高専教員教員

プラズモンの研究からナノモーターの研究へ。高専生には「自分の色」を見つけてほしい

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茨城高専を卒業し、現在は大分高専で教鞭をとりながら、光で駆動するナノモーターについて研究されている田中大輔先生。高専時代の思い出から、高専の教員を目指した原体験まで、さまざまなお話をお伺いしました。

様々な人の後押しを受けて、高専の電気工学科へ

―高専に進学する前は、どんな子どもでしたか?

昔から理数系のことに興味がありました。小学生の頃にはそろばん教室に通っていて、算数が好きで得意でした。

小学校では豆電球に電池をつなぐ実験をする機会があって、もっと自分で試したいと思い、父親に豆電球や電池パックを買ってもらった記憶があります。電池のつなぎ方を変えて電球を明るくしたり、電流を流しすぎて電球のフィラメントを焼き切ったりもしました。自分の手を動かして試行錯誤をするのが好きだったのだと思います。

小学生のころの田中先生
▲小学生のころの田中先生

―どういうきっかけで高専に進学されましたか?

中学校ではソフトテニス部に所属しており、その顧問の先生が理科の先生でした。3年生の時に顧問の先生がクラスの担任になり、理系への関心を活かす進路として高専を強く勧められたのですが、その先生が「もし自分が中学生のときに高専を知っていたら絶対に受験していた」と言っていたことは、自分の決断にとって大きかったと思います。

一般的な選択というわけではなく、私の中学から茨城高専に進学する生徒が出たのは5年ぶりだったそうです。ちなみに、私は高専でもソフトテニス部に入ることにしたのですが、先輩が「5年前に君の中学から進学してきた人も、ソフトテニス部だったよ」と教えてくれました。5年というちょうどのタイミングで私がその空席に入ったみたいで、なんだか運命的なつながりを感じました。

中学生のころの田中先生。文化祭実行委員長として壇上で挨拶
▲中学生のころの田中先生。文化祭実行委員長として壇上で挨拶

高専への進学を考えていることを家族に話したところ、東京電力に勤めていた祖父から電気工学科を勧められました。電気工学の知識は幅広い分野で役に立ちますし、あとから興味関心が変わっても「潰しが利く」というのがその理由でした。家族に高専出身者はいませんでしたが、15歳という早い時期に専門を決めることのリスクヘッジを考えて助言をしてくれたのだと思います。

私は理数系のことに興味はあったのですが、具体的にこの分野のこれを学びたいというところまではイメージを持てていなかったので、祖父の助言に従うことにしました。

―実際に高専に進学してみて、いかがでしたか?

それほど勉強で困ったという記憶はないです。ただ、私は体があまり強くなくて、入学直後の最初の中間テストの時期に入院することになってしまいました。帯状疱疹という病気だったのですが、当時は知識がまったくなくて、ただの頭痛だと思って頭痛薬を飲みながらテストを受けていましたね。いよいよ辛くなって病院に行ったら、実は発疹が出ていたこともわかり、驚きました。

その結果、テストも半分しか受けられず、成績もその1回に限っては芳しいものではありませんでしたが、その後のテストでは、つねに上位の成績を取れていましたし、結果的にそこまで難しいと感じることはありませんでした。

ただ、中学のように受け身で授業を受けるだけでは試験を乗り越えることはできないと感じるようになりましたね。当時の茨城高専には1年次に「電磁気学」の授業がありました。通常、電磁気学は微積分を基礎に3年次や4年次に学ぶ科目ですが、進学してすぐに教わるため、授業は微積分を用いずに近似計算を活用する形で構成されていました。

理解に苦労する部分もありましたが、1年生でも分かるように丁寧に工夫された授業内容で、いまでもこの授業のノートは持っています。能動的に勉強するという意識を持てたのは、この授業がきっかけだったと思いますし、電気の不思議さや面白さを知るきっかけにもなったと思います。

高専1年生のときの授業「電気基礎」のノート。電磁気学を微積分なしの近似式で解く講義でした
▲高専1年生のときの授業「電気基礎」のノート。電磁気学を微積分なしの近似式で解く講義でした

