木更津高専を卒業後、横浜国立大学に進まれ、今は母校で教壇に立たれている泉源(はじめ)先生。実は当時,高専はあまり知られておらず,普通高校から大学進学を望んでいた親の心配をよそに高専に進まれたのだそうです。高専で恩師に出会ったという泉先生に、高専時代の思い出や、研究のお話、今後のご展望を伺いました。
親の心配をよそに、木更津高専に進学
―木更津高専に進学されたきっかけを教えてください。
小学校のときは『キャプテン翼』の影響でサッカークラブに入って、リフティング練習をしたり、階段の昇り降りをしたり、漫画のマネをしていました。しかし、体調を崩してしまい、サッカーをプレーし続けたいという気持ちは持ちつつも、そこまで強い熱が入らなくなり、サッカー選手の夢を諦めたんです。
また、父から「普通高校を出て、大学に」と言われたのですが、興味が湧かなかったので、高専に進みました(笑) 「見えないものを知りたい」という思いもあり、電気工学科(現:電気電子工学科)を選びましたね。
―木更津高専に進学されてみて、いかがでしたか。
恩師でもあり卒研の担当もしてくださった、小平眞次(しんじ)先生との出会いが衝撃でした。小平先生は「社会に出てからの話」や「学問について」などを、授業中にいろいろと話してくださったのを覚えています。通信関係の研究をされていたのは小平先生だけだったので、研究室は一択でしたね。
卒研では、「宇宙から来る電波を、受信機に信号として送るためのミラー(鏡)」をつくりました。宇宙から来る電波は光と同じ性質を持っているので、ミラーで電波を反射させることによって、受信機に信号を送るという構造が可能になります。
アルミを削って鏡面を綺麗にしていく際に重要なのは、平面ではなく曲面に削ることです。さらに、鏡は3枚使って3回反射させるので、鏡をどう反射させれば信号が劣化せずに送れるのかをプログラミングするところが難しかったですね。
前年度にされていた先輩のプログラムを読み取るところから始めたんですけど、もともとプログラミングが得意ではなかったことと、特殊なコードだったこともあり、調べて把握するところに苦労しました。
-高専時代もサッカーは続けられたのですか。
身体は悪くしてしまったのですが、セーブしつつ、中学でも高専でもサッカーは続けました。自分たちの代では、なかなか思うような結果は出なかったのですが、練習メニュー考案の中心メンバーとして、キャプテン・副キャプテンと話しながら進めていったのは楽しかったです。
例えば、試合後半という疲れが出てくる時間帯を想定したメニューとして、疲れたときのボールの扱い方なども練習に取り入れました。「試合で使える練習」を意識しましたね。
-横浜国立大学を選ばれたきっかけを教えてください。
4年生の春にインターンで「日立製作所」に行かせていただいたのですが、社員さんに「研究や開発をしたいんだったら、進学した方が道は広がるよ」とアドバイスをいただいて。そこから、「じゃあ進学するしかないな」と思いました。
ですので、部活を引退したらすぐ勉強に切り替えましたね。「ひとつのことをちゃんとやり通す」ってすごく大切だと思うんですけど、私の場合は「サッカー馬鹿」と思われたくなくて。父親から「ほら見ろ」って言われることも嫌でした(笑)
横浜国立大学を選んだのは、通信関係をより学びたかったからです。通信関係に強い大学を調べられるだけ調べて、いくつか候補に挙がった中からチャレンジして、掴むことができました。
共同研究中の「超小型羽ばたき飛行体の製作」について
-横浜国立大学では、どのような研究をされたのですか。
携帯電話にある内蔵型のアンテナについて研究しました。内蔵型アンテナは、アンテナに信号が到達するまでに周りの金属やプラスチックに邪魔されてしまうので、どんどんレベルが落ちてしまいます。内蔵型は電波も飛ばしにくいので、アンテナが外に出ている方が本当はいいんですよ。
でも、アンテナが折れる心配がなくなったのも、見た目が良くなったのも、内蔵型アンテナのおかげなので、内蔵型アンテナのサイズと材質の研究をしました。
―その後、母校の木更津高専に着任されています!
