高校の地理教員を目指して広島大学へ進み、住宅団地やインドの都市開発の地理学研究、地理教育、附属学校の運営に携わってきた由井義通先生は、2026年4月に呉高専の校長に着任されました。これまでの歩みと、工学教育に「総合知」や課題解決力を取り入れ、知識を生きるための知恵へと高める教育への思いを伺いました。
高校教員を目指した先で、研究者の道へ
―高校時代は、地理の教員を目指していたそうですね。
地理が好きで、得意科目でもありました。高校時代はあまり勉強しなくても模試で良い点が取れたので、「地理の教員に向いているのではないか」と思うようになったんです。
担任の先生から、高校の地理教員を目指すなら広島大学が良いと勧められました。文学部で地理学を専門的に学びながら、教育学部の授業も受講できる環境に魅力を感じ、広島大学への進学を決めました。
―広島大学の地理学教室は、どのような環境でしたか。
入学して初めて、多くの研究者を輩出していることを知りました。定員は10人で、卒業後は半数が高校教員、もう半数が大学院へ進むような環境でした。
研究テーマも、サンゴ礁の形成から、人が場所や道順をどう認識するかを調べる「メンタルマップ」や大型計算機を用いた地域分析まで多彩でした。それぞれ異なる研究に取り組みながら、互いの調査を手伝っていましたね。
先輩や同級生は大学院へ進む人が多く、進学は自然な選択肢だったと思います。大学院進学による1級免許(現在の専修免許)取得希望が強かったので、試しに受けた地元愛媛県高校教員教採のわずか1人の採用枠に入れなかったこともあり、大学院で研究を続けることにしました。
―大学の卒業研究では、どのようなことをされたのでしょうか。
広島市郊外の住宅団地について、国勢調査統計を用いて居住者の年齢や職業などをデータベース化し、多変量解析という手法で、団地の類型化を試みました。人を性格診断でいくつかのタイプに分けるような方法です。
当時は、都市圏全体の住宅団地を分析した研究はほとんどありませんでした。分析からは、団地によって住民の年齢層や社会階層に偏りがあり、将来、住民が一斉に高齢化する可能性が見えてきました。
研究から40年が経ち、その高齢化は現実の問題となりました。研究も、建物と住民の高齢化が同時に進む「ダブルエイジング」や、空き家、住宅団地の再活性化へと発展しています。
―その卒業研究が、研究者を志す転機になったそうですね。
大学院進学後、指導教員に勧められて卒業研究を学術誌へ投稿したところ、研究の新規性が評価され、地理学分野の主要全国誌に掲載されました。修士論文も続けて主要全国誌に採択され、研究者としてやっていけるかもしれないと思うようになりましたね。
高校教員にも魅力を感じていましたが、成果を発表する経験を重ねるうちに、研究者の道へ気持ちが傾いていきました。
―博士課程修了後に、広島大学附属中学校・高等学校の教員になられています。
博士課程3年のとき、附属中学校・高等学校の地理教員の方が亡くなり、研究室に後任の推薦依頼がありました。当時、博士課程院生の最年長で大手予備校の河合塾で講師のアルバイトをしていた私が推薦され、赴任することになりました。
附属学校での経験が、将来、大学の教育学部へ進む道にもつながると勧められたことも、決断した理由の一つです。
地理を「覚える科目」から「考える学問」へ
―1996年に広島大学の教育学部に移られました。どのような教育・研究に取り組んだのでしょうか。
組織改編を挟みながら約30年間、地理学と地理教育に携わりました。教材や文科省の検定教科書の執筆、地理教員の養成に取り組む一方、日本の住宅問題(特に女性の住宅問題)やインドの都市開発に関する地理学の研究もしてきました。
広島大学には、1960年代からインド研究を続けてきた蓄積があります。私が立命館大学から広島大学へ異動した際、経済発展によって変化する都市を研究してほしいと声をかけられたことが、インドの都市開発を始めたきっかけです。
以来、コロナ禍の時期を除いてほぼ毎年、計24回ほど訪問し、都市開発の過程と課題を調べてきました。日本では、似た年齢や所得層の住民が同時期に入居し、住宅団地が一斉に高齢化する傾向があります。一方、インドでは異なる所得層の住宅を混在させるため、同じ問題は起こりにくいものの、建物の維持管理など別の課題が見られました。

