高専初の女性校長として、2016年4月に奈良工業高等専門学校に着任された後藤景子先生。中学・高校時代は卓球に明け暮れ、早弁も当たり前のアクティブ女子だったそうです。ご自分のことを「THE大阪のおばちゃんです」と笑う先生が、なぜ高専の校長に? 教育への思いなどをインタビューしました。
卓球三昧の日々と、天職との出会い
―どんな学生時代を過ごされましたか?
生まれも育ちも大阪。小学生の高学年ごろから、いろいろな知識が必要だという思いが強くなり、中学では理科が好きになりました。
とはいえ、中学・高校時代と卓球部に所属していたので、朝から晩まで部活三昧。高校では早朝練習に行き、3時間目にお弁当を食べ、4時間目が終わると食堂にダッシュ! 授業が終わったら放課後もまた卓球です。3年生の時は、浪人覚悟で夏休みが終わるまで部活を続けていたので、受験勉強もままならず、私の人生は卓球で燃え尽きたなと思っていました。
勉強にはそれほど熱心ではありませんでしたが、部活動では人間的に成長できたと思います。部員は何十人いましたが、そのなかで一人ひとりが組織の一員としての重要な役割を持ち、チームで活動することの大切さを知ることができました。最後は部長を勤めましたが、メンバーの誰もが部長になれる自慢のチームでした。部活動での経験は、今までの人生での大きな財産のひとつです。
―大学以降はどのような道を進まれたのですか?
浪人覚悟で挑んだ受験に運良く合格し、奈良女子大学に進学することになりました。当時は女性の社会進出がまだまだ進んでいない時代。自宅から通えたし、家政学部の被服学科で花嫁修行ということで、親は進学を許してくれたのでしょう。
化学は得意だったので、被服学科の幅広い勉強の中に化学の内容があり、入ってよかったと感じました。卒論を書く時にコロイド界面科学が専門の先生の研究室に分属でき、以降も界面科学をベースにテキスタイルの加工や洗浄について研究することになります。
一方で、1年生の頃から先輩が経営する学習塾でのアルバイトに夢中でした。中学生20人ほどのクラスで、担当教科は英語。教えること自体はもちろんのこと、生徒と話したり相談ごとを聞いたりするのがすごく好きで。卒業してもみんなが気軽に遊びに来るようなアットホームな塾だったので、教える楽しさを全身で感じることができました。
教員の仕事は、私の天職だと思っています。教えること、若い世代と関わること、研究、人材育成などいろいろありますが、こうして高専の校長になったことも、教員としてのひとつの道だったのだと思います。
断るのはかっこ悪い。どんな時でも一歩前に
―どのような経緯で高専の校長に着任されたのでしょうか。
京都教育大学で16年間勤務した後、母校でもある奈良女子大学に勤めていたので、そのまま定年を迎えるものだと思っていました。研究・教育環境も整っていて、ゼミ学生や共同研究者とともに研究テーマを追いかける日々でした。そんな時に、高専の校長にならないかと打診があり、正直最初は悩みました。
考えるなかで、頭に浮かんだのはいつも自分が学生に向かって投げかけていた言葉です。「自分から身を引いては絶対にだめ。どんな時でも一歩前に出なさい」。そんなことを言う自分が、ここで引いてどうするんだ。このまま安定した状態でハッピーに定年を迎えるのも悪くないけど、学生には示しがつきません。そもそも、何かを頼まれて断るのって、かっこ悪くていやじゃないですか(笑)。
状況を俯瞰してみると、高専には女性の校長がいなくて、社会全体でも女性のリーダーが必要とされていました。性別に関係なく、一人ひとりの特性を生かせるのが当たり前の社会をつくりたいと思っていたので、一念発起してお引き受けすることにしたんです。
―教育の方針と、現在力を入れていることを教えてください。
私たちの使命は「エンジニア人材の育成」です。奈良高専の人材育成の特色として、グローバルエンジニアの育成を目的とした「グローバル工学協働教育プログラム」と、強さと柔軟性を兼ね備えたエンジニアを育てるための「しなやかエンジニア教育プログラム」を展開しています。
人間性の涵養や異分野の学びを通して、多様な人材があつまる産業の場で「協働」して新たな価値を創造できる人材を輩出できればと思っています。さらに、平成31年度から、育成する人材像とマッチングの良い女子学生を優先的に受け入れる推薦入試枠を設けています。
