仙台電波工業高等専門学校の専攻科を修了し、現在は岩手大学 理工学部の助教として酸化亜鉛の研究を続けられている阿部貴美先生。これまで歩んで来られたユニークなご経験をたどりながら、酸化亜鉛にかける愛について伺いました。
環境が変わり、伸び伸びできた高専時代
―高専に進学されたきっかけを教えてください。
宮城県の北東部、桃生郡雄勝町大須(現・石巻市)で生まれ育ちました。地元はかなりの田舎で、最寄りの駅へ向かうのに車で30分。山を一つ越えていました。小学校も中学校も全生徒が100人に満たないような環境で、遊ぶ場所も海か、山か(笑)。
高校は自宅から通うことが難しく、家を出るしかありませんでした。当時は学区制があり、かなり限られた選択肢から高校を選ぶ必要がありました。公立となるとなおさらです。そんな条件の中、高専は学区制がなく、寮が完備されていました。また、学費が安く、就職率も良い。親の視点から見ても非常に条件のいい学校でした。
当初は自分を文系だと感じていたので、「理系がメインの高専ってどうなのかな?」と思っていたのですが、既に仙台電波高専に進学していた2つ上の姉から「高専は自由で楽しいよ」と言われ、興味を持ちました。
また、母からは「昔、日本電気(NEC)で働いていた頃、手先が器用だったから特別部隊に配属されて、スペースシャトルに搭載する電子機器のはんだ付けを担当していた」と聞かされました。母は話を盛ることがあるので、どこまで本当なのか未だに半信半疑ですが(笑)。
その時、生活に欠かせない家電製品や自動車、それこそスペースシャトルなどの中身をつくれたらおもしろそうだと感じて、電子工学科を選びました。
―高専入学後の学生生活はいかがでしたか。
高専の自由さが自分の肌にとても合いましたね。特に、女子寮で友達と過ごした5年間は本当に楽しかったです。男子高校生のようなノリで、バカなことばかりしていました。
これは「寮生あるある」だと思うのですが、当時は寮のご飯がイマイチで……。みんなで部屋に集まっては、ピザを頼んで食べて騒いで、先輩に夜な夜な説教されていました。問題児だったと思いますね。神妙な顔をしつつ、懲りずに騒いでいましたから(笑)。
現在も研究を続けている酸化亜鉛に出会ったのも高専時代です。5年生の研究室紹介の際に、当時、まだ実現していなかった「青色LEDの有力材料が酸化亜鉛だ」という話を聞き、とても興味を持ちました。
すぐに酸化亜鉛の研究室に配属を希望したのですが、ここでは夢がかなわず、卒業のために全く別のテーマで研究をすることになります。結果、酸化亜鉛の研究への思いを諦めきれず専攻科への進学を決意しました。
留学と復学、その瞬間に全力で取り組む
―進学後、1年間休学をされているんですね。
そうなんです。女子寮で一緒だった友達に誘われたのをきっかけに、カナダのバンクーバー・ホワイトロックへ1年間留学をしました。研究のためというより、完全にノリです(笑)。親には出発の2週間前に、コーディネーターさんがくるからと仙台に呼び出して、「お金出して!」と伝えました。今思うと、ひどいですよね(笑)。
親は鳩が豆鉄砲を食らったようでしたが、文句も言わずに数百万円を出してくれました。後から聞くと、「お金は残せないけど、知識は残せるから」と考えてくれていたようです。
現地では、語学学校に通いながらとにかく遊んでいました。ホストファミリーはアクティブな方で、夏はシーカヤックで無人島を渡り歩いてキャンプをし、冬はメキシコ・カンクンへバカンスに連れて行ってもらいました。最初は英語もアウトドアもわからないことだらけでしたが、いい人たちに恵まれ、楽しい思い出しかありません。留学が終わる頃には、帰りたくないくらいでした。
海外留学を目指している学生は、親御さんにダメ元でも伝えてみたらいいと思います。海外での経験は、発見の連続です。私の場合でも、1年間、遊んでいる中にも身になる経験がたくさんありました。
―復学後の学びについて教えてください。
2年間、酸化亜鉛について集中して実験ができ、非常に有意義な時間を過ごせました。実験が楽しくて、朝から晩まで研究室にいましたね。当時、酸化亜鉛と窒化ガリウムという2つの材料で、どちらが先に青色LEDを実現できるか競っていたんです。
「酸化亜鉛vs窒化ガリウム」の熱戦が繰り広げられる一方で、酸化亜鉛の中でも誰が最初に紫外線発光を報告するかで競争が激しく、学会での議論も白熱していました。研究がとても活発に進んでいた時期でかなりおもしろかったです。
酸化亜鉛には、勝手に運命を感じています
―大学院へ進学されたのも、研究のためでしょうか?