―地理教育に力を入れられたきっかけは何だったのでしょうか。
教育学部へ移った頃に、大学入試センターの地理の問題作成に関わりました。その際、イギリスの教科書を分析し、日本との違いに驚いたのです。
日本では地理は暗記科目だと思われがちですが、イギリスでは理論や概念を使って考えることが重視されています。そこで、大学院生と現地の地理教科書を翻訳・分析するうちに、「日本の地理教育を変えたい」と考えるようになりました。
―その後は広島大学の副理事として、附属幼稚園や小・中・高校の管理運営や人事を担当されました。運営にあたり、何を大切にしていましたか。
広島大学の11の附属学校園は、それぞれ成り立ちや役割が異なります。教員研修を通じて地域の教育に貢献する学校もあれば、新しい授業を研究・実践する実験校としての役割を持つ学校もあります。

そのためすべてを同じ方向へまとめるのではなく、各校の特色を明確にすることを大切にしました。先進的な理数教育に力を入れる学校もあれば、国際理解や平和学習を進める学校もあり、それぞれが異なる教育目標を掲げ、存在意義を示せるようにしました。

―その経験は、呉高専での仕事にどのように生きていますか。
附属学校を担当していたときは、各校の経営目標を確認していました。その経験から、育てたい資質・能力が具体的に示されているか、教育目標が時代に合っているかを見るようになりました。
教育目標は、一度定めたら終わりではありません。学習指導要領も約10年ごとに改訂され、私も高等学校地理の改訂に携わりました。そうした視点で見ると、呉高専の教育目標にも見直す余地があります。知識や技能だけでなく、それらを課題解決に活用する力(『力強い知識=Powerful Knowledge』)の育成をどう示すか、現在検討しています。
工学に「プラスアルファ」を——知識を、生きるための知恵へ
―呉高専へ着任し、学生にどのような印象を持ちましたか。
高専生には、大学生に近い大人びた面と、高校生の年代らしい幼い面が同居していると感じました。低学年のうちから大人びた振る舞いを身につける一方、年齢に応じた人格形成が十分に進まないこともあるのではないでしょうか。
早くから専門分野を学べることは、高専の大きな強みです。そこに、人文・社会科学を含む「総合知」、知識を課題解決に生かす「コンピテンシー」、「他者と協力して学ぶ力」を加えたいと考えています。最終的には、身につけた知識を「生きるための知恵」へと高めることが目標です。

