進学者のキャリア大学等研究員

建築の奥深い世界に誘われて。大学院進学をきっかけに見えてきた新しい視点

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中学生の頃から建築に興味を持ち、伝統的な住宅や教育施設の建築計画について研究を続けられている新潟大学工学部工学科建築学プログラム 准教授の棒田恵先生。石川高専をご卒業後、どういった経緯で大学院へ進学し、新潟大学で研究を続けることになったのか。その軌跡について伺いました。

建築の奥深さを知った高専1年目

―建築に興味を持ったきっかけを教えてください。

母の弟が大工をしていて、両親が家を建てるときにその叔父さんが工事に入っていたんです。建築中の現場を見せてもらったり、お手伝いをしたりと、建物がつくられていく様子を間近で見るうちに興味が湧いてきました。それに、子どもの頃から祖父が京都のお寺や古い建造物に連れて行ってくれたのも、影響していると思います。

中学生の頃には建築の分野に進みたいと思い始めていました。でも、私はそれほど勉強が得意な方ではなかったんです。成績も良くなくてクラスでも試験の順位は下の方。でも、石川高専に行くために受験勉強を頑張りました。

高専では、前期と後期でそれぞれ設計課題が一つずつ出され、それをこなしながら学習していくんです。入学後は、すぐに住宅設計の授業がありました。中学から高専に上がったばかりの学生にとってはなかなか難しい授業もありましたが、それがかえって良かったと思っています。1年生ながらに建築は奥の深い学問なんだな、と気付くことができました。

―高専ではどんな研究を?

左:曇天のもと、大きな道路と建物群/右:青空に緑が映え、手前の整備された湖の奥には、尖塔が2つある、レンガ調の歴史のある建物が見える
【高専時代】初めての海外旅行で訪れたデルフト工科大学とデルフト市街地
その後、2011年から2012年にかけてデルフト工科大学に留学

卒業研究では「永平寺の晋山式における建築空間と行為に関する基礎的研究」をテーマにしました。当時所属していた建築研究部で仲の良かった先輩が、宗教に関わる研究や修験道と建築空間をテーマに据えていて、面白そうだと思ったんです。

建築研究部のメンバーとの楽しい思い出がたくさんあります。個人や団体でコンペに参加したり、四六時中建築の設計に取り組んでいた時期もありました。石川高専のある津幡町のまちづくりに参加し、10畳の大きさの模型を作成したりもしていました。また、北陸、関西、関東などに旅行をし、さまざまな建築空間を体験しました。高専の最後の夏に建築研究部のメンバーとイタリア、フランス、オランダなどのヨーロッパへ旅行したことは良い刺激になりました。この頃に学ぶ姿勢が身に付いたのだと思います。

進学を考えていた頃、新潟大学の先輩から「雁木(がんぎ)」と呼ばれる木造のアーケードに関するプロジェクトの話を聞きました。雁木とは新潟県などの豪雪地帯に昔からある空間で、家の前に庇(ひさし)のある通路をつくることで、雪が降っても通り道を確保できます。

近頃は取り壊されてなくなっているのですが、新潟大学では、栃尾表町の雁木を再生する活動が進められていました。私もものづくりが好きだったので新潟大学に入学を決めました。

建築計画の概念を変えた恩師との出会い

―大学入学後も、その活動に参加していたんですね。

室内、丸テーブルなどに飲み物や食べ物などが並び、ところ狭しと学生らが肩を組み、送別する学生との集合写真
【大学時代】仲の良かった留学生の送別会

結果的に20年続いた活動なんですが、私は4棟目の雁木から関わりました。伝統的な都市の要素を古いまま残すのではなく、今の時代のデザインを受けて古い風景と新しい風景を融合させていく。その姿勢が面白いと思ったんです。

