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野球プレイヤーが興味を持った「コーチ」という立場。スポーツ心理学で培った「人を見る」習慣で学生と接する

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野球一筋の「プレイヤー」だった少年から、大学で「コーチ」に興味を持って現在に至る、有明工業高等専門学校の野口欣照先生。競技力向上としても興味深いスポーツ心理学についてや、選手とコーチの両方を経験した野口先生のこれまでについてなど、お伺いました。

学生の立場で、学生のコーチをする難しさ

―野球一筋の少年時代だったとお伺いしています。

ニューヨーク市立大学での研修での写真
▲現在の野口先生。ニューヨーク市立大学での研修にて

私は親戚を含め男が多い家系で、1人を除いてみんな野球をやっていたんです。幼い頃からよく父親とキャッチボールをしていたりと、周囲の影響もあり自然と野球を始めました。それから、中学、高校、そして日本体育大学でも野球部に入り、野球漬けの学生時代を送っていましたね。

ただ、大学でも野球を続けたいという意思はありましたが、選手よりもコーチという立場に関心があったので、2年生までは選手として、3年生からは学生コーチとして所属していました。

学生コーチの仕事は様々ですが、練習のサポートと試合のサポートで大きく分けられます。今はどうか分かりませんが、私が所属していたとき、日体大の野球部は1軍、2軍、3軍と怪我をした故障班で構成されており、選手の数が多いので、1人で10数人を見ることもありました。学生ながらいろいろなことに挑戦させていただき、今に生きていることも多いですね。

―学生という立場でコーチをすると、難しいこともあったのではないでしょうか?

ニューヨークでの研修で仲良くなったハイチの方と
▲現在の野口先生。ニューヨークでの研修で仲良くなったハイチの方と

もちろんありましたよ。コーチという立場から客観的に見て思ったことを選手に伝えていましたが、選手にとっては不満に感じることもあったようです。初めの頃はぶつかることもありました。

学生コーチを経験していくなかで、「まずは自分自身が成長して、成熟していないといけないんだ」ということを実感しました。もし、私の日々の生活や野球に対する態度が周りから誠実ではないように見えたら、選手たちは私を信頼できないですからね。

一方で、選手たちも同じ学生から意見を聞き入れることに対して、壁を持たないようにする心の器が必要になります。学生コーチと選手という関係性は「双方の努力」によって成り立つんです。この経験は、現在の指導にも通じる点がありますし、良い影響を与えていると思います。

スポーツ心理学を通して学べる、競技レベルの向上

―その後、大学院進学を選んだきっかけは何だったのでしょうか?

「きっかけがなかったから大学院に行かざるを得なかった」というのが正直な回答です。今はどうなっているか分かりませんが、私のときは3年生の秋になると、就活組と部活組に分けられていました。部活組は4年生の秋まで大会に出場し、そのままプロや社会人選手など、野球を続ける人が多いです。

私はコーチでしたし、学生の間に留学したいと思っていたので、就活組に混ざって留学の準備をしようと監督の元へ連絡に行きました。しかし、監督から「野口は来れるときでいいから来てくれ」という言葉をいただき、求められているような気がして結局辞めずに4年生まで続けることになったんです。

4年生まで続けることになりましたが、当然選手として飛び抜けてうまいわけでなく、コーチとしても実績があるわけでもないのでプロとしてチームには行けないですし、就活もできません。

地元の学校で体育の非常勤講師をすることもできましたが、自分の中でその選択肢は留学をしたかったり、まだ東京にいたい!という考えもあり、考えていませんでした(笑) また、候補にあった留学先も他の学生が行くことになり、いよいよ就職浪人かと思っていました。

どうしようかと悩んでいたときに、出てきたのが大学院進学という選択肢です。就職浪人することもないですし、当時から授業で「スポーツ心理学」に興味があったため、もっと勉強してみるのもアリだなと思い、大学院へ進学することにしました。

―スポーツ心理学とは、どのような分野ですか?

例えば、スポーツ選手が最大のパフォーマンスを発揮する際の心理状態について研究するのがスポーツ心理学の分野です。ピークパフォーマンス時には「大脳の覚醒」が起きるのですが、どうしたら最適な大脳の覚醒ができるかについて研究することができます。

アーチェリーのような繊細な動きが求められる競技と、アメフトのような大胆な動きが必要な競技では、ピークパフォーマンス時における最適な大脳の覚醒のレベルは異なります。

アーチェリーの選手がアメフトの選手と同じレベルまで大脳が覚醒してしまうと、覚醒し過ぎの状態になり、照準が定まらなくなるわけです。緊張してパフォーマンスが発揮できないことを想像してもらえれば分かりやすいかもしれません。

―大脳の覚醒は、自分で調節できるものなのですか?

もちろん訓練次第では調整することも可能です。訓練では、頭の中で自分の体を操る、いわゆるイメージトレーニングをするのですが、訓練を重ねるうちにイメトレがより緻密に行えるようになります。

プロの選手やオリンピック選手でも、強い選手は自身で覚醒のレベルを調節できています。逆に、2番手、3番手の選手が勝つためにも、覚醒レベルを調節できる能力が必要になります。

専門的に学んだのは大学院になってからでしたが、もし自分が選手だった時代に知っていたらどれほど違ったのだろうと思いますね。過去に戻れるのなら、高校時代に戻ってこの知識を備えた上で、もう1度高校野球がしたいです(笑)

偶然がもたらした高専教員という現在地

―そもそも日体大に進まれたのは、なぜだったのでしょうか?

