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キャリアプランを描き続けて今がある。高専の機械工学科で培った“ものづくりの哲学”を半導体の未来に生かしたい

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キャリアプランを描き続けて今がある。高専の機械工学科で培った“ものづくりの哲学”を半導体の未来に生かしたいのサムネイル画像

米子高専の機械工学科を卒業した上根直也さんは、大学院で半導体の研究に出会い、現在は日本サムスン株式会社で働いています。本科生時代から常に自身のキャリアを考えていたと話す上根さん。高専出身者としてのキャリアプランの描き方を教えていただきました。

高専で出会った流体力学

―進学先に高専を選んだ理由を教えてください。

こちらに向けてピースサインをしている様子
▲幼少期の上根さん

中2の頃に、たまたま教室に置いてあったパンフレットを見たことがきっかけです。もともと工作などのものづくりが好きだったこともあり、一気に惹きこまれました。当時はまだ具体的な進学先のことは考えていませんでしたが、「おもしろそうな学校」という、単純な理由で米子高専 機械工学科のオープンキャンパスに行きました。

そこでは自分でラジコンを組み立てるワークショップに参加しました。それだけでもワクワクするのに、組み立てた後は実際に走らせて、他の参加者と対戦したのです。たしかラジコンにピンポン玉を吸い取らせ、ゴールに運んだ点数を競う内容だったと記憶しています。「こんなことができるようになるのか!」と魅了され、実際に進学先を考えるときには高専一筋でした。

―実際に高専に入学してみていかがでしたか。

3年までは、勉強よりも部活に多くの時間を費やしました。昔からスポーツが好きだったこともあり、勧誘されたハンドボール部に入りました。厳しくも鍛えてくださった先輩、切磋琢磨した同輩、同じ目標にともに向かって努力を重ねた後輩のおかげで、全国高専大会3位という成績を収めることはできたのは、本当に良い経験でした。

今まさにシュートを決めようとする上根さん
▲高専生時代、ハンドボール部での様子

そんな学校生活だったので、成績は“それなり”。中学では勉強ができるほうだと思っていましたが、高専の1、2年生の成績は40人中20番台で、もう少し頑張らないといけないな……と、本腰を入れて勉強するようになったのは3年生の頃です。

4年生からは専門科目が本格的に開始され、そこで出会ったのが「流体力学」です。「この分野をもっと突き詰めたい」という思いもあり、卒業後の進路を具体的に考えるようになりました。それまでにも増して勉学に真剣に取り組んだ結果、いつの間にか成績は1、2位を争うまでになっていました。それほどまでに、流体力学に引き込まれたということですね。

―流体力学とは、どういう学問なのでしょうか。

流体力学とは、液体や気体といった流体の運動、およびそこに働く力の性質などを研究する学問分野です。固体と違って形状が自在に変形するため、取り扱いが難しい部分もありますが、その自由度の高さから航空宇宙や内燃機関、バイオなど応用範囲が幅広い学問でもあります。

4年生の段階では、「水や空気のようなつかみどころのないものをどのように扱うのだろう?」と半信半疑でしたが、勉強していくと、古典力学を基本とした方程式を拡張していくことで解析ができる点に驚きました。

何より、その学問を教えてくださった早水庸隆先生のお人柄に惹かれたのも、流体力学を専門的に学ぶことを決断した大きな理由です。まさに早水先生に出会えたことは人生のターニングポイント。現在も帰省した際には近況報告に伺っており、示唆に富んだアドバイスを頂くなど、大変お世話になっています。

卒業式の日、看板の前でツーショット
▲早水先生と高専卒業式にて

キャリアアップを目指して専攻科、大学院へ

―専攻科に進んだのも、流体力学を極めるためですか。

はい。当時取り組んでいた宇宙往還機回りの希薄流体を対象とした数値シミュレーションの研究を、早水研究室で継続したいと思ったからです。自分の慣れた環境でやりたい研究を存分にできた2年間は、かけがえのない時間でした。また、10件以上の学科発表を通じて、スライド作成を含むプレゼンテーション能力が大幅に強化できたことも、専攻科に進んで良かったと感じる点です。

研究発表の会場で賞状を手に持っている上根さん
▲専攻科生時代の上根さん

また、本科時代から「専攻科卒業後は大学院に進み、博士を取得しよう」と決めていました。世界最先端の分野で活躍する研究者らと切磋琢磨してスキルアップ、キャリアアップしたいという思いが強かったためです。この上昇志向こそが、研究を続けるモチベーションにもなっていました。