―「総合知」がものづくりに必要なのはなぜでしょうか。
技術や商品を社会で生かすには、自然科学や工学だけでなく、地域の文化や生活習慣、人々の価値観も理解する必要があります。
例えば、ポカリスエットがインドネシアで広く受け入れられた背景には、ラマダンの時期に水分補給の需要が高まるという、宗教や生活習慣との関係があります。『クレヨンしんちゃん』の笑いはラテン文化圏で受け入れられやすい一方、『ドラえもん』は、のび太がすぐにドラえもんに頼る姿が、自立を重視するヨーロッパでは受け入れられにくい。ただ映画版では、のび太がたくましく描かれることも興味深いですね。
良いものをつくっても、どの地域でも同じように受け入れられるとは限りません。文化や社会まで含めて理解することが、これからのものづくりには必要です。
―知識を活用する「コンピテンシー」とは、どのような力でしょうか。
これまでの教育は、「何を学ぶか」という「コンテンツ」が中心でした。しかし、これからは、身につけた知識や技能を使って課題を解決する力(学んだ知識をどう活用するか)が必要です。
そのためには、システム思考、論理的思考、批判的思考など、多様な思考力を育てなければなりません。呉高専の教育目標にも、知識や技能の習得だけでなく、それらをどう活用するかを示したいと考えています。
―他者と協力して学ぶ力は、どのように育てていきたいですか。
探究活動は、一人で完結するものではありません。理解が進んでいる学生と、つまずいている学生が教え合うことで、クラス全体の力を高められます。その過程で、他者と関わり、協力する力も育っていきます。
複数の人が協力して一つのものをつくる工学だからこそ、こうした探究型協同学習が必要だと思います。
―こうした学びを、どのように学生の「生きる力」へつなげたいですか。
断片的に身につけた知識は、知っているだけでは十分ではありません。それらを組み合わせ、実際の課題に活用することで、「knowledge」を「wisdom」、つまり「知識」を「知恵」に高める必要があります。
これは教育学では以前から重視されてきた考え方ですが、高専の教育目標では、まだ十分に示されていないと感じています。知識を習得するだけでなく、それを生きる力へと変える教育にしていきたいと考えています。
―呉高専は「トビタテ! 留学JAPAN」の採択者数が、全国の高専で第1位、高校を含めても全国第3位です。この実績の背景には何があるのでしょうか。
学生の留学を支える先生が一人ひとりに「海外で何をしたいのか」「何を学び、どのような知識を得たいのか」を丁寧にヒアリングし、そのうえで、目的に合った国や地域、学び方を一緒に考えていることが、実績につながっているのだと思います。
最近では、イタリアの工芸品がどのように伝統を守っているのかを学びに行く学生もいました。ただ海外へ行くのではなく、目的を持ち、「世界を知る」だけでなく「世界から学ぶ」ことが大切です。

―現役の高専生には、在学中にどのようなことへ挑戦してほしいですか。
高専への入学はゴールではなく、スタート地点です。卒業後には、就職、大学編入、専攻科や大学院への進学、研究者、起業など、多様な道があります。
自分にはどのような可能性があるのかを調べ、目標に向けて計画を立ててください。「させられる学習」ではなく、自らの意思で学び、行動してほしいと思います。
―これから高専を目指す中学生へ、メッセージをお願いします。
高専で学んだことは、デジタル、電子、AIなどの成長分野から、地域の伝統産業や公務員まで、幅広い仕事に生かせます。早くから進路を一つに絞る必要はありません。まずはどのような分野や仕事があるのかを調べ、自分の興味を見つけてほしいです。
―最後に、今後、呉高専をどのような学校にしていきたいですか。
教育の質をさらに高めたいと考えています。その一つとして、少人数教育の可能性を探ることができればと思います。広島大学の附属学校では、小学校を24人、中学校と高校を32人の学級へと変更しました。人数を減らすことで教育の質を高め、教員が一人ひとりの理解度を把握し、丁寧に指導できます。
また、高専の先生方は工学の専門家ですが、必ずしも教え方を専門的に学んできたわけではありません。私自身、教育学部で「地理学を研究すること」と「それを分かりやすく教えること」は別だと気づきました。専門の学問をわかりやすく教える教授法を試行錯誤することが重要と思います。
工学の内容だけでなく、「工学をどう教えるか」という工学教育そのものを進化させたいです。呉高専を、新しい工学教育のあり方を研究・実践できる学校にしていきたいと考えています。
由井 義通氏
Yoshimichi Yui
- 呉工業高等専門学校 校長

1979年3月 愛媛県立八幡浜高等学校 卒業
1983年3月 広島大学 文学部 史学科地理学専攻 卒業
1985年3月 広島大学大学院 文学研究科 博士課程前期 修了
1988年3月 広島大学大学院 文学研究科 博士課程後期 単位取得退学
1988年4月 広島大学附属中学校・高等学校 教諭
1992年4月 広島大学 文学部 助手
1994年4月 立命館大学 文学部 助教授
1996年4月 広島大学 教育学部 助教授
1997年 博士(文学) 取得
2001年4月 広島大学大学院 教育学研究科 助教授(改組による)
2006年4月 同 教授
2010年 広島大学附属小学校 校長 併任(~2014年)
2018年 広島大学 副理事(附属学校担当) 併任(~2026年)
2020年4月 広島大学大学院 人間社会科学研究科 教授(改組による)
2026年3月 広島大学 名誉教授
2026年4月より現職
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