4年生の春先、高専時代の友人の結婚式に呼ばれたのですが、そこで小平先生に再会して、「高専に戻ってこないか」とお話をいただきました。
研究は好きで続けたかったですし、大学院に行こうか迷っていた時期だったので、ありがたかったですね。深く考えずに、「研究ができる」しか頭になく(笑)、すぐにお返事した記憶があります。
―授業中の工夫があれば、教えてください。
できるだけダラダラ話さないように気を付けています。もちろん言葉や意味が難しいものは説明が長くなってしまうのですが、できるだけ簡潔に話をしたいと思っています。こちらが一方的にダラダラ話していたら眠くなるじゃないですか(笑) どうせなら寝ずに授業を聞いてほしいので。ついつい話しがちになってしまいますが、気をつけようとは思っています。
もちろん、伝えることは山ほどあります。ですが、できるだけ私は話さないようにして、自分で調べてもらうことも大切にしています。
今の時代、教え方が上手な教育系YouTuberの方もたくさんいらっしゃるので、分かりやすいと思った動画は学生にシェアして、見てもらうようにしていますね。「この動画のここが分かりやすいよ。でも、私の考え方でやるとこうなるよ」と伝えて、できるだけ授業に変化を付ける工夫はしています。
―現在はどのような取り組みをされているのですか。
当校の石出先生と、長岡技科大の山崎渉先生による共同研究「超小型羽ばたき飛行体の製作」で、電気系統やマイコン部分のサポートをしています。機体も改良中の段階ですが、翼長が20㎝ぐらいのすごく小さなものなので、羽ばたく機構の動力源の部分もすごく小さいのが特徴です。羽も機体も動力源も、いろいろと調整をしている段階ですね。
今は、羽ばたくときにその姿勢がどうなっているのかを判別する測定装置の開発中です。最終的にドローンや自律飛行に繋がればいいなと思います。
ずっと電気系を研究していた人間だったので、機構や流体力学には触れてこなかった人生でした。それを今になって勉強するのは大変でもあり面白いところですね。この年になって初めての共同研究ということもあり、大変充実しています。石出先生が定年される前には完成させたいですね。
仕事を知ることで、視野を広げてほしい
―現役の高専生にメッセージをお願いします。
今年はキャリア支援室長として、月刊高専を運営しているメディア総研さんとコラボレーションさせていただいています。いくつかの企業インタビューを聞けるイベントを開催する計画ですが、とにかくいろいろな企業があることを学生には知ってもらいたいのです。
高専生は進路を決めるのが少し遅いと思っています。進路を決める段階になって、「何をやればいいのか分からない」「自分には何ができますか」と相談に来る学生も多いです。それは多分、「自分は何ができる、できない」を知る以前に、「どんな職があるのかを知らない」から起こることだと思っています。ですので、学生にはこの機会を生かしてほしいですね。
もちろんイベントには、学生にとって名前を聞いたことがない企業もあると思います。でもその企業が、実は日本を支えていることを知ってもらいたいです。進学する学生も、就職する学生も、視野を広げて考えてほしいと思っています。
高専での勉強は大変だと思います。でも、自由な校風なので、長期休みはいつもと違う過ごし方をして、そこからヒントを見つけてほしいです。何をやるにしても、そこには何らかの意味があります。それを良いほうに捉えて、たくさんの経験を積んでほしいですね!
泉 源氏
Hajime Izumi
- 木更津工業高等専門学校 電子制御工学科 准教授
1991年3月 木更津工業高等専門学校 電気工学科 卒業
1993年3月 横浜国立大学 工学部 電子情報工学科 卒業
1993年4月 木更津工業高等専門学校 電子制御工学科 助手
2003年4月 同 講師
2005年4月 同 助教授
2007年4月より現職
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