航海実習や学術研究のみならず、地域貢献への取り組みにも使用されている練習船「広島丸」。船長を務める広島商船高専 清田耕司先生は、母校での研究教育活動にご尽力されています。船に関心を持つようになったきっかけや、現在のご研究内容についてお話を伺いました。
「船舶検査官」から一転、高専教員へ
―先生は広島商船高専のご出身なんですね。入学したきっかけと高専時代について教えてください。
私の家は、代々船に関わる仕事をしていたため、幼い頃から「海」や「船」はとても身近な存在でした。大阪港の近くで生まれ、世界中から集まってくる外国船やその乗組員たちを見ながら育ったため、「船に乗ること」は自然と私の夢になっていきました。小学校の卒業文集にも「10年後には一等航海士になる!」と書いていましたね。
その頃は、「海洋少年団」という小・中学生向けの活動の中でお世話になった神戸商船大学(現・神戸大学海事科学部)に進学したいと考えていました。中学3年の秋くらいかな。部活の顧問の先生から、「船に乗りたいなら、商船高専という選択肢もあるよ」と言われたんです。調べてみると、憧れの神戸商船大学が受験会場だったこともあり、広島商船の航海学科を受験することに決めました。
入学後は、カッター部(漕艇部)に入部し、かなり力を入れて活動していて、精神的にも体力的にも成長することができました。4年生の時に弓削商船高専で開催された全国商船高等専門学校漕艇大会で優勝したときのことは、今でも鮮明に覚えています。
カッターは、人力で漕がなければいけないため、メンバーとの協力が必要ですし、「潮の流れに乗れば速くなる」「風に逆らえば進まない」というように、自然の力にそのまま影響されます。そのため、船乗りの基礎を学ぶ上では、切っても切れない関係にあるんです。密度の濃い時間を共にしてきたからこそ、そこで得た友人や先輩・後輩というのは、今でも良い関係を続けています。
―ご卒業後は運輸省で働かれていたんだとか。そこから、広島商船に赴任することになった経緯はなんだったのでしょうか。
船舶検査官として、近畿運輸局で「船のお医者さん」のような仕事をしていました。具体的には、安全な航海のために、必要な備品がきちんと積んであるか、船自体に故障がないかといった部分を細かく、検査する船がいる造船所にうかがって検査していきます。そのうえで、安全が認められた船には合格の書類を渡し、5年間は走れるというお墨付きを与えるのです。
また、近畿圏にある船のエンジンやポンプのメーカーを訪問し、「設計図通りにつくられているか」「一定以上の性能を満たしているか」といった観点からの検査、さらには、「外国船舶監督官」として大阪港に外国から入って来る船の検査(PSC)も行っていました。
船舶検査官は全国転勤のある仕事なので、仕事を始めてから数年が経つと、私も「そろそろ転勤かな」という時期になりました。ちょうどその時、広島商船では、航海学科・機関学科を1つにして商船学科とするなど、学校単位での大幅な学科改組が行われていたんです。
そのため、新しい人員が必要という状況で、卒業生でもある私が候補に挙がりました。船舶検査官は法律をもとにした仕事ですので、海事法規に関する科目や、航海実習のサポートを担当するため、文部省に出向し、広島商船に助手として着任することになりました。
島の本来の姿を、子どもたちへ伝えていく
―先生のご研究について教えてください。
1つは、「アマモ」をテーマとした、海洋環境学習プログラムの開発です。アマモは、綺麗な海にしか生えないイネ科の植物なのですが、広島商船がある大崎上島に群生しています。
海のゆりかごの中で、魚が卵を産んで新たな生き物が育ち、それを食べる中型の魚が来て、さらにそれを食べる大型の魚が…というように、アマモを守ることは海にとってプラスの要因になります。
ただ、人間が生活しやすいように港をつくったり、護岸工事をしたりすることによって、比較的浅いところに生えているアマモは、どんどんその数を減らしているんです。アマモが減ってしまえば、魚が卵を産むことができずに、数を減らしてしまい、プランクトンの増加によって赤潮の原因になることもあります。
守る手段としては、人の手を加えるという考え方もあります。しかしながら、アマモに関しては、環境省等が定点観測を行っており、安易に手を加えてはいけないほど、大事に見守られているんです。
だからまずは、こういった現状を知ってもらうことで、「海に関心を持ってもらうきっかけ」になればと考えました。それで、地域の子どもたち向けにアマモを実際に観測できる機会を提供することにしたんです。
ただ、エンジン付きのボートで行ってしまうと傷つけてしまう可能性があるため、手漕ぎのカッターや2人乗りのシーカヤックに乗ってもらって観測をしに行きます。この研究は科研費で2回ほど採択されまして、現在は、関心を持った若手の教員が発展させて研究を続けてくれています。これからは、サポート側として見守っていきたいと考えています。
―現在取り組まれている活動について、教えてください。
大崎上島というのは、柑橘系の果物と造船で栄えた町です。そのため、昔は今以上にたくさんの造船所があり、昭和の中頃まで木造船をつくっていました。ただ、今では木の船というのはほとんど残っていなくて、昔あった造船所の姿すら消えかけています。
このように、どんな船がつくられていたのかの記録もなく、これまでの島の歴史や歩みというのが消えていってしまうことに危機感を覚えるようになっていきました。
そして、2013年から広島商船が採択したCOC事業を契機として、島内でどのような船がつくられてきたのかの調査を始めたんです。その際、ただ調査するのではなく、今の子どもたちにそれを伝えていき、島の歴史や船について関心を持って欲しいという思いがあり、現在まで研究を続けています。
そういった研究を続けてきたおかげで、令和6年刊行予定の「大崎上島町史」の編さん委員の委嘱を受けました。これまでの調査で知り得たことを生かして、お世話になった大崎上島に少しでも恩返しできたらと思っています。
「広島丸」を次の世代へ
―広島丸について教えてください。
商船学科の学生による「航海実習」のために使われている練習船です。航海実習は、安全な航海を目指し、学生それぞれが船員としての技術や心構えを身に付けるために行われています。
1・2年生は複数の学科が同じクラスに在籍している混合クラスなので、実習の時間というのは少なめですが、その中でもカッターを漕いだり、乗船したりといった実習の時間が週に1回・半日程度設けられています。3年生以降になると、より専門的なことを学ぶため、泊りがけでの実習が行われます。
船上での生活は、気を抜けば他人にケガをさせてしまうような環境にあるので、常に「隣の人への思いやり」を持つことの大切さは伝えるようにしています。
―今後、力を入れて取り組んでいきたいことはありますか?
広島丸も25歳になり、他の商船高専の練習船もそれぞれ30歳手前となりました。実際に大島商船では、新たな練習船がつくられ始めていて、広島丸も新しく生まれ変わる時期に差し掛かっています。
歴代の広島丸は日本中に誇れる船だと思っています。生まれ変わっても、これまでと同じように愛され、立派な船乗りを育てる「広島丸」になるよう、私もできる限り頑張っていきたいと思います。
清田 耕司氏
Kouji Seida
- 広島商船高等専門学校 練習船広島丸 船長、准教授
1985年 広島商船高等専門学校 航海学科 卒業、日東運輸株式会社 神戸支店 入社
1986年 運輸省 近畿運輸局 船舶部 検査課 入省
1987年 運輸省 近畿運輸局 船舶検査官
1989年 文部省出向 広島商船高等専門学校 航海学科 助手
1990年 練習船広島丸二等航海士 兼任
1995年 練習船広島丸一等航海士
2010年 近畿大学 法学部 法律学科 卒業
2011年より現職
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