選択肢としては日体大と地元にある大学の2つがありました。母校は日体大出身の方が多かった一方、地元にある大学からは推薦をもらえるようだったので良いなと思っていたんです。

そして、先に地元にある大学から合格をいただいたので進学しようと思ったのですが、担任の先生に「せっかくだから受験だけでもしてみたらどうだ」と、日体大を勧めていただきました。特別断る理由もなかったので受験することにしたのですが、そしたら受かってしまって。

そのことを知った多くの先生が日体大を勧めて下さったので、そちらを選びました。あれほど推してくれていなかったら、きっと全く違う人生を送っていたのかもしれません、当時の先生方には感謝ですね(笑)

―では、高専との出会いは何でしたか?

フランス・エシジェリック校(フランスの教育制度「グランゼコール」の高等教育機関)での写真
▲現在の野口先生。フランス・エシジェリック校(フランスの教育制度「グランゼコール」の高等教育機関)を訪問

大学院で同じ研究室だった先輩の紹介で高専のことは知りました。私は大学院を卒業してから、法政大学中学高等学校の野球部コーチと体育の非常勤講師をしていたのですが、もともとそのポストにいらっしゃって、北九州高専に移られたその先輩から「有明高専に応募してみたらどうだ」と勧められたんです。

そこで、ダメ元で受けてみようと思い応募してみることにしたのですが、就職活動の経験がほとんどなかったので、試練の連続でした。

▲非常勤講師として指導されている野口先生

面接時にどうしても聞かれたくない事が3つあり、1つ目が自己アピール、2つ目が志望動機、そして1番聞かれたくなかったのが「なぜ有明高専なのか」ということです。正直な性格なので取り繕うこともできず、咄嗟に「運命です」と答えてしまいました(笑)

ですが、その回答は間違いではなかったと思います。先輩の紹介をきっかけに応募し、今年で有明高専に着任して10年になります。高専に着任してから、ユーモアのある学生に囲まれ、毎日が新鮮で楽しい日々です。

高専大会九州予選(バスケットボール)で優勝した際の記念写真
▲高専大会九州予選(バスケットボール)で優勝した際の記念写真

―先生のお人柄でしたら、体育の授業も楽しそうですね。

今は、学生に体育を好きになってもらうためにはどうしたら良いか頭を悩ませつつ、日々の授業に取り組んでいます。近年は「できないことに対する劣等感」が影響してしまって、以前は学校の授業のイメージが強いのか体育は嫌いだけど、自分で自由にできるイメージなのかスポーツは好き、という子が多かったですが、最近は体育スポーツも体育も嫌いという学生が多くなっているんです。

私の授業では、あえて学生との距離感をできるだけ近く保ち、できないことや分からないことがあったらすぐに相談してくれと伝えています。聞きにくる学生には直接指導できるので、上達していくのですが、聞きに来ない学生はなかなか上達できないので、そんな学生も含めた指導方法について試行錯誤していますね。

▲大牟田市から表彰された野口先生

教師と学生として、ある程度一定の距離を保つべきなのかとも考えましたが、実際に学生と接してみると、それを求めていない学生が多いと感じました。ですので、学生がコミュニケーションを取りやすい距離感にするよう心がけています。学生によって伝え方を変えてみたりと、野球やスポーツ心理学を通して培った「人を見る」という習慣が生きていますね。

―最後に学生の皆さんにメッセージをお願いします。

球技大会で、学生が作成した野口先生の写真
▲球技大会で学生が作成したお写真

これまでの人生で心掛けてきたことがあるので、それをみなさんにもお伝えしようと思います。

もし、これからの人生で選択する機会があるのであれば、より難しい道を選んでほしいと思います。自分にとって楽な道を選ぶこともできますし、その道で成功する未来もあるかもしれませんが、時間が経ったとき、その選択に必ずしも満足できるかは分かりません。

そもそも、社会に出てから「自分で選択できることの方が珍しい」ということに気がつきました。こちらが選ぶ選択肢はなく、やらなくてはならないことが多いので、自分自身で選ぶ機会の方が少ないです。

ですので、皆さんに将来、選択肢が与えられることがあるのであれば、より難しい道に挑戦してほしいなと思っています。そして、そこで出会う人や経験するものを大切にしていくことによって、その選択をより充実したものにして欲しいなと思います。

野口 欣照
Yoshiaki Noguchi

  • 有明工業高等専門学校 一般科 准教授

野口 欣照氏の写真

2005年3月 滋賀県立草津東高等学校 卒業
2009年3月 日本体育大学 体育学部 卒業
2011年3月 日本体育大学大学院 体育科学研究科 体育科学専攻 博士前期課程 修了
2011年4月 法政大学中学高等学校 非常勤講師/野球部コーチ
2014年4月 有明工業高等専門学校 一般教育科 助教(保健体育)
2023年4月より現職

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