―専攻科卒業後の進学先を東北大学の大学院に決めた理由を教えてください。

専攻科にいた頃、早水先生から「東北大の流体科学研究所に、徳増崇先生という素晴らしい先生がいるよ」と教えていただき、2週間のインターンシップに行きました。そこで「ここなら絶対に間違いない」と感じたので、進学先にも迷いがありませんでした。

そして、この進学がきっかけで最先端半導体に関する研究に出会います。当初はまったく無知でしたが、徳増先生から「半導体の研究をしてみませんか」と誘っていただき、「半導体はこれからも重要なトピックであり続けるはずだし、おもしろそう」と感じて研究に取り掛かりました。

流体力学と半導体は、一見関係がないように思えるかもしれませんが、実は密接に関係しています。半導体の製造工程は、言うなればピザづくりによく似ています。まず、土台となる生地を敷いて、その上にトマトペーストを塗り、ベーコンやチーズなどの具材を上からかけて、焼き上げることでピザの層構造はできあがります。

この“土台の上に具材をかけて焼き上げる”という工程が、半導体製造における成膜工程にあたります。「どんな具材を使うか」「どれくらいの量か」「何度で焼くか」によってピザの仕上がり具合が変わるように、ナノスケールで分子(具材)が気相(空中)と表面(生地上)でどのように動いたら(流れたら)良い半導体が成膜できるかを「分子動力学法」という手法を用いて解析する研究が、私の専門でした。

もっといろいろと比較検討してから研究室や研究内容を判断すべきだという意見もあるかもしれませんが、私は比較的直感を重視するタイプ。結果、楽しみながら博士号を取るまで走り抜いたのですから、半導体の研究を選んで正解だったのだと思います。

東北大学の学位記伝達式で徳増先生とツーショット
▲徳増先生と博士学位伝達式にて

―大学院で研究以外にはどのような学びがありましたか。

3度の留学経験でしょうか。1度目は修士の頃にフランスのINSA Lyonへ留学しました。当時は、教授に同行する形で「海外の研究環境を見学するのも面白そう」という気軽な気持ちからでした。

ですが、今振り返ってみると、これがちょっとした転機でしたね。海外で活躍する研究者たちを目の当たりして、「自分も日本を越えて研究してみたい」という気持ちが湧きました。

高台から下方に見えるクロアチアの町並みをバックにギターをもってポーズをとる上根さん
▲フランス留学中に旅行したクロアチアのドブロブニクにて

2度目は博士2年生の頃にアメリカのPennsylvania州立大学へ留学しました。これは当時私が研究に使っていたReaxFF MD法という数値シミュレーション手法の開発者であるProf.van Duinがご在籍だったためです。世界的に有名で相当お忙しいにも関わらず、開発者本人である先生から直々に専門的な知識と技術を授けて頂いたことには、感謝しかありません。

また、そのような著名な研究室だったこともあり、世界中からハイレベルな研究者が集まっていました。彼らと日常的に議論し、生活することで、英語が話せるだけに留まらない、高いレベルでの国際性を身につけられたのではと思います。

パブで研究室の仲間とお酒を楽しむ上根さん
▲アメリカ留学中の様子。研究室の仲間とともに

3度目は、博士論文の審査が終わってまもなく、オランダのEindhoven工科大学へ留学しました。ここでは、これまで培ってきた数値シミュレーションの知識を生かして、実験のグループと共同研究を開始することが目的でした。

実は元々、全く伝手はなかったのですが、メールで「自分はユニークな手法で半導体プロセスのシミュレーションをしており、あなたたちのような素晴らしい実験のグループと共同研究するために、一度滞在させてほしい」と依頼しました。ダメ元でしたが、興味を持ってもらえてオランダ留学が実現したのは、運が良かったです。

実際にこのグループとの共同研究内容は、アメリカ真空学会が主催するAVS 69thという、この分野で最も大きな国際会議の1つで口頭発表しました。1度目の留学で憧れた研究者の姿に、一歩近づけた瞬間でしたね。