ええ。研究職に就くつもりだったので、博士号をとるために進学しました。進学先は、専攻科時代から何度か足を運んで共同研究を進めていた岩手大学に決め、修士でも酸化亜鉛の研究を続けました。
専攻科ではサファイアR面基板上にA面ZnO薄膜を作製するヘテロエピタキシャル成長をメインで実施していました。修士ではA面ZnO基板上にA面ZnO薄膜を作製するホモエピタキシャル成長を、博士で酸化亜鉛にマグネシウムを加えたMgZnO薄膜をC面ZnO基板上に作製し、紫外線LEDの実現を目指しました。
研究室レベルでは紫外線LEDの実現に至りましたが、残念ながら大量生産には至らず、結果、窒化ガリウムに完敗してしまいましたね。それでも今もなお、酸化亜鉛にこだわるのは、私が勝手に運命を感じているからです。
酸素と亜鉛の化合物である酸化亜鉛は、化粧品や医薬品に利用され、私たちの生活に身近な材料です。地球にたくさんありますし、人間の体にも無害で原料費も安く、研究材料として大変魅力的な物質だと考えています。
―現在の研究と、今後の目標について教えてください。
現在は、水熱合成炉法による高品質な酸化亜鉛の単結晶の育成をメインに研究しています。酸化亜鉛は既に市販されていますので、我々は更にマグネシウムを加え、酸化亜鉛のバンドギャップを広げて紫外~深紫外領域の光電デバイスとして使えるようなMgZnO単結晶の育成を目指しているところです。
将来的な目標は、200nm程度の深紫外LEDの堆積基板盤として、我々の結晶が使用されるようになること。課題はまだまだ山積みですが、まずはMgZnO単結晶中のマグネシウム量を調整することで、MgZnO単結晶のバンドギャップを自由にコントロールすることを目指します。その後は産学連携をしながら量産体制を整えていきたいです。
―最後に、学生へメッセージをお願いします。
大学院に進学すると、自分が興味を持っている研究をより深く掘り下げることができます。大学での4年間は授業に追われてあっという間です。入りたい研究室に必ず入れるかもわかりませんし、やりたいと思ったことが必ずできるとも限りません。
私が大学院で酸化亜鉛に惚れ込んだように、どのタイミングで何にハマるかはやってみないと誰にもわからない。だからこそ、研究に興味のある人は、大学院まで進学して探求心を存分に満たすことをおすすめします。
また、進学をお金が理由で悩んでいる方は、奨学金を活用することも検討してみると良いと思います。私自身も高専時代から大学院の博士課程まで奨学金を借りました。「ローン」というと、躊躇するかもしれませんが、私の場合、なんとかなっています。未来に悩むことよりも、今に全力になってくださいね。
阿部 貴美氏
Takami Abe
- 岩手大学 理工学部 システム創成工学科 電気電子通信コース 助教
2003年3月 仙台電波工業高等専門学校 電子工学科 卒業
2006年3月 仙台電波工業高等専門学校 専攻科 電子システム工学専攻 修了
2008年3月 岩手大学大学院 工学研究科 博士前期課程 電気電子工学専攻 修了
2011年3月 岩手大学大学院 工学研究科 博士後期課程 電子情報工学専攻 修了
2016年5月〜 岩手大学 理工学部 システム創成工学科 電気電子通信コース 助教
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