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就職後にマサチューセッツ工科大学へ留学。課題解決能力、タフな精神……大切なものはすべて高専で学んだ

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     ▲アメリカにて息子様と一緒に

大手プラントエンジニアリング会社に勤めている渡邉優太郎さんは、会社の制度を利用して2年間、マサチューセッツ工科大学の修士課程に留学をしていました。「海外で働くことに興味が持てたのは、高専での経験があったから」と話す渡邉さん。沼津高専で過ごした日々やキャリア観について伺いました。

海外志向が高まったきっかけは高専

―沼津高専に進学を決めた理由を教えてください。

幼少期からレゴや工作など、モノをつくることが好きでした。自分の将来を明確に意識したのは、小学生の頃に『Back to the Future Part II』の映画に出会ったことがきっかけです。2015年の未来を描いたストーリーには空飛ぶ車などが出てきて「本当にこうなったらおもしろいな」と、胸を躍らせたのをよく覚えています。その頃から「エンジニア」という仕事に興味を持ち始めました。

そんなときに、中学の先生から「理科や数学が好きなら高専がいいんじゃないか」と紹介を受け、オープンキャンパスに出かけました。自由な校風を目の当たりにし、一気に高専に興味が湧きました。制服もなく、髪を染めてもピアスをしてもいい。みんな好きな格好をしているけれど、話す内容は非常にしっかりとしている——当時中学3年生の自分にとって、先輩たちは非常に大人に見えたのです。

沼津高専に通っていた親戚がいたので、なおのこと高専を第一志望にするのに迷いはありませんでした。

―高専時代、記憶に残っているエピソードを教えてください。

寮生活ですね。多感な時期に親元を離れ、様々な価値観を持った友人と文字通り「四六時中」共に過ごした日々は、私の人生で最も大切な経験の一つです。沼津高専の寮は寮生みずからが管理運営に関与する「自治寮」であり、何をするにも議論が必要でした。

ルールが非常に厳しく、例えば消灯時間を過ぎて間違えて電気をつけてしまっても反省文を書かされるレベル。1年次は辛く感じることもありましたが、学年が上がるにつれて「制約の中で自由を勝ち取ること」の重要性に気づきました。また、風紀委員になってからは厳しさを追求するだけではなく、理由を噛み砕いてルールを変えていくように尽力しました。

▲高専生時代、クラスメイトと富士登山に挑戦したときの一枚

学生同士で「このルールを守る理由とは?」を議論する時間も有意義でした。今振り返ると、これらは思考訓練やコミュニケーション能力を高めることに役立っています。ちなみに、宮田昌輝君とは同じ寮の役員を務めた仲で、当時から鋭い視点と行動力を持っていて、刺激を受けていました。しかし、こういった経験の価値は、寮生活をしていた当時はまったく気づきませんでしたね。

―専攻科に進んだ理由を教えてください。

高専時代は、電気を通さない材料・電気絶縁材料に関する研究に従事していました。実験で得た結果から仮説を立てて研究すること、それによって目に見えない電子の動きがわかることなどがおもしろく、もっと研究を突き詰めたいと思ったからです。

また、所属していた研究室の指導教官である遠山和之先生との出会いは、その後の私の人生に大きな影響を与えてくれました。高専生は英語が苦手だと言われるように、私の英語力も平均的な高校生以下で、当時はそこまで気にしていませんでした。しかし、研究発表会でカナダを訪れた際に、遠山先生が流暢な英語で議論している姿を見て一気に海外に興味が湧いたんです。

▲高専生時代、影響を受けた恩師の遠山先生と一緒に

人生初の海外は高専生のときにクラスメイトと訪れたアメリカでした。その後、高専在学中に研究発表でカナダやイタリア、インターンシップでイギリスに滞在することができました。海外での経験を重ねるとともに、多様な考え方や文化を知ることの面白さにのめり込み、現在では約45カ国を訪問するほどの海外好きになりました。高専での経験は、私の原点だと思っています。

▲高専生時代の友人と訪れた初めての海外、アメリカにて

留学を経験し、選択肢が広がった

―現在の就職先は、どのように選びましたか。

2013年、アルジェリアのガスプラント施設で、イスラム武装勢力による襲撃事件が起きました。日本人含む多数の死亡者はいずれも大手のプラントエンジニアリングの社員で、その中には高専の卒業生もいたと聞いています。当時、私は高専生で、大きな衝撃を受けました。そして、世界の最前線で活躍する高専生の姿に、心が奮い立ったことを鮮明に覚えています。

この出来事をきっかけに「いずれはプラントエンジニアリングの仕事に携わりたい」という思いをずっと抱いていました。それに加え、プロジェクトベースで大規模な仕事をしたい、地図に残る仕事をしたいという思いも強かったです。さらに、海外で働きたいという想いもあったので、現在の会社が海外展開に力を入れていた点が決め手となりました。

入社後は地熱やバイナリー発電などを使用した再生可能エネルギープラントの制御設計に携わり、国のプロジェクトである大規模沖合養殖設備の開発にも従事しました。そして、2022年から2024年8月までアメリカに留学。マサチューセッツ工科大学(MIT)で修士をとりました。

▲MITの卒業式にてクラスメイトと記念撮影(渡邉さん:後列左から3番目)

―社会人留学をした理由を教えてください。

入社時には、まさか自分が留学をするなんて考えてもみませんでしたし、そんな制度があることも知りませんでした。高専から大学院までずっと研究をしてきたので、これからは知識や経験を実際のモノづくりに生かし、エンジニアリング会社で早々に技術を社会に実装してみたいと思っていました。