留学先のオフィスにて研究室の仲間とツーショット
▲オランダ留学中の様子

―博士取得後の進路はどのようにして決めましたか。

博士取得後は、東北大の教員として研究室に引き続き在籍しました。博士課程で進めた研究は博士論文として形にしましたが、自分としてはもう一歩前に進めて学会発表や論文発表したい内容があったことが大きな理由です。また、半導体の研究をしたいという意思を持って研究室に入ってくれた学生も居ましたので、彼らのメンターとして研究開始をサポートすることも自分の役目であると感じていました。

実際に教員という仕事を通じて、多くのことを学ぶことができました。学生が主体的に研究に打ち込むためのサポートをすることは、単に自身が研究を進めるのとは全く異なります。学生それぞれが個性を持っているので、どのように接するのが良いのかは一概には言えません。高い頻度でのフィードバックを好む学生もいれば、基本的には放任で自由に研究したいというタイプの学生もいることは学びでしたね。

他にも研究支援者である派遣の方も含めた総勢10人のマネジメントを経験しました。キャリアの早い段階で、この規模のマネジメントをさせていただけたのは非常に貴重な経験だったと思います。そのような生活の中、大学の教員を続けていくというキャリアも考えましたが、最終的には民間企業に転職するという道を選択しました。

その理由は、高専の教育哲学が大きく影響しています。高専は、もともと産業界からの強い要請があり、実践的な技術者を養成するために設立された高等教育機関です。その教育哲学は現在でも受け継がれており、産業界に貢献する人材を育てることを念頭に置いてカリキュラムが組まれています。

大学での研究というのは、根源的な学術的問いに対して向き合うものであり、10年後、100年後といった中長期研究がほとんどです。一方で、民間企業は基本的には数年後に世の中にリリースされる製品向けに研究開発を行っています。

どちらも意義ある重要な役割であることは前提としたうえで、高専の教育哲学は産業界向けであり、その教育を受けた自分も同じく産業界志向が強かったことから、民間企業への転職を決意しました。

直感を大事に、人を“視る”力を育ててほしい

―現在の仕事内容を教えてください。

2024年5月から、日本サムスン株式会社で働いています。Samsung ElectronicsのDevice Solutions部門直轄の研究所という位置づけです。自身の希望で、我々は「技術センシング」と呼んでいる研究企画関連の業務に従事しています。

一般的に、企業で製品やサービスを世に出すまでには、研究企画、研究開発、製品開発、工程設計、生産、販売といったプロセスを踏みます。技術センシングが関わる研究企画は、将来的に競争力を持った製品を生み出すために、取り組むべき研究の方向性を決定する重要な役割を担っています。

少しイメージするのが難しいかもしれませんので、皆さんの身近な例で説明してみます。高専では5年生で卒業研究を行いますが、その卒業研究はどのように設定されるかご存じでしょうか?

その研究が既存技術に対して優れている点はどこか? 逆に欠点はどこか? いつ頃実現するか? 実現までどの程度の技術的ギャップがあるか? 実現までにどの程度の費用が必要か? その研究を行うのが自分の研究室である意味は何か? このような複合的な理由を指導教員の先生が考えた上で、皆さんの研究テーマが設定されています。

この主体を研究室から企業に置き換えた時に、指導教員の役割を担うのが研究企画であり、Samsungでは技術センシングが関わる仕事になります。

具体的な業務としては、学会や展示会などに参加しての情報収集や、その分析をレポートとして報告、また今後取り組むべき研究課題の提案などを行います。 特定の技術を専門的に研究し続けるだけではなく、幅広く様々な技術に触れられる仕事をしたいと思っていたので、Samsungという世界最先端の技術を持つ会社で現在のような仕事に従事できていることは、本当に幸運だと思います。

日本サムスン株式会社前の看板と一緒に記念撮影
▲神奈川県横浜市に位置する会社の前にて

―今後の目標を教えてください。

まずは現在の技術センシングの仕事を通じて、半導体分野における幅広い知識を習得することが当面の目標です。半導体は大変裾野が広い分野で、私が専門としている数値シミュレーションの分野以外は分からないことばかりですから、数年間かけて知識の幅を拡充していきたいと考えています。

技術がある程度、幅広く分かるようになったら、その後は、お金の流れを含む経営に関する勉強をしたいと思っています。産業界で働く上で経営の話は非常に重要です。ある技術がどれだけの利益を生むのか、それを回収するために何年かかるのか、どの程度の初期投資が必要なのか等、経営の知識がなければ判断ができない場面は多々あります。

