていると思う学生は、専攻科に進むのが有力な進路だと思います。東京高専では昨年度から専攻科のカリキュラムを一新して、応用的・実践的な学習を増やしました。本科の社会実装教育との接続も良くなったので、おすすめです。
もう1つ、女子学生を増やしたいと思っています。昨年の1年生は25%が女子でした。おそらくこれが過去最高だと思いますが、もっと増やしていきたいです。
昨年から「高専GIRLS SDGs × Technology Contest(高専GCON)」という女子学生向けのコンテストが始まりましたが、女子学生たちの活躍は見事でした。女子学生が機械をいじったり試験管を扱ったりする姿をもっともっと小中学生たちに見てもらって、リケジョを増やしたいと思います。
―最後に、高専の魅力と未来の高専生に向けてメッセージをお願いします。
AIの進化は想定以上のスピードで進んでいます。AIは論文も小説も書きます。絵も描きますし、作曲もします。世の中のほとんどのことはAIができるようになりました。既知の知識や技術の勝負では、人間はAIにかなわないということです。
そういう中で私たち人間に求められる能力は、「創造力」であり「応用力」です。東京高専は基礎的な知識と技術をベースに、社会実装教育や豊富な実験・実習を積み重ねることで、創造力と応用力を身に付けさせる学校です。これからの時代にピッタリの学校だと思いませんか。中学生の皆さんには、ぜひ高専を進学先の1つの選択肢として考えてほしいと思います。
なかなか文章だけでは東京高専の魅力を伝えきれませんので、まずは、東京高専のオープンキャンパスに来てください。百聞は一見に如かず。本校自慢の学生たちが皆さんに研究成果を披露できることを楽しみに待っています。10月は文化祭と同時開催ですので、大いに盛り上げていきたいですね。
谷合 俊一氏
Shunichi Taniai
- 東京工業高等専門学校 校長
1992年3月 東京大学 法学部 卒業
1992年4月 文部省入省(労働省、文化庁、総務庁等にも勤務)
2000年9月 島根県教育委員会高校教育課長
2003年4月 文部科学省(副大臣秘書官、大学入試室長等)
2007年7月 東京大学 本部統括長(財務系/研究推進系)
2009年10月 カリフォルニア大学 総長事務室 客員研究員
2010年10月 文部科学省(初等中等教育局企画官、原子力損害賠償対策室次長等)
2013年4月 国立教育政策研究所 教育課程研究センター 研究開発部長
2014年2月 文部科学省 生涯学習政策局 社会教育課長
2016年4月 (独)日本学生支援機構 政策企画部長
2017年8月 新潟県立大学 副理事・事務局長
2019年4月 内閣官房 內閣參事官(教育再生実行会議担当室参事官)
2021年4月より現職
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