私が3年次に参加していた頃は、10のグループがコンペで提案し、その中から選ばれたプランが建設されます。残念ながら私はコンペで3番目でした。翌年以降は、先輩として実施設計の図面・運営のサポートしながら雁木が実際に町に建てられていく様子を見ることができました。

プロジェクトに関わることで、将来の恩師と言える西村伸也教授に出会うことができたのも、大学へ進学してよかったと思えることのひとつですね。

―「人生に大きく影響を与える先生」との出会いがあったのですね。

西村先生の話で特に惹かれたのは「動く建築計画学を目指している」というものです。建築計画学はどうしても「こうしなきゃいけない」というルールがあるんですが、それが高専時代の私にとってはつまらなかったんです。

大学に来て西村先生がしている雁木の授業や建築計画の授業を受けたとき、それまでとは違うものを感じました。決まったことを教えるのではなく「そもそも空間をどう計画していけば良いか」という根本を教えていただいたと思っています。

もっとこの先生のもとで学びたいと思い、大学院の修士課程へと進みました。そこで出会ったのが「中国東北部のカンを持つ農村住居に関する研究」です。伝統的な住宅のなかでも新潟県の住居と共通点がある積雪寒冷地の住居の特徴を捉えようとしていた西村先生の研究の一部を担うことになりました。

古きから新しきへ。そのグラデーション

―「カンを持つ農村住居の研究」について教えてください。

日本では見慣れない住宅街を、舗装されていない土の道を歩く学生たちの後ろ姿
【中国の調査地での風景】調査住居に向かう様子

カンというのは韓国の床暖房・オンドルのような設備で、床から70センチほどの小上がりの下に管を通し、そこに温かい空気を送り込んで暖を取る仕組みです。この管は台所のかまどとつながっていて、厨房で煮炊きをした排煙で床を暖めます。

ここが寝る場所にもなるし、接客する場所にもなるし、食事をする場所にもなる。日本でいう茶の間みたいな空間です。マイナス10度の地域なので暖かい空間をどうつくるか、それを生活の中心としてどう設計するかが寒冷地の住宅において重要になります。

「カン」という設備は伝統的なものですが、1980年以降に建てられた住居でも残っているのが面白いところ。日本だと昔ながらのものを古いまま残すか、新しく建て替えるか、ダイナミックに変化している印象があります。

中庭のある、平屋の土造のような建物。窓枠や木枠は水色で縁取られており、その周りはサーモンピンク色の壁色になっているが、全体的には乾燥した土色をしている。
カンを持つ農村住居

しかし、このカンの例を取り上げてみると中国ではその折衷案が採用されている印象でした。ゼロか100かという二者択一ではなく、伝統的な住居が徐々に変わっていく様子が私にとって新鮮だったんです。

一見ただの小上がり。腰くらいの高さまで白い壁があり、縁には幅の広い木材。その内側には2つの違う花柄の布が敷いてある。
カンの写真

今はコロナ禍で以前のように海外での調査はできませんが、研究は続けています。調査初期の頃は、伝統的な空間はやがて消えていくのだと推測していましたが、2013年まで中国へ行って調査した結果、この伝統的な住居は意外と残っています。新しい住まいに変化していく姿が一様ではないのが興味深いところです。

小さな声に耳を傾ける建築

―その他、教育施設に関する研究もされていますね。

円柱のRC造。白色を基調に全面ガラス張りの外観。外から柱や中の様子が伺える。
【大学院時代】研究室で設計した科学技術交流悠久会館

ええ。博士課程の頃に自分の研究をしながら西村先生の研究を手伝っていたので、学校と保育所を対象にした研究もしています。

主に「文教施設・児童福祉施設での空間の使い方に関する研究」、「小中一貫校における生徒の行動特性に関する研究」、「子育て支援施設における親子の行動特性に関する研究」、「認定こども園での園児の行動特性」に関する研究の4つです。

―たとえばどんなテーマがありますか?