大変ありがたいことに、日本サムスン株式会社には、学位取得支援プログラムがあるので、将来的に体系的な学びを得る目的で、経営学修士(MBA)を取るつもりでいます。最終的には、技術と経営の両方を習得した人材として、組織を率いる人材になりたいですね。

―上根さんはキャリア志向が非常に高いと感じます。今、キャリア志向が高い高専生がすべきことは何だと思いますか。

「この人みたいになりたい」というロールモデルを探すことだと思います。「この人のもとで学べば未来が拓けるかもしれない」という直感を大事に、人を“視る”力を育ててほしいと思います。

私自身、早水先生と徳増先生という恩師に出会えたことが、現在の自分に繋がっています。一般的には、研究の中身である「何をやるか」が重視されるように思いますが、そこに加えて「誰とやるか」というところも意識することが大切かと思いますね。その意味では、私の一連のキャリアが高専生に限らず誰かのロールモデルになれば光栄です。

川辺でレジャーを楽しむ上根さん
▲最近訪れた上高地にて。プライベートでは旅行がご趣味だそうです

―高専生にメッセージをお願いします。

近年は、機械工学よりも電子・電気や化学などが人気の傾向にあると感じます。現在はAI技術などソフトウェアが急成長していることもあり、ハードウェア的な印象のある機械工学は前時代的な学問に捉えられがちなのかもしれません。しかし、私のキャリアが物語っているように機械工学は最先端技術に繋がる重要な学問です。ぜひ、現役の機械工学科の学生さんは、そのことに誇りを持ち、自信をもって現在の道を歩んでください。

同時に、機械工学だけでは最先端の分野は成り立ちませんので、特定の専門分野に閉じこもることなく、色々な学科に友人をつくりながら、知識の幅を広げるような努力もして欲しいですね。

また、私も始めはそうでしたが「テスト勉強は頑張るけど、学問そのものに動機を感じにくい」という学生の方も多いと思います。そんな方には、現在学んでいる学問が社会にどう生かされているかを知ってもらいたいですね。例えば、私たちが普段使っているスマホやパソコンには必ず半導体が含まれていて、半導体をつくる上では私が学んだ機械工学、流体力学は重要な役割を果たしています。

社会と学問の繋がりを知ることを通じて、皆さんの人生を変えるような学問分野に出会えるかもしれませんよ。

―最後に何か伝えたいことはありますか?

これまでのキャリアで本当に多くの方々にお世話になってきました。研究指導という意味では、早水先生、武内先生、徳増先生、Prof. van Duin、Prof. Eriwin Kessels、Prof. Adrie Mackusをはじめ、多くの共同研究先の方にもお世話になりました。経済的な意味では日本学術振興会、ウシオ財団、村田学術振興財団、フューチャーとっとり奨学金から多大なる支援を頂きました。

今後もレベルアップを重ねつつ、皆様から受けた御恩は後進を育てることで返していきたいと思います。その意味で、現役高専生の方に限らず、私に聞いてみたいことなどあれば、遠慮なく連絡して貰えればと思います。皆さんのキャリアパスを素晴らしいものにするために、私がサポートできることがあれば幸いです。

授賞式の日、両親とともに受賞の記念撮影
▲大学院生の頃、第4回「フューチャーとっとり奨学金」にて受賞した時の一枚

上根 直也
Naoya Uene

  • 日本サムスン株式会社
    Samsungデバイスソリューションズ研究所

上根 直也氏の写真

学歴
2016年3月 米子工業高等専門学校 機械工学科 卒業
2018年3月 米子工業高等専門学校 専攻科 生産システム専攻 卒業
2020年3月 東北大学大学院 工学研究科 ファインメカニクス専攻 修士課程 修了
2023年3月 東北大学大学院 工学研究科 ファインメカニクス専攻 博士課程 修了

職歴
2020年4月~2023年3月 独立行政法人日本学術振興会 特別研究員(DC1)
2021年9月~2022年3月 米・ペンシルベニア州立大学 機械工学科 滞在研究員
2023年1月~2023年3月 蘭・アイントホーフェン工科大学 応用物理学科 滞在研究員
2023年4月~2024年4月 東北大学 流体科学研究所 特任助教
2024年1月~2024年3月 アドバンスソフト株式会社 研究顧問
2024年5月より現職

メールアドレス([at]→@)
naoya.uene.b4[at]tohoku.ac.jp

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