思いがけない出会いからナノサイズの世界へ

―若松孝先生(現:国際創造工学科 専門共通教育部 教授)の研究室に進まれた経緯について教えてください。

実は第一希望の研究室は別にありました。その研究室では植物をさまざまな色のLEDで育ててその反応を調べるということをしていて、すごく面白そうだったんです。でも、人気が高くて、配属は成績ではなく「じゃんけん」で決まることになり、そこで負けてしまいました。

どうしようかと悩んでいたところ、同級生が「一緒に若松研究室に行かない?」と誘ってくれて、あまり深く考えずに「いいよ」と答えたのがきっかけです。ですから、自分で決めたというより、成り行きで若松先生の研究室に進んだ形ですね。

ただ、後から考えると本当にラッキーでした。当時、家電量販店でソニーの有機ELテレビがちょうど出始めた頃で、私はその綺麗な映像を見て感動していました。若松先生の研究室では、ナノ薄膜を使ったデバイスの作成や物性評価などを行っていて、まさに自分が普段の生活で「すごいな」と思っていた分野に関わる研究に携わることができました。成り行きで決めたことですが、結果的には、若松研を選んでよかったなと感じています。

高専卒業式後の懇親会にて
▲高専卒業式後の懇親会にて

―専攻科を修了後、東京工業大学(現:東京科学大学)の大学院に進学されていますね。

大学院では、梶川浩太郎先生の研究室で、高専の時から続けていたプラズモン共鳴の研究を継続しました。プラズモン共鳴とは、金属ナノ粒子に光が当たることで、表面の自由電子が集団的に振動運動(プラズマ振動)を起こして電場が発生し、この電場と光が共鳴して特定の波長の光が強く吸収されたり散乱されたりする現象です。

ステンドグラスって本当に美しいですよね。実はあの色はガラスに金属の微粒子が含まれていることで実現されています。普通のインクだと紫外線で退色してしまいますが、金属の微粒子はサイズが分子よりもずっと大きく、しかも金や銀は酸化しにくいため、長い間鮮やかな色を保つことができるのです。だからステンドグラスは、千年単位で色褪せず、美しいまま残り続けているわけです。

そして、面白いのは、私たちは金や銀をそれぞれ金色や銀色だと思っていますが、これらをナノ粒子にすると、金は赤色、銀は黄色に見えるんです。ステンドグラスの赤色は、このプラズモン共鳴によるものと言えます。

―大学院で印象に残った出来事はありますか?

梶川研では、同じテーマを研究していたインド人の研究員、グプタさんと一緒に実験する機会がありました。最初の半年は主に装置の使い方や実験手法、報告の仕方などを学び、グプタさんのアシスタントのような立場で、ガラスの洗浄や金蒸着(※)、測定データの提出といった基本的な作業を担当していました。

※蒸着とは、金属試料や酸化物などを蒸発させることで分子にし、それを基材の表面に堆積させて薄膜をつくることでコーティングする成膜方法のこと

そして、そのデータがグプタさんの研究論文として発表されることになり、自分の名前も国際誌に掲載されたのです。これが初めての論文発表で、世界中に見られるものに携われたという経験は、自分にとって大きな衝撃でした。この経験を通じて、研究の面白さと共に英語の必要性も痛感するようになりました。

大学院生のころの田中先生(1番右)。左から2番目がグプタさん
▲大学院生のころの田中先生(1番右)。左から2番目がグプタさん

当時は英語力にはまだ自信がなく、コミュニケーションに苦労していたんです。日々の実験報告でも、まずは日本語で文章を書き、それを翻訳ツールで英語に変換して調整する、といった試行錯誤が必要でした。高専ではあまり英語の実践的な必要性を感じる機会がなかったので、この環境で英語を身につけなければならないと強く感じました。研究そのものだけでなく、英語習得の大変さも加わり、かなり苦労しましたね。

短期留学でイギリスのサウサンプトン大学へ。写真はグリニッジ天文台にて
▲短期留学でイギリスのサウサンプトン大学へ。写真はグリニッジ天文台にて

―博士課程に進学された理由を教えて下さい。

梶川先生のアドバイスが背中を押してくれました。梶川先生に進学を迷っていると相談したところ、「博士なんて資格みたいなものだ。もし後から博士号が必要な職に就きたくなっても、持っていなければ難しいよ」と言われました。そのアドバイスは、自分にとって大きな指針となりました。

