コンピュータグラフィックスに関する研究を行われている東京都立大学 向井智彦先生。佐世保高専をご卒業後、進学先である豊橋技術科学大学の教員となり、その後は企業への就職も経験されています。高専時代の思い出から、再び大学教員になった理由、現在のご研究内容についてお話を伺いました。
プログラミングの楽しさに魅了された学生時代
―高専時代のことを教えてください。
中学生の頃からコンピュータ技術やプログラミングに興味があり、進学先としては工業高校を志望していました。そんな時、教材販売をしに来た方から「高専」という学校があることを聞いたんです。詳しく調べてみると、自分のやりたいこととマッチしていましたし、なにより「楽しそう!」と感じて、高専を志すようになりました。
卒業研究では、研究室の先生からの提案で、映像・音声配信・チャット・共有ホワイトボードを組み合わせたようなビデオ会議システムを開発しました。当時は、「インターネット」という言葉が普及し始めた時代で、ビデオ会議システムなどは確立されていなかったため、まさにゼロからのスタートという状況でした。
その時は、取っ掛かりでも出来たら良いと言われていたのですが、「せっかくならひと通りつくりたい!」という思いがあり、暇さえあれば研究室に入り浸ってプログラミングしていました。
そうした、1つのことに何カ月も集中する経験は、その後の大学・大学院・就業後にも生きていると感じています。
―大学での生活はどうでしたか?
豊橋技術科学大学は、進学時に初めて意識した大学でしたが、全国からの多くの高専編入生を受け入れており、その卒業生を念頭においた学部3・4年の講義と実験はとても充実していて、大変ながらも勉強は楽しかったです。
入学時には、2年間大学に行ったら卒業すると親に話していたのですが、技科大では修士進学が当たり前という環境だったこともあり、修士課程に進学しました。
学部では授業が多かった一方で、大学院ではひたすら研究活動に集中でき、これまで以上にプログラミングにのめり込んでいきました。複数の学会発表に参加させていただく機会もあり、国際会議発表のために初めて海外へ行けたのもいい思い出です。
人間の自然な動きを追い求める「システム開発」
―現在は、どのような研究をされているのでしょうか?
大学の卒業研究以降は、「人型キャラクターのアニメーション制作」を支援するためのソフトウェア技術について研究しています。最近では、3次元コンピュータグラフィックスで、人間の筋肉の動きまで表現するようなシステムの開発を行っています。
「腕を曲げた時の筋肉の盛り上がり」といった人体の細かな部分までを表現するためには、デザイナーが1週間から2週間かけてやっと1つの表現をつくり上げているのが現状です。そこで、デザイナーがやりたがらない作業や誰がやっても同じになるような単純作業を自動化し、その人にしかできない表現を引き出す作業に注力できるようなシステムが必要とされているのです。
また現在は、プラチナゲームズ株式会社や株式会社サイバーエージェントなど、複数の民間企業と人体表現技術に関する共同研究も行っています。
具体的には、「デジタルヒューマン」といって、被写体となった方の動きの特徴を反映した、新しいアニメーション映像を自動的につくり上げるというものです。つまり、その人がいなくても新しい全身ポーズや表情をつくることができるという技術の開発です。
私が行う研究の究極的な目標は、ヒトの様々な運動をコンピュータグラフィックスで自動的に合成することですが、これには、まだ数十年単位の研究が必要だと見込まれています。そこで現状では、アニメーターやデザイナーによる手作業を前提として、その感性やクリエイティビティを阻害しないような「映像制作ツール」を開発することを主な目的として、研究に取り組んでいます。
―先生は、一度企業に就職されたそうですね。そこではどのような研究を行っていたのですか?
博士課程修了後、そのまま豊橋技術科学大学の助手として勤務するようになり、学生の頃から合わせて10年ほどお世話になっていました。技科大での研究活動にはとても満足していたのですが、ずっと大学にいると自分の研究が社会とつながっているという実感が薄く、「より実用的なことに挑戦したい」という気持ちが強くなっていきました。
そんな時に、株式会社スクウェア・エニックスが研究所を立ち上げるという話が耳に入ったんです。同社は、「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」といったクオリティの高いゲームを生み出した実績があり、私自身、子どもの頃から憧れの会社でした。そのため、多少の迷いはありつつも、思い切って転職を決意しました。
入社後は、ゲームに登場するキャラクターを動かす技術について研究していました。初期のゲームを想像してもらえば分かると思うのですが、ボタンを押したら、キャラクターがしゃがみもせずに飛び上がったり、回転したりするんですよね。「人間らしい自然な動き」とはとても言えませんでした。
そのため、ジャンプ1つをとっても、しゃがむ動作から着地の時に少しバランスを崩す動作まで表現するなど、「いかに人間らしさを表現するか」というミッションの下、研究を行っていました。
■ 著書紹介ページ「キャラクタアニメーションの数理とシステム」
https://www.coronasha.co.jp/np/isbn/9784339029093/
視野を広げ、世界をリードする人材になってほしい
―再び教員として戻られたのには、どのような理由があったのでしょうか。
企業での研究開発というのは、確立された技術を組み合わせて、いかに製品に落とし込めるかという点が重視されます。ですから、いろいろな論文を読んで使えそうな技術を見つけ、本当に動くかどうかを確認する作業が非常に多いです。
もちろん、それが楽しくて仕事に打ち込んでいたんですが、一方で「新たな技術を追い求めたい」という思いも抱くようになっていきました。そのため、もう一度、研究にフォーカスした活動をしたいと考え、再び大学の教員になることを決めました。
―最後に、高専生へのメッセージをお願いします。
私自身、博士号を持っていることでキャリア選択の幅は広がりましたし、それがきっかけで新しいご縁につながることも多くありました。そのため、将来の選択肢を増やす意味でも、可能であれば大学院まで進学することをお勧めしたいです。
また、高専では専門技術の習得も重要ですが、一般教科(いわゆる文系科目)にも手を抜かず取り組んでほしいと思っています。民間企業在籍時にも、多様な専門分野を背景とする方々と協働したり、海外の開発者・研究者と交流する際に、教養の重要性を強く感じていました。広い視野を持って幅広い教養を学びつつ、深い専門性を身につけてください。
私も大学教員として編入生を受け入れる立場となりましたが、高専生のポテンシャルの高さは、組織内・教員間でも共通の認識です。先端技術に興味津々の高専生には大学院まで進学し、より深い知識や経験を重ねることで、産業界ひいては世界をリードするような人材になって欲しいと願っています。
向井 智彦氏
Tomohiko Mukai
- 東京都立大学 システムデザイン学部 インダストリアルアート学科 准教授
1999年 佐世保工業高等専門学校 電子制御工学科 卒業
2001年 豊橋技術科学大学 工学部 情報工学課程 卒業
2003年 豊橋技術科学大学大学院 工学研究科 情報工学専攻 修了
2006年 豊橋技術科学大学大学院 工学研究科 電子・情報工学専攻 博士後期課程 修了、博士(工学)、豊橋技術科学大学 情報工学系 助教
2009年 株式会社スクウェア・エニックス 入社
2014年 東海大学 情報通信学部 情報メディア学科 専任講師、2017年 同校 准教授
2018年より現職
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