母校・高知高専のソーシャルデザイン工学科で教授を務める近藤拓也先生は、長年、コンクリート構造物の維持管理に関する研究に携わっています。一般企業や社会人博士も経験した近藤先生が、なぜ、現在の道にたどり着いたのか。経緯や教育に対する思いを伺いました。
建設業界への興味がスタートライン
―なぜ高専に進学を決めたか教えてください。
叔父が勤めていたこともあり、建設業界に少し興味がありました。中学生の頃に両親から「こんな仕事をするなら高専で勉強ができるよ」と教えてもらったことが、高専を知る最初のきっかけです。
とはいえ、理数科目はどちらかと言えば苦手で、得意なのは社会科でした。両親も自分も「是が非でも高専へ!」とまでは思っていませんでしたが、専願で入学できたので、本当に運が良かったのだと思います。
―高専生活の中で印象に残っていることはありますか。
勉強量は非常に多かったと記憶しています。大変じゃなかったと言えば嘘になりますが、座学よりも実習が多かったのが自分の性分に合っていたので、辛いと感じたことはありません。また、当時の高知高専は全寮制で、同級生と常に生活を共にしていたため、みんなが授業をどのくらい理解しているのか、どうやって勉強をしているのかなどがわかりやすかったです。「自分だけではない」という心強さもありました。
しかし、高専の5年間は勉強よりも部活に熱を注いでいましたから、思い出を聞かれればやはり所属していた陸上部のことが浮かびます。砲丸投げで、地方大会のランキング1位にはなれたものの、全国大会では表彰台に立てず、悔しい思いをしました。唯一の心残りです。
―卒業後に広島大学へ進学を決めたのはなぜですか。
当時は明確な将来の夢が描けず、今のまま社会に出るよりは大学に行ってもっと勉強し、視野を広げたいと思いました。ただ、そんなぼんやりした考えだったため「何を学びたいか」ではなく「どの大学なら入りやすいか」という視点で進学先を探してしまいました。広島大学を選んだのは、面接だけで編入が可能だったというのが、大きな理由です。
当時は今のようにネット環境も整っていなかったので、たいした情報収集もせず、面接の際に初めて広島大学が市内の中心部ではなく山の中にあることを知り、驚いたほどでした。勝手なイメージを持っていた当時の自分はなんて浅はかだったのだろうかと、本当に呆れてしまいます。ただ、大学での研究室配属が現在につながっているので、最終的には間違った選択ではなかったと思います。
ニュースを機に将来が決まる
―大学ではどのような研究をしたのでしょうか。
コンクリート構造に関する研究です。実は高専生の頃からコンクリートに関する研究をしてみたいと思っていたのですが、研究室の人気が高くて入れず、大学で念願叶っての研究室配属でした。コンクリートは生活の中のあらゆる場面で使われていて馴染みがある存在であったこと、そして「水を少なくしたら硬くなる」といった非常にイメージのしやすい材料であったことから、研究テーマとして惹き込まれたんです。
そして、修士まで進んだ頃、トンネルの覆工コンクリートの一部が剥落し、走行中の新幹線を直撃する「福岡トンネルコンクリート塊落下」が起きました。幸いにも人的被害は出なかったのですが、同時期にRC高架橋のコンクリート片剥落などが起き、社会的にコンクリートの品質への不安が顕在化した頃です。
当時のマスコミの報道にも問題はあったように思いますが、ニュースを見ていると、「JRのコンクリート=低品質」という風潮が特に広まっているようにも感じました。ちょうどコンクリートに関する研究に熱を入れていた自分にとって、この事件は他人事には思えなかったのです。
―そのニュースは、近藤先生に何をもたらしましたか。
自分の研究分野が生かせるのではないかと感じ、JR西日本に就職したい気持ちが一気に高まりました。冷静に考えると、私の当時の研究はコンクリート構造に関する内容に対し、JR西日本はメンテナンスの問題だったので、求められる知識は異なるわけですが、このときは「ここ以外に自分の知識が発揮できる場所はない」と本気で思っていたのです。
ありがたいことに、2001年に大本命のJR西日本に就職できました。最初の1年目は保線現場を経験し、2年目からは希望していた保守土木系の部署に配属。当時、コンクリートの状態が懸念されていた山口県の現場に配属となりました。やりたいと思っていた仕事に関われる喜びを感じる一方で、業務は山積み。まだまだJR西日本への風当たりが強かったため、それらの対応にも追われる日々でした。
しんどい場面には何度も直面しましたが、転職を考えたことは一度もありません。自分がやりたかった分野で働けているのだから、まずはやり抜こうと決めました。何より、社会の大動脈を担うインフラを整備することが大変なのは当たり前だとも思っていました。
―そんな中、社会人博士を取得した経緯を教えてください。
JR西日本では、コンクリート問題の反省として専門技術者の育成に力を入れていました。コンクリート維持管理については、京都大学の宮川豊章先生の下で学位取得を目指すことが当時決められ、私が条件に合致したため、博士課程に進学する流れになったんです。
