
米子高専を卒業後、転職した会社でうつ病を経験された日野英壱先生。現在は母校で技術職員としてご活躍されています。「たくさんの会社を知っていることは、高専では大きな利点」と語る日野先生に、高専時代の思い出や、学生さんとの向き合い方について伺いました。
高専で手に入れたもう一つの得意分野
―日野先生が米子高専に進学されたきっかけを教えてください。
小学校の頃からの理科が好きでしたね。夏休みの自由研究もなかなかハードで、稲の成長を記録しようと、幼稚園教員だった母の指導の下、祖父母の田んぼで田植えから稲刈りまで全部記録して、賞をいただきました。
中学校では休部状態だった科学部を先生にお願いして復活させました。10人いないぐらいの部活でしたが、中学校の近くの港で魚類調査と称してひたすら釣りをしていたのが思い出に残っています(笑)
高専に行きたいと思ったきっかけは、進路相談室で高専のパンフレット見たことです。白衣を着て実験をしている写真に惹かれました。それまでは高専の存在自体を知りませんでしたが、急に進路を変えて米子高専の物質工学科に進学しましたね。
—高専に進学されていかがでしたか。
2年生の時、故・石原幸彦先生の授業をきっかけに、情報系に興味を持ったんです。とはいえ化学系への興味が無くなることはなく、高専では化学、家では独学で情報を習得する生活が続きました。後々思えば、同級生は化学をみっちり勉強していた中、私は情報系に浮気をしていたので、化学にどっぷりつからなかった分、化学系も面白かったのかもしれません。
もともと石原先生の授業はプログラミングに関することでしたのでそこから始めて、後にパソコンのハードウェアに手を染め始めました。多分石原先生は化学が嫌いだったと思うんですよ(笑) 化学工学の先生でしたが、薬品や器具を使った実験はせず、ほとんどがパソコン上で完結していました。
卒業研究は石原ゼミに所属して、プログラミング言語の「Visual Basic(ビジュアルベーシック)」を用いて実験装置のシミュレータを開発しました。固体と液体に分ける装置のシミュレーションだったと思います。情報に関する研究を化学の知識を用いて行うという「好きなもの同士の掛け合わせ」でしたので、苦労はしなかったですね。

重度のうつ病を経験……その後訪れた転機
—卒業後、さまざまなお仕事を経験されたんですね。

進学は一切考えておらず、高専卒業後に新卒で入社しました。その会社には品質管理を請け負う物質科学研究所があり、そこで仕事をしたいと思って入社したんです。
しかし、「品質管理の前に現場を知りなさい」ということで入社後に工場に入ったのですが、それが私には合いませんでした。工場内にはVOC(揮発性有機化合物)が飛んでおり、それで体調不良になったんです。試用期間中でしたが、現場を知る前に身体が耐えられなくなり、研究所に配属される前に辞めました。
その後、教育系の企業に転職。小学生を対象とした情報リテラシーなどのICT教育の普及促進を経験しました。図書館やパソコン室で調べのものはできますが、その段階で「正しい情報と間違っている情報をふるい分けするのも必要だよ」と伝えていました。
実は以前から親戚のいとこに家庭教師をしていましたし、小学校の時の職業診断で「先生が向いている」と出たこともあったので、そのころから教育に興味があったかもしれないですね。
—転職先で重度のうつ病になられたそうですね。
教育系から情報系の企業に転職し、ネットワークエンジニア、カスタマーエンジニアを経験しました。私が主に担っていたのはWindows系のシステムでしたが、技術員が3人しかいなかったので長時間労働になり、それがきっかけで重度のうつ病になったのです。
結局、趣味を仕事にしたので、仕事と趣味の境目がなくなっちゃったんですよね。その後はうつ病と向き合いながら、自営業で企業・個人を顧客としたパソコン、ネットワーク、情報系全般のサポート業務をしたのですが、「自分が楽しい範囲でやる」のは意識していました。
また、自営業をしながら、高専OBとしてよく高専に遊びに行っていたのですが、故・田原麻里先生からお声掛けいただき、研究室関係の仕事のお手伝いをしていました。そこで「化学が楽しい」とまた思い出して、タイミングよく技術職員の募集があり、それで道が開けました。
田原先生は学生相談室の先生をしていたので、すごく学生とコミュニケーションをとってくださる先生だったんです。それで私の面倒も見てくださったのかもしれません。卒業してから7年ぐらい経っていましたが、技術職員の面接も田原先生からの勧めでした。感謝してもしきれないです。
苦しかった場所から引き上げてくれた高専へ恩返し
―高専ではどのような業務をされているのですか。
メインが授業の支援で、あとは装置の管理です。先生方は基本お忙しいので、私が学科共通分析機器のある機器室にいて、何かあったらすぐ声を掛けていただいて対応するという環境づくりをしています。専門の先生ほど詳しくありませんが、ある程度装置を使えて直せるというポジションにいます。