エンジニアとして数件のプロジェクトを担当したころ、「どうすればアメリカのようにスピード感を持ってイノベーションを起こし続けられるのか」という疑問を抱きました。この疑問に向き合うため、社費留学制度を活用してアメリカの大学院の受験を決意しました。こんな思考ができたのも、高専時代の経験があったからだと思います。

―海外留学によって、意識は変わりましたか。

マイノリティの立場で物事を捉えられるようになりました。日本では日本語で会話するのが当たり前ですが、なかには日本語に馴染めずに苦戦している海外の人もいるでしょう。言語だけでなく、人種や文化、宗教、年齢、性別などについても同様です。その人たちが見ている景色がどんなものなのか、どんな気持ちを抱いているのかといった視点に寄り添えるようになったのは、確実に海外での経験があったからです。

▲MITにて、プロジェクトの成果発表会で発表する様子

また、イノベーションが生み出され続けている米国のエコシステムにどっぷりと浸かることができた点は本当に刺激的でした。エンジニアリングやビジネスにおいて、数多くのヒントを持ち帰ってくることができました。こういった経験から、私のルーツであるエンジニアリングに加え、ビジネスサイドの経験も積みたいという想いが強まりました。

そこで、帰国後は再生可能エネルギーを中心とする電力売買のシステム開発・設計を担う部署に帰任しています。商品や事業の創造にはエンジニアサイドとビジネスサイドの理解が必要であることが多く、両方の視点を持ちたいです。業務内容がガラリと変わり、新しいことを学ぶ日々は、困惑することもありますが、とても充実しています。

やりたいことには期限をつける

―今後の目標を教えてください。

目標や夢と言うほどかっこいいものではありませんが、やりたいことは山のようにあります。仕事面では専門性を磨きたいですし、会社にもインパクトを与えたい。自身の組織を持ってみたい、新規事業を立ち上げたい、会社を経営してみたい、起業してみたい……など。今でもMITの友人やインターンシップ先の上司とは新規事業に関するプロジェクトを継続しています。

プライベートでは、留学中にできた友人を訪ねて世界中を旅してみたいですし、1年くらいかけて日本をゆっくり回ってみたいとも思っています。ほかには新しいスポーツを始めたり、本気でボランティアに携わったり……挙げればきりがありません。

実は、こうした「人生でやりたいこと」は具体的にリスト化していて、現在は約120個ほどあります。「いつかやりたい」の「いつか」は来ないので、見える化をして期限をつけることでアクションに繋げることを意識しています。

▲MITのクラスメイトとのメジャーリーグ観戦

―高専出身で良かったと思うことはありますか。

たくさんあります。2つほど挙げると、1つ目は卒業生の数です。全国の高専を合計すると、同級生は約1万人いることになります。その多くがモノづくりに関わっているので、仕事上で高専生に出会う機会は多々あります。

高専生は独特の環境で育っているので、高専出身だと分かると急激に距離感が縮まるのが良いところです。事実、私が担当したすべてのプロジェクトにおいて、お客様に高専出身者の方がいました。また、MITの学生にも沼津高専の出身者がいて、寮生活や地元トークに花が咲いたこともあります。

実は、就職先を現在の会社に決めた理由のひとつとしても、社員に高専の卒業生が多かったことがあります。採用活動中に高専を卒業した複数の社員に出会い、それだけで一気に距離が縮まり、お互い本音で話をすることができました。これは、高専生ならではのメリットだと思いますね。

▲プラントエンジニアリング会社に就職後、同僚の結婚式で訪れたウズベキスタンにて

2つ目は、個性を育てる特殊な環境です。高専にはキャラの濃い学生が多く、個性が比較的尊重されていたように思います。個性はイノベーションの源になる重要な要素だと思っているので、今後はさらに高専生が社会に必要とされるのではないでしょうか。

当時は「普通高校に通って、普通に大学に行って……」と、世間一般が思う“普通”に憧れたこともありましたが、今振り返ってみると高専で良かったとしみじみ感じることだらけです。きっと、生まれ変わったとしても私は高専を選ぶでしょう。

―高専生にメッセージをお願いします。

高専生の強みや魅力は、高専生として過ごしている間には気づけないかもしれません。私自身、高専という環境が特殊だったことを後になって知りました。

数学の授業で習う前に専門教科で行列計算やラプラス変換が出てきてクラスがざわついたこと、自由な校風がゆえに1年生で金髪にする学生が何人もいたこと、そんな金髪の学生がクラスでトップレベルの成績をとること、厳しい寮のルールの中でいかに自由を謳歌するかを考え抜くこと……。高専では普通だった出来事が、今思い返すと本当に貴重な経験でした。

みなさんも、高専生であることにぜひ自信を持って日々を過ごしてください。

渡邉 優太郎
Yutaro Watanabe

  • プラントエンジニアリング会社 電力ビジネス部門

渡邉 優太郎氏の写真

2012年3月 沼津工業高等専門学校 電子制御工学科 卒業
2014年3月 沼津工業高等専門学校 専攻科 制御・情報システム工学専攻 修了
2016年3月 名古屋大学大学院 エネルギー理工学専攻 修士課程 修了
2016年4月 プラントエンジニアリング会社 入社
2024年5月 マサチューセッツ工科大学 システムデザイン&マネジメント専攻 修士課程 修了

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