屋内。むき出しの配管にエアコンや照明器具は、白色が基調の内装になじむ。木製の本棚や机・椅子など、整った環境のなか学生が研究を行っている。
【大学院生の居室と私の研究室】改修の基本計画に参加

「教科教室型」の学校で過ごす生徒たちの「過ごし方」に関する研究です。

自分の教室が決まっていて、そこでずっと授業を受けるのが「特別教室型」。多くの人はこのタイプの教室を経験していると思います。一方、科目ごとに教室を移動するのが「教科教室型」です。ホームルームがなく、自分の持ち物は「ホームベース」と呼ばれるロッカールームに保管しておく。この「教科教室型」の学校で過ごす子どもたちの行動特性について研究していました。

生徒たちの行動を調査してみると、授業が終わってすぐに次の教室へと移動する子と、次の授業が始まるまで前の教室に留まっていたり、ホームベースで時間を潰したりする子と、いくつかの行動パターンが見えてきました。

前の授業で教室を使っていたのが高学年だったのか、中学年だったのか、低学年だったのかでも行動が変わります。たとえば、「前の授業が高学年のクラスであれば、上級生が怖いと思っている子はわざと時間を潰して出会わないように調整している」ことが読み取れる。結論としては、子どもたちは時間のずれや空間のずれを活かして過ごしていることが分かりました。

「特別教室型」だと一つの教室に割り当てられた生徒たちはその教室から離れられないけれど、「教科教室型」であれば移動するというきっかけから生まれる空間や時間のずれを活かして居場所を見つけられる。そんなことが調査結果として見えてきました。

―この研究をどう活用したいと思っていますか?

調査をして終わりではなく、この結果が空間をつくっていくうえでどう関わっていくかを意識して研究を続けています。学校などの教育施設では大多数のために空間設計をしていきますが、この研究を通して小さい声の人たち、学校で居場所をつくりづらい子どもたちが過ごしやすい動線につなげていけるんじゃないかと考えています。

―最後に高専生や受験生にメッセージをお願いします。

紺色の、「恵」と自分の名前が入った法被を身に付け、神輿を担ぐ棒田先生
【新潟市民みこしへの参加】学部生時代から継続的に参加

私が大学に行って良かったのは、今までとは違う考え方に触れられたことです。それまで私が想像していた建築計画は大学で出会った人たちや恩師の西村先生との出会いでがらりと変わりました。

高専では多感な時期にぐっと籠もって専門性を高めていきますが、大学ではその視野を広げられるチャンスがあります。私は高専で技術的なことをしっかりと勉強したうえで大学で広い見識を得られたので、そこからより一層、学ぶことへの好奇心が湧いてきました。

これからの時代、今まで以上に創造性が求められ、新たな価値観を生み出す人が必要になるでしょう。大学で相対的な考え方を身に付け、高専で培った専門性の可能性を広げていけばきっと将来は創造的な仕事ができるようになると思います。

棒田 恵
Satoshi Boda

  • 新潟大学 工学部 工学科 建築学プログラム 准教授

棒田 恵氏の写真

2003年 石川工業高等専門学校 建築学科 卒業
2005年 新潟大学 工学部 建設学科 卒業
2007年 新潟大学 自然科学研究科 環境共生科学専攻 博士前期課程 修了
2011年3月-2012年2月 オランダ、デルフト工科大学に留学(ロータリー財団国際親善奨学金を受けて)
2012-2013年 新潟大学研究推進機構 URA(University Research Administrator)
2013年-2014年 石川工業高等専門学校 建築学科 技術職員
2014年 新潟大学 自然科学研究科 環境共生科学専攻 博士後期課程 修了
2014-2016年 職業能力開発総合大学校 助教
2016-2022年 新潟大学 工学部 工学科 建築学プログラム 助教
2022年- 新潟大学 工学部 工学科 建築学プログラム 准教授

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今も昔も変わらず好きなことを。自分のルーツである母校で学びの楽しさを伝える日々
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