また、学術研究に軸足をおく大学に対して、高専では社会実装研究を目指します。本校は外部資金の獲得が「国立高専で1位」と産学官連携が進んでいますので、その強みを今後も伸ばしていけたらと考えています。
企業からの学生の評価は常に高く、ほぼ100%、推薦で就職できます。大企業が殆どですが、奈良県は中小企業が多いので、地元企業の方に会うと「うちの会社に高専生がほしいです」とよく言われますよ。近年は転職がさかんなので、高専OB・OGの地元企業への再就職も今後の課題になるでしょう。
―学外での活動についても教えてください。
高専機構の学生支援担当理事として、学生たちが抱えている様々な課題の解決をサポートしています。また、高専ロボコンなど、公私立も含めた全国高専の課外活動の大会を主催している全国高専連合会の会長も勤めています。高専は学業が忙しいですが、そのなかでも何かにチャレンジして、仲間と一緒にゴールを目指す経験は貴重なものです。奈良高専はロボコンの強豪校として知られ、これまで最多の4度の「ロボコン大賞」を受賞しています。
大切なのは、私たち教職員がしっかりと学生に向き合い、見守り寄り添うことです。学生みんなが卒業して社会で活躍できるよう、互いに補完しながらひとつのチームとなって支えていきたいですね。人類は互いに補い合い、「協働」できるからこそ進化・発展してきました。「協働」することの価値を教えることも、私たちの尊い使命だと思っています。
自分より大切な存在が人生の糧に
―多忙な日々だと思われますが、お休みの日はどのように過ごされていますか。
原稿を執筆したり、プレゼン資料を作成したり、土日もデスクワークをしていることが多いかな。さほど苦にならないというか、うまく自己管理してプライベートとのバランスを取れるのが私の長所なのかもしれません。
卓球は、最近は全然していないので、スマッシュを打ったら空振りするかも(笑)。運動と言えば、最近は老化とコロナ禍でそれほど出かけていませんが、40代半ばから登山を始めました。お風呂には入りたいので、山小屋は1泊のみです。北・中央・南アルプスを自分の足で登り、雄大な景観を肉眼で見た時のスケール感と達成感は、ほかの何にも代えがたい魅力があります。
あとは、お酒が大好き(笑)。ビールやワインにウイスキー。たしなむ程度ですが、何でも飲みますよ。いちばん詳しいのは日本酒です。大学勤務時代は学生ともよく飲みに行きました。
―3児の母でもある後藤先生。仕事と子育ての両立は大変ではなかったのでしょうか?
思えば私はこれまで、「断る」ということをしない人生を歩んできました。奈良女子大の大学院修士課程修了数年後に博士課程が新設され、先生から「新設したのに誰も来ないと困るから」と言われて、「わかりました、行きます」と進学しました。
博士課程の1回生で結婚し、2回生で1人目を出産。年子でもう一人産むことになり、32歳までで3人の女の子の母になりました。博士課程を出て6年間は就職できず非常勤講師のみで、その間に子どもが大きくなったので助かりました。
朝、子どもを預けて非常勤講師として働き、夕方、奈良女の研究室へ。終わったら迎えに行く生活でしたね。「子どもがほしい」なんて思ったことなかったのに、気がつけば3姉妹の母ですから(笑)。でも、本当に産んでよかった。人生にはきっと、自分より大切な存在が必要なのでしょうね。
後藤 景子氏
Keiko Gotoh
- 奈良工業高等専門学校 校長
1973年3月 大阪府立三国丘高等学校 卒業
1977年3月 奈良女子大学 家政学部 被服学科 卒業
1979年3月 奈良女子大学大学院 家政学研究科 被服学専攻 修了
1986年3月 奈良女子大学大学院 人間文化研究科 生活環境学専攻 修了、学術博士取得
1992年4月〜1993年9月 奈良女子大学 家政学部 助手
1993年10月〜2003年3月 京都教育大学 教育学部 助教授
2003年4月〜2004年3月 京都教育大学 教育学部 教授
2004年4月〜2009年9月 国立大学法人京都教育大学 教育学部 教授
2009年10月〜2016年3月 国立大学法人奈良女子大学 生活環境学部 教授
2016年4月〜 奈良工業高等専門学校 校長
2018年4月〜 国立高等専門学校機構 理事
2020年4月〜 全国高等専門学校連合会 会長
2021年3月〜 中央教育審議会(総会・大学文科会) 委員
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