梶川先生はとても教育的な指導をしてくださる先生で、学生の進捗やメンタル面にも気を配ってくださり、定期的に進捗会を開いては遅れがあればフォローをしてくれるなど、親身に接していただきました。こうした環境で学べたことは、本当にラッキーだったと思います。

博士号を取得された際のお写真(右から2番目:梶川先生、1番右:田中先生)
▲博士号を取得された際のお写真(右から2番目:梶川先生、1番右:田中先生)

―現在のご研究について教えて下さい。

光で駆動させるナノ粒子型のモータに関する研究をしています。こちらもまた、プラズモン共鳴を扱う研究です。

光の速度が最速であることはよく知られていますが、光は波であり、その波長よりも小さいものは直接観察できません。光学顕微鏡で見えるサイズにも限界があります。しかし、金属ナノ粒子を使えば、光の波長よりもさらに小さい領域で光を操作できるようになります。これを応用すると、現在は電子で処理しているデバイスを、光を使って超高速で動かすことができる可能性が生まれるのです。私が研究している光渦で動くナノモーターも、こうしたデバイスの一種となります。

2023年度の「半導体人材育成」の成果が認められ、高専機構教員顕彰の理事長賞を受賞された田中先生
▲2023年度の「半導体人材育成」の成果が認められ、高専機構教員顕彰の理事長賞を受賞された田中先生

―高専で良かったと感じることはありますか。

たくさんありますが、実践的な教育が受けられることです。普通の高校では学べないような専門的な知識や技術を早い段階で学べるのは大きなメリットです。本当に必要な知識や技術を学べる環境で成長できたことは幸運でした。また、高専が色々な個性を活かす、許容する、という雰囲気があって、それも私には合っていたと思います。

高専生時代の同級生が旅行で大分に。高専で出会った友人のみなさんは、今もとっても大事とのことです
▲高専生時代の同級生が旅行で大分に。高専で出会った友人のみなさんは、今もとっても大事とのことです

―高専生にメッセージをお願いします。

高専生の皆さんに伝えたいのは、「自分の色を見つけてほしい」ということです。高専は普通の高校とは違い、専門的な知識や技術を学ぶ場です。その中で、自分が何に興味を持ち、何が得意なのかを見つけることが大切です。

卒研生のみなさんと集合写真
▲卒研生のみなさんと集合写真

色の話をすると、例えば、皆さんが青色だとします。青色は空や海を描くのに必要な色です。自分が青色だとわかっていれば、空や海を描きたい人にとっては必要な存在になります。逆に、自分が赤色だとわかっていれば、リンゴや夕焼けを描きたい人にとって必要な存在になります。

みんなと同じことをやって無色透明でいるよりも、自分の色を見つけて、それを磨いていくことが大切です。高専はその「色」を見つけるための絶好の場所です。自分が何に興味を持ち、何が得意なのかを見つけることができると思います。自分の色を見つけ、それを輝かせるために、高専での時間を大切に過ごしてほしいと思います。

ご家族とのお写真。「人生に安らぎと喜びを与えてくれる、とても大事な家族」とのことです
▲ご家族とのお写真。「人生に安らぎと喜びを与えてくれる、とても大事な家族」とのことです

田中 大輔
Daisuke Tanaka

  • 大分工業高等専門学校 電気電子工学科 准教授

田中 大輔氏の写真

2006年3月 茨城工業高等専門学校 電気工学科 卒業
2008年3月 茨城工業高等専門学校 専攻科 情報・電気電子工学専攻 修了
2009年9月 東京工業大学大学院(現:東京科学大学大学院) 総合理工学研究科 物理電子システム創造専攻 修士課程 修了(短縮)
2012年3月 東京工業大学大学院 総合理工学研究科 物理電子システム創造専攻 博士課程 修了(短縮)
2012年4月 九州大学 先導物質化学研究所 学術研究員
2013年4月 同 特任助教
2014年4月 大分工業高等専門学校 電気電子工学科 助教
2017年4月 同 講師
2020年4月より現職

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