基本的には「無駄なことはしない」というモットーでやっています(笑) 例えば前任者の方は実験が終わった後に試験管を綺麗に洗っていたんですけど、それって学生からすれば次の実験のときに綺麗な試験管が出てくるわけですよね。洗い物は嫌いじゃないですが、綺麗な試験管が出てくるのは学校だけで、職場では自分が汚く洗えばそれが自分に戻ってくるわけです。だから「器具の洗浄をするまでが実験だよ」とは学生に伝えていますね。
あとは情報系の企業で経験したマニュアルづくりが今役に立っているんです。システムを組み上げて、そのマニュアルまで全部自分でつくっていたので、それが今の教材づくりに繋がっています。
また、学科長の補佐としての仕事も担っており、効率化による業務量の軽減に努めています。当然先生同士が引き継ぎをされるのですが、学科長は変わっていきますので、学科業務全般の支援もしています。私自身、前に出るより後方支援のほうがやりがいを見つけて楽しく仕事ができるタイプなので、今後も学科や先生方の支援を続けていきたいですね。
―日野先生だからこそできる学生さんとの関わり方は何だと考えていらっしゃいますか。
実は先ほどお話しした企業を含め、7~8年で9回転職をしているんです(笑) 逆に言えばいろいろな会社を見てきているので、学生と話をする中ではかなり利点にはなっています。学生には「私の転職回数を超えてみろ!」と話しています(笑) 仕事は無限にありますから、若いうちに色々な会社を経験し、自分に合う職場を見つけられればいいと思います。
そして、私自身いろいろな仕事をやってみた結果、「仕事を続けるには好きが必要だよ」と学生には伝えています。あとは「お金を取るか時間を取るか、どちらか選びなさい」ですね。そうすると学生は、会社を迷っていても比較的決められるんですよ。仕事が楽しいか楽しくないかは会社に入ってみないと分かりませんが、「お金か時間を取るか」は求人票で分かります。私はいろいろな会社を経験した結果、「お金より時間を取る」という結論に至ったんです。
また、学生にも私が重度のうつ病になったことは言っています。数年前に卒業したとある学生も重度のうつ病でしたが、私の部屋がたまたま避難所として機能したみたいで、卒研が苦しくなったときによく私の部屋に来ていました。
私の部屋は鍵のかからないフリーの部屋なので、少し来て喋って「気が晴れた」と出ていく学生もいます。私は授業などで学生を評価する立場ではないので、何を喋っても害はないと思われているのかもしれないですね(笑)
とはいっても、学生もいろいろな事情があって私の部屋に来るので、「何があった?」とは聞きません。とりあえず学校には来るようには言っていて、私の部屋で好きなことをさせておくんです。所属の先生には「私の部屋にいる」と話すので、「指示があったら教えてください」と連携をとっています。卒業はしてもらいたいですから、私の部屋で実験することもありますね。

あと、基本的に「頑張れ」とは言わないです。頑張っているのに「頑張れ」と言われても、どうしようもないんですよ。凹んだ学生には「ゆっくり凹んで、そのうち上がってくればそれでいい」と言っています。私は臨床心理士でもなく、ただ場を提供しているだけです。各高専に学生相談室はありますが、ちゃんとした避難所みたいな場所があればいいのかなとは思っています。
ただ、仕事は2番。家族が1番です。家族のために仕事をしているのではなく、家族がいるから仕事ができています。うつ病は完治していませんが、いい方に進んだのは妻のおかげなので、本当に感謝です。
―現役の高専生にメッセージをお願いします。
前述した「仕事を選ぶときは、金をとるか、時間をとるか決めなさい」はもちろんですが、併せて「趣味を仕事にするときは要注意」と伝えたいですね。趣味を仕事にするのは駄目ではないですが、気をつけないといけません。境目がなくならないようにしっかり休息をとって、切り替えられるのならいいと思います。
あとは「あなたの道はそれだけですか? 実は隠れた道もあるのではないですか?」ということも言いたいです。高専に入ってからでも、自分が知らなかった分野を知る機会があります。自分の知らない世界も実は面白いかもという視野は常に持っておいてほしいですね。
そして、高専生へのメッセージではないですが、最後に。
私に情報系の世界を教えてくださった石原幸彦先生、技術職員の道を示していただいた田原麻里先生、高専での仕事を楽しいものにしていただいている青木薫先生には幸甚の至りです。
また、一緒に研究や業務に協力させていただいている伊達先生、藤井先生、礒山先生にはお礼とともに、今後ともよろしくお願いしますとお伝えしたいです。
そして、妻と子どもたちへ。これまでありがとう。これからもよろしく。
日野 英壱氏
Eiichi Hino
- 米子工業高等専門学校 技術教育支援センター
技術専門職員(化学系)

2003年3月 米子工業高等専門学校 物質工学科 卒業
その後、複数の企業、自営業(情報サービス系)を経て
2010年4月より現職
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