会社のご厚意で業務よりも勉強に時間を費やせたので、3年間はとことんアカデミックな世界に浸れました。会社で働いていると、どうしても会社のことしか見えなくなります。例えば「コンクリートとは何か」と聞かれたときに、つい「JR西日本」としてのコンクリートの考え方を言ってしまう。一度、そこから離れて俯瞰してコンクリートについて学べたことは、自分にとって非常に大きな出来事でした。
また、社外の方との付き合いが増えたので、コミュニケーションを取る上で大切なことも改めて学べたと思います。このときに知り合った方の中には今でもお世話になっている方がたくさんいます。ドクターを取得したことはもちろん、こうした経験は重要な財産です。
経験が価値を高める
―その後、高専教員になられた経緯を教えてください。
平たく言うと、実家の問題です。博士号取得から3年が経った頃でしょうか。将来を見据えどうしようかと思っていたときに、母校である高知高専の応募を目にしました。教育現場に興味はありましたが、それは50歳を越えてからだと漠然と考えていましたし、仕事も楽しい時期でしたから、迷いはありました。しかし、これを逃してしまったら次に応募があるのは何十年後かわかりません。行動を起こすなら今しかないと思い、現在に至ります。
高専生は真面目で良い人ばかり。教員の仕事も楽しいですよ。研究と同じで、教育はすぐに成果が出るものではありません。粘り強く時間をかけ、数年後にようやく達成感が味わえるものです。例えば、数年前、教員になって最初の年に副担任を務めたクラスの学生同士が結婚し、結婚式に呼んでもらいました。このときほど「教員になって良かった」と思ったことはありません。学生の成長した姿を見られるのは、仕事冥利に尽きますね。
また、現在も同じくコンクリートの維持管理方法に関する研究に携われているので、やりがいを感じる日々です。
―教員を務めながらの研究は、大変ではないですか。
コンクリートの維持管理に関する研究は、社会実装に直結します。現場での困難に対して、自分の研究成果が活用されると非常にうれしく思います。ただ、実務に直結する内容は、ともすれば経験主義的な発想になりがち。実際、実務に携わっているときは、スピード感命で「なぜ?」という視点が欠けていました。
現在の立場では、スピードも大事なのですが、「なぜ?」と学生が感じた些細な疑問を一緒に突き詰めて考える時間が持てます。ここから新たな研究につながることもありますから、面白い仕事だなと感じています。
―学生と接するうえで気をつけていることはありますか。
前職での経験、京都大学で社会人博士として在籍した経験から、学生に論文を執筆させることの必要性、社会人との交流、そして発表させることの重要性をひしひしと感じています。そのため、共同研究を積極的に行い、その結果を取りまとめて発表する場を増やすことを重要視しています。
その結果、指導学生が査読付き論文での優秀論文賞の受賞をはじめ、国際学会での優秀講演賞2件、土木学会年次学術講演会で優秀発表賞10件、土木学会四国支部研究発表会で優秀発表賞7件をありがたいことに受賞しました。高専学会での研究奨励賞の最優秀学生にも選出された経験があります。
博士課程でお世話になった宮川先生は「子は親の鑑」だとよくおっしゃっていました。つまり、学生が良い発表をできるかは、指導教員次第ということ。社会に出たら、自分の商品価値を自分でアピールしていかなければなりません。その価値をいかに高められるかは、学生時代にかかっています。だからこそ、たくさんの経験を通して、人より優れた自分の価値を見つけてほしいと願っています。それが、教員の義務だとも思うのです。
また、高専生は優秀で理解度も早く、特に遂行する能力は圧倒的です。しかし一方で、応用問題に弱い印象を受けます。応用力を鍛えるには、答えがない研究にとことん臨むこと。だからこそ、自分の頭で考えて行動する力を養えるような指導を心がけています。
―高専を目指す学生にメッセージをお願いします。
私に限らず、高知高専では先駆的な研究を行っている教員が多数います。研究というと5年生における単位取得要件のようなイメージがありますが、本人が求めればいつからでもできます。研究により身につく「考える力」「まとめる力」「執筆する力」「プレゼンする力」は、仕事を行っていく上で不可欠な能力です。
さらに、地球規模で解決すべき課題に早期から取り組めることは、知識のみならず、同じ思いを持った世界中の方々と知り合うことができ、人生の視野を切り開くことでもあります。このような状況で学問ができる本校は、じっくり研究と向き合いたい学生にとっては非常にいい環境ではないでしょうか。
近藤 拓也氏
Takuya Kondo
- 高知工業高等専門学校 ソーシャルデザイン工学科 教授
1997年3月 高知工業高等専門学校 土木工学科 卒業
1999年3月 広島大学 工学部 第4類(建設系) 卒業
2001年3月 広島大学大学院 工学研究科 構造工学専攻 博士前期課程 修了
2001年4月 西日本旅客鉄道株式会社
2012年3月 京都大学大学院 工学研究科 社会基盤工学専攻 博士後期課程 修了
2015年4月 高知工業高等専門学校 環境都市デザイン工学科 准教授
2016年4月 同 ソーシャルデザイン工学科 准教授
2023年4月より現職
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